第127話「大銅貨一枚」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
西門の兵器を数え終えると、マイトランドは街から見えない窪地まで下がり、おもむろに装備を外しだした。
短剣、水筒、地図、そして08型魔導通信機。
巻貝の形をした通信機を手に取って、マイトランドは一瞬だけ迷った。これを埋めれば、戻るまで分隊とは連絡が取れなくなる。
だが、潜入する者が、身分の分かる物を持っていくわけにはいかなかった。見つかれば、それで終わりである。ヴェルタの軍の魔道具を持った難民など、どこにもいない。
装備を全て外し、服を脱ぎ終えると、いつものボロ布を身に纏い、外した装備と服を全て土の中に埋めた。
帝国に潜り込んだ時にも、このボロ布を纏った。ずっと手放さずにきた布であった。
「たしか、カルドナはファルンガルランドの移民を受け入れているんだったな。」
そう呟いて、そのまま土の上をゴロゴロと転がり、自らに泥を塗りだした。
ファルンガルランドとは、ヴェルタ歴208年にハイデンベルグ帝国によって侵略され、滅亡した国であった。カルドナ王国は対帝国の戦力増強の為、帝国に恨みを持つファルンガルランドの民を、戦力の一部として王国内に招き入れていた。ヴェルタも多少のファルンガルランド移民を受け入れてはいたが、待遇、人数ともに、カルドナ王国とは比較にならなかった。
ある程度真っ黒になったところでさらに下山し、マイトランドはトレーナの街の南門の衛兵詰所まで歩いて移動した。
トレーナ南門の脇に隣接する衛兵詰所には、外に2名、詰所に4名の衛兵がいた。外にいた若い衛兵が、頭の先からつま先まで泥だらけのマイトランドに気付くと、鼻を摘み、手の甲を向けて、あっちにいけと振って見せた。
マイトランドはそれを見て、覚悟を決めると更に近づき、乾いて砂にまみれた口を開いた。
「あの。すみません。僕は奴隷ではありませんし、物乞いでもありません。ファルンガルランドから来たんですが……。一緒に帝国と戦う事はできますか?」
若い衛兵は、不意に門の上へ目を上げると、何かを目で合図して確認した。
マイトランドが外壁にたどり着くまでに、何か不審な行動がなかったかなどを、監視台の兵士と確認し合っていたのであろう。
「お前、汚いが疫病は大丈夫だろうな?」
マイトランドが頷くと、若い衛兵は詰所の中に声をかけた。
中から、もう一人の衛兵が出てきた。口髭を生やした、年嵩の衛兵であった。
「戦の前だ。念入りにやれよ。」
「わかってますよ。」
若い衛兵は顔をしかめながらも、身体検査を始めた。
「布を脱げ。全部だ。」
冬の風の中で、マイトランドはボロ布を脱いだ。
衛兵はその布を広げ、縫い目の一つ一つまで指でなぞった。布の間に、手紙も、小さな刃物も挟まっていないことを確かめると、ようやく地面に放った。
「口を開けろ。」
言われるままに口を開けると、衛兵は顔をしかめながら中を覗き込み、舌の下まで確かめた。次に、泥で固まった髪を指でかき分け、耳の裏、脇の下、足の指の間と、隠せそうな場所を一つずつ改めていった。
背中を向けさせ、肩から腰まで、何か印や刺青が無いかを確かめた。軍の者であれば、どこかに所属の印を刻んでいることがある。
「手を出せ。掌を上だ。」
マイトランドは、両手を差し出した。
衛兵の指が、掌の硬くなった皮をなぞった。
「……ずいぶん硬い手だな。」
マイトランドの心臓が、大きく跳ねた。
剣を握り、槍を振り、土を掘ってきた手であった。兵の手を知る者が見れば、それは兵の手に見える。
「帝国の労役で、ずっと石を運ばされていました。畑も、焼かれるまでは耕していました。」
衛兵は、しばらくマイトランドの掌と顔を見比べていた。
泥の下の顔は痩せ、目の下には隈が浮いていた。2食抜いた腹は、衛兵の手が触れるたびに小さく鳴った。
「ファルンガルランドの、どこだ。」
「北の、小さな村です。」
「村の名は。」
「言っても、もう誰も知りません。帝国に焼かれましたから。」
衛兵は、何か言いかけて、口を閉じた。
後ろで腕を組んでいた口髭の衛兵が、小さく頷くのが見えた。
「……何も持ってねえな。本当に、身一つで来たのか。」
「はい。全部、帝国に取られました。」
若い衛兵は、鼻を鳴らしてボロ布を拾い上げると、マイトランドの胸に押しつけた。
マイトランドが凍えた手で急いで布を纏うと、若い衛兵は顎をしゃくった。
「よし、通っていいぞ。」
若い衛兵は、そう言ってマイトランドの尻を思い切り叩き、門の内側へと押し出した。
「ありがとうございます。」
マイトランドが礼を伝え、街に向かい歩き出そうとすると、急に右肩を掴まれた。
バレたかと肝を冷やし振り向くと、先ほど後ろで検査を見ていた口髭の衛兵が、優しそうに微笑みながら言った。
「坊主、お前金はあるか?」
「ありません。」
「そうか。ならこれを持って行け。その様子だと、何も食べていないんだろう?」
衛兵はそう言うと、大銅貨を一枚投げてよこした。
現にマイトランドは、この潜入の為に、食事を2食ほど抜いていた。大きく弧を描く大銅貨を掴むと、頭を下げ、改めて礼を言った。
「ありがとうございます。必ずお返しいたします。必ず。」
「祖国の為に戦ってくれるんだ、そんなのはいい。気にするな。」
マイトランドは、口髭の衛兵の返事を待って頭を上げると、振り返り、トレーナの街へと一歩を踏み出した。
「こんなにいい人もいるんだな。どこの国でも変わらないか。」
そう呟くと、また別の一歩を街に向け踏みしめた。
異変が起きたのは、その数歩先であった。
足元で、硬い音が跳ねた。
見下ろすと、泥に汚れた石畳の上に、大銅貨が一枚転がっていた。顔を上げると、門の内側で荷を改めていた兵が、こちらを一瞥し、何も言わずに仕事へ戻った。
拾い上げて歩き出すと、また一枚。
今度は、槍を担いで通りを歩いていた巡回の兵であった。その次は、酒場の前でたむろしていた非番の兵たち。その次は、馬上の若い騎兵。
誰も、何も言わなかった。
ただ、泥だらけのマイトランドを見ると、懐から大銅貨を取り出し、足元へ放っていく。中には、わざわざ馬を止めてまで放っていく者もいた。
「生き延びろよ、坊主。」
通りすがりの兵が、ぼそりとそれだけ言って、一枚を放った。
大銅貨は、マイトランドの額に当たって跳ねた。
(……なんだ、これは)
投げてくるのは、兵ばかりであった。
同じ通りを行く商人や職人、女たちは、泥だらけのマイトランドに顔をしかめ、道の端へ避けて通るだけであった。
施しにしては、兵たちの誰一人として、哀れむ顔をしていなかった。むしろ、どこか祈るような、真剣な顔であった。
南門から最初の通りを抜ける頃には、マイトランドの両手は、泥にまみれた大銅貨でいっぱいになっていた。
訳もわからないまま、マイトランドはそれをボロ布の端に包み、夕暮れのトレーナの街へと入っていった。
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