第98話「100年の差」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
食事が終わり、食堂を出ると、フリッツはマイトランドに、ある提案をした。
「さて、マイトランド。どこか行きたい場所はありますか?お礼も兼ねて、どこへでも案内しますよ。君がカルドナ兵を引き連れてきてくれたおかげで、我々はカルドナ王国軍に大損害を与えることができた訳ですしね。」
フリッツの提案に、マイトランドは自分に言い聞かせるように頷くと、答えた。
「図書室の様な場所はありますか?資料館だともっと嬉しいです。早く皇帝陛下のお力になりたくて・・・。」
「驚きましたね。君は徴兵前の平民なのに、文字が読めるんですか。良い心がけと言うべきでしょうか。またしても、驚かされました。ともかく、行きましょうか。……ふふ。」
何かを見透かしたようなフリッツの微笑みと共に、2人は砦内の書庫へと向かった。
砦の北東方向、ヴェルタとカルドナ王国から最も遠い砦内の場所に書庫はあった。
書庫の前には、書庫を警備する衛兵が2名、着剣した銃を下げ立っている。その傍らには交代要員であろうか、小さな衛兵小屋があり、その中にも数名の衛兵の存在が見て取れた。
小さな書庫に対して、書庫の立地、衛兵の数から、その書庫の重要性が部外者であるマイトランドにも容易に理解できた。
マイトランド達が近づくと、当然のこと、衛兵達は銃の引き金に指をかけると、互いの銃を門の前で交差し、その進行を止めて、書庫への入室を拒んだ。
「上級曹長、ここは書庫です。軍機ですので、元帥、将官、佐官以外の許可ない者は何人であっても入れません。」
2名いる衛兵の片割れがそう言った。
マイトランドは、軍機が多い書庫はやはり無理かと諦めようとしていた。
だがフリッツは大きく息を吸い込み、それを吐き出すと同時に大声で命令した。
「フォン・ビスマルクが皇帝陛下の代理人として命じる。直ちに、書庫を私とこの者に開放せよ。」
「「し、失礼しました!!」」
命令された衛兵2名は、即座に引き金から指を離し、交差していた銃を降ろした。
誰に対しても丁寧な言葉を崩さなかったフリッツが、初めて命令口調を使った。それほどの権限なのだ、とマイトランドは理解した。
銃を降ろし終えると、別の衛兵を呼び、衛兵小屋から書庫の鍵を持ってくると、書庫の錠を外し、中にマイトランドとフリッツを迎え入れた。
「フリッツさん、こんなところで、偉大な皇帝陛下のお名前をお使いになってよろしいのですか?」
「ははっ。内緒ですよ?五公爵家のビスマルク家に許された特権なんです。私も初めて使いました。こんなことをして、後で父に何と言われるでしょうね。そんなことより、ほら、誰か来ないうちに、好きな物を読んでください。私はここで見張りがてら、居眠りでもしていますから。」
フリッツはそう言って入口の椅子に腰かけ、目を瞑った。
書庫は外から見るよりも奥行きがあった。
左右の壁面に天井まで届く木製の棚が設えられ、そこにびっしりと本が並んでいる。棚と棚の間に通路があり、奥に向かって3列。中央に閲覧用の机と椅子が2脚。壁の上方には小さな窓が設けられ、僅かに外光が差し込んでいた。
マイトランドはフリッツが目を瞑ったのを確認すると、まず書庫の全体を見回した。
棚には分類の札が下がっている。帝国語で書かれていたが、マイトランドには読めた。
歴史。法令。軍制。戦術。兵站。築城。砲兵。銃器。地図。通信。外交。
マイトランドの心臓が跳ねた。
戦術。兵站。築城。砲兵。銃器。
欲しいものが全部ある。
だが、ここで本能のまま軍事書に飛びつけば、帝国臣民の少年という偽装は崩壊する。捕らわれていた15歳の農民の少年が、真っ先に戦術書を手に取るはずがない。
マイトランドは深呼吸をすると、まず棚の配置をもう一度見た。
その並び順に、マイトランドは気づいた。
ヴェルタの教育隊の教本棚であれば、戦術が最初に来る。次に陣形、次に武器、その後に兵站だ。戦い方が先で、それを支える仕組みは後。
だが帝国の書庫では、戦術の前に軍制があり、戦術の直後に兵站が来ている。築城と砲兵は兵站の後だ。
つまり帝国は、組織の仕組みを先に定め、それを維持する兵站を整えてから、初めて戦術と兵器に進む。戦い方は、組織と兵站の上に乗っている。
棚の並び順が、帝国の思想そのものだった。
