第124話「猪の鼻先へ」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
「第1砲班、試射!目標、白旗!」
一発目が、白旗のやや奥に落ちた。
「引け100!」
マイトランドの声に、測距手が一瞬戸惑った。白旗までの外れは、どう見ても100もなかった。それでも測距手は言われた通りに数字を直し、二発目は、白旗のずっと手前に落ちた。
「……わざと外したのか。」
キスリングが、初めてマイトランドの方へ顔を向けた。
「はい。一発目は奥、二発目は手前。これで、白旗を挟みました。」
マイトランドは、白旗の奥と手前に残った2つの土煙を指差した。
「挟叉と言います。一発を奥に、一発を手前に落として、目標を挟み込むんです。挟んでしまえば、目標は必ずその間にあります。あとは、間を半分ずつ詰めていけばいい。当てずっぽうに少しずつ直すより、ずっと早く当たります。」
挟叉とは、試射の弾を目標の向こうとこちらに落とし、目標を間に捉えることをいった。一度挟んでしまえば、あとは奥と手前の間を半分に、そのまた半分にと詰めていくだけで、弾は確実に目標へ寄っていく。
「増せ50、効力射!」
「待て。」
号令を重ねようとしたキスリングの口が、途中で止まった。
「まだ一発も当たっていない。奥に1発、手前に1発。どちらも外れだ。それで、いきなり連隊の全部を撃てと言うのか。」
ギョロリとした目が、マイトランドを射抜いた。
「貴様、本当に当てる気があるのか。」
「あります。当てる気があるから、確かめないんです。」
マイトランドは、白旗の奥と手前に残った2つの土煙を、もう一度指差した。
「奥と手前、その間は100。白旗は、必ずその間にあります。増せ50で、その真ん中に落とします。真ん中から白旗までは、どれだけずれても50を超えません。」
「50もずれれば、外れだ。」
「1発なら、そうです。ですが、効力射は連隊の全部です。」
マイトランドは、白旗の立つ斜面を手で大きく撫でるように示した。
「火球は一つで周りの40を焼きます。それが連隊の砲班の数だけ、真ん中を中心に散らばって落ちる。奥と手前の間は、まるごと焼けます。白旗がその間のどこにあっても、逃げ場はありません。」
キスリングは、黙って斜面を見据えていた。
「もう一発試して、白旗の足元に当たるのを確かめてから撃つこともできます。ですが、その一発を撃つ間に、敵は撃ち返しの準備を一つ進めます。挟んだ時点で、確かめる一発は、もう敵のためにしかなりません。」
砲陣地が、静まり返った。
測距手も、砲手も、息を詰めて2人を見ていた。
やがて、キスリングは前へ向き直った。
「……連隊、増せ50!効力射!」
修正は2回。試しに撃ったのは、わずか2発。決めたばかりの3回の内であった。
キスリングの号令と同時に、窪地の砲陣地から、いくつもの火球が一斉に空へ放たれた。
弧を描いた火球は、白旗の立つ斜面にまとめて落ち、丘の一角が、炎と土煙に呑まれた。
土煙が晴れた時、白旗は、もうどこにも無かった。
砲陣地が、しんと静まり返った。
同じ連隊が、同じ数の砲班で撃った。それでも、これまでの一斉射撃とは、落ちた場所のまとまりがまるで違っていた。
キスリングは、土煙の晴れた斜面を、しばらく遠眼鏡で眺めていた。
やがて遠眼鏡を下ろすと、前を向いたまま口を開いた。
「……どこで覚えた。」
「見て、覚えました。」
「見ただけで覚えられる者は、そう多くはない。」
それきり、キスリングは何も言わなかった。
褒められたのだと、マイトランドは少し遅れて気がついた。
だが、マイトランドの目は、白旗の消えた斜面ではなく、測距手たちに向いていた。
「分隊長。修正の声が届いてから、次の一発が出るまで、どれくらいでした。」
「……ひと返しの、半分の、そのまた半分ってとこだ。」
