第142話「南門がどこか分からない」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
「レフ、馬だ!」
「はいさ!」
鐘が鳴っていた。一つ、また一つ。この鐘が鳴る間に、北区画の門は閉じ、南門の格子は下りていく。
2人は広場の南の端の、倉の裏へ走った。繋いでおいた4頭の馬は、火の匂いと鐘の音に怯え、目を剥いて暴れていた。1頭が後ろ脚を跳ね上げ、蹄がマイトランドの肩を掠めた。
「どうどう、どうどうさ!」
レフが、暴れる馬の首に腕を回し、耳元で何事かを囁いた。馬の足踏みが、わずかに緩んだ。
その隙に、マイトランドは繋ぎ縄を剣で断ち切った。2人は2頭ずつ手綱を引き、広場へ駆け戻った。
広場の入り口では、土くれの歩兵が、残り2体になっていた。
その向こうで、松明を掲げた兵たちが、盾を並べて押し寄せてくる。
「急げ!」
馬具など無かった。厩から持ち出した手綱を、土の轅に何重にも巻き付けるだけである。マイトランドの指が、焦りで何度も縄を取り落とした。
矢が一本、轅に突き立った。馬が悲鳴のようにいなないた。
結び目を、歯で引き絞った。
戦車長が、差し出していた両手で、ようやく本物の手綱を握った。
「全員乗り込め!2名ずつだ!レフはそっちの戦車に乗れ!」
「了解さ!」
「隊長、鎖が!2名ずつ別れて乗れません!」
捕虜の一人が叫んだ。捕虜同士をつなぐ鎖が短く、分乗しようにも、全くできなかったのである。
「くそっ……レフ、鎖を引っ張れ!」
「はいさ!」
レフが鎖を引き絞り、マイトランドが剣を叩きつけた。一か所。二か所。三か所。
土くれの歩兵が、また一体崩れた。盾の列が、広場の中へ踏み込んできた。
八か所目を断ち切った時、4人の捕虜は、ようやく自由の身となった。
「乗れ!その方はそっちの戦車に寝かせろ!」
小屋から運び出した痩せた男を、捕虜たちが2人がかりでレフの戦車に放り上げた。男は、戦車の床に転がっても、うっすらと目を開けたまま、声一つ上げなかった。
「戦車長、南門だ!南門まで行け!」
「……。」
戦車長は、手綱を握ったまま、顔の無い顔を前に向けていた。
馬が、足踏みをした。だが、手綱は動かなかった。
「南門まで行けと言っている!」
「……。」
動かない。
マイトランドの背筋を、冷たいものが駆け上がった。
これまで、一度も無かったことであった。騎兵も、歩兵も、呼べば応え、命じれば動いた。この力だけは、自分を裏切ったことが無かった。
(魔力が、切れたのか?)
違う。戦車長は、そこにいる。形も崩れていない。手綱も、握っている。
ただ、動かないのである。
「おい!聞こえないのか!南門だ!」
マイトランドは、戦車長の肩を掴んで揺さぶった。土の肩は、石のように冷たく、硬かった。顔の無い顔は、こちらを振り向きもしなかった。
(なぜだ。なぜ、今なんだ)
頭の中が、真っ白になりかけた。
この力が動かなければ、何も無い。レフと2人、剣2本で、この盾の列を相手にするしかない。捕虜を連れては、走って逃げることもできない。
ここまで来て。鎖まで断ち切って。
最後の土くれの歩兵が、槍に貫かれて土に還った。
盾を構えた兵たちの間に、どっと声が上がった。盾の列が、もう10歩の距離まで迫っていた。
松明の灯りに、槍の穂先が、ずらりと並んで光っていた。
「戦車長!頼む、動け!南門だ!」
声が、裏返った。
自分の声が、こんなにも上ずるのを、マイトランドは初めて聞いた。
「隊長!この戦車長殿は、南門がどこか分からないのでは!」
同乗する捕虜の1人が、叫ぶように言った。
マイトランドは、凍りついた。
そして、次の瞬間、顔に一瞬で血が上った。
呼び出したばかりの、土くれである。トレーナの街など、知るはずが無かった。知らない場所へ行けと命じられて、行けるはずが無かったのである。
壊れたのではない。自分が、命じ方を間違えただけであった。
安堵と、恥ずかしさと、苛立ちが、一度に込み上げた。だが、それを噛み締めている暇は無かった。
「戦車長、全速で前進しろ!そっちの戦車はこちらに続け!」
戦車長が、手綱を振るった。
馬がいななき、2台の戦車は、盾の列の鼻先を掠めるようにして、広場を飛び出した。突き出された槍の穂先が、戦車の後ろの車台を削った。
北区画の門が、鐘の音に合わせて、閉じ始めていた。
「止まるな!そのまま行け!」
扉と扉の隙間は、もう戦車1台分しか無かった。
門番の兵が、閉じかけた扉の陰から槍を突き出した。穂先が、マイトランドの脇腹の、指一本分横の空を裂いた。
1台目が、車輪を扉に擦りつけ、火花を撒き散らして隙間を抜けた。
2台目が続いた。レフの戦車の車台の端が扉にぶつかり、土の欠片が夜の闇に砕け散った。車体が大きく傾き、レフが床の男の体を押さえつけた。
背後で、門が重い音を立てて閉まった。
北区画を抜けた。ここから先は、東区画である。
