第93話「皇帝陛下より拝借した物」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
回収班に連れられ砦の門をくぐると、マイトランドを待っていたのは、巻貝の魔道具から声が聞こえていた、アイヒマンだった。
アイヒマンに会うと、マイトランドは直ちに帝国式の敬礼で挨拶を行った。
「皇帝陛下、万歳!」
それだけ言うと、アイヒマンも同じように腕を上げ、帝国式の敬礼で返し口を開いた。
「貴様、傷だらけではないか。医務室へ行け。その後はすぐに軍服に着替えて砲兵連隊の射撃指揮所まで来るように。」
「は、はい、僕はまだ帝国軍人ではありませんが、軍服を着てもよろしいのでしょうか?」
「何?貴様、歳はいくつだ?」
「今年で15になります。」
「そうか、ならば軍服を着ても問題あるまい。来年には栄光ある帝国軍人だ。それに帝国臣民にそんなボロを着せては、皇帝陛下に申し訳が立たん。」
「ありがとうございます。」
「礼はいい、私は忙しいのだ、さっさと行動せんか!ガーランド少将に貴様が捕らえられていた時の事を報告せねばならんのだ。」
「はい!」
マイトランドはまた帝国式の敬礼をすると、その場にいた帝国軍人に教えてもらい、医務室へ向かった。
医務室は砦の東側にあった。
木造の建物に帝国軍の軍旗が掲げられ、入口には赤い十字の標識が下がっている。
中に入ると、清潔な木製の寝台が6つ並び、壁には薬品棚が据えつけられていた。棚の中には瓶が整然と並んでいる。ヴェルタ軍の医務室とは比べものにならなかった。ヴェルタ軍では、天幕の中に毛布を敷いただけの場所を医務室と呼んでいた。
帝国の軍医は手際よくマイトランドの体を調べた。
擦り傷、打撲、足裏の水疱。どれも命に関わるものではなかったが、軍医は一つ一つを丁寧に洗浄し、薬を塗り、包帯を巻いた。
「栄養失調の兆候がある。しばらくは消化の良い物から食べろ。急に食べすぎると腹を壊す。」
軍医はそう言って、小さな薬包を渡した。整腸の薬だという。
マイトランドは礼を言い、医務室を出た。
人伝いに補給処へ向かった。
補給処も木造の建物で、入口に番兵が立っていた。アイヒマン中佐の指示だと伝えると、番兵は頷き、中へ通した。
中では補給担当の下士官が、マイトランドの体を上から下まで見ると、棚から軍服を一式取り出した。
帝国軍の軍服だった。
濃い灰緑色の上衣に、同色のズボン。革のベルト。ブーツ。肌着まで揃っている。
マイトランドはボロ布を脱ぎ、肌着から順に身に着けた。
生地がしっかりしている。縫製も丁寧だ。ヴェルタ軍の支給品とは肌触りからして違った。ヴェルタ軍の軍服は何度か洗うと生地が薄くなり、すぐに擦り切れた。この軍服は、長く使うことを前提に作られている。
ブーツに足を通した。足裏の水疱に軍医の薬が効いているのか、先ほどよりも痛みが少ない。
マイトランドは鏡の前に立った。
帝国軍の軍服を着た自分が映っていた。
不思議な感覚だった。ヴェルタ軍の2等兵である自分が、帝国軍の軍服を着ている。だが鏡の中の男は、どこからどう見ても帝国軍人だった。
マイトランドは鏡から目を離すと、補給処を出て射撃指揮所へ向かった。
『第18軍団魔導砲兵連隊射撃指揮所』
そう書かれた立札が下がる建物は、ヴェルタ軍のような急ごしらえの天幕指揮所ではなく、砦と呼ぶにふさわしい木造の指揮所であった。
丸太を組んだ壁に板を張り、屋根には土が盛られている。前進観測班の掩体と同じ設計思想だった。末端の掩体から射撃指揮所に至るまで、同じ基準で構築されている。
マイトランドは指揮所の扉を2度ノックすると、大きな声で入室許可を取った。
「失礼します。アイヒマン中佐に用件があり、参りました。」
マイトランドの声に反応したのか、扉が内側から開いた。中に入ると、マイトランドは即座に帝国式の敬礼をした。
「皇帝陛下、万歳!帝国万歳!」
敬礼を続けるマイトランドに、部屋中央奥に深々と椅子に腰を掛けたアイヒマンが言った。
「今は戦闘中ではない。もっと楽にして構わんぞ。」
アイヒマンの言葉に、マイトランドは敬礼していた腕を下ろすと、部屋を見回した。
前進観測班の掩体で見たものとは、規模が違った。
射撃指揮所は広かった。中央に大きな机があり、一面に地図が広げてある。遠目に見ても、ヴェルタ軍の地図とは精度が違っていた。等高線の間隔が細かく、河川や道路の位置が詳細に書き込まれている。ヴェルタ軍の地図は大まかな地形と主要な街道が描かれている程度だった。この地図は、一本の小道、一つの丘、一筋の小川まで記されている。
壁に沿うように木製の板が張り巡らされ、そこには各所からの報告書や、敵の所在を示す図がピン止めされていた。前進観測班からの報告、斥候からの情報、捕虜の尋問記録。それらが時系列で整理されている。