ドワイトが、砂時計を見下ろしたまま答えた。
測距手が数字を聞き、頭の中で計算し、砲手に火球の向きと距離を伝え直すまでの間であった。
「今日は、敵が撃ち返してきません。当日は、この間に、敵の砲がこちらを向きます。」
修正の一回一回が速くなれば、それだけ撃ち返しまでの時間に余裕が生まれる。3回の修正を、3回とも使い切らずに済むかもしれない。遅ければ、3回目を撃つ前に、撃ち返しの火球が降ってくるかもしれない。
撃ち返しが怖いのならば、速くなるしかなかった。
キスリングは、測距手たちの方へ振り返った。
「聞いたな。今の間を、半分にしろ。」
「は、半分……でありますか。」
「数字を聞いてから計算を始めるな。聞きながら計算しろ。砲手は、測距手の口が閉じる前に構えておけ。」
キスリングは、ドワイトの手から砂時計を取り上げた。
「これで計る。半分になるまで、今日は終わらんと思え。」
測距手たちの顔から、血の気が引いた。
ドワイトは、空になった自分の手を、しばらく見つめていた。
「最後に、味方の鼻先に落とす時の話です。」
キスリングの眉の無い額に、深い皺が寄った。
「どこまで近づける。」
「味方の最前列から、200は空けます。」
「火球が弾ければ、周りの40は焼ける。風があれば、もっとだ。」
「ですから、200です。」
キスリングは、しばらく黙って地面を見ていた。
そして、ふと顔を上げた。
「……挟叉は、使えんな。」
マイトランドは、思わずキスリングの顔を見た。
「奥と手前に1発ずつ落として挟む。だが、味方の鼻先で手前に落とせば、その手前にいるのは味方だ。」
「……はい。その通りです。」
先ほど初めて聞いたばかりの挟叉の、一番危うい使い道に、キスリングは自分で気がついていた。
「ですから、味方の鼻先に落とす時は、挟叉は使いません。最初の一発は必ず、味方から十分に離れた奥へ。そこから手前に寄せる時は、一度に50ずつしか引きません。」
「50ずつ、か。」
「遅くても、味方を焼くよりはましです。」
「……了解した。」
キスリングは、測距手たちの方を振り返った。
「聞いたな。味方の鼻先では挟叉は使わん。引く時は50ずつだ。これを破った者は、私が撃つ。」
砲陣地の兵たちが、一斉に背筋を伸ばした。
冗談なのかどうか、誰にもわからなかった。
「それと、合図です。」
マイトランドは、懐から羊皮紙を一枚取り出した。
そこには、師団の番号と、奇妙な言葉が並んでいた。
「師団の名を、そのまま魔道具で呼ぶ訳にはいきません。誰に聞かれるかわかりませんので。ですから、呼び名を決めました。……と言っても、今はまだ仮です。」
キスリングが、羊皮紙を覗き込んだ。
隣が動くまで動かない師団は、『亀』。
酒飲みの師団長の師団は、『酒樽』。
地図の通りにしか歩けない師団は、『定規』。
そして、ベルナドットの重装歩兵師団は、『猪』。
「『猪の鼻先へ、増せ200』。これで、猪の前に落とします。」
「仮、とは。」
「城と戦場を見てから、正式な呼び名を決めます。各師団がどこに並び、どう動くかがわからないうちは、呼び名も決めきれません。今日は、この形で号令が通るかどうかだけ、確かめさせてください。」
キスリングは、彫刻のような顔のまま、羊皮紙を見下ろしていた。
「……了解した。准将閣下にも、ご報告しておく。」
キスリングの背後で、砲班の兵の一人が吹き出した。
「そこ。私語を慎め。」
振り返りもせずに放たれた一言に、兵は直立不動になった。
マイトランドとドワイトが砲陣地を後にしてからも、日が暮れるまで、砲陣地には砂時計を返す音と、測距手たちを急かすキスリングの声が響き続けた。
その合間に、「猪の鼻先」という奇妙な仮の号令が、何度も繰り返された。
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