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第91話「栄光ある帝国臣民」

剣より頭、魔法より読み。


平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。


ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。

 砲撃が止んだ。


 最後の爆発音が山間にこだまし、やがてそれも消えた。


 観測窓から見える景色は、一変していた。


 さっきまで怒号と笛の音で満ちていた夜が、嘘のように静まり返っている。


 松明はほとんど消えていた。地面にいくつかの火が残り、草を焦がしている。その火の光が、動かなくなった人影をぼんやりと照らしていた。


 ここまで追いかけてきた数百のカルドナ兵のうち、何人が立っているのか。観測窓からではもう数えられなかった。


 ジェラルトは観測窓から目を離せなかった。


 声が出なかった。


 観測手が双眼の魔道具を覗き込み、しばらく観測窓の外を見ていた。やがて、静かに報告した。


「目標の約8割を撃破。残余の敵は後方に退却中。わが方の射撃効果は極めて大。」


 通信手が巻貝の魔道具を手に取った。


「こちら前進観測班。目標の約8割を撃破、残余の敵は後方に退却中。わが方の射撃効果は極めて大。射撃中止、射弾の観測を終了する。終わり。」


 魔道具から短い応答が返った。


「射撃指揮所、了解。射撃終了。終わり。」


 通信手が魔道具を置いた。


 沈黙が、掩体を満たした。


 やがて、扉を開けて2人を誘導した帝国軍人が口を開いた。


 他の3人よりも少し年嵩に見えた。階級章はジェラルトの知らない形だった。顔には古い傷がある。砲撃の間、誰よりも冷静に指示を出していた男だ。


 おそらく、この前進観測班の班長だろう。


 班長はジェラルトとマイトランドに向き直ると、急に顔を崩した。


「うっはっはっはっは!」


 笑っていた。


 さっきまで砲撃を淡々と指揮していた男が、腹を抱えて笑っている。


「ヴェルタ兵!これが帝国軍の戦力だ!どうだ!圧倒的だろう?」


 訛りの強いヴェルタ語だった。言葉は拙いが、笑顔には帝国の圧倒的な優位性から来る余裕があった。この男にとって、今の砲撃は日常の職務の延長に過ぎない。命令通りにやれば、必ず勝てる。その確信が、この陽気さの源だった。


