第101話「貸しは返してもらう」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
「貴様達はここで何をしている!」
叫ぶ声と共に、書庫へ入って来たのは、衛兵から報告を受けたアイヒマンと、それより遥かに階級の高そうな初老の軍人だった。
初老の軍人は痩せていた。白髪を後ろに撫でつけ、頬がこけている。だが目だけが異様に鋭かった。感情の読めない、冷徹な知性を感じさせる目だ。口は固く結ばれ、余計な言葉を発する気配がない。
フリッツは即座に帝国式敬礼を、初老の軍人、次いでアイヒマン中佐に向けた。
マイトランドもそれに倣い、帝国式敬礼を向ける。
「貴様ら、自分のしたことが分かっているのか?そもそも誰の許可を得てここにいる!」
アイヒマンがそう言うと、フリッツは敬礼の手を降ろし、大きな声で反論した。
「はっ、アイヒマン中佐には申し上げにくいのですが、小官に思うところがあり、ビスマルク家の権限を使い、この少年をここへ連れて参りました。」
アイヒマンは顎に手を置き、少し考える様な素振りを見せると、小さく息を吸い込んで口を開いた。
「ほーん。それで?何を思ったと言うのだ?言ってみろ。」
「はっ!この少年、マイトランド・ラッセルがアウジエット、イドリアナ、カルドナいずれかのスパイであるという可能性です。」
マイトランドはフリッツの発言に驚き目を見開くと、フリッツに視線を向けた。
アイヒマンは、そのマイトランドの反応を見るや、フリッツの見解を求めた。
「ほう、それは興味深い。鑑識眼のある貴官であればこそだな。で?事実はどうであったのだ?」
アイヒマンは初老の軍人の顔色を伺うようにそう言うと、マイトランドに向かい歩み出した。
フリッツはマイトランドに一度目線を落とした。
マイトランドは「もうだめだ」と観念し、目線を床に向けていた。
フリッツはそんなマイトランドを余所に、歩くアイヒマンに正対しながら、自身の見解を話した。
「小官の見解では、このマイトランドは帝国臣民に間違いありません。」
「ん?どういうことだ?」
「先ずは、この机の上にある本を見て頂きたいと思います。これは書庫に入るなり、このマイトランドが手に取った全ての本です。」
そう言ってフリッツが机の上を指差すと、そこには帝国建国史、帝国軍制法、帝国陸軍兵法概論、帝国輜重運用教範、そしてドルトン騎兵銃運用仕様書が並んでいた。
アイヒマンはその本を眺めると、ドルトン騎兵銃の運用仕様書を手に取り、それを叩いて言った。
「これのどこがスパイではないと?これは我ら帝国の機密文書ではないか。」
「そうではありません。まず、スパイであれば先に手を伸ばすのは我ら帝国軍の編成、陣容、装備の一覧でしょう?小官はそれを、居眠りをするフリをして見ていました。」
「結果は?」
「この者が最初に手に取ったのは建国史です。次に軍制法。来年の入隊に備えたいという臣民としての自然な選択です。3冊目が兵法概論、4冊目が輜重運用教範。いずれもどの国にもある一般的な兵法書と兵站書です。」
「では5冊目のこれはどう説明するのだ。」
アイヒマンがドルトン騎兵銃の運用仕様書を突きつけた。
「注目すべきは、この者が手に取ったのは騎兵銃の運用仕様書だけだという点です。歩兵銃にも短銃にも手を伸ばしていません。スパイであれば全ての銃器の仕様書を片端から開くでしょう。この者が騎兵銃だけを選んだのは、騎兵銃の仕様書の中に歩兵銃や短銃との比較が記されているからです。1冊で3種の違いを把握できる。最も効率的な1冊を選んでいるのです。」
フリッツは一度言葉を切ると、続けた。
「さらに重要なのは、この者が仕様書を書き写していないという点です。紙片も筆記具も使っていません。図面の構造を目で追っていただけです。情報を盗む者の行動ではありません。学ぶ者の行動です。」
アイヒマンは腕を組み、しばらくフリッツとマイトランドを交互に見つめていた。
まだ納得がいっていない様子だった。
その時、それまで沈黙していた初老の軍人が口を開いた。
「アイヒマン中佐、もう良い。」
「閣下・・・。ですが・・・。」
まだ納得がいっていない様子で、初老の軍人に詰め寄るアイヒマンに、初老の軍人がため息混じりで続けた。
「もう良いと言っておるのだ。ビスマルク家は書庫を開ける権限を持っておるし、鑑識眼を持つビスマルク家の嫡子がスパイでないと言うのだ。これ以上どこを疑うのだ。好きにさせると良い。」
「はっ。ガーランド閣下がそう仰るのでしたら、閣下の仰せのままに。」
