第99話「ドルトン騎兵銃」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
4冊目。
もう我慢できなかった。
マイトランドは「兵站」の棚に向かった。
帝国輜重運用教範。
この名前に見覚えがあった。新兵教育の学科試験で、マイトランドがカンニング疑惑をかけられた原因となった、あの数値の出典だ。積載量の3割が水に消費される。あの数値は、この教範に書かれていたのだ。
アランが持っていた本の断片を、マイトランドは暗記していた。だが断片でしかなかった。ここには完全な原本がある。
マイトランドは輜重運用教範を机の上に置き、帝国建国史を下に、軍制法を次に、兵法概論と輜重運用教範を手元に並べ替えた。
読む順番を決めた。
まず兵法概論。原則を頭に入れる。次に輜重運用教範。兵站の体系を理解する。帝国建国史と軍制法は、余裕があれば目を通す。
マイトランドは兵法概論を開き、読み始めた。
帝国語で書かれた文章を、頭の中で翻訳しながら読む。速度は遅い。だが一文一文が、マイトランドの頭の中に新しい回路を作っていくような感覚があった。
1頁読むごとに、ヴェルタの戦場が頭の中で書き換えられていく。ドワイト分隊の配置、第2軍の防衛線、カルドナ軍への対応。全てに、この教範の原則を適用できる可能性が見えてくる。
時間を忘れていた。
兵法概論の半分近くまで読み進めた頃、マイトランドは輜重運用教範に手を伸ばした。
兵法概論で読んだ兵站線の多重化の原則が、輜重運用教範ではさらに具体的な数値と手順で記されていた。補給拠点の間隔、1個師団あたりの1日の消費量、水源確保の優先順位、代替経路の設定基準。
あの学科試験で書いた「積載量の3割が水に消費される」は、この教範の第4章第2節に記されていた。マイトランドはその頁を見つけた時、思わず小さく笑った。
「Nachschubverbrauch......dreißig Prozent......」
無意識に帝国語の軍事用語が口をついて出ていた。
補給消費量。30パーセント。
呟いてから、マイトランドは自分の口を手で押さえた。
背後を振り返った。
フリッツは椅子に腰かけたまま、目を瞑っている。寝ているように見えた。
5冊目。
マイトランドは「銃器」の棚の前に立っていた。
兵法概論で銃撃戦の防御を読んだ以上、攻撃側の本を読まなければ片手落ちだ。防御の原則を理解するには、攻撃側の運用を知らなければならない。
背表紙に目を走らせた。
帝国歩兵銃運用規定。帝国騎兵銃運用規定。射撃訓練教範。弾薬管理規則。
そして1冊、他の本よりもやや薄い冊子があった。
ドルトン騎兵銃 運用仕様書。
マイトランドの手が止まった。
ドルトン。
グレイグが持っていた銃に刻まれていた名だ。マイトランドとジェラルトに射撃を教えてくれた、あのドルトン歩兵銃。そしてゼーテの村で第1軍を壊滅させた、あの新兵器の原型。
マイトランドは冊子を手に取った。
帝国臣民の少年が銃器の運用仕様書を読む理由はない。だが、もう止められなかった。
冊子を開いた。
最初の数頁に、帝国が保有する銃器の全体像が記されていた。
帝国歩兵銃。帝国騎兵銃(ドルトン騎兵銃)。帝国短銃。
3種が並べて図示されている。図の脇には、それぞれの製造元が記されていた。
帝国歩兵銃は、ドクトル・ドルトンの設計を帝国軍兵器工廠が買い取り、ライセンス生産しているものだった。グレイグが持っていたドルトン歩兵銃は、ドルトンの工房で作られた、他国向けの廉価版だった。
一方、騎兵銃は工廠の生産設備が追いつかず、今もドルトンの工房が製造している。冊子の題名にドルトンの名が残っているのは、そのためだった。
