第17話 ルクレリアの未来
昼下がりの食堂は、やけに明るかった。
窓から差し込む光も、オレの手の中ですぴーっと寝息を立てているキイロの黄色も、どこまでも明るい。
なのに、空気は妙に重い……。
テラグリウス帝国の皇帝に金緑の瞳は必須条件じゃない。
だけど、それ以上に“皇統の正当性”を示すものはない。
兄上が皇帝になった時期も悪かった。精霊弱体化で大陸中が混乱し、父上が亡くなり、若くして帝位に。重すぎる責任。
そんな中で正妃に金緑の瞳の子が生まれなければ、貴族たちは当然のように側妃を勧める。
それでもなお生まれなければ、今度は神殿が兄上の資質にケチをつける。前例のない聖環飛竜の色も、きっとあれこれ言われただろう。
この状況で、オレが“金緑の瞳の皇子”として現れたら――、
「劇薬だけど……兄上にとっては有利? いや、でも……ディオンアールって、もう十歳くらいだよね? 聖属性の魔力はあるんだよね? 兄上から見て、将来の皇帝に向いてる?」
「真面目で誠実すぎるところはあるが、執務を行う能力は十分だ。魔物と対峙しても勇敢であろうと努力している」
表情よりも、その声音に兄上の父親としての実感が滲んでいた。
「うわ、なんか可哀相。がんばってるのに目の色くらいでギャーギャー言われて」
努力が認められないのはつらい。
ルクくんの発音問題。『私』、努力したんだからね!
「ギャーギャーか。確かに可哀相だ」
兄上が小さく笑う。
「でしょでしょ。でも、それだと義姉上も可哀相なことになってるよね?」
「三人目の子作りを拒まれる程度には神経を擦り減らしているな」
「え? 二人目もいるんだ。おめでとう! オレ、すっげー叔父さんじゃん」
オレは思わず手の中のキイロを放り出しそうになり、慌ててテーブルに置いた。黄色い丸い腹は多少の衝撃をものともせずにすぴーっと寝息を立てている……。
にしても、兄上、側妃の子も合わせると、結構な数の子どもの父親になってそう。もしこれが日本なら、オレ、甥っ子姪っ子へのお年玉で破産してる!
「今一度、確かめておきたきことがあるのじゃが――」
その時、母上がすいと立ち上がってオレの前に来た。そのままオレを片腕で抱き上げて席へ戻る。
「妾の魔力核とやらが、この先、突如として失はるることはなきか? たとへば、そなたの身に何事かあった折――いや、その折に妾がそなたへ魔力を返すことも叶はぬのか?」
同じ高さで見つめてくる深緑の双眸は、一途にオレを案じている。
「え? えと、それは……あの、一応、確認してみていい?」
母上は静かに頷き、オレを膝に乗せた。
服の上からオレはそっと母上の腹部へ両手を当てる。
――魔力の流れは……すごくいい。
むしろルクレオン時代に感じた母の”霊核”よりずっと強い。
父上やヴェル兄上より大きくなってるかも……いや、余計なことは言わないけどね!
「……うん。母上すごく元気になってる。そんで、もうこの魔力核は完全に母上のものとして定着してるから、オレに返すとかはムリ。てか、オレ、もう魔力完全に回復してるから、返されても困るし」
オレは手を離して、顔を上げた。
「なんていうか、これ、たぶん、魔力で作った土壁みたいなもの? オレの魔力を使って作ったけど、できあがったものはもう完全にオレとは関係のない別物。だから、母上、これからずーっと長生きしてね」
母上はオレを再び片腕に座らせ、もう片方の手で頬をくすぐるように撫でた。
「……他に母へ望むところはなきかえ?」
「え? えと、ヴェル兄上と仲良く?」
「そなたは、まこと欲といふものが薄いのう」
ため息をつく母上に、オレは激しく自己主張する。
「あるよ! オレ、政治とか難しいのほんとダメだし。だから、ほんとはフツーの平民になりたいし!」
「ただの平民には、まともな蜂蜜ひとつ口にすることすら叶ふまいが?」
「は?」
「畑を耕し、家畜を飼い、養蜂まで行う裕福な農民とて、あるいはそれらを商う商人とて、バターと砂糖を惜しみなく用いた菓子や、栄養豊かな卵やミルクを日々の糧とすることはまずあるまい」
格差階級社会。
この国の平民と貴族のあいだには、すさまじい壁がある。
「そっか……孤児だけじゃなくて、平民だって、そうなるのかぁ……」
兄上が苦笑しながら補足した。
「下級貴族なら先ほどの茸をふんだんに使った料理をたまの贅沢として準備することはできるかもしれないが、母上がおまえのために取り寄せた最高級の蜂蜜や卵はまず入手することさえ不可能だ。 質が落ちれば雑味が混じる。今のおまえなら気にせずとも、昔は変な臭いがすると嫌がっていたからな」
兄上のためのキノコ尽くしのフルコースより、オレのプリンのが高級品ですと――!?