その前には一人用の机がいくつも並び、それぞれに軍人が座って何かを書いている。計算をしている者、地図に書き込んでいる者、巻貝の魔道具で通信している者。
全員が自分の仕事を黙々とこなしていた。
中央の机の向こう側に、木製の椅子があり、アイヒマンが深々と腰を掛けていた。
マイトランドは目の前の光景を、帝国臣民の少年として驚いた顔で見ながら、その実、軍師の目で全てを観察していた。
壁の報告書の配置。情報の集約方法。地図の使い方。人員の配置。
前進観測班で見た通信→観測→修正のサイクルは、ここで統制されていた。各前進観測班からの報告が壁に集約され、中央の机の地図に反映される。アイヒマンはこの椅子から、全ての前進観測班の状況を一目で把握し、砲兵の射撃を統制しているのだ。
末端の4人の班と、この射撃指揮所が、巻貝の魔道具で繋がっている。だから即座に反応できる。だから夜間でも正確に撃てる。
前進観測班だけではなかった。あれは仕組みの一部に過ぎない。仕組みの中枢が、ここにある。
「なんだ?何を見ている?」
アイヒマンの声で、マイトランドは我に返った。
「ぼ、僕の村ではこんな設備は見たことがありませんでしたので。申し訳ありません。」
「それはそうだろう。ここは我ら帝国が誇る、砲兵連隊の射撃指揮所だ。当然最新鋭の物ばかり。全ては偉大なる皇帝陛下より拝借した物だ。」
拝借。
帝国では、軍は皇帝から借りた兵である。指揮官も、兵も、装備も、物資も。帝国臣民は爪の先から髪の毛一本に至るまで、皇帝ヴィルヘルムの所有物だった。
当然、破損や損害は許されない。軍や軍団の壊滅などもってのほかである。
だからといって、全ての物が皇帝の物で、国民が悪政で虐げられているという訳でもない。
マイトランドはふと考えた。帝国軍の支給品は、ヴェルタ軍よりも上等だった。ルーデルに貰った戦闘糧食も、ヴェルタの配給とは比べようもなかった。先ほど着替えた軍服も、ヴェルタの支給品より遥かに質が良い。医務室の設備すら段違いだった。
皇帝の所有物だからこそ、粗末に扱うことが許されない。粗末に扱えないからこそ、質の良い物を支給する。結果として、末端の兵士にまで良質な装備と糧食が行き渡る。
合理的だ、とマイトランドは思った。
「この砦内全ての物が皇帝の物か・・・。」
マイトランドがそう呟くと、アイヒマンは足を組み、マイトランドに尋ねた。
「最初に4つほど、質問させてもらう。まず貴様の名前だ。次に貴様の捕らわれていた先。次に捕らわれていた場所の陣容、建物の配置。最後になるが、敵の規模だ。」
聞かれると分かっていた。
ジェラルトが敵を引き連れて戻ってくる間、マイトランドは水色の鳥を飛ばして敵陣を偵察していた。それがここで意味を成す。
だが、全てを正確に答えるわけにはいかない。帝国臣民の少年が、敵の陣容や規模を正確に報告できるはずがないのだ。
マイトランドは怪しまれない程度に曖昧にしながら、しかし帝国軍にとって価値のある情報を織り交ぜて、戸惑ったように話した。
「はい。僕はマイトランド・ラッセルと言います。捕らわれていたのは、外を走る者達がトレーナ軍第4軍の第10軍団と言っておりました。建物は捕らわれていた場所に4個ほどの建物があり、敵の兵隊は1000以上はいたと思います。とにかく沢山いました。」
マイトランドが本名を名乗ったのには理由があった。ラッセルという姓は帝国でもヴェルタでもありふれた名前だ。照会しようにも同姓同名が多すぎて時間がかかる。それに偽名を名乗って、咄嗟に呼ばれた時に反応できなければ、そちらの方が疑いを招く。
「そうか、今一つ的を射ない答えだ。それではガーランド少将への報告にならん。もっと詳しく思い出してくれ。1000などこの砦は軽く超えているぞ。」
「申し訳ありません。この砦よりは多い様に感じました。なんせ沢山人が走っているのです。軍人でもない僕にはそこまでしか・・・。」
マイトランドは困った顔を作った。帝国臣民の少年としては、これが精一杯の答えだろう。実際には連隊規模で定数の6〜7割、天幕の配置、馬繋場の位置、指揮所の場所まで把握している。だがそれを言えば、ただの少年ではなくなる。
アイヒマンは戸惑うマイトランドを見ると、急に笑い出した。
「そうか、そうだったな。これ以上帝国臣民を尋問する訳にはいかないな。しばらく待っていろ。」
アイヒマンはそう言うと、不敵な笑みを浮かべ、マイトランドから目を離さずに、大きな声で魔道具通信手に命令した。
「通信手!直ちに猟兵連隊のフォン・ビスマルク上級曹長を呼び出せ!」
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