第114話「非常食じゃない」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
指揮所の前には、残りの6人が並んでいた。
「おかえり、みんな。怪我はないかい?」
真っ先に声をかけてきたのは、ミシェルであった。4人の顔を一人ずつ確かめるように見ていくと、ほっとしたように息を吐いた。
その後ろから、アツネイサが顔を出した。
リザードマンの細い瞳孔が、マイトランドの膨らんだ胸元をじっと見つめていた。
「マイト、フトッタ?」
「太ってない。着てるんだ、2枚。」
「2マイ。サムイ?」
「寒くない。」
トーマスの腕の中では、丸々と太ったスズメが、もぞもぞと身をよじっていた。
バートル号である。
バートル号はトーマスの腕から転がり落ちると、ぴょこぴょこと跳ねてポエルの足元に辿り着いた。ポエルがそっと拾い上げて肩に乗せると、バートル号は満足そうに胸を膨らませた。
そして、首を伸ばしてマイトランドの襟元を突いた。
ヴェルタの軍服の襟の下から、わずかに覗く帝国の生地を、であった。
「こら、バートル号。」
トーマスが慌てて手を伸ばしたが、バートル号は知らん顔で、もう一度突いた。
「上から羽織ったくらいで、帝国の匂いが消えるとでも思ってるの?」
少し離れた場所から、セリーヌの声がした。
腕を組み、マイトランドを見ようともしなかった。
「……匂い?」
マイトランドが聞き返しても、セリーヌは何も答えず、ふいと顔を背けた。
代わりに、ポエルが2度頷いた。
「よし、来たか。ご苦労だった。では、第72魔導砲兵旅団司令部に向けて移動する。」
ドワイトが出迎えの言葉をそう伝えると、分隊は慌ただしく出発の支度に取りかかった。
「それと、トーマス。バートル号は中隊に帰せ。旅団付きになれば、こいつの足はもう役に立たん。」
「……はい。」
トーマスの返事は、いつもより少しだけ遅かった。
「帰すって……そもそもこいつ、何のためにいたんだ?」
首を傾げたのは、ジェラルトであった。
「飛べねえし、太ってるし、飯ばっか食ってるし。俺はてっきり、ポエルのペットかと思ってたぜ。」
「ゴハン、タベルダケ。」
アツネイサが大真面目に頷き、イブラヒムも「俺もそう思ってた」と腕を組んだ。
「非常食じゃなかったの?」
セリーヌの一言に、トーマスの顔から血の気が引いた。
「ひ、非常食じゃないよ!」
ひょろりと長い体を折るようにして、トーマスはバートル号を庇うように抱き寄せた。
臆病なトーマスが、分隊の誰かに声を荒らげたのは、これが初めてであった。
「バートル号は、伝令なんだ。念話の届かない中隊本部まで、報せを運ぶ。……あの日だって、そうだよ。」
「あの日?」
「接敵の報告も、連隊撃破の報告も、中隊に運んだのはバートル号なんだ。」
指揮所の前が、しんと静まり返った。
トーマスとポエルの他に、それを知る者はいなかった。
丸々と太った飛べないスズメが、なぜ分隊にいるのか。誰も深くは考えてこなかった。考えるまでもなく、ただのお荷物だと思っていたのである。
「……こいつが?」
ジェラルトが、トーマスの腕の中を覗き込んだ。
バートル号は、得意げに胸を膨らませてみせた。
マイトランドは、黙ってバートル号を見つめていた。
あの日、ドワイトが書いた報告。
それをこのスズメが中隊に運び、中隊から連隊へ、連隊から師団へと上がっていくうちに、いつの間にか「殲滅」という言葉になった。その言葉がヴェルティエの書簡に載り、分隊は今、旅団司令部付として送り出されようとしている。
この丸いスズメが跳ねて運んだ一枚の紙切れが、分隊をここまで運んできたのだ。
マイトランドはちらりとドワイトを見た。
ドワイトは、あらぬ方を向いていた。
「……余計なことを喋ってる暇があるなら、さっさと支度しろ。」
そう言いながら、ドワイトは懐から黒パンの切れ端を取り出すと、ぽいとバートル号の前に放った。
「道中の分だ。」
バートル号は一瞬で切れ端に飛びついた。
ドワイトは、それ以上何も言わなかった。
トーマスは懐から小さな筒を取り出すと、ドワイトの走り書きを丸めて差し込み、バートル号の足に結わえた。
分隊が旅団司令部付となったことを中隊に知らせる、最後の報せであった。
バートル号は、陸の伝書鳩である。
太りすぎて飛べないスズメは、帰巣本能だけを頼りに、地面を跳ねて巣へと帰る。その巣があるのは中隊本部であった。旅団司令部付となる分隊にとって、バートル号の足は、もう戻ってこない場所へしか向かわなかった。
ポエルが、肩からバートル号を下ろした。
