第111話「委譲とはな」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
”宛 第72魔導砲兵旅団長ヴァイトリング准将 発 第2軍団第29騎兵師団長ヴェルティエ中将”
そう書かれた文がヴァイトリングの元に届いたのは、司令部での緊急招集から2日を経てのことであった。
同じ日、丘の周りに取り残されていた2個の師団のもとには、ようやく新しい軍団長が着任していた。
ツェッペリンの「善処」と「追って沙汰する」は、揃って2日をかけて形になったのである。
グルノブルットの後方、第72魔導砲兵旅団の宿営地。
並べられた魔導砲の砲座の間を、砲兵たちが行き交っていた。詠唱の稽古に喉を嗄らす者、目盛りの刻まれた棒で距離を測り直す者。この2日、旅団には何の命令も下りてこなかった。
旅団本部の天幕で、ヴァイトリングは副官から文を受け取った。
封を切り、老眼を細めて中身を確認すると、そこにはこう記載してあった。
”総司令官より、一個分隊の指揮権を貴官に委譲せよとのお達しだ。
先の偵察任務において敵連隊規模を撃破、殲滅し、すでに功を上げているドワイト分隊をそちらに送る。現在任務中につき4日後着の予定だが、分隊とはいえ我が師団の重要な戦力である。くれぐれも損失を出さないように留意されよ。”
ヴァイトリングは、文面を二度読み返した。
「委譲、か。」
ツェッペリンが命じたのは、分隊を一つ貸し出すことであった。それをヴェルティエは、自らの持ち物を老人に恵んでやるかのように書いてきた。
文の端々から、会議の席で見せたあの顔が透けて見えた。
「閣下、いかがなさいましたか。」
「何でもない。……それより、ここを見よ。」
ヴァイトリングは、文の一行を指で叩いた。
「分隊で、敵連隊規模を撃破、殲滅。……10人ほどの兵で、連隊規模の敵を潰したと書いてある。」
「ヴェルティエ中将の誇張では?」
「あの若造なら、ありえん話ではないのう。じゃが、誇張にしても元になる何かがあるはずじゃ。」
ヴァイトリングは口髭を撫でた。
「ドワイト分隊について、調べられるだけ調べておけ。分隊長の経歴も、兵の顔ぶれもじゃ。それと、この戦果の報告が、どこからどう上がってきたのかもな。」
「は。」
副官が天幕を出ていくと、ヴァイトリングは改めて文に目を落とした。
重要な戦力。くれぐれも損失を出さないように。
手放すのが惜しいほどの分隊を、なぜヴェルティエは差し出したのか。答えは簡単であった。総司令官の命令だからだ。そして、その命令に「委譲」という言葉を添えて、恩を着せることを忘れなかった。
「あの若造が。委譲とはな……。」
そう呟くと、ヴァイトリングは、静かにその文を火の中に放り投げた。
文はすぐに縁から黒くなり、丸まって、灰になった。
だが老将の目は、灰になる前の一行を、しっかりと覚えていた。
分隊で、連隊を潰した兵たち。
それが真実なのか、それとも誰かが作った数字なのか。
分隊が着くまで、4日あった。
ヴァイトリングは天幕を出ると、砲座の列を見渡した。
魔導砲は遠くまで届く。丘を越え、森を越えて、敵の頭上に魔力の塊を落とすことができる。
砲班は、敵を直接見ずとも撃つことが出来た。だが、見えぬ敵のどこに落ちたのかを知るには、前線から連絡将校が走ってきて誤差を伝えるのを待つしかなかった。走ってくる間に敵は動き、伝えられる誤差はあいまいであった。測距手が確かに修正できるのは、砲座から見える着弾だけであった。
老将は、南の空を見上げた。
あの丘の向こうに、何があるのか。敵がどこに陣を張り、どこに兵を集めているのか。
(目が欲しい。本物の目が……)
その目が本物かどうかは、4日後にわかることであった。
◇
「多分そろそろ来るんじゃねぇのか?ポエル、ちょっと代わってくれよ。頼むぜ。」
「イヤ。代わらない。ポエルが行く。」
北側山脈の警戒所。
アダムスからイブラヒムへ、マイトランド帰還の念話が届くと、ジェラルトはポエルに監視任務の引き継ぎを頼んだ。
だがポエルは、マイトランドの帰還が嬉しいのか、計画していた休憩もそこそこに、自らマイトランドを出迎えに行ってしまった。
「おい、ポエル!……ったく、休憩はどうすんだよ。」
ジェラルトのぼやきは、茂みの向こうに消えたポエルの背中には届かなかった。
