第95話「帝国臣民ではないね」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
「そうだ、食事でもしながら話しませんか。私はカルドナ王国兵の掃討に参加していたんです。そんな訳で、もうこんな時間だというのに、とにかくお腹が空いていまして。」
「はい。是非、お供させてください。」
マイトランドは先ほど前進観測班にてルーデルから戦闘糧食を貰い食べたばかりであったが、フリッツとの仲を深めるため、提案を受け入れた。
2人は射撃指揮所から出ると、フリッツに連れられ食堂へ向かった。
砦の中は、マイトランドが想像していたよりも遥かに整備されていた。
石畳の通路が建物と建物を繋ぎ、通路の脇には排水溝が掘られている。等間隔に立てられた柱には、番号と方角を示す標識が取り付けてあった。暗くても迷わないようにするための工夫だろう。
建物はすべて木造だが、前進観測班の掩体と同じく丸太を組み、土を盛り、屋根には草が植えられている。上空からの偵察対策だ。砦全体が地形に溶け込むよう設計されていた。
兵舎の前を通り過ぎると、中から帝国兵たちの談笑する声が聞こえた。砲撃の直後だというのに、緊張感は薄い。勝つことが当たり前の軍隊の空気だった。
フリッツは歩きながら、砦の説明をしてくれた。
「この砦は、第18軍団がこの地に展開してから3ヶ月で構築したものです。帝国工兵としては、標準的な速度なんですよ。」
3ヶ月でこの規模か、とマイトランドは思った。ヴェルタ軍なら1年かかっても、ここまでの設備は整えられないだろう。
「食堂はあの先です。砲兵連隊と猟兵連隊で共用していますが、今の時間なら空いているはずですよ。」
その時、兵舎の一つから2人の下士官が出てきた。1人は白髪混じりの古参の軍曹、もう1人はまだ若い伍長だった。
「おお、ビスマルク上級曹長殿。掃討、ご苦労さんでした。」
軍曹が気安く片手を挙げた。
「ありがとうございます、ハインツ軍曹。腰の具合はいかがですか? 昨日は辛そうでしたが。」
「なんの、この通りでさぁ。上級曹長殿に心配されちゃ、おちおち寝込んでもいられませんや。」
軍曹は豪快に笑うと、腰を叩いてみせた。
続いて、若い伍長が一歩前に出た。
「上級曹長殿、明朝の哨戒ですが、予定に変更は……」
「予定どおりです、ミュラー伍長。夜明け前に出ますので、準備をお願いしますね。それと、今夜はしっかり休んでください。」
「はっ!」
2人は敬礼すると、足早に去っていった。
マイトランドは、その背中とフリッツの横顔を見比べた。
自分より階級の下の者に対しても、フリッツの言葉遣いは変わらなかった。アイヒマンに対しても、自分に対しても、そして今の下士官に対しても、同じだった。
「フリッツさんは、誰にでもそうやって丁寧に話されるんですか? 僕みたいな者にまで。」
帝国臣民の少年の、素朴な疑問を装って聞いた。だが実際、マイトランドには不思議だった。ヴェルタの貴族で、平民にこんな話し方をする者はまずいない。
フリッツは少し考えるように視線を上げてから、答えた。
「父の教えなんです。階級章は、部下が命を預けてくれた証だ。命を預けてくれた相手に、敬意を払わない理由はない、と。」
フリッツはそう言うと、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「それに、相手によって話し方を変えていたら、いつか必ず間違えますから。誰にでも同じ方が、ずっと楽なんですよ。」
公爵家の嫡子が、古参の軍曹にも、名もない少年にも、同じ言葉で話す。
マイトランドは、この男の部下が羨ましいと思った。
歩きながら、マイトランドはフリッツの横顔を見た。
先ほどの掃討に参加していたと言っていた。つまり、この男はついさっきまでカルドナ兵を追い詰め、殺していたのだ。だが、その顔には疲労はあっても、動揺はなかった。
