↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
119/122

第108話「一兵卒の支給品」

剣より頭、魔法より読み。


平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。


ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。

指揮所入口の幕が上がった瞬間、足元に何かが転がるように寄ってきた。


「チュン!」


 バートル号だった。太った体を左右に揺らしながら、マイトランドのブーツをしきりにつついている。


「あっ、バートル号!駄目だよ、知らない人に……って、マイトランド!?」


 慌てて追いかけてきたトーマスが、ひょろ長い体を折り曲げたまま固まった。


「よう、トーマス。こいつ、俺のことを覚えていたみたいだな。」


「いや、覚えてたんじゃなくて……多分、その雑嚢からいい匂いがするんだと思います。」


 マイトランドが肩から下げた雑嚢を見ると、バートル号は首を伸ばし、今度はそちらをつつき始めた。

 その騒ぎで、指揮所の中の視線が一斉にマイトランドに集まった。正確には、マイトランドの着ている軍服にだった。


「それ、帝国軍の軍服ですよね?」


 ミシェルが近づき、袖にそっと触れた。


「すごい……縫い目が全部揃ってる。生地もしっかりしてるのに、軽い。」


「フク、カルイ。ボタン、ピカピカ。」


 アツネイサも覗き込み、金属のボタンを爪で弾いた。


「これが帝国の一兵卒の支給品だ。将校用じゃないぞ。」


 マイトランドの言葉に、ミシェルとトーマスは顔を見合わせた。自分たちの擦り切れた軍服と見比べ、言葉が出てこないようだった。


 ただ一人、セリーヌだけが近づいてこなかった。


 指揮所の奥、地図を広げた卓の傍らに立ったまま、腕を組み、マイトランドの軍服を見ている。その目には、ミシェルやトーマスのような驚きはなかった。


 冷たい目だった。いや、冷たいというよりも、見たくないものを無理に見ているような目だった。


 マイトランドと目が合うと、セリーヌはすぐに視線を逸らした。


「……さっさと着替えたら? マイトランド。その服、ここじゃ目立ちすぎるのよ。」


 それだけ言うと、セリーヌは背を向けた。


 正論だった。ヴェルタの陣地で帝国の軍服を着ていれば、アダムスのように敵と見間違える者もいるだろう。


 だがマイトランドには、それが本心の全てだとは思えなかった。あれは、目立つから着替えろという忠告ではない。あの服そのものを、目に入れたくないのだ。


 ただの新兵じゃない。以前感じた違和感に、また一つ何かが重なった。


「分隊長、ラッセル2等兵。ただいま帰還いたしました。」


「おお、マイトランドか、敵1個連隊の掃討ご苦労。予定よりも遅かったな。帝国に捕まったと思っていたぞ。」


 今回の作戦の全容を知るドワイトは、他の面々が緊張している中、笑みをこぼしながら返答した。


「捕まっていたと言えばそうでしょう。ですが今回、帝国に良いパイプもできました。」


「そうか。ならば良かった。で?アダムスから聞いたのか?」


「はい、大体のことは聞きました。ここへ来る途中、稜線から煙も見えました。」


 その言葉に、ドワイトの顔から笑みが消えた。


「……そうか。まだ燻っているか。」


 ドワイトは視線を落とし、しばらく黙っていた。指揮所の中の誰も、口を開かなかった。


「ネイ閣下は、陣地を造る時、必ず撤退の時のことまで考える方だった。敵に使わせないために、爆薬を仕込んでおく。俺も新兵の頃、閣下からそう教わった。」


 ドワイトの声は、低く、平らだった。


「だがな。撤退の時に火を点けなかった爆薬が、何日も経ってから、ひとりでに火を噴くことはない。」


 それ以上は言わなかった。


 誰かが、あの爆薬を見つけ、火を点ける時を選んだのかもしれない。ドワイトの言葉は、そう聞こえた。


 やがてドワイトは顔を上げた。いつもの分隊長の顔に戻っていた。


「ネイ閣下は、まだ見つかっていない。……さて、ジェラルト達と合流したいという話だったな。」


