第122話「少しは少しだ」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
司令部を退室したその足で、マイトランドとドワイトは、第13魔導砲兵連隊の連隊指揮所天幕を訪れた。
兵舎に戻る前に、どうしても済ませておかなければならないことがあった。
「用件を。」
天幕の中で、キスリングは地図の前に立ったまま、振り向きもせずに言った。
「連隊の練度を、見せて頂きたく参りました。それと、当日の言葉を揃えさせて頂きたいのです。」
「……承知した。」
それだけ言うと、キスリングは天幕を出た。
その背中を追いながら、ドワイトがマイトランドに目配せをした。任せておけ、という顔であった。
ドワイトは足を速めてキスリングに並ぶと、声を落として、ある将官の名を口にした。
「……大佐殿。実は小官、以前あの方に大変お世話になりまして。」
キスリングは、歩みを止めなかった。
「存じ上げている。」
「え、ええ。それで、その……」
「それが、何か。」
ドワイトの口が、開いたまま止まった。
キスリングは一度も振り返らずに、砲陣地へと歩いていった。
「……イチコロじゃなかったですね。」
「うるさい。」
第13魔導砲兵連隊の砲陣地は、旅団本隊の砲列から、丘一つ隔てた窪地にあった。
クレーター状の穴が、間隔を空けて並んでいる。網を被せられた穴は、遠目にはただの窪みにしか見えなかった。
キスリングは砲陣地の前で立ち止まると、連隊の砲班に号令をかけた。
「第1砲班!目標、正面の丘の白旗!距離3000!」
砲班長の復唱と同時に、詠唱手が詠唱を始めた。
穴の中央に生まれた火の玉が、見る見るうちに膨れ上がる。砲手がそれに両手をかざして揺らぎを押さえ込み、丘の方角へと向ける。測距手が土手の上で目盛りの棒を突き出し、距離を読み上げると、火球の左右のぶれが収まっていった。
「撃て!」
火球が、大きく弧を描いて空へ放たれた。
しばらくして、丘の斜面に土煙が上がった。白旗の、やや右奥であった。
ドワイトは、懐から取り出した小さな砂時計を見下ろしていた。号令から着弾までの時間を、黙って計っていたのである。
「……速いな。」
「旅団で最も速い。」
キスリングは、前を向いたまま答えた。
「では、今の一発。どれだけ外れましたか?」
マイトランドの問いに、キスリングは遠眼鏡を覗いたまま答えた。
「白旗の右奥だ。少しだな。」
「少し、とは?」
「少しは少しだ。」
マイトランドは、キスリングの測距手の方を向いた。
「あなたなら、どう修正しますか?」
「は、はい。……もうちっと左で、もうちっと手前、です。」
測距手の兵が、戸惑いながら答えた。
キスリングの眉の無い額に、わずかに皺が寄った。
「それが、問題なんです。」
マイトランドは、静かに言った。
「今は、大佐がここから白旗を見ておられるので、それで通じます。ですが、当日に着弾を見るのは、ここから3000も先に潜んだ、我々の分隊です。大佐の『少し』と、我々の『少し』は、同じ長さではありません。」
キスリングは、遠眼鏡を下ろした。
「……続けろ。」
「言葉を揃えさせてください。左右は『右へ』『左へ』。奥行きは、奥へ延ばすなら『増せ』、手前に引くなら『引け』。そのあとに、必ず数字をつけます。数字は全てメートルです。今の一発なら、『左へ80、引け50』。左へ80メートル、手前へ50メートル直せ、という意味です。」
「帝国の言葉か。」
「言葉は何でも構いません。全員が、同じ意味で使えれば。」
キスリングは、しばらく黙り込んだ。
やがて、測距手に向かって顎をしゃくった。
「聞いたな。左へ80、引け50。やってみろ。」
2発目の火球は、白旗のすぐ手前に落ちた。
砲陣地の兵たちの間から、小さなどよめきが起きた。
1発目と2発目の違いは、ただ言葉であった。
同じ砲班が、同じ火球を、同じ砲座から撃った。変わったのは、何をどれだけ直すのかを、全員が同じ意味で分かっていたことだけであった。
「それと、もう一つ。」
マイトランドは、指を一本立てた。
「右と左は、観測する者の側から見た右と左で統一させてください。」
「どういうことだ。」
「我々は、砲陣地から真っ直ぐ前にいるとは限りません。斜めの位置から敵を見ることもあります。砲から見た右と、我々から見た右が違えば、修正するほど外れていきます。ですから、報告は必ず『観測者から見て』です。測距手の方には、それを砲の向きに直して頂きます。」
「どう確かめる。」
「分隊長に、あちらの丘へ走って頂きます。」
「……は?」
ドワイトが、間の抜けた声を上げた。
マイトランドは、砲陣地から斜めに外れた小高い丘を指差していた。
結局、ドワイトは走った。
丘の上に立ったドワイトが、白旗から見て右に落ちた一発を、両手の旗で「左へ」と振る。砲陣地から見れば、それは「右へ」直すべき一発であった。測距手が首を傾げ、しばらく考え込み、ようやく砲の向きに直して撃った3発目は、白旗の脇を掠めた。
息を切らせて戻ってきたドワイトが、膝に手をついた。
「……結局、走ってるじゃねえか。」
「当日は走りません。今日だけです。」
キスリングは、遠眼鏡を下ろしたまま、しばらく丘とマイトランドを見比べていた。
「……面倒なことを言う。」
「面倒な方が、当たります。」
キスリングの唇の端が、ほんのわずかに動いた。
それが笑ったのだとマイトランドが気づいたのは、ずっと後になってからであった。
日は、まだ高かった。
砲陣地の向こうの丘には、白旗が一本、風に揺れていた。
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