アイヒマンはガーランドの言葉にしぶしぶ納得すると、マイトランドとフリッツを睨みつけた。
ガーランドは、その視線を遮るようにフリッツに歩み寄ると、2人だけに聞こえるような小さな声で耳打ちをした。
「父君には幾度となく世話になった。思うままにやってみよ。」
そう言い残すと、アイヒマンを連れ、書庫を後にした。
残されたマイトランドは、まだ緊張した面持ちのフリッツに尋ねた。
「あの、なんで帝国臣民でないと僕には言っていたのに、あの2人には帝国臣民だと言ったんですか?」
フリッツは少しの間笑うと、マイトランドに向き答えた。
「マイトランド。この貸しは、いずれ必ず返してもらいますよ。それで?本当は、どこの国の人なんですか?」
マイトランドは額の汗を拭い、これ以上身分を偽るのは非礼になると、決意を固めた。だが、肯定も否定もしなかった。
代わりに、フリッツに尋ねた。
「フリッツさんは、初めから僕が帝国臣民ではないと思っていたんですか?」
「いいえ、最初から分かっていた訳ではありません。むしろ最初は、帝国臣民だと思っていましたよ。」
「アイヒマン中佐のことと言い、最初から疑われていた様な気もしますが、理由を聞いてもいいですか?」
「ええ。魔力拡声器の放送の時に気づいたんです。」
フリッツは、書庫の天井の隅を指差した。そこにも小さな魔力拡声器が取り付けられていた。
「あの放送は、帝都から帝国全土の拡声器へ、同時に流されています。全ての拡声器の魔力を帝都と同調させるために、声が届く前に、ほんの少しだけ間ができる。それが、あの擦れたような音なんです。」
「同調のための、間……。」
「ええ。そして、あの放送では皇帝陛下の玉音が流れることもあります。だから帝国臣民は、擦れた音を聞いた瞬間に立ち止まって、敬礼をする。帝国で育った者なら、子供でも体が覚えていることなんですよ。」
フリッツはそう言って、穏やかに微笑んだ。
「君は、声が聞こえてから敬礼をしましたね。」
玉音とは、皇帝ヴィルヘルムの肉声を指す。
帝国全土が同じ瞬間に、同じ声を聞く。その声が皇帝のものであってもいいように、帝国臣民は擦れた音の時点で、すでに敬礼を終えている。マイトランドは音があったのにすぐに立ち止まらなかった。敬礼が半拍遅れた。帝国臣民ではない。
「それだけではありません。アイヒマン中佐の魔道具は、君がスパイではないと判定しました。カルドナの回し者でも、イドリアナの工作員でもない。けれど、帝国臣民としての反応にも揺れがあった。スパイではないが、帝国臣民でもない。ならば周辺国の人間です。この地域でその条件を満たすのは、ヴェルタしかありません。」
やはり全て見抜かれていた。
フリッツは少し首を傾げ、独り言のように付け加えた。
「……ただ、紙を知っているヴェルタの農民、というのが、どうしても腑に落ちないんですけどね。」
「そうですか。では、何故僕を帝国臣民だと庇ったのですか?」
「簡単なことですよ。君が、敵国の人間ではないからです。」
「と言うと?」
「カルドナ王国が、スパイ一人を送り込むために、貴重な兵を連隊規模も犠牲にするはずがありませんから。それに、君からは害意のようなものを感じません。かといって、君が帝国にとって有益かどうかも、まだ分かりませんが。」
フリッツは少し間を置いた。
「書庫に入った時に感じたのは、知識欲、とでも言うんでしょうか。そういうものでした。だったら今は、貸しを作っておいた方がいいでしょう?後々の、私のためにもね。」
そう話すと、フリッツは悪戯っぽく笑って続けた。
「さあ、手に取った本を早く読んでしまってください。明日は明日で、君にも知ることが沢山あるはずです。それに、山菜を待っている母君のもとへ、早く帰らないとまずいでしょう?」
マイトランドは自分の出自について、フリッツに肯定も否定もしなかった。
日が傾き始めた頃、マイトランドは読めるところまで読み終え、フリッツと共に書庫を出ることにした。
入口へ向かう途中、フリッツが「軍制」の棚の前で、ふと足を止めた。
棚の端に挟まった、あの薄い冊子。フリッツはそれを一度引き抜き、角を揃えて、元の位置に丁寧に差し直した。
何も言わなかった。
マイトランドの背中を、冷たい汗が伝った。戻し方が雑だったのか。
だがフリッツは振り返ると、いつもの穏やかな笑みを浮かべただけだった。
「行きましょうか、マイトランド。」
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