第103話「左手の位置」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
2日目。武装について。
フリッツはマイトランドを訓練場に連れ出した。
訓練場には帝国軍の各種装備が展示されていた。歩兵の鎧、騎兵の鎧、猟兵の軽装、魔導砲兵の装具。
「武装は、帝国軍の物だけを取り上げましょう。見て分かりますか?ヴェルタの装備と、何が一番違うか。」
マイトランドは展示された鎧を見回した。
すぐに気づいた。
「丸みがあります。それと、傾斜がついている。」
「正解です。よく見ていますね。」
フリッツは歩兵用の胸甲を手に取り、マイトランドに見せた。
「これは、避弾経始という設計思想に基づいています。銃の弾丸は、運動エネルギーで人を殺す。その運動エネルギーを、傾斜によって分散させるんです。弾丸がこの角度で当たると、鎧の表面を滑って跳弾する。貫通しません。平らな板なら真っ直ぐ突き抜けますが、傾斜があれば弾が逸れるんです。」
ヴェルタの鎧は平面で構成されている。正面からの斬撃を受け止めるための設計だ。銃弾のことなど考えられていない。当然だ。ヴェルタは銃の存在すら最近まで知らなかったのだから。
だが帝国は、銃が戦場にあることを前提に、防具の形状そのものを変えている。
「この避弾経始は、歩兵、騎兵、猟兵、魔導砲兵、全ての部隊の防具に適用されています。兵科を問わず、です。」
「全ての部隊にですか。」
「ええ。そしてもう一つ。帝国軍は、騎兵、猟兵、歩兵、魔導砲兵、全ての部隊に銃が装備されています。」
全ての部隊に。
ヴェルタ軍で銃を持っているのは、一部の銃歩兵と貴族だけだ。それが帝国では、全兵科の標準装備になっている。
銃を前提とした防具。銃を装備した全兵科。攻撃と防御の両面で、銃を中心に軍が再編されている。
「銃を撃ち尽くしたり、弾詰まりした時はどうなるのですか?銃歩兵はわかります。銃剣突撃ですよね?では騎兵は?ランスなど装備に見当たらないのですが。」
「良い質問ですね。騎兵が銃を撃ち尽くした後は、当然、白兵戦に移ります。帝国の騎兵は、全員が剣術の訓練を受けているんです。」
フリッツは訓練場の木剣架から木剣を2本取ると、1本をマイトランドに投げた。
「帝国式抜剣術というものがあります。馬上で銃を撃ち、銃を鞍に戻すと同時に剣を抜く。この一連の動作を、一つの型として訓練するんです。」
フリッツは右手で見えない銃を構える動作をした。撃つ。右手を腰に下ろす。銃を鞍に差し込む動作と同時に、左手が鞘に伸びる。
次の瞬間、木剣がフリッツの手の中で閃いた。
抜剣から構えまでが一呼吸。無駄な動作が一つもなかった。
「これが、帝国式抜剣術です。銃から剣への切り替えを、最短にする。その一瞬の隙が、馬上では生死を分けるんです。」
フリッツはそのまま構えを解かず、マイトランドに笑いかけた。
「どうでしょう。一手、お相手願えますか?帝国臣民なら、多少の剣術は嗜んでいるでしょう?」
挑発だった。だが悪意はない。マイトランドの力を見たいのだ。
マイトランドは木剣を手に取った。帝国臣民の少年として、下手に振るべきだった。だが、フリッツの構えを見た瞬間、体が勝手に動いた。
右足を斜め前に置き、半身になる。木剣は右手一本で、切っ先を相手の喉へ向けて肩の高さに構える。左手は、自然と腰の後ろに回っていた。
アランに教わった時は、左手にももう一本の剣があった。一本しか持たない時は、左手を必ずここに置け。アランはそれだけを言い、理由は教えてくれなかった。
フリッツが踏み込んだ。速い。木剣が上段から振り下ろされる。
マイトランドは受け止めなかった。木剣を斜めに立て、刃を滑らせるように受け流す。同時に、左足を右足の後ろへ斜めに引いた。右足を軸に、体が半円を描いて回る。フリッツの剣の勢いが、そのままマイトランドの回転の力に変わった。