ポエルは少し歩くと、背の低い木に登り、マイトランドを待った。
枝に腰を下ろし、幹に背を預ける。
樹上はポエルの定位置であった。ここからなら、下を通る者の頭の上が見える。下を通る者は、まず上を見ない。
待つ間、ポエルは同盟のことを考えた。
同期会まで、告白はしない。盟主フランと交わした不可侵条約である。第2軍支部を任されたのはポエルだった。
出迎えは告白ではない。だから、条約違反ではない。ポエルはそう結論づけると、2度頷いた。
しばらくすると、ポエルの耳に、人の足音らしき音が聞こえてきた。
狸獣人であるポエルは、耳と鼻が非常に良い。
足音の間隔、落ち葉の踏み方。そして、風に乗って届いた匂い。
マイトだ。
ポエルは喜び勇んで木を下り、驚かせようと背中から声をかけた。
「マイト……。だれ?」
声をかけた直後に聞き直した理由は明確であった。
匂いは、間違いなくマイトランドのものであった。
ただ、その匂いに、知らない匂いが混じっていた。嗅いだことのない石鹸と、嗅いだことのない油。そして、どこか遠い土地の埃。
だが、目の前の男が身に纏っていたのは、見慣れた軍服ではなく、帝国軍の軍服であった。
見慣れない色の生地。体にぴたりと沿う仕立て。見慣れない襟章。
鼻が告げる答えと、目に映る姿が噛み合わず、ポエルは動揺したのだった。
ポエルは、無意識に弓へ手を伸ばしかけていた。
「ああ、ポエルか。隠密を使って待っていたな?わからなかったぞ。」
その声を聞いて、ポエルはようやく鼻の方を信じることにした。
弓から手を離し、2度頷くと、後ろからマイトランドに抱きついた。
「おかえり。待ってた。帝国、どうだった?」
「ああ、ただいま。得る物が多かったな。ところでジェルは?」
ポエルからしたら、マイトランドが最初に気にかけた人間がジェラルトであったことに腹を立てたのだろう。
抱きついていた手を放すと、マイトランドの背中に蹴りをお見舞いして答えた。
「なんでいつもいつもジェル。ポエルのことは気にならない?」
これは明らかな盟約違反であった。
しかしその違反を咎める者は、ここにはいなかった。
「あ、ああ、ポエルには今会ってるからな。会う前であれば気になりもしたが……。」
「そう。それならいい。ジェル、イブ、この先にいる。」
ポエルは、マイトランドの「気になる」という言葉に気分を良くしたのか、2人の場所まで案内した。
先を歩くポエルの足取りは、心なしか軽かった。
「ジェル!ただいま!待たせちまったな。すまん。」
「マイト!遅かったから心配したぜ!そのままとっ捕まっちまったんじゃねえかと思ってよお。」
2人は再会の言葉を交わすと、抱き合って再会を喜んだ。
ジェラルトはマイトランドの背中を何度も叩いた。叩く手は、少し強すぎた。
「で、帝国はどうだった?」
「話すことが多すぎて、どこから話せばいいかわからない。」
「なんだそりゃ。」
「本当なんだ。後でゆっくり話す。……たぶん、一晩じゃ足りない。」
マイトランドが笑うと、ジェラルトも笑った。
その光景に気分を害したのは、ポエルだった。
「ポエル。これがしたかったのに……。」
それだけ呟くと、ポエルは休憩を取りに木の上へ登っていった。
「イブも、ただいま。」
「おう、マイト。無事で何よりだ。」
イブラヒムと拳を合わせると、ジェラルトが声を落とした。
「こっちは大変だったぜ。お前がいない間に、南の丘で歩兵師団が14000人丸ごと消えたってよ。」
「……ああ。アダムから聞いた。」
マイトランドの脳裏に、稜線の向こうに上がっていた黒煙が浮かんだ。
帝国の砦から戻る途中、稜線の上から見た黒煙。
指揮所で、アダムスが語った夜のこと。南の空が白く光り、遅れて地面が揺れた。そして、残された師団が、誰が指揮を執るかで2日も動けなかったこと。
帝国なら、指揮を継ぐ順番は平時から決まっている。
フリッツから教わったその仕組みが、ここには無かった。
イブラヒムが、ぽつりと言った。
「14000人だぞ。俺たちの村が、いくつ入るんだろうな。」
誰も答えなかった。
答えられる数ではなかった。
14000人の歩兵。
兵たちの間では、そう伝わっていた。
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