第312話 越三同盟
家康から上杉弾正少弼輝虎宛の起請文を託され、越後へとんぼ返りすることとなった使僧・叶坊光播が春日山城へ到着したのは十月二十五日のことであった。
八月下旬に初めて春日山城を訪れた時よりも寒さが一層厳しくなった時分であったが、叶坊光播は本格的な冬が到来する前に使僧の役目を全うしてみせるとの一心で越後までの長き道のりを踏破、無事に春日山城へ入城したのである。
徳川三河守家康からの使僧・叶坊光播が家康からの起請文を携えてやって来たとの報告を受けた上杉弾正少弼輝虎は喜色満面で大広間にて叶坊光播と対面した。
そんな輝虎とともに叶坊光播を出迎えたのは徳川家との担当取次を務める河田豊前守長親、直江大和守景綱と、輝虎の猶子・村上源吾国清の三名であった。
「上杉の御屋形様におかれましては、ご機嫌麗しく。上野侵攻を控えた大事な時期にお目通りが叶いましたこと、嬉しく思います」
「貴僧も変わりないようで安堵いたした。たしかに上野への出陣を控えておるが、それ以上に三河守殿との結びつきは大切なこと。それゆえにこうして面会することを決めた」
「そのお言葉、徳川様がお聞きになられればどれほどお喜びになられることか。その徳川様からの起請文はこちらとなりますゆえ、ご披見くださいませ」
輝虎は河田豊前守を介して叶坊光播が携えてきた家康の起請文を受け取ると、ただちに開封して内容の確認を急いだ。
敬白 起請文
右、今度愚拙心腹之通以権現堂申届候之処、御啐啄本望候事
一、信玄手切、家康深存詰候間、少モ表裏打抜相違之儀有間敷候事
一、信長・輝虎御入魂候様ニ、涯分可令意見候、甲・尾縁談之儀モ事切候様ニ可令諷諫候事
若此旨於偽
上梵天・帝釈・下四大天王、惣而日本国中之大小之神祇、別而伊豆・箱根両所之権現、三島大明神、八幡大菩薩、天満大自在天神之可蒙御罰者也、仍件如
十月八日 家康(花押)
上椙殿
家康からの起請文を読んだ輝虎は内容に満足したのか、笑みをこぼす。その様子に叶坊光播も安堵するとともに、輝虎からの言葉を待った。
「三河守殿からの起請文、確かに受領いたした。これにて我も心置きなく相模守殿からの要請に応えて上野表へ向かえるというもの」
「おそらく徳川様は上杉の御屋形が上野へ出陣されることをまだ存じ上げておりませぬ。拙僧はすぐにもこのことを報せるべく、帰国の途につきたく存じます」
「そうか。三河守殿によろしくお伝えくだされよ」
「はい、それはもう」
輝虎との会見は上首尾に運んだ。この家康からの起請文が受理されたことをもって、めでたく徳川家と上杉家による越三同盟は成立となったのである。
「して、我が耳にしたところでは三河守殿は弾正忠殿とともに畿内に在陣しておられるとか」
「はい。公方様からの要請に応じての出兵となります」
「そのことは存じておる。されど、四国からは三好の軍勢二万、北陸からは朝倉と浅井の軍勢三万が攻め寄せ、南近江では六角が蜂起し、苦戦しておると聞く」
耳の速さはさすが軍神・上杉弾正少弼輝虎であると叶坊光播は舌を巻いた。一体どこまで見通しているというのか、叶坊光播は探ってみたくなるほどに。
「越前の動きが伝わるのは早いゆえな。朝倉が動いたというのに加賀の一向一揆が静かなのは、本願寺が挙兵したことと関わりがあるのであろう。差し詰め、本願寺と朝倉は通じておる。それも、織田家を打倒せんがために」
「お、恐らくはそうでございましょう。まるで示し合わせたような動きに、幕府軍は後手に回っておりますれば」
「なれば、本願寺が次に通じる相手は誰であると貴僧は見る」
「武田……にございましょうか」
叶坊光播の返答は当てずっぽうであった。しかし、その返答は正解だったらしく、輝虎は不気味な笑みを浮かべる。
