第96話「敬礼の半拍」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
「何を言い出すんですか。僕は皇帝陛下にお仕えする、誇り高き帝国臣民です。」
「私には、本当の事を話してくれていいんですよ?」
フリッツの声は穏やかだった。責めているのではない。ただ事実を確認しているだけの声だった。
「そうですね……察するに、君はヴェルタの国民でしょうか?」
マイトランドは一瞬凍りついた。
だが即座に表情を戻し、強く言い返した。
「どうして?どうしてそんな事を言うんですか?僕は帝国臣民です。」
フリッツは穏やかに笑ったまま、理由を語らなかった。
根拠を示さず、ただ結論だけを告げている。その方が、マイトランドにとっては遥かに怖かった。何を見て、何で判断したのか分からない。反論のしようがない。
「ええ、では、今はそういう事にしておきましょう。どうやら、私の敵ではないようですから。」
フリッツはそう言って、再び穏やかな笑みを浮かべた。追及を打ち切ったのだ。
帝国の爵位は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の5つが存在し、その順に地位が高いとされている。公爵から男爵へと下がるにつれて、その人数も多くなっていく。
公爵は帝国で最も高い爵位であり、帝国にわずか5家しか存在しない。その5家は帝国五公爵と呼ばれ、皇帝に次ぐ発言力を持つ。軍事、外交、内政の要所に五公爵家の影響は及び、帝国の政策に五公爵家の合意なしに動くものはないとさえ言われていた。
フリッツ・ヨアヒム・フォン・ビスマルクの父、オットー・ヨアヒム・フォン・ビスマルクは、その帝国五公爵の1人である。
マイトランドは師アランの蔵書で、その名を読んだことがあった。
ビスマルク公爵は帝国北方戦線において3度の大会戦を指揮し、そのいずれにも勝利を収めている。帝国の北方辺境を安定させたのは、グリルファウスト大将ではなく、このビスマルク公爵の功績だとする史料もあった。
数々の功績から受けた勲章は数知れず、胸の勲章はその数の多さゆえに許容量を超え、肩や帝国軍制服の上着ポケットにまで勲章をぶら下げているほどだという。
帝国議会においても、ビスマルク公爵の発言は皇帝に次ぐ重みを持つ。軍備の拡充、辺境防衛の予算配分、他国との条約交渉。いずれの場面でも、ビスマルク公爵の同意なしに議案が通ることはなかった。
その偉大なる父の嫡子が、目の前にいるフリッツだ。
だが、とマイトランドは思った。
フリッツはその父の威光にあやかっていない。帝国の新兵教育は3ヶ月。そこからたった半年で、一兵卒から才能を見いだされ、曹長までの道を駆け上がった。公爵家の嫡子としての特別任官で曹長の階級章は受けたが、そこから先の上級曹長は、自らの実績で勝ち取ったのだ。
人心把握がとても上手く、部下からは厚い信頼を寄せられている。彼のためなら命をも捨てる覚悟の兵士は少なくないという。
だが同時に、偉大すぎる父の威光にあやかろうとする者もまた少なくない。猟兵連隊の中にも、ビスマルク家に近づくことで昇進を狙う者は後を絶たないだろう。
その中で、フリッツは人を見る目を磨いてきたのだ。
フリッツは、値踏みするような視線をマイトランドの全身にゆっくりと送った。
顔。手。立ち姿。足の運び方。呼吸の仕方。何かを読み取ろうとしている目だった。
「ねぇ、マイトランド。私は君に、とても興味があるんです。初めて会った気もしませんしね。どうでしょう?君さえよければ、私と・・・。」
フリッツの手が、再びマイトランドの肩に置かれた。
マイトランドは思わずその手を振りほどき、一歩後ずさった。
「や、やめてください!僕にはそういう趣味はありません!」
一瞬の沈黙の後、フリッツは目を丸くし、それから堪えきれずに吹き出した。
「あははははは。違いますよ、そういう意味ではありません。私にも、そんな趣味はありませんから。」
フリッツは笑いすぎて滲んだ涙を指で拭うと、改めてマイトランドの肩に手を置いた。
「ただ単純に、君という人間に興味があるんです。わかりますか?」
「ええ?どうしてですか?僕は捕らわれていたんですよ?お恥ずかしいですが、正直無知で無能です・・・。山菜採り以外では、村から出たこともありませんし。ましてや、貴族様にお会いしたことなんて・・・。」
「そう。そういうところですよ。」
フリッツは笑みを消さないまま、だが目だけは真剣に、マイトランドを見ていた。
「普通の軍人であれば、少しでも私の家柄にあやかろうと、自分をアピールしてくるものです。自分は何が得意だとか、役に立てるとかね。それが君はどうです?アピールするどころか、自らを卑下して、私から遠ざかろうとするじゃありませんか。」
「それは・・・。」
マイトランドは、しまった、という顔を浮かべた。
帝国臣民の少年なら、五公爵の嫡子に会えば何かしら近づこうとするのが自然だ。それなのに、マイトランドは距離を取ろうとした。軍師としての本能が、相手の情報を引き出す前に自分の情報を出すなと命じたからだ。だがそれが、帝国臣民の少年としては不自然な反応だった。
フリッツの言葉に何も反応できずにいると、フリッツからある提案がなされた。
「そうですね。では、このまま私の部隊に加わってくれませんか?もちろん、異能や戦技の有無、種別は問いません。帝国臣民であれば、特別人事権という言葉は知っていますね?」
特別人事権。帝国五公爵の嫡子に与えられる、人事に関する特別な権限だ。通常の軍人事は上官の推薦と人事部の承認を経るが、五公爵家の嫡子は自らの判断で人員を部隊に加えることができる。もちろん濫用を防ぐための制限はあるが、フリッツの部隊に自らの意思で入る者に対しては、ほぼ無条件で受け入れることが可能だった。
「光栄なことですが、僕はまだ15です。帝国軍人ではありません。16になるまでお待ちいただけますか?」
「特別人事権に歳は関係ありません。15であっても、君の言う皇帝陛下のお役に立つことはできますよ。もちろん、無理強いはしませんが。」
「16になったら是非。」
「……断られてしまいましたね。」
フリッツは少し首を傾げた。だが不快そうではなかった。むしろ、面白がっているようだった。
「私の誘いを断ったのは、君が初めてですよ。」
フリッツはそう言って、楽しそうに笑った。
「わかりました。では、君の言う16まで待たせてもらいます。……君とは、また会う気がしますから。」
穏やかな声だった。だが、そこには不思議な確信があった。
フリッツの、この予言めいた発言に、マイトランドは予知夢のヨーゼフを思い出した。悪寒のようなものを感じ、体が僅かに震えた。
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