南門までの最短の道は、頭に入っていた。昨日自分の足で歩き、今日ディアナと歩いて確かめた道である。
東区画を、城の堀に沿って真っ直ぐ南へ下る。東区画と南区画を仕切る門をくぐり、南区画の大通りに出て、そのまま南門へ。回り道をしている暇は、一刻も無かった。
東区画の通りは、地獄のようであった。
東の工房の火は、まだ夜空を焦がしていた。火の粉が雪のように降り、煙が目を刺した。夜更けの鐘を聞いた兵たちが、西区画の酒場から一斉に戻り始め、そこへ、厩から放たれた馬たちが、あちこちの通りを狂ったように駆け回っていた。
だが、その最短の道は、燃え盛る工房の並びの脇を通っていた。
炎の壁が、両側から迫った。
路地の奥で、油の樽が一つ、また一つと弾け、そのたびに火柱が屋根の上まで噴き上がった。熱風が頬を焼き、馬が怯えて首を振った。戦車長は、顔の無い顔を前に向けたまま、ただ手綱を握り続けていた。
炎の脇を抜けると、同じ通りの先に、見慣れない、真新しい石造りの建物が目に入った。
東地区に急遽建てられたという、第4軍の司令部であった。入り口の前で、松明を掲げた将校たちが、火の手の方角を指差しながら怒鳴り合っていた。
「伏せろ!」
マイトランドの声に、戦車の上の全員が身を低くした。
2台の戦車は、司令部の前の通りを、将校たちの背後すれすれに駆け抜けた。誰かが振り返った気配がした。だが、その時には、戦車はもう堀沿いの闇の中を駆け抜けていた。
「そのまま真っ直ぐ!堀に沿って南だ!」
マイトランドは、揺れる戦車の縁にしがみつきながら、道を叫び続けた。
すぐ横に、ずぶ濡れのように汗をかいた捕虜が、同じように縁にしがみついていた。
「貴官、名は!」
「帝国軍第18軍団第60猟兵連隊、第7偵察大隊!ヘルムート・ゲルマー少尉であります!」
車輪が石畳の段差を越え、戦車が跳ねた。ゲルマー少尉の言葉が、舌を噛みそうになって途切れた。
「隊長の、所属と、階級は!」
「ヴェルタ第2軍、第72魔導砲兵旅団、旅団司令部付偵察分隊!マイトランド・ラッセル!」
「ヴェルタ……!?階級は!」
「機密事項だ!原隊に戻ったら、貴官の部隊長に聞け!今から貴官は俺の指揮下だ!」
「……はっ!」
少尉の捕虜が、救出したのが2等兵だと知れば、指揮下に入る訳がない。階級を言っている暇も、言う気も無かった。
堀沿いの道が緩やかに曲がった先に、東区画と南区画を仕切る壁の門が見えた。
鐘の無い門である。夜でも閉じない門のはずであった。だがその前に、倒された荷車の山があった。
巡回の衛兵が数人、荷車を倒した簡素なバリケードの向こうで、槍を構えていた。
「2台とも絶対に止まるな!立ちはだかる者は、ひき殺せ!」
戦車2台は、速度を落とさずに、そのままバリケードへ突っ込んだ。
衛兵たちが、悲鳴を上げて左右に身を投げ出した。荷車が車輪に弾き飛ばされ、宙を舞い、背後の石畳に叩きつけられて砕けた。
衝撃で、ゲルマー少尉の体が戦車の外へ投げ出されかけた。マイトランドは、その襟首を掴んで引き戻した。
門をくぐると、南区画であった。
昼間は人と荷車で埋め尽くされていた市場の通りは、屋台という屋台が戸を閉ざし、しんと静まり返っていた。東の火の手を見上げる商人たちが、窓から身を乗り出していたが、疾走する土の戦車を見ると、悲鳴を上げて窓を閉めた。
大通りに出た。南へ。
南門が見えた。
あの門には、ブルーノがいる。
昼間、戦の神の祠の前で膝をつき、大きな手を組んでいた男の顔が、一瞬だけ脳裏をよぎった。
このラファウが、いつか戦場で、この俺を救ってくれますように。
マイトランドは、その顔を振り払った。
夜だと言うのに、南門の前は、兵士達20名程でごった返していた。王国の威信を賭け、マイトランド達を逃がすわけにはいかなかったのであろう。
そして、その向こうで、南門の格子が、軋む音を立てながら、ゆっくりと下り始めていた。
鐘が、まだ鳴っていた。
マイトランドは戦車を止めさせると、再び土魔法を使い、土くれの歩兵8体と、騎兵2騎を呼び出した。
「突撃!突撃!戦車の脱出ルートを作れ!」
第一波の土くれの兵たちが、南門の兵士の群れへと雪崩れ込んだ。
土の槍と、鉄の槍がぶつかった。怒号と、土が砕ける音が、夜の南門にこだました。
揺れる戦車の上で、ゲルマー少尉は、その光景を呆然と見つめていた。
歩兵が8。騎兵が2。そして、自分たちを乗せた戦車が2。
「……チェスか?」
呟きが、自分の口から漏れたことにすら、少尉は気づかなかった。
次の瞬間、門の上から射かけられた矢が、少尉が掴んでいた戦車の縁に、指のすぐ横に突き立った。少尉は悲鳴を噛み殺し、戦車の床に身を伏せた。
後になって、ゲルマー少尉は、あの夜に自分が何を口走ったのかを、とうとう思い出せなかった。
「行け!続け!」
戦車2台は、第一波の後へ続いた。
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