「その通りよ。豊前守、越中のことも含めて伝えておくがよい」
「はっ!」
主君・輝虎の言葉を引き取るように、上杉重臣・河田豊前守が叶坊光播へ説明を始める。
「某は越中に在国することも多く、その動向には詳しゅうございます」
「それは存じております。それゆえに、越中のことが畿内や武田と結びつくのは何故か、ご教示願いたく」
「越中や加賀の一向一揆に檄を飛ばすことができるのは石山本願寺の法主、顕如であることは言うまでもない」
「いかにも。それゆえに、加賀の一向一揆は朝倉と争うのをやめたのでございましょう」
浄土真宗のまとめ役である顕如が一度檄を飛ばせば、加賀や越中の一向一揆は言うことを聞くことくらい、叶坊光播も常識として理解していた。その前提条件の確認が済むと、河田豊前守は説明を再会する。
「その通り。そして、その顕如の室は三条公頼の三女である如春尼であることはご存知ですかな」
「はい。そのことは存じております」
「では、如春尼の姉にあたる三条公頼の次女は誰に嫁いでいるのかは存じておりますか」
「それは武田信玄――」
武田信玄の名を口にした刹那、叶坊光播の脳内ですべての情報が連結する。そう、武田信玄と顕如は妻同士が姉妹、いわゆる相婿の間柄であった。だからこそ、次に顕如は武田信玄と通じようとすると、輝虎は喝破していたのである。
「弾正忠殿は随分と信玄めと同盟を維持したがっておるが、はたして信玄はどう思っているであろうか」
「上杉の御屋形、それは……!」
「我は越中での一向一揆が勢いを増しておるのは、信玄から顕如へ要請があったからだと見ておる。弾正忠殿に敵対する顕如へ要請する信玄めの心やいかに?」
輝虎の発言に叶坊光播は寒気を覚えた。それが事実であるならば、信玄は家康だけでなく、その同盟者である信長に対しても見切りをつけているのは間違いないのだから。
「このことを我から申しても聞き入れまいが、三河守殿の口からならば弾正忠殿も聞き入れるであろう。是が非でも甲尾の縁談が破談となるように働きかけてもらいたいと、三河守殿へお伝えあれかし」
輝虎の言葉は織田・徳川両氏に対しての警告ともいえる内容であった。その輝虎の推測を信長・家康の両者が信じるかはともかく、まずは家康に伝えねばならないと叶坊光播は焦燥感に駆られることとなった。
ともあれ、使僧としての役目を果たした叶坊光播が三河へ帰国するべく、春日山城を出立しようとしていると、それを背後から呼び止める青年の姿があった。
「待たれよ」
「たしか貴殿は……」
「上杉弾正少弼輝虎が猶子、村上国清にござる」
そう、叶坊光播を呼び止めたのは輝虎の猶子となっていた村上国清であった。彼の父は十七年前の天文二十二年八月に武田信玄よって信濃国埴科郡葛尾城を奪われた村上義清である。
その息子である村上国清は信濃の本領復帰を宿願として武田信玄打倒を志す齢二十五の若武者であった。
「これは村上殿。たしか吉田城の酒井殿へ書状と鷹をお贈りになられたと耳にしましたが」
「さすが、存じておりましたか。いかにも、徳川家の家老である酒井左衛門尉殿へ書状と鷹を贈り、つい先日礼状をいただいたばかりにござる」
「おお、そうでございましたか」
「此度の越三同盟は憎たらしいことこの上ない武田信玄を打倒せんがためのもの。武田を打倒することは夢のまた夢と思い、諦めかけていた折に徳川家から当家へ同盟の申し入れがあったことを受け、本領復帰に光明が差したと思い、酒井左衛門尉殿に書状と鷹を贈ったのでござる。貴僧を呼び止めたのは、三河に戻られたら酒井左衛門尉殿にもよろしく伝えてもらいたいと思ったからじゃ」