回転の終わりで、右手一本の斬り返しがフリッツの脇腹を狙う。
体の軸を中心に、剣が弧を描いた。
フリッツが目を見開いた。
だが即座に後ろに跳び、間合いを取った。
2人はしばらく木剣を構えたまま向き合っていた。
フリッツの息は乱れていなかった。だが目が変わっていた。先ほどまでの穏やかさが消え、鋭い観察の目になっている。
「・・・もう一手、お願いします。」
フリッツが再び踏み込んだ。今度はさらに速い。横薙ぎから突きへの連撃。
マイトランドは、横薙ぎに対して下がらなかった。逆に斜め前へ半歩踏み込み、フリッツの剣の内側に入る。間合いを潰された横薙ぎは勢いを失い、木剣の根元で軽く弾かれた。続く突きには、右足を軸に体を開いて躱す。フリッツの突きが、胸の前を空しく抜けていった。
足は常に三角を描いていた。前へ、斜めへ、そして軸を残して回る。決して真っ直ぐには下がらない。
その回転の途中から、下からの切り上げが走った。
フリッツの木剣がそれを受けた。二本の木剣が交差し、互いの顔が近づいた。
フリッツが、小さく呟いた。
「その回転。その軸。その弧。」
フリッツは木剣を下ろし、一歩引いた。
構えを解き、マイトランドを真っ直ぐに見た。
「書庫で、君が皇室剣術の冊子を手に取っていたのは、見ていましたよ。」
マイトランドは苦笑するしかなかった。当然だ。5冊の本の順番まで見ていた男だ。
「でも、冊子を見ただけでは、あの動きはできません。今の君の受け流し、回転、斬り返し。あれは、皇室剣術の型そのものです。体に染み込んでいる。何年も繰り返さなければ、ああはなりません。」
フリッツは、マイトランドの腰の後ろを指差した。
「それに、左手です。君の左手は、最初から最後までずっとそこにありました。」
「先生に、剣が一本の時は、左手をここに置けと教わりました。理由は、教えてもらえませんでしたが。」
「皇室剣術は、かつて帝国が東方で干戈を交えたサラキア人の曲刀術を源流に、帝国の剣術で磨き上げられたものだと言われています。全ての型が、右手一本で完結するように作られているんです。」
フリッツは、自分の左手を腰の後ろに回してみせた。
「そして、空いた左手に持つのは、本来、剣ではありません。ピストレです。」
ピストレ。書庫の仕様書で読んだ、指揮官の証。
「皇族は、戦場では剣を振るう兵ではなく、軍を率いる者です。右手の剣で身を守り、左手のピストレで迫る敵を退け、そして指揮を続ける。双剣の型は、ピストレが無い時のための型なんです。」
マイトランドは息を呑んだ。
アランが教えてくれたのは、銃のない国で使える型だったのだ。
「皇室剣術は門外不出です。皇族とその直系にのみ伝えられる。私がこの型を知っているのは、ビスマルク家が皇室から直接指南を受ける特例を持っているからです。それ以外に、この剣術を使える者はいません。」
フリッツは一拍置いて、静かに言った。
「君に皇室剣術を教えた人は、一体、何者なんですか?」
マイトランドは答えられなかった。
アランの顔が浮かんだ。先生。あなたは一体、何者だったんですか。あの問いが、再びマイトランドの中で渦を巻いた。
「・・・わかりません。僕の先生が教えてくれたのですが、先生がどうしてあの剣術を知っていたのか、僕にはわかりません。」
「……そうですか。」
フリッツはしばらく、マイトランドの顔を見つめていた。何かを思い出そうとするような目だった。
だがフリッツはそれ以上追及しなかった。木剣を剣架に戻すと、いつもの穏やかな笑みに戻った。
「いずれ、分かる時が来るでしょう。」
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