烈風 3.
程なくして梶谷診療所に一通の手紙が届いた。差出人は田口である。
手紙には取り敢えず話がしたいので急いで館に来て欲しい旨が酷く見下すような調子で、殴るような悪筆で書かれていた。
「さて。僕は診療所に来るか、それが難しいなら手紙で状況を伝えて欲しいと伝えた筈だが」
梶谷は手紙に目を通した後、つまらなそうに指先でそれを弄び、投げるようにして副島に渡した。
「この程度、成金とは無関係にいつもの事じゃないですか。わざわざ取り立てて文句を言う事でも無いでしょう?字は汚いですけど」
副島は手紙を読んで尚、容赦の無い正論を突きつける。自身の仕事が賤業であるという彼女の強い自覚に、梶谷は少し困った顔で肩をすくめる。
「それはそうなんだけれど、こういう場合には大抵、謝意の一つでも書いてあるんだよ。例え僕がどんなに卑しい仕事をしている人間だとしてもね」
「そういうものを要求するのは、また一段と卑しく見えてしまいますよ」
「仕事に身が入るかどうかの問題だ。流石に僕だって、直接文句を言うつもりは無いさ」
詰まらない言葉の応酬の末、梶谷は面倒そうに溜息を吐くと椅子から立ち上がり、背後の壁にかけてあった外套を手に取った。
「それでは、お客様の元へ急ぐとするよ。君にも仕事があるだろうから、今回は僕一人で行こう。余計な金を受け取りたくも無いからね」
梶谷はそう言って、欠伸を噛み殺しながら事務室を後にした。
館に着いた梶谷は、前回の様に一通りの下品な接待を受けることになった。
やけに嬉しそうな田口の会話の節々からは、梶谷を館に呼ぶ事自体を箔の様なモノだと思い込んでいるらしい事も窺え、梶谷の不快感は深まるばかりである。
「どうかお構いなく。それよりも早く仕事の話をしましょう。今、どのような状況ですか?」
梶谷はポケットに手を突っ込んで、到着するなり捻じ込まれた札束を弄びながら、なるべく露悪的にならない様に、しかし冷徹に話を移した。
「君の様な冷静な人間は信用できるよ」
そう言った田口に対し、梶谷は“つまりこの男は、婉曲的に自分は信用に値しない人間であると言いたいのか?”と心中で悪態をつきながらも無表情を崩さない。
田口はそれまでの浮ついた愛想を消し、真剣な顔で梶谷に向き直った。
「そもそも、息子が殺された状況すら伝えられていなかったからね。まずはそこから話そう」
梶谷は冷ややかな心持ちを見透かされないよう、眼前の男に倣って真剣な面持ちを作り、煙草に火をつけると「そうですね。それで、どの様な状況だったのですか?」と訊ねた。
「喧嘩をしたらしい。顔や腹に殴られた痕があって、最後に刃物で心臓をひと突きだ」
「金品が盗られていたりなどは?」
「いや。財布も時計も残っていた」
「目撃者は?」
「いない」
「そもそも、何故路地裏に?」
「賭け事か、女絡みか。犯人と、人目のある場所では出来ない話でもしていたのではないか?それなら殴り合いになったのも納得できる」
「一考には値すると思いますが、推測の域を出ませんね。別の角度から攻めましょう。息子さんが恨みを買っていそうな人間に心当たりなどは?」
「商売をしていれば敵の一人や二人は出来るが、殺される程となると分からんな。息子個人の話となると更に分からん」
梶谷は、犯人特定の為の有力な情報はもう出てこない事を察し、困った様に煙を吐く。
「——お話を聞いた限りでは、やはり犯人探しは難しいと思われます」
梶谷はそう言い、目の前で文句ありげな顧客を今一度眺めながら思案を始める。
この田口という男はかつて低い階級に属していた。それが突然、大金持ちになったとなれば知り合いから嫉妬の一つや二つ買う事もあるだろう。
加えて部屋の内装やこれまでの梶谷診療所に対する態度から考えるに、上流階級への強い憧れも窺える。田口やその息子が“昔の知人”に対してどのような態度を取っていたのか想像に難くない。
まあ、通りがかりでなければ犯人の目星はその辺りにつくのだろうが、労力がかかり過ぎる。警察が動いているのなら犯人探しは彼らに任せようじゃないか。
「そこで提案なのですが、犯人の捜索は警察に任せることにして、“その後”の依頼をされると言うのはどうでしょう?時間は掛かってしまいますが、それなら比較的安く済みますし」
そんな言葉を聞いた田口の眼光は、思惑ごと見透かすように梶谷を鋭く貫く。
「警察に任せて待とうという訳か。それなら先日君に払った金は手付金ではなく寄付金という事で良かったかね?もし寄付を募りたければ、私からも知人に知らせようか?」
内心で散々見下していたとは言え、流石にこれだけの財を成した人間である。その辺りの勘の鋭さは普段梶谷が相手をしている金持ちと遜色無い。
「以前、成功の確率は極めて低いと伝えた時、あなたは“構わない”と仰った筈ですが」
「成功の見込みが薄いことと、初めから警察任せにすることは別だろう」
正論である。梶谷は短く煙を吐くと、僅かに肩をすくめた。
「仰る通り、手付金を頂いている以上は犯人探しを継続するつもりです。しかし、今の提案についても検討の程、どうか宜しくお願いします」
酷く詰まらなそうに田口の館を出た梶谷は、道の先で傳次郎が手を振っているのを見つけた。
梶谷は態とらしく呆れた様子を見せながら傳次郎のいる方向に歩いて行くと、傳次郎は目を細め、馴々しく梶谷に話しかける。
「やあ、梶谷君。奇遇だねえ。今日は副島ちゃんは居ないのかい?」
「何が奇遇だ。田口の家に来客がある度にそんな事してるのか?」
「人聞きが悪いな、本当に偶然だよ。それで今日はあの親父、いくら払ったんだ?」
まあ、偶然ではないのだろう。ただの酒目当てだったとしても、こいつは田口に詳しそうだ。
梶谷は傳次郎の狙いを測るように人の悪い笑みを浮かべ、ポケットから札束を取り出して、その顔の前で軽く振った。
傳次郎は目を輝かせて梶谷の肩に腕を回す。
「おいおい、そんだけあんならまたあのカフェーに行けるな」
「あんな高いとこもう行かないよ。まあ、仕事の帰りにちょっと飲むってのは悪くないかもね」
「良いねえ、何処に行こうか?」
傳次郎に肩を抱かれた梶谷は少し縮こまりながら、日の暮れた路上を歩いて行った。




