第106話「村へ帰る臣民」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
翌日、マイトランドは砦北東部の門から砦を出発した。
ヴェルタからは最も遠い門だった。だが、帝国臣民が村へ帰る際に使う門でもあった。
村へ帰る帝国臣民が、ヴェルタ側の門から出ていく訳にはいかない。遠回りにはなるが、偽装を最後まで守るにはこれ以上ない門だった。フリッツが気を利かせたのだろう。
そこにはマイトランドの他に、フリッツの姿しかなかった。
「この門は、フリッツさんが?」
「さあ、何の事でしょう。村へ帰る臣民は、この門を使うものですよ。」
フリッツはそう言うと、穏やかに微笑んだ。
「……そうですね。僕は、村へ帰るだけですから。」
「ええ。今度は山菜採りに夢中になって、攫われたりしないでくださいね。」
マイトランドは苦笑するしかなかった。
「では、お世話になりました。届くかどうかはわかりませんが、友のランズベルクの名で、手紙を書きます。」
「ランズベルク、ですね。覚えておきます。帝国第18軍団にビスマルクは私一人ですから、ビスマルク宛にしていただければ必ず届きます。検閲はあるでしょうが、同盟国の手紙です。没収されることはないと思いますよ。届いたら、私からもランズベルク宛に返事を書きます。」
「はい、必ず。」
「それとマイトランド。約束、覚えていますか?」
「16になったら部隊に、ですよね。」
「それもですが……もう一つの方です。」
「……借りは、必ずお返しします。」
その時、砦の各所にある魔力拡声器から、擦れたような音が響いた。
フリッツが踵を揃えるのと同時に、マイトランドも踵を揃え、帝国式の敬礼をしていた。
『宮内省発表。第一皇子殿下、御不例につき、帝都にて御静養あそばさる。終わり。』
放送が終わっても、フリッツはしばらく敬礼を解かなかった。
その横顔から、いつもの穏やかな笑みが消えていた。
「フリッツさん?」
「……いえ、何でもありません。ただ、その借りを返していただく日は、思っていたより早く来るかもしれませんね。」
フリッツはそう言うと、ようやく敬礼を解き、いつもの穏やかな顔に戻った。
「引き留めてしまいましたね。道中、お気をつけて。マイトランド。」
「ありがとうございました!それでは!」
「ええ。また会いましょう。……元気でいてください。」
マイトランドは別れを言うと砦を後にした。フリッツは何故か別れを惜しみ、マイトランドが見えなくなるまで手を振っていた。
◇
フリッツと別れた後、マイトランドは第18軍団の守備する砦を、ぐるりと迂回するように西へ向かった。
砦の外周を半分ほど回った頃だった。
「止まれ!」
帝国語の鋭い声と共に、茂みの陰から4名の帝国兵が姿を現した。哨戒だった。銃口が、一斉にマイトランドへ向けられている。
マイトランドは足を止めた。そして、考えるより先に体が動いていた。
踵を揃え、帝国式の敬礼。腕の角度も、速さも、3日間フリッツの隣で見てきたものと寸分違わなかった。
哨戒の班長らしき伍長が、銃口を下げないまま近づいてきた。
「所属と官姓名を言え。」
「所属はありません。僕は臣民です。山菜を採りに出たところをカルドナ兵に攫われ、第18軍団に保護されていました。今は、村へ帰る途中です。」
帝国語で、淀みなく答えた。
「臣民が、なぜ帝国軍の軍服を着ている。」
「保護された時、着ていた服がひどい有様だったので、砦で頂きました。ビスマルク上級曹長にも、大変お世話になりました。」
ビスマルク、という名を聞いた瞬間、伍長の眉が上がった。
「……ああ、お前か。上級曹長殿が面倒を見ているっていう、山菜の坊主は。」
後ろの兵士たちが、くすくすと笑った。どうやら砦の中では、ちょっとした噂になっていたらしい。
伍長はようやく銃口を下げた。
「行っていい。だが、西はカルドナの残党がうろついている。臣民の子供が一人で歩くところじゃないぞ。」
「ありがとうございます。気をつけます。」
マイトランドは再び敬礼し、哨戒の横を通り過ぎた。
背中に視線を感じながら、マイトランドは思った。3日前の自分なら、この敬礼は半拍遅れていただろう。帝国語の受け答えにも、どこかに綻びが出ていたはずだ。
フリッツが教えてくれたものは、知識だけではなかった。
半日をかけて砦を迂回し終えると、マイトランドはジェラルト、イブラヒム、ポエルに警戒、監視の指示を出した地点付近まで移動した。
「ん?誰もいないな。」
マイトランドはそう呟くと、異能の気配察知を利用し周辺を探ったが、何の反応もなかった。本当に誰もいなかったのだ。
「もしかしたら、第2軍が前進したのかもな。分隊指揮所まで移動するか。」
再度呟くと、分隊指揮所に向けて移動を開始した。
分隊指揮所までは、およそ1日の道のりだった。
山の中腹を縫う獣道を進み、昼過ぎに見晴らしの良い稜線に出た時だった。
マイトランドは、ふと足を止めた。
遥か南の空に、細い黒煙が立ち昇っていた。
一本ではない。何本もの細い煙が、風に流されながら、低い丘の上から空へと昇っている。火事の煙ではなかった。大きな火が燃え尽きた後の、燻り続ける煙だ。
丘の斜面は、遠目にも分かるほど黒く焼けていた。
マイトランドは、頭の中に地図を広げた。フリッツの書庫で見た、帝国軍の精密な地図。等高線、稜線、河川。その上に、自分の今いる位置を置く。稜線の向き。山の形。そこからの方位と、おおよその距離。
答えは、すぐに出た。
ガゲンテラ山の裾野。背後を山に、右翼を森に預けた丘陵。
「あの方角は……」
マイトランドは、その先を口にしなかった。
口にしてしまえば、何かが決まってしまう気がした。
それは、ネイ将軍が築いた、旧第1軍団陣地だった。
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