第14話 赤って最強だよね?
※兄登場!
ヴァルムホルン離宮は皇族の私有地だ。
当然、部外者は立ち入り禁止で、敷地全体に魔導具の結界が張られている。
だけど、この世界の魔導具って、精霊へのお祈り魔法。皇族にとっての脅威となる存在を弾くように設定しても、精霊の判断基準って人間とズレてる。
洞窟にいた血翼仔蝙がいい例だ。単体なら子どもでも倒せる小型魔獣を脅威とみなす精霊はいない。
で、その結界を今のオレが普通に通れたのは、たぶんルクレオンと灰ネズの魔力が同じだから。
自分がどうやって転生したのかは知らないけど、前世と同じ魔法が使えてる以上、前世の魔力核がそのまま再生されたって考えるべきだろう。
まあ、そういう奇蹟が起こっても不思議がないくらい、ルクレオンはこの世界で精霊たちからめちゃくちゃ愛されてた。
オレ本人というより、オレの魔力? 精霊にとってはご褒美とかご馳走とか、そういう次元を通り越して、究極の嗜好品。中毒性のあるヤバい美酒らしい。
ぜんぶの精霊から好き好きって祝福されてるんだから、当然オレは全属性持ち。
もちろん、どんな大掛かりな精霊魔法だって使える。
ただ、どうなるかはオレにも精霊にも読めない。
まず、あの長いお祈り呪文を一言一句間違えずに正しい発音で唱えられたためしがないし、精霊側はオレの魔力に酔っぱらって、すぐ暴走する。
結果はだいたい大災害。後始末が超大変!
だから、オレは精霊魔法を使わない。使わないのが一番、楽だ。
そんな具合で役に立たないことも多い精霊様の結界だけど、さすがに飛んで来たのが野生の竜とかだったら弾くはず。少なくとも、警告めいた現象は起こると思う。
だけど、そういうの一切なしに、静かに湖畔に降り立った深紅の竜――。
「かっけー! 赤い竜だ!!」
テラスの椅子から飛び降りたオレは、勢いのまま空へ跳ね上がり、赤い巨影へ一直線に飛び込んだ。
ひとことで『竜』って言っても、いろいろある。
まず、本物の竜。あれはもう生き物ってより、半分精霊。気まぐれで、魔力の塊みたいで、怒らせたら国ひとつ消える。自然災害に翼が生えたような存在。
次に、飛竜。こっちはちゃんと生き物。魔物と違って死んでも魔石を残さないし、群れを作って繁殖もする。知能も犬や馬くらいはある。雛の頃から育てれば人にも懐くから、軍で乗り物として使われるのはだいたい飛竜。
そして――テラグリウス帝国だけに存在する、特別な『聖環飛竜』。
見た目は飛竜っぽいけど、大きさが倍で、中身は竜寄りの半精霊。皇帝の魔力と同調して生まれ、その皇帝が死ねば光になって消える。皇帝一人につき一体だけ現れる、完全に聖獣枠の存在だ。
父上の聖環飛竜も、歴代皇帝の絵姿に描かれてた聖環飛竜も、みんな金緑の光をまとっていた。
それが皇帝の竜って、帝国の常識。
今、オレの目の前にいる巨大な竜は――けれども紅い。
白銀の鱗の奥で赤金の光が脈打ち、光翼は畳まれているのに、縁からこぼれる光だけで空気が揺れる。
長くしなやかな首がゆっくりと動いてこちらを向いた。
その大きな瞳は金に輝く緑色――金緑。縦長の光彩が深紅の光を受けてすっと細くなり、また開く。金と緑と赤が重なり、光の中で揺れる宝石みたいにきらめいている。
「すっげー! かっけー……!」
まさに開いた口が塞がらない。ぽかーんとするオレに竜の鼻が近づいてきた。
赤金に染まった鼻先。触ったらあったかそうだなと手を伸ばしかけたとき、長い首の向こうに“人”が見えた。
深紅の光に照らされた長身の男性。
純白の外套は赤く輝き、ひとつに束ねた金髪が炎のように揺れている。腰には豪奢な紋章剣。他者を寄せつけない冷ややかな威圧感が全身から漂っている。
男性の視線はまっすぐこちらをとらえていた。冷峻な眼差しなのに、その金緑の色がどうしようもなく懐かしい。
「…………う…」
気づけば、体が前へ前へと。竜の頭の横をすり抜けて、ふらふら誘われるように近づいた瞬間、強く引き寄せられた。
「――おかえり、ルクス」
低く静かな美声が耳元で落ちる。
女装した大きさ三歳児の今のオレに、『ルクス』だって。
そう呼ばれたら、もうこの場合、こう答えるしかないよね?
