第129話「嗅いだことがある匂い」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
捕虜に心の中で別れを告げると、マイトランドはまた兵士をかき分けて、北区画の奥へと急いだ。
捕虜の晒された広場を抜け、兵舎の並ぶ通りに入ると、空気が変わった。
南や東の区画のような、商人の呼び込みも、職人の槌の音も無かった。代わりに聞こえてくるのは、兵舎の窓から漏れる笑い声と、どこかで打ち鳴らされる木剣の音、そして馬のいななきであった。
大通りの両側には、石造りの兵舎が整然と並んでいた。どの窓にも灯りが点り、夕餉の匂いと、汗と革の匂いが入り混じって通りに流れ出していた。
兵舎の間の広い空き地は、練兵場になっていた。日が落ちたというのに、まだ何組かの兵が松明の下で槍を突き合わせていた。
練兵場の奥には、長い厩があった。繋がれた馬の数は、ざっと見ても数百頭。北門の方角へ向かって、厩の列がさらに続いていた。
(騎兵の馬は、北にまとめてあるのか)
厩の先に、他の建物とは明らかに造りの違う、窓の無い石の倉があった。厚い鉄の扉の前には、区画の門番とは違う、胸甲を着けた兵が2人、槍を立てて微動だにせず立っていた。
倉の周りだけは、松明が一本も灯されていなかった。火を近づけてはならない物が、中にあるのであろう。
(……火薬か)
カルドナは、銃歩兵の師団をいくつも作れるだけの銃を持っている。ならば、それを撃つための火薬も、どこかにまとめて置いているはずであった。
マイトランドは、倉の位置と、扉の前の兵の数を、しっかりと頭に刻んだ。
人伝いに兵士募集場所に到着するまでには、道行く兵たちから投げられた大銅貨が、5枚へと増え、懐事情も改善していた。
『第34歩兵連隊志願兵募集所』
そう記載された看板の脇には、”王国の将来は、君の決断にかかっている”などという勇ましい標語も掲げられていた。
マイトランドが、募集所の扉を開けようと扉の取っ手を引くと、マイトランドの肩を叩き、声をかける者があった。
「お前、こんな時間に、そんな汚い格好で何をしている?」
声に反応し振り返ると、そこには巡回の衛兵と思しき兵士が、ランタンを手に持ち立っていた。
「はい、志願に来ました。」
「いや、お前、空を見ろ!いくら戦時中だからと言って、こんな時間に募集所がやっている訳がないだろう。今日は西区画で宿を取って、体をきれいにしてパスタを食ってから、明日出直して来い。」
兵士はそう言った後で、マイトランドに大銅貨を一枚投げて寄こすと、肩を叩き、西区画への最短ルートを伝えた。
マイトランドは兵士に礼を言うと、宿を取るために、北門を回って西区画へと急いだ。
兵士の伝えた最短ルートとは違い、遠回りではあったが、マイトランドは北門を回るルートで行動した。街の外壁に備え付けられた装備と兵器の状態を確認するためであった。
日が沈んでからの事だったので、もちろん見える範囲での確認であったが、日中に人前でまじまじと確認するよりは、人けの少ない夜の方が好都合であった。数の確認は翌日の日中、どこかに潜んで、水色の鳥を飛ばせば事足りるだろう。
北門は、西門や南門よりも一回り大きかった。門の外には、浅いが幅の広い川が黒く光っていた。門の前から川岸まで、石を敷いた土手道が延び、その先は、川の中の浅瀬へと続いていた。
北の壁の上には、西門をも上回る数の攻城兵器が並んでいた。トレビュシェット、カタパルト、バリスタの影が、闇の中にいくつも浮かんでいる。見張りの数も多かった。川を渡ってくる敵よりも、川の向こうの帝国を見張っているのであろう。見張りたちの顔は、揃って北を向いていた。
(帝国に最も近い北は、兵器も目も、西より多い)
北門の脇にも、格子を吊る巻き上げ機の小屋があった。ただし、東門とは違い、番兵は4人。誰一人、うたた寝などしていなかった。
そして、夜更けの鐘が鳴れば、北区画の門は閉ざされる。
マイトランドは足を速め、鐘が鳴る前に北区画を抜けた。
装備と兵器の確認を終え、西区画へとたどり着く頃には、街の光で照らされた空は、募集所を出た頃よりも、更に闇の密度を濃くしていた。
宿を探したが、宿の最低相場は銀貨1枚。マイトランドの懐の大銅貨6枚では到底宿泊出来るはずもなく、仕方なく食事をするため、飲食の店が多い地域に移動した。
「さっきの兵士はパスタって言ってたかな?」
良い匂いに誘われて店に入ると、マイトランドの呟き通り、やはりメニューはパスタだけだった。マイトランドは、好物である芋とトマトが主役のパスタを注文し、それを流し込むと、大銅貨1枚を支払い店を出た。