「はい。よろしいでしょうか?」


「そうだな。あっちの3人は不眠不休で頑張っている。追加の糧食も昨日届いたところだ、4人分の糧食1週間分を持ったら、直ちに合流してくれ。」


「はい!」


「それと、マイトランド。」


 ドワイトは、マイトランドの軍服を上から下まで眺めた。


「帝国で何を見てきたかは、戻ってからじっくり聞かせてもらう。」


「はい。分隊で試してみたいことが、山ほどあります。」


 ドワイトは片眉を上げたが、何も言わなかった。ただ、口の端が僅かに動いた。


「その前に、分隊長。これを置いていきます。」


 マイトランドは雑嚢を下ろし、中から包みを取り出した。帝国を発つ時に持たされた戦闘糧食の残りだった。

 包みを開くと、乾燥肉、黒パン、小さな干し果物、そして塩の小袋が現れた。


「帝国の戦闘糧食です。1日半分しか残っていませんが、一口ずつなら全員に行き渡るでしょう。」


「なんだ、黒パンなら俺達のと一緒じゃねぇか。」


 アダムスが黒パンを手に取り、拍子抜けしたように言った。だが指で押した瞬間、その顔色が変わった。


「……柔らけぇ。」


 帝国の兵にとっては、硬い戦闘糧食の黒パンだ。だがヴェルタの戦闘糧食の黒パンは、日持ちさせるために乾燥させ、石のように固くしたものだ。水でふやかさなければ歯が立たない。同じ黒パンという名前でも、まるで別の食べ物だった。


 マイトランドは乾燥肉をナイフで薄く削ぎ、黒パンに載せて、塩をひとつまみ振った。


「こうやって食うんだ。」


 一口かじったアダムスが叫んだ。


「うめぇ!なんだこれ、うめぇぞ!」


 トーマスも同じように食べ、目を丸くしている。

 ミシェルは自分の分を手に取ったまま、それをアツネイサに差し出そうとした。


「ミシェル、お前の分だ。お前が食え。」


「でも……」


「いいから。」


 マイトランドに押し返され、ミシェルはようやく干し果物を口に入れた。そして、何も言わずに俯いた。

 ドワイトは黙って乾燥肉を一切れ口に運び、しばらく噛んでいた。


「……帝国は、これを一兵卒に食わせているのか。」


「はい。一兵卒にも、です。」


 ドワイトはそれ以上何も言わなかった。

 ヴェルタの戦闘糧食は、乾燥した黒パンと水だけだ。帝国の兵が硬いと言う黒パンですら、ヴェルタの黒パンより柔らかい。そのうえ肉があり、果物があり、塩がある。塩の小袋一つにも、兵を長く戦わせるための計算があるのだろう。

 その差を、ここにいる誰もが一口で理解していた。


「あっ!バートル号!」


 トーマスの声に振り向くと、バートル号が床に落ちた帝国の黒パンの欠片をついばんでいた。そのまま満足そうに膨らむと、今度は隣に置かれたヴェルタの黒パンをつつき、ぷいと顔を背けた。


「ああ……うちの黒パン、食べなくなっちゃったらどうするんですか!」


 トーマスの悲鳴に、指揮所の中に久しぶりの笑い声が響いた。


 マイトランドはそれを背に、荷物をまとめ始めた。


 荷物の底には、帝国へ向かう前に置いていったヴェルタの軍服が畳まれていた。


 セリーヌの言葉が頭をよぎる。着替えるべきだ。理屈では分かっている。


 だがマイトランドは、ヴェルタの軍服を手に取ったまま、しばらく動かなかった。


 帝国の軍服は軽い。生地は厚いのに、汗を吸ってもすぐに乾く。縫い目が肌に擦れず、屈んでも跳んでも突っ張らない。この数日、山道と訓練場を歩き回って、その良さは体が覚えていた。


 一方、ヴェルタの軍服は重く、硬い。雨を吸えば、さらに重くなる。


 これから向かうのは、不眠不休で監視を続ける山の警戒所だ。


「……まあ、ジェル達なら敵と間違えたりはしないだろう。」


 マイトランドはヴェルタの軍服を雑嚢の底に押し込むと、帝国の軍服のまま、4人分の糧食を担いだ。


 背中に、セリーヌの視線が突き刺さるのを感じた。


 マイトランドは振り返らず、ジェラルトの待つ警戒所に進発した。

面白いと思っていただけたら、ブックマークしていただけると大変励みになります。次回もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。