第123話「場所は、空けておく」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
ドワイトの息が、ようやく整ってきた頃であった。
「それと、もう一つお願いがあります。」
「まだあるのか。」
「今のように、観測者から見た数字を砲の向きに直す計算を、砲班ごとの測距手にやらせていては、遅くなります。それに、砲班ごとに答えがばらつきます。」
マイトランドは、連隊指揮所の天幕を振り返った。
「天幕の横に、射撃指揮所を置かせてください。観測者からの報告は、全てそこに集めます。そこで一度だけ計算して、各砲班には直した数字だけを伝える。砲班の測距手は、渡された数字で火球を安定させることだけに集中できます。」
射撃指揮所とは、前線の観測者から届く報告を一か所に集め、どの砲班に、どの向きへ、どれだけ撃たせるかを計算して振り分ける場所であった。
帝国の砦でも、観測の報告が真っ先に届く天幕があった。報告はそこで数字に直され、砲の列へと流れていった。ヴェルタには、まだその仕組みが無かった。
「なぜ、一か所で計算せねばならん。先ほどは、測距手が直せたではないか。」
「直せてはいません。掠めただけです。それに、測距手の方が考え込んでいた間に、当日なら撃ち返しが来ています。」
測距手が、気まずそうに目を伏せた。
「分隊長の『左へ』が、なぜ砲にとっては『引け』だったのか。それを、ご説明します。」
マイトランドはしゃがみ込むと、足元の小石を3つ拾い、地面に並べた。
「これが砲陣地。これが白旗。そして、これが観測者です。」
砲陣地の小石から白旗の小石へ、指で一本の線を引いた。次に、観測者の小石から白旗の小石へ、もう一本の線を引いた。
2本の線は、白旗のところで交わり、角を作った。
「砲から白旗を見る線と、観測者から白旗を見る線。この2本が白旗のところで作る角を、帝国では『T角』と呼んでいました。」
「T角……。」
「観測者が報告する『右へ』『引け』は、全て観測者から白旗を見た線を基準にしたものです。砲から見た右や手前とは、この角の分だけずれています。」
マイトランドは、観測者の小石を、砲陣地の小石のすぐ隣へ動かした。
「観測者が砲のすぐそばにいれば、T角はほとんど無い。観測者の『右へ20』は、砲にとってもほとんどそのまま『右へ20』です。」
次に、観測者の小石を、白旗から見て砲陣地と直角になる位置まで大きく動かした。
「ですが、T角が直角になれば、話は全く変わります。観測者の『右へ』は、砲から見れば『増せ』か『引け』になり、観測者の『引け』は、砲から見れば『右へ』か『左へ』になる。左右と奥行きが、入れ替わってしまうんです。」
キスリングの眉の無い額に、深い皺が寄った。
「その間の角なら。」
「左右の外れが、砲にとっての左右と奥行きの両方に、角度に応じて振り分けられます。しかも、観測者の左右はミルで届きます。それを距離と掛け合わせてメートルに直し、砲、白旗、観測者の3つの位置と、その角から、三角の計算で、砲が直すべき方向と距離を割り出すしかありません。」
観測者が測ったずれを、そのまま砲に伝えても、正しくは直らない。砲と観測者は、違う場所から同じ白旗を見ているからであった。
だからこそ、報告を一か所に集め、砲・目標・観測者の位置関係から、砲陣地を基準にした修正量へと計算し直す場所が要るのであった。
「……それを、戦いの最中に計算するというのか。」
「はい。だから、計算の速い者が要ります。」
「誰が計算する。」
「分隊に、トーマスという者がいます。計算だけは、誰にも負けません。」
「トーマス?あのひょろ長いのか。」
ドワイトが、思わず声を上げた。
「はい。前線の観測者からの報告は、全て魔道具で射撃指揮所に届けます。それをトーマスが計算して、砲班に伝える。これなら、走る者は一人もいりません。」
双子の念話を、ここに使うこともできた。
だが、アダムスとイブラヒムには、別の役目を考えていた。魔道具で足りるところに、あの2人を割くつもりはなかった。
「射撃指揮所で魔道具を受けるのは、セリーヌにします。准将閣下からお借りした08型を、あいつに持たせます。」
「セリーヌ?あの口の悪い女か。」
ドワイトが、眉をひそめた。
「はい。ここへ来る途中、砲陣地の網の偽装を一目見ただけで、甘いと言い当てました。上から見れば、縁が影になると。」
マイトランドは、少しだけ声を落とした。
「あいつは、軍のことを知りすぎています。前線から届く報告を聞き分けて、要るものだけを正しくトーマスに渡せるのは、分隊ではあいつだけです。」
