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第94話「フォン・ビスマルク」

剣より頭、魔法より読み。


平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。


ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。

フォン・ビスマルク上級曹長が指揮所に到着するまでの間、アイヒマンはマイトランドにまたいくつかの質問をした。


 先ほどの4つの質問とは毛色が違っていた。


「貴様が捕らわれていた場所で、何か変わった物を見なかったか。例えば、見たことのない兵器や、聞いたことのない言葉を話す者はいなかったか。」


「いえ、捕まっている間は建物の中でしたので、外のことはあまり・・・。」


「では、捕らわれていた建物の中には何があった。」


「暗くてよく見えませんでした。石の壁と、藁が少しだけ。」


「食事は?」


「水を一度だけ。食べ物は貰えませんでした。」


「見張りは何人だった。」


「二人くらいだったと思います。でも交代しているのかどうかは、暗くてわかりませんでした。」


 マイトランドは一つ一つの質問に、戸惑いながらも答えた。答えられる範囲で曖昧に、しかし矛盾が生じないように。帝国臣民の少年が捕らわれていたならば、知りうる情報はこの程度だろう。


 アイヒマンは椅子の背にもたれ、片手で顎を撫でながら聞いていた。表情は穏やかだったが、質問の一つ一つには明確な意図があった。


 建物の中の様子を聞いたのは、カルドナ軍の捕虜収容の実態を知るためだろう。見張りの人数を聞いたのは、マイトランドの観察力を測るためかもしれない。


 だが、もう一つの意図にマイトランドは気づいていなかった。


 アイヒマンの机の端に、何気なく置かれた小さな石がある。先ほどから微かに光を帯びていた。質問のたびに、光の色が変わっている。


 マイトランドはそれに気づいていない。


「それから、逃げ出したのはいつだ。」


「わ、わかりません。夜だったことだけは覚えています。気がついたら、あのヴェルタの兵士が僕を担いで走っていました。」


「そのヴェルタ兵は、どうやって貴様を見つけた。」


「わかりません。本当にわからないんです。気がついたら助けられていて・・・。」


 マイトランドの声が震えた。演技だった。だが、疲労と空腹は本物だったので、声の震えには真実が混じっていた。


 アイヒマンは数秒間、黙ってマイトランドを見つめていた。


 それから、ちらりと机の端の石に目をやった。


「もういい。十分だ。」


 アイヒマンはそう言うと、わずかに表情を緩めた。


「役立たずで申し訳ありません。わからないことが多すぎまして。」


「いいんだ、いいんだ。これで貴様のスパイ容疑も晴れた。」


「え!?僕、疑われていたんですか?」


 これはマイトランドも予想していたことではあった。だが、帝国臣民の少年としては驚くべき場面だ。大袈裟に目を見開いて見せた。


 アイヒマンは笑顔に戻ると、マイトランドに言った。


「まあ、そういう事になるな。実際問題、スパイは多い。帝国は現在敵が多くてな。周辺国が多方面からスパイを侵入させてくるのだ。最後に聞くが、貴様はスパイではないな?」


「そうだったんですか。でも、僕は皇帝陛下に誓ってスパイではありません!」


「うむ!わかった。大丈夫だ。信じよう。ここまでで、ある程度疑いは晴れた。後はビスマルクに任せるとしようか。」


 マイトランドはホッと胸をなでおろした。


 何の判断基準かは分からなかったが、結果としてスパイ疑惑は晴れたらしい。


 ドンドンと2回、射撃指揮所の入口を叩く音がした。


 指揮所内の空気が、僅かに変わった。


「第58猟兵連隊、フリッツ・ヨアヒム・フォン・ビスマルク上級曹長です。」


 若い声だった。だが、よく通る。


 アイヒマンの指示で、入口の兵士が扉を開けた。


 開いた扉の前に立っていたのは、マイトランドと大して歳の変わらないであろう少年だった。


 金髪碧眼。背はマイトランドより少し高い。鋭い眼光だが、不快な鋭さではなかった。意志の強さがそのまま目に出ている。顔立ちは整っていて、帝国軍の軍服がよく似合っていた。上級曹長の階級章が、その若さとは不釣り合いなほど堂々と肩に付いている。


 ビスマルクは入室すると、帝国式の敬礼をした。その動作には一分の無駄もなかった。


「ビスマルク上級曹長、こちらに来たまえ。」


 アイヒマンがそう言うと、ビスマルクはアイヒマンの隣に立ち、マイトランドに正対した。


 マイトランドはビスマルクの目を見た。


 静かだが、深い目だった。人を威圧するのではなく、人を見通すような目。マイトランドは一瞬だけ、フリオニールを思い出した。気品と聡明さを兼ね備えた者の持つ目だ。だがフリオニールよりも、どこか温かみがあった。


「紹介しよう。彼はあの有名なビスマルク家の嫡子でね。君とも年齢が近い。彼は今年16になったばかりだからな。」


 16歳で上級曹長。


 マイトランドはその意味を即座に理解した。帝国五公爵の一つ、ビスマルク家の嫡子であれば、士官候補生として入隊した時点で曹長の階級章が付く。名家であればさらに上級曹長まで引き上げられることもあるのだろう。


 だが、とマイトランドは思った。階級章だけでは、あの入室時の動作の完成度は説明がつかない。敬礼の角度、歩幅、立ち位置。全てが正確だった。家柄だけで得られるものではない。この男は、自らの努力で階級章に見合う実力を身につけている。


「彼に今後の君の世話を任せることにしよう。思い出すことがあったら何でも彼に言うと良い。ではビスマルク上級曹長、頼んだぞ。」


 そう言うとアイヒマンは立ち上がり、ビスマルクの肩を軽く叩くと、マイトランドに聞こえないように耳打ちした。


「例の魔道具によれば、嘘はついていないようだが、反応はあった。私はスパイではないとは判断したが、貴官の目で見て再度判断をしてくれ。」


 アイヒマンは耳打ちが終わると、またビスマルクの肩を叩き、射撃指揮所を後にした。


 ビスマルクは一度頷くと、残されたマイトランドの近くに寄り、笑顔で自己紹介をした。


「フリッツ・ヨアヒム・フォン・ビスマルクです。階級は帝国軍上級曹長。よろしくお願いしますね。」


 帝国語だったが、先ほどのアイヒマンとは違う、丁寧でやわらかい話し方だった。


「皆はビスマルクと家名で呼びますが、実のところ、私はこの名前が気に入っているんです。君はまだ帝国軍人ではないようですから、どうか気軽にフリッツと呼んでください。」


 フリッツはそう言って右手を差し出し、マイトランドに握手を求めた。


 帝国五公爵の嫡子が、名前で呼んでくれと言っている。上級曹長が、民間人に敬語で話し、握手を求めている。


 家柄に驕らない男だ、とマイトランドは思った。


「マイトランド・ラッセルです。フリッツさんですね。僕の事はマイトランドと呼んで下さい。よろしくお願いします。」


 マイトランドも自己紹介を終えると、フリッツの手を取り、固い握手を交わした。


 フリッツの手は、戦場の人間の手だった。剣胼胝がある。銃の握りで出来た胼胝もある。16歳の手ではなかった。


 このフリッツとの出会いは、後にマイトランドの運命を大きく変えることになる。

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