第15話 それを愛と普通は呼ぶけど
兄上に抱っこされたまま山の上の本館へ向かうあいだ、驚くほど誰にも会わなかった。
母上がそう手配してるんだろう。あの人の采配は、こういうところで完璧だ。
確かにここなら夢のスローライフができるのかもしれない。
空気はいいし、景色もいいし、温泉あるし! でも、オレの場合は自給自足じゃなくて、裏で全部面倒みてもらう形だけどね!
「こちらでお待ちになっておられます」
玄関で出迎えてくれた侍女長が、深く一礼した。
案内されたテラスでは、母上がテーブルの上の黄色い物体に餌付けしていた。
(やべー……存在、完全に忘れてた!)
キイロ。
兄上の赤い竜に興奮して飛んでったとき、オレの肩から落ちたっぽい。今は母上の手に懐いて、オレのほうを見向きもしない。
いや、でもさ……オレ、こいつ要る?
兄上の竜とまではいかなくても、どうせ飼うならもっとでっかいもふもふがいい。
この世界には竜に類するファンタジー生物がいるんだし、定番はフェンリル? 馬系の魔獣だって乗れる分、この大食らいの役立たずよりよっぽど使える!
――なんて考えたせいか、兄上が席に着いた瞬間、キイロがオレの肩に飛び乗って、「ピピ―ッ!」と自己主張。
え? オレの現在地? もちろん兄上のお膝抱っこです。
兄上は侍女長が置いていったジュースをオレに手渡しながら、首をかしげた。
「この黄色いものは何だ?」
でも、その疑問は母上の一言で吹き飛ぶ。
「遅い」
兄上の太腿の筋肉がオレの尻の下でピクリと動いた。
「……事情も知らせず、『今すぐ来い』とだけ連絡があったのは昨日の夜のことですが?」
兄上の言う“連絡”ってのは、庶民が使う通信魔法の風伝じゃない。風の精霊に声を預けるアレは気まぐれすぎて、皇族の連絡には向かない。
母上が兄上に送ったのは、たぶん光文だ。
水晶鏡の中で光の精霊が文字を組む、皇族専用のガチ通信魔法。呪文が長すぎて、オレは一生使う気になれないやつ……。
でも、昨日の夜で、今日のこの時間。
普通の飛竜で帝都から休みなしに全力で飛んでギリギリ。
とはいえ皇帝専用の聖環飛竜なら、半分どころか数分の一の時間で着く。
だけど、兄上は今、皇帝陛下。『今すぐ来い』の一言で即飛んでくるわけにはいかないよね。いや、父上はそうしてたけど。母上の無茶ぶり、最優先にしてたけど……。
「吾子が目覚むる前に話を終へておきたかりしが……致し方あるまい」
母上はふうっと大きく息を吐いた。
その仕草ひとつで空気が変わる。優美で、本心はまったく読めないけど、相手が皇帝だろうが容赦なく、上下関係をきっちり思い知らせる感じ。相変わらず、パねぇ……。
兄上、たぶん顔色は変えてないけど、太腿から緊張感が伝わってくる。
「――っ、母上! オレ、話に参加したいから! オレのいないとこで終わらせられると困るから!」
オレはジュースを両手で抱えて、はいはい! と割って入った。
だけど――、
「そなたには、そなた自身の問ふべきことが別にある。まずは確かめておくぞえ。……体調は如何に?」
「え?」
「昨日の朝より殊更変はりたるところは見えぬが、あれほどの御業を振るうたのじゃ。そなたが再び精霊の御許へ還るのではないかと、妾はずっと案じておったぞえ」
(――バレてーら!)
藪蛇どころか、完全におとぼけ失敗! 精霊のせいにできなかった!!
兄上がそっとオレの肩に触れた。
「ルクス、おまえ、何をした? いや……皇太后陛下の御声に張りがあるのは、おまえに会えた喜びだけではあるまい」
兄上も母上も外面すごいから、感情予測なんて時間の無駄。
でも、まあ、なんとなくの雰囲気からして、叱られモードじゃないかも……? つーか、この二人相手に嘘もごまかしもムリだしね!
「え、えーと、その、ちょっくら母上の魔力核、再生しました」
「妾の魔力核とな? 魔力核とは、いかなる理を指すのじゃ?」
「あー、その、丹田にある霊核って言われてるやつ。オレ的にはちょっと違ってて……」
喉が渇いた。風呂上りに水分補給してないし。
オレはまずリンゴジュースを一気に飲み干してから、あれやこれやを総ざらい説明する。
前世で異世界の記憶持ちの転生者だって話したときは、科学魔法と精霊魔法の違いとか、根本的な考え方の差が大きすぎて、いかにオレが皇帝に相応しくないかって弁明に終始した。
だから、魔力核とか魔素の流れとかの具体的なことには触れてない。
なので、まずオレの思う魔素について。それから霊核と魔力核の違い。母上の魔力核の再生に関して、イメージごり押しでなんとかなったことをたどたどしく明かす。
「――あ、でも、昨日のって、魔力の消費はそんなでもなかったんだよ。眠くなったのは体力ってか、たぶん頭の使いすぎ? うん。ちょっと疲れただけで、オレ、もう元気だから!」
「ピピッ!」
キイロの絶妙な相づち。
(おお、相棒! おまえ、たまには役に立つじゃん!)
