烈風 4.
それから梶谷は、殺人事件の犯人と田口家の内情を探るため、何度か館へ足を運んだ。その度に“偶然”傳次郎と行き合い、そのまま酒を飲むのがお決まりになっていた。
この日二人が入ったのは、赤坂の安酒場だった。
「梶谷君、そういや元軍医って言ってたよな。陸軍と海軍、どっちだったんだ?」
「——陸軍だよ」
傳次郎が遠慮のない話をするのはいつものことだったが、それは専ら政治や階級についてだった。突然自身の過去へ踏み込まれ、梶谷は僅かに眉をひそめる。傳次郎は気づいているのかいないのか、調子を変えずに続けた。
「そんなら此処も、梶谷君と無関係とは言えないな。なんせ乃木坂だ」
「ああ、乃木大将の」
「そうだ。じゃあ乃木坂になる前、此処が何て名前だったか知ってるかい?」
「幽霊坂だろ?自殺した人間の名前で“幽霊”を置き換えるってのは、流石に不謹慎じゃないかと思ったけどね」
「確かに。あと細かいかも知れないけど、自殺じゃなくて“殉死”って言わなきゃ怒られそうじゃないか?」
「自殺だよ。僕はもう、軍に関係する事を公平には見られない」
返答は早かった。ただ、梶谷の声からはそれまでの軽さが消えていた。しかし傳次郎は尚も軽い調子で続ける。
「いや、そうなんだけどさ。偉い人は自殺にすら大仰な名前を貰えて良いなあって俺は思う訳」
「僕は寧ろ、その大仰な名前で本質を隠そうって魂胆が気に入らないよ」
そこで一度会話が途切れ、周囲のざわめきが二人の間へ戻ってきた。
「——お上から“戻れ”みたいなお声がけは無いのかい?欧州でデカい戦争やってるんだろ?」
「今の所は無いな。まあ、呼ばれても行かないだろうけれど」
そう断言した後、梶谷は間を埋めようと煙草を咥える。
「——日露戦争ですらあんなに死んだって言うのに、今じゃ何ヶ国もが一つの戦争に巻き込まれている。人は歴史から学ばないってのは至言だな」
傳次郎は顎を指で挟み、宙を見ながら「うん」と短く唸った。それから澄んだ目を梶谷へ戻す。
「しかし梶谷君、“人”なんて大きな主語が使える程、歴史を学べた人間は多いのかな?」
梶谷は傳次郎を見るだけだった。
「君は医者だろう。これまでに様々な出自の人間を見てきた筈だ。学ぶ機会を与えられる人間がどれだけ少ないか、分かっているんじゃないか?」
「それなら、歴史を学べる“恵まれた連中”が同じ事を繰り返している方が、余程たちが悪いな」
「ああ、そうだ。だから俺は階級を憎んでいる」
傳次郎はそう言って、残っていた酒を飲み干した。
梶谷が診療所へ戻ると、待ち構えていた副島が刺々しく問いかけた。
「梶谷先生、また傳次郎さんと飲んでたんですか?」
「ああ。調査の一環でね」
「それは、随分と楽しそうな調査ですね」
副島は呆れた顔で梶谷の外套を受け取りながら続ける。
「傳次郎さんから酒の席で聞き出せる事は、もう殆ど聞いたでしょう。そろそろ身元を調べるべきではありませんか?」
「調べるべきは田口だよ」
「その田口さんの館へ行く度に、“偶然”現れる人でしょう?」
梶谷は一瞬言葉に詰まった。
「そうだね。君は田口家の過去を洗ってくれ。——傳次郎との接点も含めて」
「承知しました。明日から始めます」
「優秀な助手がいると心強いよ」
梶谷はそう言うと階段を上がって行った。




