第126話「要塞トレーナ」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
マイトランドが森に入って半日を過ぎようかという頃。
2つの森の中を抜け、海沿いの山を登りきると、マイトランドの眼下に大きな街が確認できた。
「あれがトレーナだろうな。しかし高い壁だな。」
マイトランドは空を見上げた。
森に入る前に放った水色の鳥が、街の遥か上空を、小さな点となって回っていた。
カルドナ王国、ヴェルタ、ハイデンベルグ帝国、3国の国境が交差する場所から最も近い街、そしてカルドナ王国北東の交易の要所、トレーナ。
トレーナの街は、外周を10mほどの高い防壁で囲まれ、その防壁の内側に街が存在した。また北側の壁の外には、浅いが幅の広い川が流れており、北側と西側からの侵攻は非常に困難であった。
街の内側、中心部にはまた高い壁があり、そのぐるりと円を描く壁の中にトレーナ城は存在した。その内側の壁を守るように、深さ5~6mほどの堀が周囲を取り囲んでいた。
その内側の壁、トレーナ城の堀から、東西南北を区切るように北東、北西、南東、南西へと壁が外周の壁へと延びていて、区切られた区画は、商業地域、木工・鍛冶地域、宿泊・飲食地域、兵舎・農業地域と分けられていた。壁の上に備え付けられた兵器の量から、ここはまさに要塞といっても過言ではなかった。
(北と西は、川と壁で守られている。……そして、ヴェルティエの計画は、その北と西を攻める)
マイトランドは、思わず額を押さえた。
浅いとはいえ、幅の広い川であった。重い鎧の騎兵が4個師団、それを渡って北門に取りつく。川を渡る間に、壁の上から何が降ってくるか、考えるまでもなかった。
マイトランドは岩陰に身を伏せ、目を閉じた。
瞼の裏に、もう一つの景色が映った。水色の鳥の目であった。
鳥は、高度を少しずつ下げながら、西門の手前へと滑り込んでいった。
西門の外の平原は、天幕で埋め尽くされていた。
壁の中に入りきらない部隊が、門の前に野営地を構えているのであった。天幕の列は平原の奥まで途切れることなく続き、その間を兵たちが行き交い、炊事の煙がいくつも立ち上っていた。馬が繋がれ、荷車が並び、槍が束ねて立てかけられていた。
(主力は、城の中じゃない。……城の外、西門の前にいる)
鳥の目は、天幕の間を行き交う兵たちの顔を拾っていった。
焚き火を囲んで、賽子を転がしている兵たちがいた。鍋をかき回しながら、大声で笑い合う兵たちがいた。槍の穂先を研ぐ手つきも、どこか緩慢であった。
数では、ヴェルタ軍の方が上回る。だが、背後には高い壁があり、自分たちには幾度もの戦を潜り抜けてきた経験と、ヴェルタより上等な装備がある。戦を知らぬ国の軍勢に、負けるはずがない。そう信じ切っている顔であった。
だが、野営地の一角だけ、空気が違っていた。
ボロを纏った男たちが、木の棒を槍に見立て、黙々と突きの稽古を繰り返していた。号令をかける者もいないのに、誰一人手を止めなかった。その目には、笑いも緩みもなかった。
ファルンガルランドの民であった。帰る国を失い、この戦の他に食い扶持も居場所も無い者たちの目であった。
(士気は二つだ。油断している正規兵と、死ぬ気の志願兵)
油断している兵は、崩れる時は脆い。だが、死ぬ気の兵は、崩れない。
どちらが前に出てくるかで、戦場の形は大きく変わる。マイトランドは、その一角の位置を頭に刻んだ。
鳥は西門を離れ、外壁に沿って南へと回り込んでいった。
壁の上には、カタパルトやバリスタの影が点々と並び、その間を見張りの兵が行き来していた。見張りたちは、壁の外よりも、壁の内側の西の区画、宿や酒場の並ぶ通りの方をしきりに気にしていた。交代の時刻が近いのであろう。
西の区画の上を過ぎると、眼下に南の区画が広がった。市場の屋根が隙間なく並び、人と荷車が通りを埋めていた。
やがて、南門が見えてきた。
門の前には荷馬車の列が並び、衛兵が荷を改めていた。門の脇に、小さな衛兵詰所があった。外に2人、中に何人か。門の上には、監視台が一つ。
(入るなら、ここか)
その時であった。
南門の脇の壁の上で、一人の兵が、ふと空を見上げた。
手には、何も持っていなかった。だが、その兵の立ち位置は、壁の上の見張りとは違っていた。弓兵でも、投石の兵でもない。空を見るための兵。対空の兵であった。
兵の視線が、鳥のいる空へ向いた。
マイトランドは、わずかに息を止めた。
だが、兵の目は、鳥の上を素通りしていった。
水色の鳥は、その名の通り、空の色に溶け込んでいた。真下から見上げれば、そこにはただ、冬の薄い青空が広がっているだけであった。
兵はしばらく空を眺めていたが、やがて興味を失ったように、南の街道へと視線を戻した。
(……見えるはずがない、か)
マイトランドは、止めていた息をゆっくりと吐いた。
鳥の目は、上からなら何でも見せてくれた。天幕の数も、兵の顔つきも、門の位置も。
だが、それだけであった。兵たちが何を話しているのか、帳面に何が書かれているのか、布の下に何が隠されているのか。上からでは、それはわからなかった。
敵がこの平原で何をしようとしているのか。それを知るには、近づくしかなかった。
マイトランドは、目を開けると同時に指を握った。
遥か上空で、水色の鳥が、空に溶けるように消えた。
(上から見るのは、ここまでだ。あとは、自分の目で見るしかない)
マイトランドは街の全容の把握を終えると、ヴェルタ第2軍の攻撃が集中することが予想される、西門と壁に配備されている兵器を確認することができるところまで下山し、街に近寄ると、先ずその外周の壁に注目した。
「西門だけでカタパルトが7、トレビュシェットが4、バリスタが10か。これはやっかいだな。どうせ内側や外壁に魔法兵や、弓兵も乗るだろう。他の門から増援が全て回って来たらまずいな。フリッツが動いてくれたら増援分はなんとかなるが……。」
カタパルトとは投石器の事であり、近距離の攻城投石器であった。一般的にはトレビュシェットもカタパルトと一括りにされることが多いが、ヴェルタではトレビュシェットは遠距離の遠投投石器を指した。
バリスタとは大型の弓で、これも攻城兵器の一つであり、据え置き式の大型弩砲を指した。
カタパルトやトレビュシェットが届くのは、せいぜい壁の周りだけであった。ヴェルタの魔導砲の射程には、遠く及ばない。
だが、壁に取りつこうとする歩兵にとっては、話が違う。門の前に立った瞬間から、石と矢が、頭の上から休みなく降ってくる。ベルナドットの重装歩兵が、その真下に飛び込んでいく姿が、マイトランドの目に浮かんだ。
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