空っぽだった腹をパスタで満たし、店を出たところで、マイトランドはある男との再会を果たすこととなった。
ドンッ
左を確認せずに店を出たせいか、衝撃と共に、左から来たフードの大男にぶつかった。部下を連れたその大男は、倒れたマイトランドにこう告げた。
「いってぇな。このクソがよ。俺が誰か分かってるのか?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、その大男は、ジャッカルと呼ばれ、ヴェルタ第1軍参謀オルメア将軍を暗殺した実行犯であった。
忘れるはずがなかった。
あの戦場で、腰の袋からオルメアの首を掴み出し、地面に投げ捨てた男の声であった。
「こっちはオルメアだ。ちーとばかり手こずったぜ」。そう言って、血の滴る左腕を見せびらかしていた男である。
マイトランドの右手が、無意識に腰へと伸びた。
そこにあるはずの、オルメアの形見のミスリルの短剣を探して。
だが、指先に触れたのは、泥で固まったボロ布だけであった。短剣は、グレイグの短剣と共に、南門の外の土の中に埋めてきたのである。
「おい!聞いてるのか、このクソガキ!俺様が誰かわかるか?」
ジャッカルは、ただ茫然とその場に倒れるマイトランドに、追い打ちをかける様にマイトランドの胸倉を右手で掴むと、部下に顔を向け、大声で叫ぶ様に続けた。
「俺様の名前を言ってみろ!」
視線の先の部下は、ジャッカルの言葉に反応し姿勢を正すと、答えた。
「はい!第107軽騎兵連隊、連隊長エットーレ・パスクッチ大佐であります!」
ジャッカルというのは、コードネームということになるのだろう。
マイトランドは立ち上がる際に、わざと転んでみせ、ジャッカルのマントの下を覗き込んだ。左の袖が、肘の辺りから先で、だらりと垂れ下がっていた。
あの戦場で、オルメア達との戦いで失った腕であった。この男がジャッカルで間違いないと、マイトランドは確信を得た。
武器は無い。相手は大男で、部下を連れている。そして何より、自分はここに、ファルンガルランドの泥だらけの難民として立っている。
今ここで拳を振るえば、全てが終わる。捕虜も、分隊も、5日後の攻勢も。
「すいません。この辺りにはじめて来たものですから。」
マイトランドは、煮えたぎる腸を抑えると、謝罪して難を逃れようと試みた。
すると、ジャッカルからは予想外の反応が返ってきた。
「貴様、今嘘をついたな?」
「はい?嘘はついていません。ファルンガルランドの移民で今日到着しました。南門の衛兵さんに聞いてください。」
「お前度胸があるな。俺は鼻が利くんだ。泥の臭いの下に、別の匂いがある。お前の匂いは絶対に嗅いだことがある。この匂いはどこかで……。」
マイトランドを掴んだ手を緩めると、ジャッカルはフードを取り、鼻先をマイトランドの首筋に近づけた。フードの下から現れた耳は、動物の、それもイヌ科の耳であった。
ジャッカルの所以に納得すると同時に、マイトランドの背を冷たいものが伝った。
鼻息が、首筋にかかった。
一度、二度。何かを手繰り寄せるように、ジャッカルは目を細めた。
(泥は、見た目は隠せても、匂いまでは隠せないか)
マイトランドは、息を殺した。あと一息嗅がれれば、この男は、あの戦場の匂いに辿り着くかもしれなかった。
その時、部下の兵士がジャッカルに憲兵の到来を告げた。
「連隊長、憲兵が近づいております。これ以上は……。」
「そうか、わかった。同じ街にいればまた会うだろう。その時にでも思い出すことにしよう。命拾いしたなクソガキ。」
ドスの効いた声で部下の兵士に言葉を返すと、ジャッカルは再度マイトランドを掴み、その腕を振り上げると、店の壁に投げつけ、部下と共に大きな声で笑いながら去って行った。
通りの向こうから、憲兵の足音が近づいてきた。
マイトランドは壁に打ちつけた背の痛みをこらえて起き上がると、憲兵に顔を見られる前に、店の脇の路地へと身を滑り込ませた。
「くそっ。」
路地の暗がりで、マイトランドはそう呟いた。怒りに震える手を握りしめると、拳から血がにじんでいるのに気付いた。
笑いながら去っていった声が、まだ耳の奥に残っていた。
(オルメア。あいつは、ここにいる)
今は、まだ手を出せない。だが、同じ街にいれば、また会う。ジャッカル自身が、そう言ったのである。
マイトランドは、血のにじむ拳を開いて、また握った。
そして復讐を決意して立ち上がると、その日体を休める場所を探しに、夜の街を彷徨う様に歩きだした。
そう、この日の物語は、これだけでは終わらなかった。
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