新兵の2等兵が、なぜそこまで知っているのか。どこで身につけたのか。
マイトランドは、それを知らなかった。セリーヌも、語ろうとはしなかった。
「……誰でも構わん。数字が正しく届くのならばな。」
キスリングは、前を向いたまま言った。
マイトランドの脳裏を、バートル号を見送った時のトーマスの顔がよぎった。
最初に任された仕事を手放したばかりのトーマスに、次の仕事を渡せる。それも、トーマスにしかできない仕事を。
「……新兵に、私の連隊の計算を任せろと言うのか。」
「連隊の測距手の方にも、一人入って頂きます。」
マイトランドは、指を3本立てた。
「トーマスが計算した数字を、まずセリーヌが横で確かめます。あいつは報告を受けた本人ですから、数字がおかしければすぐに気づく。それを最後に、連隊の測距手の方が確かめる。3人の目を通った数字だけを、砲班に渡します。」
セリーヌがいるだけで、確かめる目は2つになる。そこへ連隊の測距手が加われば、3つになる。
トーマスの速さを殺さずに、間違いだけを削ぎ落とす。射撃指揮所は、そういう場所でなければならなかった。
キスリングは、しばらく天幕の横の空き地を眺めていた。
「……場所は、空けておく。」
それだけ言うと、キスリングはまた石像に戻った。
日は、まだ高かった。
砲陣地の向こうの丘には、白旗が一本、風に揺れていた。
マイトランドは、再びキスリングに向き直った。
「それからもう一つ。今は、全ての砲班が一斉に撃ちますね。」
「それが砲兵だ。」
「当日は、まず1つの砲班だけで撃たせてください。試しの一発です。その一発を我々が見て、修正を伝えます。当たると分かってから、全ての砲班で撃つ。」
「最初の一発で、敵に気づかれるぞ。」
「当たらない百発より、気づかれても当たる一発です。」
ドワイトが、横でわずかに口の端を上げた。
だが、キスリングは引かなかった。
「では聞く。気づかれてから、敵が撃ち返してくるまでに、何発撃てる。」
マイトランドは、ドワイトの方を向いた。
「分隊長、先ほどの砂時計は。」
「号令から着弾まで、ひと返しの半分ってとこだな。」
マイトランドは、頭の中で数を並べた。
火球は、大きな弧を描いて飛ぶ。敵の見張りがそれに気づき、どこから撃たれたのかを見定め、自分たちの砲を向け直し、詠唱を始める。それだけで、こちらが何発か撃つ間はある。
一方でこちらは、一発ごとに、観測した者の報告を受けて、測距手が距離を計算し直さなければならない。その分だけ、次の一発は遅れる。
「試射を1発。修正が3回。そして効力射を1回。そこまでです。」
「根拠は。」
「修正のたびに、測距手の計算が挟まります。それを入れて、敵の砲が向きを変えて詠唱を終えるまでに撃てるのは、そこまでだと考えます。それ以上撃てば、撃ち返されます。」
マイトランドは、キスリングを真っ直ぐに見た。
「ですから、修正は3回まで。3回で当たらなければ、その場は撃たずに退きます。当たれば、効力射を1回だけ撃って、すぐに退く。」
「……4回目の修正は、無い、ということか。」
「はい。4回目を撃つ頃には、こちらの砲陣地に撃ち返しの火球が落ち始めます。」
「その撃ち返しの初弾で、こちらが焼かれることもあろう。」
「それは、ありません。」
マイトランドは、きっぱりと首を横に振った。
「敵も、こちらと同じです。火球の弧から、こちらのおおよその位置を読み、距離を測り、試射から始めるしかありません。初弾から砲陣地に当ててくるような奇跡は、まず起きません。」
砲兵である以上、誰にとっても条件は同じであった。見えない相手に、最初の一発で当てることはできない。当てるためには、外し、直し、また外して、直すしかない。
それは、撃つ側であろうと、撃ち返す側であろうと、変わらなかった。
「ですから、撃ち返しの初弾が落ちてきたら、それが退く合図です。敵が修正を重ねて当ててくる頃には、こちらはもう、そこにいません。」
「……敵が、前もってこの辺りを測っていれば、話は別だな。」
「はい。ですから、砲陣地は、敵が測っていない場所に置きます。それを確かめるのも、我々の仕事です。」
キスリングは、しばらく黙って砲陣地の穴を見下ろしていた。
自分の砲班が、撃ち返しの火球に呑まれる光景を、思い浮かべているようであった。
「……了解した。」
キスリングは、砲陣地全体に向けて号令をかけた。
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