と思ったら、兄上の怜悧な声が落ちた。
「……霊核を精霊の加護ではなく、魔力を生み出す臓器そのものだと再定義するには、神殿の力が強すぎるな」
「既得の権に縋り、己が利のみを守らんとする輩に、変革など望むべくもなかろう。朽ちた枝は断ち捨て、若き芽を育むこそ、来たる世を支ふる道よ」
母上の言葉は神殿だけでなく貴族にも向けられてるっぽいのはわかるけど、ヤバい! この二人、世界を変えそう!!
オレは慌てて頭と手をぶんぶん振った。
「や、公表しなくていいから! てか、むしろ秘密でお願い! オレ、問題起こしたいわけじゃないし! 母上じゃなかったら……兄上でもするかもしんないけど、でも、こういうの、だれでもするわけじゃないから! 相手は選ぶから!!」
そして、ずっと気になってたことを思い切って尋ねる。
「――てかさ、むしろ、母上、なんで今まで生きてたの? 魔力核がなくなったら死ぬはずなのに……ってことは、オレの理屈が間違ってる?」
母上は静かに瞼を伏せた。
「いや、そなたは正しき理を述べた。妾の命を救ひしはサルヴァリオンの献身。そしてこの七年、妾の命を繋ぎとめしは……サルヴァリオンの執念の生み出した奇蹟にほかならぬ」
そこから語られたのは、まさに父上の執念だった。
父上が母上に贈った聖光樹と光花の香水は、沈黙した霊核の座に微かな光を灯し続けていたという。
そして、同じく父上が贈った腕輪に仕込まれた解毒魔導陣が、乱れた霊路を整え、霊毒が全身に回らないよう支えていた。
医師たちはそれを「霊核の残した加護の糸」と説明したらしい。
だが実際は──魔力核を失った身体を外側から支える“外付け炉心”と“排熱装置”だった。
聖光樹の森は帝都グラン=テラシアの中心に広がる神域で、主樹と数千の若木が世界の魔力循環を担っている。
そこに入れるのは皇族と聖樹守だけで、採れる素材は自然に落ちた落ち葉、小枝、そして主樹の葉に宿る朝露だけ。それらを蒸留して作られるのが、皇帝のための聖光樹の香水だ。
そして──主樹の根元、毎年場所の変わる“光脈”に咲くのが光花。
夜明け前のわずかな時間だけ光を宿して咲き、触れれば光の粒になって消える。
ただ、朝露に触れた花弁だけは形を保ち、乾くと光の粉になる。その粉が、皇后のための特別な香水の甘い光の余韻を生む。
聖光樹の清らかな光と、光花の光の安定魔力。
そこに父上から贈られた腕輪の魔導陣が加わって、母上の命は七年も延びた。
けれど、父上は治療のためにそれらを贈ったわけじゃない。
母上が大怪我するずっと前に、ただ母上を想って贈っただけだ。
結果としてそれが、科学的に見ても極めて合理的な延命装置になっていた。──この世界の医師や治癒魔法師からすれば、まさに“精霊の奇蹟”としか言いようのない形で。
「すっげー! 父上、ほんっと母上のこと、愛してたんだね!」
オレの感動を、母上は一刀両断した。
「今のそなたが、あれとスレイアの子でもか?」
「は?」
意味が、わからない……。
あれって父上のことだよね? でも『スレイア』ってどちら様……?
脳みそが情報処理を放棄し始めたところで、兄上がオレの髪を撫でながら補足してくれる。
「母上の近衛騎士に、そのような名の者がおりましたね。銀の髪と瞳を持つ、ノルドガルド出身の娘であったかと」
(ちょ、待って。近衛騎士? 銀髪? 娘? え、だれ? オレの知らない父上の女? いやいやいやいや……!)
「その銀の髪、そしてこの地に縁ある者で、七年前、そなたを生む可能性のあった者は他におらぬ。魔の森にて兄が消息を絶ち、家督を継ぐやもしれぬと急ぎ帰郷し……その後、病にて亡くなったと聞き及んだがの」
(情報量! 情報量が多い! 母上、ちょっと待って! オレのCPUが煙吹く!)
母上は深緑の瞳にわずかな陰りを宿し、淡々と続けた。
「当時の妾は、深く気に留むる余裕もなかったが……先日、改めて確かめさせたところ──スレイアの兄嫁なる者ならば、スレイアの子をノルドガルド第十二児童管理院に捨てたとしても、おかしゅうはなきとのことじゃ」
(兄嫁!? 兄嫁ってなに!? なんで兄嫁が出てくるの!? てか、なんでオレが捨てられる前提で話が進んでるの!?)
母上の言葉に、オレの思考は真っ白になった。いや、真っ白どころか、もはや初期化された……。