「フリッツさんは、先ほどの掃討に参加されていたんですよね。」
マイトランドは帝国臣民の少年として、恐る恐る聞いた。
「ええ。砲撃で逃げ残った者を掃討する任務です。猟兵連隊の仕事なんです。」
フリッツは淡々と答えた。自慢するでもなく、苦しむでもない。任務を報告するような口調だった。
「第18軍団の担当地域に入ってきた以上、排除するのは当然のことです。もっとも、砲兵が仕事をしてくれた後でしたから、猟兵の出番はほとんどありませんでしたが。」
ほとんどなかった、と言った。つまり、少しはあったのだ。だがフリッツはそれ以上は語らなかった。
マイトランドはジェラルトのことを思い出した。1人殺しただけで手が震え、膝が折れかけた。この男は掃討戦から戻って、食堂に行こうと言っている。
ほとんど同じ歳のはずだった。だが、戦場での距離が違いすぎた。
ふと、フリッツが歩く速度を落とした。
何も言わなかった。マイトランドの方を見もしなかった。だが、それまでの歩幅が明らかに小さくなっている。
マイトランドの足が震えているのに、気づいたのだ。
マイトランドは礼を言おうとして、やめた。帝国臣民の少年が、歩幅を合わせてくれたことに気づくのは自然だ。だが軍人の配慮だと見抜いたような反応をすれば、違和感を与える。
マイトランドは黙って、フリッツの隣を歩いた。
フリッツも黙って歩いた。
沈黙が苦にならない男だった。相手に話すことを強要しない。だが、隣にいる。それだけで安心感がある。
模範的な指揮官だ、とマイトランドは思った。部下がこの男についていく理由が、わずかな時間で分かった。
フリッツが角を曲がりかけた時だった。
突然、砦内の各所にある魔力拡声器から、擦れたような音が響いた。
フリッツは即座に足を止めた。
目を閉じ、声のする方向に体を向けると、帝国式の敬礼をした。その動作に一切の迷いはなかった。
マイトランドは少し遅れて敬礼を向けた。
擦れた音に続いて流れてきたのは、帝国軍の戦況報告だった。
「大本営発表。東部戦線、戦況報告。皇帝陛下直属の第1混成団の第4軍への戦線加入により、アウジエット1個軍を撃破、さらに進軍中。続いてカルドナ戦線。第18軍団、敵連隊規模の部隊を撃破殲滅。第18軍団に死傷者はなし。終わり。」
戦況報告を読み終わると、魔力拡声器は音を出すのを止めた。
フリッツは静かに敬礼の手を下ろした。
「死傷者なし」という報告に対して、誇るでもなく、喜ぶでもなかった。ただ静かに頷いただけだった。
当然のことを当然として受け止める。ルーデルの陽気な勝利宣言とは対照的だった。同じ帝国軍でも、人によってその受け止め方は違うのだ。
マイトランドもフリッツに倣い、手を下ろした。
ヴェルタの大本営発表は嘘ばかりだった。圧倒的優勢、破竹の勢い、損害は極めて軽微。全て嘘だった。マイトランドは地名がないことと修了の前倒しから、その嘘を見抜いた。
だが、今聞いた帝国の大本営発表は違った。具体的な部隊名、具体的な戦果、具体的な損害。嘘をつく必要がない。それだけの実力があるからだ。
敵連隊規模の部隊を撃破殲滅、死傷者なし。先ほどマイトランドが前進観測班の掩体の中で目撃した、あの砲撃の結果がそのまま報告されている。嘘でも誇張でもない。事実だった。
帝国からしてみれば、ヴェルタにはこのような魔力拡声器による即時の戦況伝達すら存在しない。ヴェルタ軍で戦況を知るには、伝令が走るか、噂が広まるのを待つしかなかった。
マイトランドが我に返り、再び食堂に向けて歩き出そうとした時だった。
フリッツが急にマイトランドの両肩を掴んだ。
鋭い眼光がマイトランドを射抜く。先ほどまでの温かみのある目とは、まるで別人だった。
「マイトランド。君は、帝国臣民ではありませんね。」
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