マイトランドは、その並び順を頭に刻みながら、「歴史」の棚に向かった。
背表紙を眺め、1冊を手に取る。帝国建国史。分厚い本だ。中を開いた瞬間、マイトランドは驚倒した。
ハイデンベルグ帝国の本は、ヴェルタにあるどの本とも違い、羊皮紙でできていないのだ。
薄い。白い。そして文字が擦れている部分がほとんどない。一文字一文字が均一の濃さで、くっきりと刻まれている。
「これが紙か。」
マイトランドが小さな声でそう呟いた。呟いてしまってから、しまったと思った。だが背後のフリッツは、目を瞑ったまま微動だにしていなかった。
マイトランドは気を取り直すと、帝国建国史を机の上に置いた。次に「法令」の棚から帝国軍制法を1冊。これも机の上に置いた。帝国臣民の少年として、まだ不自然ではない。
2冊を机に置き、次の棚に向かおうとした時、「軍制」の棚の端に小さな冊子が挟まっているのが目に入った。
帝国式剣術大全。
その下に、さらに薄い冊子がもう1冊。
帝国皇室剣術 ー 門外不出 ー
門外不出。
なぜそんな物が前線の書庫にあるのか。マイトランドは疑問に思いながらも、手に取り、頁を開いた。
最初の数頁に、帝国式剣術の体系が図示されていた。初級剣術から上級剣術、そして特殊剣術。型の名称と、剣の軌道を示す線画が並んでいる。
マイトランドはその線画を追いながら、頁をめくった。
そして、皇室剣術の章に入った瞬間、手が止まった。
図に描かれた構え。剣の握り。足の運び。体の回転。
知っている。
知っているどころではない。これは、アランに教わった剣術そのものだった。
双剣の構え。左右の剣を交差させて受け、そこから回転を加えて斬り返す。体の軸を中心に、二本の剣が弧を描く。マイトランドが何千回と繰り返した型だ。
だが冊子には「皇室剣術」と書かれている。門外不出。皇族とその直系にのみ伝えられる剣術。
なぜアランがこれを知っていた。
アランは帝国軍人だったと聞いている。だが帝国軍人であっても、皇室の剣術を習得できるはずがない。門外不出なのだから。
アランは皇族だったのか。
いや、それは考えにくい。皇族がヴェルタの辺境の村で隠遁し、子供に剣を教えるなど。
だが、それ以外に説明がつかない。
マイトランドは頁をめくり続けた。型の一つ一つが、アランに教わった技と一致していく。名前は違う。アランは帝国式の名称ではなく、独自の名前をつけて教えていた。だが動きは同じだ。
マイトランドは静かに冊子を閉じた。
これは机の上に並べるわけにはいかない。皇室剣術の冊子を手に取っていたことをフリッツに見られれば、帝国臣民の偽装どころか、もっと厄介なことになる。
マイトランドは冊子を元の場所に戻すと、何事もなかったかのように「戦術」の棚に向かった。
だが頭の中では、一つの疑問が渦を巻いていた。
先生。あなたは一体、何者だったんですか。
3冊目。マイトランドの足は「戦術」の棚の前に来ていた。
砲兵射撃教範に手が伸びかけた。だが引いた。15歳の農民が砲兵の教範を読む理由はない。
代わりに、帝国陸軍兵法概論を手に取った。中を開くと、目が釘付けになった。
ヴェルタの教本に書かれていた兵法は、この本の最初の3章で終わっていた。その先に、7章分の内容が続いている。
縦深防御。予備隊の段階的投入。通信途絶時の分散指揮。夜間戦闘の原則。
プロローグで見たゼーテの村の第1軍を思い出した。司令部を暗殺で失い、統制を欠いたまま密集陣形を取らされ、半包囲され、崩壊した。あの時、もし縦深防御の概念があれば。第一線が崩れても第二線で受け止め、司令部が失われても各線の指揮官が分散指揮で持ちこたえる。そうできていれば、18個師団2個旅団が半数以下の敵に壊滅することはなかったかもしれない。
さらに頁をめくると、銃撃戦における防御の章があった。
密集陣形の禁止。散開した歩兵線の構築。遮蔽物を利用した射撃位置の確保。塹壕と胸壁による銃弾からの防護。銃撃下での移動は匍匐か短距離の躍進。
ゼーテの村で第1軍を壊滅させたのは、まさに密集陣形に対する銃撃だった。ヴェルタ軍は銃という兵器の存在すら知らず、密集して立ったまま撃たれた。
だが帝国は、撃つ側であると同時に、撃たれる側としての防御もすでに確立している。攻撃と防御の両方を持っている。これが100年の差だ。
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