↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
144/154

第133話「見えない地図」

剣より頭、魔法より読み。


平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。


ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。

しばらくして、マイトランドは握りしめていた拳をほどき、顔を上げた。


「ジャッカルの情報はわかった。」


 マイトランドは、卓の上に指で見えない地図を描き始めた。南門、大通り、東区画、北区画の門、兵舎、厩。昨日一日で自分の足で歩き、目に焼き付けてきた街であった。


「捕虜奪還の日取りを決めよう。攻勢は12月27日。俺は遅くとも25日には、分隊に戻らなければならない。」


「なら、決行は24日の夜だな。」


「ああ。それも、夜更けの鐘が鳴る前だ。」


 ディアナが、わずかに目を見開いた。


「北区画の門のことを知っているのか。」


「昨日、門番が言っていた。夜更けの鐘で、北区画の門は閉まる。捕虜がいるのは、その門を入ってすぐの広場だ。鐘が鳴った後では、捕虜ごと北区画に閉じ込められる。」


「……一日で、そこまで見ていたか。」


 マイトランドは、見えない地図の上に指を置いていった。


「今日は、昼まで休む。午後はお前の案内で街を回って、逃げ道を足で確かめる。そのついでに、北区画で志願兵の登録を済ませる。」


「登録してどうする。」


「明日は志願兵として働く。どこに回されるかはわからないが、兵の中にいれば、兵の動きが見える。逃げ出すその日まで、ただの泥だらけの難民でいるより、よほど動きやすい。」


 ディアナは腕を組み、黙って頷いた。


「では、私の方だ。」


 今度は、ディアナが見えない地図の上に指を伸ばした。


「今日と明日で、冒険者たちに噂を流す。帝国軍が北から大軍で攻めてくる、とな。ギルドの掲示板の前、西区画の酒場、宿の食堂。冒険者は噂が好きだ。一晩で街中に広がる。兵も酒場には来る。噂は、兵の口から司令部まで上がるだろう。」


「嘘だと気付かれてもいい。北を向かせることさえできれば。」


「わかっている。そして、明日の夜だ。」


 ディアナの指が、東区画の上で止まった。


「まず、東区画の工房から火が上がる。軍が接収した工房の路地には、壁の上から浴びせるための油の樽が並んでいる。あれに火が回れば、東区画は一気に燃え上がる。」


「東門の巻き上げ機の番兵も、北区画の兵も、火を消しに走る。」


「そうだ。そして、私の仲間の冒険者が叫ぶ。『帝国軍の夜襲だ、北門だ』とな。昼間に流した噂が、そこで効いてくる。兵舎から出てきた兵は、火と北門の二つに引き裂かれる。」


「仲間?他にもいるのか。」


「いる。だが、それ以上は教えられない。」


 ディアナは、きっぱりと言った。


「何人いるのか、誰なのか、どこにいるのか。軍機につき、存在は教えられない。お前が帝国に通じていようと、ヴェルタの兵であることに変わりはないからな。」


「……道理だな。」


 マイトランドは、それ以上は聞かなかった。自分が同じ立場でも、同じことを言うだろうと思った。


「厩の馬は俺がやる。4頭もらって、残りは全部放す。」


 ディアナが、マイトランドの顔を見た。


「4頭か。捕虜は4人とも、自分の足では歩けまい。」


「ああ。馬は、俺に考えがある。」


 マイトランドは、それ以上は言わなかった。

 ディアナも、聞かなかった。


「放たれた馬は、北区画から大通りへ流れ出す。追手の足も、兵の足も止まる。その混乱の中で、お前は捕虜を連れて北区画の門を抜け、東区画から南区画へ走れ。」


「南門はどうする。夜は、格子が下りているはずだ。」


「いや。南門は、夜も開いている。」


 ディアナは、事もなげに言った。


「戦の備えで、補給の荷馬車が昼夜を問わず入ってくる。だから南門だけは、夜更けの鐘が鳴るまで、格子を上げたままにしてあるんだ。東の火の手を見れば、南門の番兵も半分は応援に出ていく。お前は、荷馬車の列の脇を駆け抜ければいい。」


(だから、南の番兵は退屈そうだったのか)


 夜も開けておく門を守るのに、多くの兵は割かれない。南が手薄な理由が、また一つ腑に落ちた。

 そして、決行が夜更けの鐘の前でなければならない理由も、これで二つになった。北区画の門が閉まる前に。そして、南門の格子が下りる前に。


「北には、偽の足跡も残したい。」


「帝国兵の軍服の切れ端が、北門の土手道と、浅瀬の縁に落ちている。明日の夜には、そうなっている。追手は、帝国の手の者が捕虜を連れて北の川を渡った、と思い込むだろう。」


「……火も、叫びも、足跡も。その仲間がやるのか。」


「そうだ。明日の夜、私自身は西区画の酒場で、冒険者たちと飲んでいる。火が上がった時、私は酒場にいた。それを、何人もの冒険者が見ている。」


「疑われないためか。」


「お前が街を出た後も、私はここに残るからな。」


 ディアナは、ただ口の端をわずかに上げた。


 火を仕込む者も、叫ぶ者も、川辺に切れ端を落とす者も、マイトランドは最後まで、その顔を知ることはなかった。


 そこで、ディアナは一瞬だけ言葉を切った。


「……北区画には、火薬庫もある。」


 マイトランドの指が、止まった。


「あれに火を回せば、北区画ごと吹き飛ぶ。兵舎も、厩も。そうなれば、追手どころではない。」


「駄目だ。」


 マイトランドの答えは、早かった。


「火薬庫には、手を出すな。」


「なぜだ。一番確実だぞ。」


「丘ごと人を消すような真似は、したくない。」


 マイトランドの脳裏に、帝国の砦から戻る途中、稜線の向こうに上がっていた黒煙がよぎった。

 あの煙の下で何が起きたのかを、マイトランドは自分の目では見ていない。後になって、アダムスの口から聞いただけであった。一晩で、14000人の歩兵が丘ごと消えた、と。