「え……あの、それって、オレの食事って、超特別? オレ、もしかして、すっげー金食い虫だった……?」
母上はにこやかに首を振った。
「いや、そなたが食べたいと望みしプリンやらクッキーだのの焼き菓子やらマシュマロやら……ああ、塩気あるものとして揚げイモの菓子もあったか。あれらのレシピを貴族どもに売りつけて得た金が余っておる」
偏食ルクくん。ダメダメすぎる子だけど、母の愛がいろんな商品開発に繋がっておつりが出てるって。よかった!
兄上も大きく頷く。
「本当に、母上のお茶会で出る菓子は貴婦人方のみならず、貴族男性からも熱望されておりましたからね。専属の菓子職人を宮殿に残してくれて助かりました」
どうやらオレは転生者らしく知識チートできてたらしい。
いや、自分で作ったわけじゃないけど! レシピをだれかに教えたわけでもないけどね!
だって、前々世のオレ、食べるだけのヒッキーくん。
甘いものをぽちっと買う方法は知ってても、作り方なんてまったく知らない。
そのくせ、舌だけはやたら肥えてた。
なにせおうちがお金持ち。母親が開かずの扉の前に準備してくれる食事には毎回季節のイチゴやシャインマスカットなんてフルーツだとか、高級洋菓子店のケーキ付き……。
うん、まあ、性格に問題あったけど、悪い人じゃなかったんだよ、前々世の母親。父親も甲斐性はあった。
でも日本ってすごいよね。庶民でも金さえあればおいしいものがなんでも買える。
その日本人から異世界の皇子様に転生したら、食事がとにかく口に合わなかった。だから、イヤイヤしながらおねだりした覚えはある……。
『あまーくて、やわらかいのがいいの。たまごとミルク、まぜまぜ……?』
『さくさく、あまいの。おこなとバター、やくの……?』
『おにくのぷるぷる、あまくするの。でも、くちゃいの、ヤーなの』
あんな適当な無茶ぶりでゼラチンからマシュマロまで作り上げた母上と料理人はつくづくすごい。
でも、完成品に名前を付けたのはたぶんルクくん。『あ、プリン!』とか『これ、クッキー!』とか、前世のオレがそう呼んだから、この世界で初めて作られたそれらのお菓子がそう呼ばれるようになったような……。
にしても――すごい愛だよ。
今になって思い知る母の深すぎる愛だよ!
「ありがとう、母上。オレ、母上の子どもに生まれてほんとによかった!」
母上はにこやかに微笑み、オレの髪をいとおしげに撫でた。
「では、今のそなたを妾が七年前に産みしとすることに、異論はあるまいな?」
「は?」
兄上が「なるほど」と頷く。
「この七年の皇太后陛下の不在を、御本人の体調不良によるものではなく、早産によって産んだ子の成長が遅かったためとするわけですね」
「名はルク――ルクレリアじゃな。皆が勝手に皇女だと思うであろう」
「は?」
あまりの展開に唖然茫然。なのに、兄上は平然と言う。
「ルクレリア、私のことは兄上でいいよ」
「や、でも、そりゃ、皇女なら問題はちょっと先延ばしできるかもしれないけど……オレ、一生、女装ってわけには――」
「母上の娘がどんな格好をしていようと誰も気にしないし、いずれにせよ、おまえが公の場に出るのは一度だけだろう」
確かに母上はドレスなんてろくに着ない。
そのくせ前世も今もオレにやたら可愛いフリフリドレスを着せる。だからルクレオンが皇女説も一部で根強く残ってたけど……。
「……一度だけ?」
オレの疑問に、答えたのは母上だった。
「まずは妾と共に帝都へ向かい、皇族としての諸儀をつつがなく果たさねばなるまい。その後はここでもいいが、より温暖の地に移り住むも、旅に明け暮れるも、そなたの心のままにすればよい。そなたが成人に至るまで、妾がスレイアに代わり、母としてその成長を見届けん。その後は――皇族・貴族・平民、いずれの道を選ぶも、そなたの自由とせよ」
どうやらオレの未来はそれなりに明るいらしい。
だけど、ルクレオンからルクレリアって、前世以上にそのまま花の名前で、完全に女の子の名前!
テーブルの上で寝ているキイロの黄色い腹が目に染みる。安易なネーミングって、ブーメランみたく返ってくるんだね……。
まあ、でも――…。
「オレ、灰ネズって呼ばれて、ちゃんとした名前付けられてなかったけど、逆によかった。また母上に名前付けてもらえたから」
ただの素直な気持ちだった。
だけど、この瞬間、兄上と母上は決意したらしい。帝国の仕組みと考え方を根底から変える大改革に踏み出すことを――。