「え?俺?ああ、そうですねぇ。すごいですねぇ!帝国さんが味方でよかったですよぉ!」


 半分バカにしたようなジェラルトの反応を、気にするどころか、うんうんと班長は頷いて見せた。


 そして、ジェラルトの肩に担がれたまま黙っているマイトランドに目をやると、肩を叩いて尋ねた。


「お前は、なんだ?ヴェルタ兵か?」


 その時、マイトランドがジェラルトの肩を叩いた。


「ジェル、降ろしてくれ。」


「おい、足は大丈夫かよ。」


「いいから。」


 ジェラルトはマイトランドをゆっくりと地面に降ろした。マイトランドは足を震わせながらも、自力で立った。


 そして、班長に向き直った。


 右手を胸の前に当て、そこから右上方に一挙に伸ばした。


 帝国式の敬礼だった。


「皇帝陛下!万歳!」


 流暢な帝国語だった。


 掩体の中が一瞬、静まり返った。


 班長の目が見開かれた。通信手が魔道具から顔を上げた。観測手2人が振り返った。4人全員の視線が、マイトランドに集中した。


 ボロ布を纏い、武器も持たず、飯も食っていない痩せた体。担がれなければ移動もできなかった男が、帝国式の敬礼を完璧にこなし、訛りのない帝国語を話した。


 班長の顔が、先ほどの笑いとは違う表情になった。驚きと、それを上回る喜びだった。


「うん?なんだ、帝国臣民だったのか?よしよし。そうかそうか。」


 班長は急に笑顔になると、ジェラルトに向き直った。


「ヴェルタ兵よ、栄光ある……帝国臣民を……救出してくる……とは、素晴らしい、働きだ。」


 拙いヴェルタ語だった。言葉を探しながら、一語一語を繋げている。だがその顔には満面の笑みが浮かんでいた。


「全帝国臣民を……代表して、礼を……言わせて、もらう。」


 そこまで言うと、班長は少し息をついてから、帝国語に切り替えてマイトランドに何かを言った。マイトランドが頷くのを見て、再び拙いヴェルタ語でジェラルトに向き直った。


「私は……ルーデル中尉、という。貴官は、ヴェルタ軍の……どこの、部隊か?階級は?」


 ジェラルトはルーデルのヴェルタ語を聞きながら、なんとか意味を汲み取った。所属と階級を聞いている。栄光あるという言葉に、恩賞がもらえると思ったのか、いつものふざけた返答ではなく、勢いよく返事をした。


「はっ!中尉でありましたか!失礼いたしました!自分は第2軍、第29騎兵師団、第198騎兵連隊、偵察中隊、ドワイト分隊所属のランズベルク2等兵であります!」


 ルーデルはジェラルトのヴェルタ語を必死に聞き取ろうとしていた。部隊名の数字と「2等兵」は聞き取れたのだろう。一瞬顔を曇らせた。


「に、2等兵?」


 ルーデルはマイトランドに帝国語で何かを尋ねた。マイトランドが帝国語で答えると、ルーデルは再びジェラルトに拙いヴェルタ語で聞いた。


「そのドワイト分隊……とやらは、ヴェルタ軍の……特務部隊か、何かか?」


 通常、軍隊では、新兵上がりの2等兵に、救出のような任務を任せることはない。そのために組織された、帝国のような軍隊であればそれもありうるが、ヴェルタ軍にそのような特務部隊が存在するとは思えなかったのだろう。


 ジェラルトはルーデルの拙いヴェルタ語をなんとか理解すると、頭を掻きながら答えた。


「たまたま通りかかっただけと言うか、威力偵察任務中だっただけだぜ。・・・威力偵察任務中でした。敵地に帝国の人がいましたので、せめて帝国の陣地に送り届けようと。」


 恩賞のため、自ら語尾を直すジェラルトに、ルーデルは必死で言葉を拾い聞き取ろうとしていた。「威力偵察」と「帝国」と「送り届ける」は拾えたらしい。ルーデルはさらに曇った顔で答えた。


「そ、そうか……良く、やった。ありがとう。この事は……上に、報告して、おく。ヴェルタに……戻ったら、国から……勲章など、貰うと良い。もう……帰って、いいぞ。」


 ルーデルは手の甲をジェラルトに向けると、あっちに行けと振って見せた。


 マイトランドは黙ってその光景を見ていた。


 通訳したかった。ルーデルの言葉をジェラルトに正確に伝えたかった。ジェラルトの言葉をルーデルに正確に伝えたかった。だが、できない。帝国臣民がヴェルタ語を流暢に話せるはずがないのだ。


 マイトランドにできるのは、ルーデルに帝国語で確認を取り、頷くことだけだった。


「ランズベルク2等兵と……言ったか?言い忘れた、が。」


 ルーデルはジェラルトに向かって、わざわざ一語ずつ区切って言った。


「帝国の、人。ではない。帝国、臣民、だ。忘れるな、よ。」


 ルーデルはそう言ってさらに手を振って見せた。


 ジェラルトはルーデルに必要とされていないこと、そして自部隊に現在の状況を伝える必要があることから、しぶしぶ掩体を出ようとした。


 その時、ジェラルトがマイトランドを見た。


 マイトランドもジェラルトを見た。


 何も言えなかった。帝国語で「気をつけて帰れ」と言えば、ルーデルに聞こえる。ヴェルタ語で声をかければ、帝国臣民の偽装が崩れる。


 マイトランドは、ただ一度だけ、小さく頷いた。


 ジェラルトは鼻で笑った。いつもの笑い方だった。


 それだけで十分だった。


 ジェラルトは掩体を出ると、周囲に敵影がないのを確認し、ドワイト分隊指揮所の方向へと戻って行った。

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