 見てもいないその光景が、かえって頭から離れなかった。

 それに、あの火薬庫は、この街を落とした後に使いたかった。

 銃歩兵の師団をいくつも作れるだけの国の火薬である。無傷のまま手に入れれば、それはそのまま、ヴェルタの物になる。

 マイトランドは、その考えを口にはしなかった。


 ディアナはしばらくマイトランドを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……わかった。火薬庫には触れない。」


 マイトランドは、見えない地図の上に最後の線を引いた。


「24日の夜、夜更けの鐘の前。火を合図に、俺は北区画の広場へ。捕虜を連れて南門を抜けたら、俺は埋めてある装備を掘り出して、そのまま西へ回ってヴェルタの陣地へ戻る。25日の朝には、分隊に着く。」


「私は、この街に残る。」


「ああ。お前には、まだこの街でやってもらうことがある。」


 ディアナは、何を、とは聞かなかった。


「少し寝た後で、街を案内してくれるか?脱出経路の確認と、兵士としての登録もしておきたい。」


「わかった。登録するのであれば、ファルンガルランドについても少し話しておくべきだな。」


 ディアナは寝台の下から、薄い帳面を一冊取り出した。卓の上に何も置かない女が、隠していた物の一つであった。


「まず、名前だ。お前はこれから、ラファウ・シマンスキと名乗れ。」


「ラファウ・シマンスキ……。」


「ファルンガルランドでは、ありふれた名だ。ありふれた名ほど、誰の記憶にも残らない。」


 ディアナは帳面をめくった。そこには、細かな字でファルンガルランドの村の名が並び、そのいくつかに線が引かれていた。


「出身は、北のザヴィエツ村にしろ。帝国の侵攻で、最初に焼かれた村の一つだ。生き残りは、ほとんどいない。」


「確かめようがない、ということか。」


「そういうことだ。南門で、村の名を聞かれてどう答えた。」


「言っても、もう誰も知らない。帝国に焼かれたから、と。」


 ディアナは、わずかに目を見開いた。


「……上出来だ。ファルンガルランドの者は、焼かれた村の名を口にしたがらない。本物の生き残りと、同じ答え方だ。」


 ディアナは、帳面を指でなぞりながら続けた。


「ファルンガルランドの者は、名乗る時、最初に父の名を言う。お前なら『ヤヌシュの子、ラファウ』だ。それから、挨拶の時に胸に手を当てる。右手を、左の胸にだ。それと、帝国のことは、自分からは口にするな。聞かれたら、黙って目を伏せろ。」


「恨み言の一つも言わなくていいのか。」


「私はファルンガルランドの者ではない。彼らが本当に帝国をどう思っているのかまでは、わからん。わからないことは、口にしない方がいい。黙って目を伏せていれば、相手が勝手に察してくれる。」


「そして、祈る時は、東に向かって膝をつく。ファルンガルランドの都が、東の方角にあったからだ。今はもう、どこにも無い都だがな。」


 マイトランドは、一つ一つを繰り返した。ヤヌシュの子、ラファウ。右手を左の胸に。帝国のことは口にしない。東に膝をつく。

 繰り返すたびに、泥だらけの難民の形が、少しずつ中身を持っていくようであった。


「言葉の癖もある。ファルンガルランドの者は、『ル』の音を、舌を巻いて強く言う。お前の話し方には、ファルンガルランドの訛りがまるで無い。」


「……ラファウ。ラ、ファ、ウ。」


「巻きすぎだ。」


 ディアナが、初めて声を立てずに笑った。


 窓の鎧戸の隙間から、朝の光が細く差し込んでいた。

 夜通し歩き回り、騎兵を出し、尋問をし、尋問をされたマイトランドの瞼は、もうほとんど上がらなかった。


「続きは、起きてからだ。」


 ディアナは、眠そうに聞いていたマイトランドに寝具を渡し、そのまま眠りにつかせた。

 眠りに落ちる直前まで、マイトランドの唇は、新しい名を小さく繰り返していた。


 ラファウ・シマンスキ。

 ヤヌシュの子、ラファウ。

面白いと思っていただけたら、ブックマークしていただけると大変励みになります。次回もよろしくお願いします!


【新作のお知らせ】

11月1日(日)12時10分から、新作の連載を始めます。


『神託として召喚されたのはAIで、俺はただのおまけでした ~しかもそのAI、平気で嘘をつく~』


滅亡寸前の小国に、スマホのAIごと召喚された元ラガーマンの会社員。

崇められるのはAI、主人公はおまけ。しかもそのAIは、平気で嘘をつく。

大国の侵攻を前に、嘘をつくAIを使いこなして、小さな砦を守り抜く戦記です。


ヴェルタ戦記と並行して更新していきます。よろしければ、こちらもぜひ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。