「た、ただいま、兄上」
一番上の兄ちゃん、ヴェルサディスは昔から立派な皇太子だった。だけど、今はもう“完成された皇帝”って感じになってる。
年齢は確か三十一歳。若い頃の端正さはそのままなのに、年齢より老けて見えるくらいの渋みが加わって、圧が、オーラがすさまじい!
だけど、片腕に座らせたオレの口元を、さっと取り出したハンカチで拭ってくれる手つきは相変わらずだ。
「あ、ごめん。オレ、よだれたらしてた? 兄上の赤い竜、すっげー、かっこいいね! オレ、びっくりした!」
兄上の目元がわずかに細められた。
「気に入ったか?」
「うん! 皇帝専用の赤い飛竜って、すっげーかっけー!」
「そうか。おまえに見せられてよかった」
なんとなく、思い出す。いつだったかは覚えていない。
でも、兄上のマントをぐいぐい引っ張ってた気がするから、たぶんすごく小さな子どものころ――。
『ヴェルにーちゃんのが、いちばんかっけー! やっぱ、あかいのが、さいきょーって、かんじする!!』
……赤が最強なのは前世のアニメの影響なんて、オレはこの先、口が裂けても言わないぞ!
皇帝になるべく育てられて、帝王学の生き字引きなヴェルサディス兄上。
何事もザルで済ませる父上や、いつ死ぬかわからない虚弱児を見守りモードだった母上に代わって、
「おまえは皇族としての自覚が足りぬ」
真面目で長男な兄上は、末弟に皇族の常識を説き聞かせる損な役回りを押し付けられてた……。
あげく、皇帝代理として最後の最後までルクレオンに言いたくないことを言わなきゃいけなかった。
オレがいなくなってからも、この七年、仕事が大変だったんだろうなって感じの苦労が、おでこの皺として定着しそう! まだアラサーなのに!!
えへっと笑って、オレは手を伸ばす。
おでこには届かなかったから、兄上のほっぺたにぺたっと触れた。でも、筋肉? なめらかだけど、なんかめっちゃ固い!
「ヴェル兄上! オレ、兄上にまた会えて嬉しいよ!」
「ああ、私もだ、ルクス。……こんなに小さくなって」
せつなげに低められた声に、ぶんっとかぶりを振る。
「小さいは禁句! オレ、すぐ大きくなるし、今度は兄上よりでかくなるから!!」
兄上は小さな姿のオレを映した双眸をやわらげ、一度軽くまぶたを伏せた。
赤金の光が足元に走り、竜の背から地面へ細い道が伸びる。
片手にオレを抱いたまま、兄上は聖環飛竜の魔法による光の道を降りる。そして、地上へ着くと大股で歩き出した。
「小さいおまえも可愛いが、その口振りでは今度こそ女として生まれてきたわけではないようだ」
歩きながら言う兄上は、どうやらオレを降ろす気がないらしい。
ここから山の上の建物まで子どもの足で歩くのは確かに遠いけど、一応主張しておく。
「ちがう! オレ、男だし、七歳だからね。三歳じゃないから!」 「……なるほど。ちなみにおまえがここに来たのはいつだ?」
「え? えと、たぶん一週間くらい前? でも、なんかずっと寝たり起きたりってか、ほとんど寝てて、ちゃんと目が覚めたのは今朝かなぁ?」
「そうか。一週間前か……」
兄上は小さく息を吐いた。
そういえば、兄上は皇帝陛下で、この国で一番偉くて忙しい人だ。なのに、ここに一人で来るなんてありえないけど……。
「兄上は――母上に呼ばれて来たんだよね? まさか、父上みたいに一人で勝手に抜け出すなんて、ヴェル兄上に限ってないよね? 護衛騎士は?」
「そのうち来るだろう」
「そのうちって、いつ!?」
周囲をいくら見回しても、広い空には飛竜の影どころか雲ひとつ見当たらない。
と――湖畔にたたずむ巨大な竜と目が合った。
その澄んだ金緑の瞳は“行ってこい”とでも言うように、深紅の光をまたたかせていた。
「見送ってくれてるのかな?」
思わずつぶやくと、兄上が歩みを緩めずに答えた。
「あれもおまえが気に入ったのだろう」
(――やっぱ、赤が最強!)
オレは思いを強くした。