一人の技術者が設計した銃を、国が買い取って量産する。量産が追いつかなければ、その技術者の工房に作らせ続ける。ヴェルタは、帝国の払い下げを待つことしかできないというのに。
マイトランドはその図を見て、目を見開いた。
グレイグから贈られたピストレットを、マイトランドは「グレイグの銃を短くしたもの」だと思っていた。馬上で扱いやすいように銃身を切り詰めた、いわば簡易版だと。
だが仕様書を読み進めると、その認識は根本から覆された。
歩兵銃と騎兵銃は、そもそもの設計思想が違っていた。
帝国歩兵銃は、長い銃身を持ち、射程と命中精度を重視している。長い銃身は火薬の力を弾に長く伝えて弾速を増し、照準の間隔も広く取れる。さらに仕様書には、銃身の内側に細い溝が螺旋状に刻まれていると記されていた。
溝。何のために。
マイトランドはその一文に引っかかりを覚えながらも、先を読み進めた。
歩兵が陣地や塹壕に据え、遠距離から狙い撃つための兵器だ。有効射程は騎兵銃の倍以上。その代わり重く、装填にも時間がかかる。銃剣を装着し、白兵戦にも対応する。
一方、ドルトン騎兵銃は、短い銃身で取り回しを優先している。だがそれは「短くした」のではなかった。馬上での片手射撃、抜き撃ち、近距離での制圧射撃。騎兵が馬を走らせながら、あるいは馬を降りた直後に、素早く敵を排除するために最初から設計されている。
銃身の内径も違った。騎兵銃は歩兵銃よりわずかに口径が大きい。近距離での制止力を重視しているのだ。弾は遠くまで真っ直ぐ飛ばないが、至近距離で当たれば歩兵銃以上の破壊力がある。
装填機構にも差があった。歩兵銃は精密な装填を前提としている。銃口から火薬を入れ、弾を込め、槊杖で丁寧に押し込む。時間はかかるが、遠距離での命中精度が高い。騎兵銃は装填を簡略化し、速度を優先している。火薬の量も弾の形状も、素早く込められるよう規格化されていた。
歩兵銃は「遠くから当てる」ための兵器だ。騎兵銃は「近くで仕留める」ための兵器だ。
同じ銃でありながら、戦場での役割が根本的に違う。歩兵銃を短くしたのが騎兵銃なのではなく、歩兵と騎兵それぞれの戦い方に合わせて、別々に設計された兵器だったのだ。
さらに頁をめくると、帝国短銃の項目があった。
帝国短銃は、指揮官が自衛のために携行する兵器だった。指揮官は本来、剣を振るう者ではない。部隊を指揮し、命令を出すのが仕事だ。だが戦場では、敵が指揮所にまで迫ることがある。その時、指揮官が最後の手段として使うのがこの短銃だった。
銃身は極めて短い。片手で保持し、片手で指揮を続けられるよう、重量も最小限に抑えられている。有効射程は歩兵銃の10分の1にも満たない。だが、それでいい。目の前に現れた敵を排除できればそれで十分なのだ。
さらに短銃には、歩兵銃や騎兵銃にはない特徴があった。装飾だ。仕様書の図面には、銃身や握りに施された彫刻の指定まで記されている。指揮官の権威と身分を示す象徴としての機能も担っていた。
つまり帝国短銃は、兵器であると同時に、指揮権の証でもある。
そこまで読んで、マイトランドは気づいた。
グレイグから贈られ、グレイグに預けたまま一度も撃つことなく、ヨーゼフに改良を頼んだあの銃。ヴェルタではピストレットと呼んでいたが、帝国の分類では、あれはドルトン騎兵銃だったのだ。
ヴェルタには、騎兵銃と短銃を分ける言葉すらない。短い銃は、全てピストレットだ。
歩兵銃は兵士の兵器。騎兵銃は騎兵の兵器。短銃は指揮官の兵器。
3種の銃が、それぞれ別の思想で設計され、それぞれ別の役割を担い、それぞれ別の人間が持つ。帝国は銃という新兵器を、すでに兵科と階級に応じた体系として完成させていた。
ヴェルタは、その名前を分けることすらできていない。
またしても、組織の力だった。
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