トーマスがその足からリードを外すと、ポエルはしゃがみ込み、しばらく指先でその丸い頭を撫でていた。
「……元気で。」
バートル号は、動かなかった。
ポエルが手を離しても、トーマスが一歩下がっても、その場にちょこんと座ったまま、首を傾げて二人を見上げていた。
「ほら、行け。帰るんだ。」
トーマスが、藪の方を指差した。声が、少しだけ震えていた。
バートル号は藪を見て、トーマスを見て、それからぴょこんと跳ねると、ポエルの靴の上に乗った。
「……帰らない。」
「帰らないな。」
「帰らねえな。」
ポエルとマイトランドとジェラルトの声が、見事に揃った。
「おい、トーマス。」
ドワイトの声に、トーマスの肩が跳ねた。
「は、はい!す、すぐに!」
トーマスはバートル号を両手で掬い上げると、藪の手前まで小走りで運び、そっと地面に置いた。
置いた瞬間、バートル号はくるりと向きを変え、ぴょこぴょこと跳ねてトーマスの足元に戻ってきた。
「……分隊長、戻ってきます。」
「見ればわかる。」
分隊の誰かが吹き出し、ミシェルが慌てて口を押さえた。
「おいおい、帰らねえじゃねえか。こいつ、今までどうやって伝令してたんだよ。」
ジェラルトが呆れたように言うと、トーマスは首を横に振った。
「違うんだ。いつもは、リードを外したら、すぐに帰るんだよ。振り返りもしないで、真っ直ぐ巣の方に。」
トーマスは、足元のバートル号を見下ろした。
「こんなの、初めてだ……。」
笑い声が、止んだ。
帰れと言われて、帰らない。運ぼうとしても、戻ってくる。
いつもなら迷わず巣を目指すスズメが、今日に限って、分隊の足元から離れようとしなかった。
「……わかってるんじゃないか。」
ぽつりと言ったのは、マイトランドであった。
「今までは、報せを届けたら、また分隊に戻ってこられた。でも今度は、戻る場所が無い。……こいつ、これが最後だってわかってるんだ。」
誰も、何も言わなかった。
バートル号は、トーマスの靴の上で、じっと丸まっていた。
だが、当のバートル号が考えていたことは、少しばかり違っていた。
(……先輩の俺がいなくなったら、こいつらは死んでしまうかもしれん)
バートル号は、中隊の誰よりも古株であった。
揃いも揃って新兵ばかり。管理係は臆病で、すぐに声が裏返る。リザードマンは飯の旨さもわかっていない。人を非常食呼ばわりする女までいる。
こんな連中を放り出して、一羽だけ巣に帰るわけにはいかなかった。先輩として。
それまで黙っていたポエルが、もう一度しゃがみ込んだ。
バートル号の目の高さまで顔を下げると、藪の方を向いて、2度頷いた。
行け、という意味であった。
バートル号は、しばらくポエルの顔を見つめていた。
(……お前がいるなら、まあ、なんとかなるか)
世話係の娘は、口数こそ少ないが、この分隊で一番よく見ている。
バートル号は、そう知っていた。
やがて、チュンと一声だけ鳴くと、くるりと背を向け、ぴょこぴょこと跳ねて藪の中へ消えていった。
今度は、戻ってこなかった。
丸い背中が見えなくなるまで、トーマスとポエルは動かなかった。
「……最初に、任された仕事だったんだ。」
藪を見つめたまま、トーマスがぽつりと呟いた。
「分隊に来て、何もできなくて、怖くて。でも、バートル号の世話だけは、僕にもできた。」
ミシェルが、黙ってトーマスの肩に手を置いた。
ポエルは何も言わず、トーマスの隣で、もう一度だけ2度頷いた。
「あいつ、ちゃんと帰れんのか?途中で狐に食われたりしねえか?」
「バートル号は、ああ見えて逃げ足だけは速いんだ。」
ジェラルトの心配に、トーマスが少しだけ胸を張って答えた。
その目は、まだ藪の方を向いていた。
マイトランド達は、汗を拭く暇もなく旅団司令部へと移動を開始した。
歩き出したドワイトの背に、マイトランドが声をかけた。
「分隊長、帝国での報告ですが――」
「じっくり聞かせてもらうと言ったはずだ。じっくりだ。歩きながらする話じゃねえ。」
ドワイトは振り返りもせずにそれだけ言うと、荷を担ぎ直した。
ジェラルトが、マイトランドの脇腹を肘で突いた。
「なあ、昇進おめでとうございますって言ってやろうか。」
「絶対にやめろ。」
◇
丸いスズメが中隊本部の巣に帰り着いたのは、翌日のことであった。
足に結わえられた筒の中には、ドワイトの走り書きが一枚。そして筒の外には、誰が結んだのか、ポエルの髪を編んだ細い紐が一本、巻きつけてあった。
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