「なるほど、左様にございましたか。然らば、村上殿からのお言葉、しかと吉田城の酒井殿にお伝えいたしましょう」
叶坊光播は武田信玄の打倒に燃える若武者・村上国清からの伝言を受け取ると、その足で越後を出立するのであった。
そんな叶坊光播の三河帰還は十一月上旬となるが、家康がまだ畿内に留まっているため、家康との対面は今しばらく先のこととなる。
一方その頃、畿内に在陣中の家康は信長と協力して政情安定に尽力していたが、そう簡単に事態は好転しなかった。
しかし、元亀元年十一月中旬に入ってから事態は着実に好転し始める。
十一月十二日に大和の松永弾正久秀の仲介により信長は三好三人衆の一人・三好長治との交渉を開始。六日後の十八日に講和を成立させ、松永弾正と篠原長房との間で人質が交わされたのである。
それからさらに三日後の二十一日にも大きな動きがあり、その場面に家康も立ち会うこととなる。近江国志賀に在陣する信長の陣を六角承禎が訪ねてきたのである。
「弾正忠殿、お初にお目にかかる。六角家先代当主、六角承禎にござる」
「おお、承禎殿。ご足労いただき、まことかたじけない」
かつて足利義昭を庇護したが、結果的に上洛戦では信長と争うこととなった六角承禎。そんな六角家先代当主が信長のもとへやって来たわけは何か。それはひとえに和睦のためであった。
家康の眼前で対面した織田弾正忠信長と六角承禎の両者が和睦するに至ったのは、他でもない将軍・足利義昭の仲介によるものであった。
長期戦となり、戦局が己にとって不利であると判断した信長は将軍・足利義昭に依頼して南近江で抵抗を続ける六角家との和睦に踏み切り、今日の対面が実現したのである。
「此度は公方様の顔を立てて、我ら六角勢は甲賀へ撤退いたす。つきましては和睦を締結し、矛を収めることとしたい」
「承禎殿からの申し出、信長としても異議はござらぬ。これにて和睦成立とし、戦は終いとしましょうぞ」
信長と六角承禎は陣中にて起請文を取り交わし、和睦成立を確認し合った。晩夏より続いた南近江での合戦はあえなく終幕となり、信長は三好に続いて六角との停戦を実現させ、敵を本願寺と浅井・朝倉に絞ることに成功したのである。
「弾正忠殿。六角との和議成立、心よりお祝い申し上げまする」
「三州殿。ひとまず南近江での戦は決着いたしたゆえ、心置きなく帰国なされるがよい」
「されど、まだ比叡山に敵が籠っております。それを放って帰路につくなど……」
「案ずることはない。もはや浅井も朝倉も戦う気力をなくしておろうで、直に戦も終わるであろう」
思いがけず長陣となった家康を本国へ帰還させようとする信長であったが、そこへ一大事を告げる早馬が駆け込んでくるのであった。
「申し上げます!」
「何事か!」
「本日二十一日、伊勢長島にて蜂起した一向一揆勢が突如として小木江城に攻め寄せ、織田信興様は自刃と相成りました……!」
「なにっ!弟が!」
顕如が飛ばした檄に応じた伊勢長島の一向一揆が蜂起し、信長の弟・信興を討ったとの報せは信長の心をえぐった。
信長が近江国に釘付けになっているのを好機と判断した伊勢長島の一向一揆の蠢動。これを伝え聞いた浅井・朝倉連合軍は息を吹き返し、五日後の二十六日に近江堅田に攻め込み、織田軍を敗走させる事態となる。
そんな苦戦を強いられる盟友を捨て置けるものかと家康も在陣を継続することを決めたが、当の信長としてはこれ以上戦を長引かせるのは危ういと見て取り、再び将軍・足利義昭の力を借りることとした。
窮地に立たされた信長からの依頼を受けた足利義昭は関白・二条晴良とともに近江坂本に下向し、条件交渉を進める運びとなった。
そんな征夷大将軍と関白が和議に向けての調停に乗り出した甲斐があり、浅井備前守長政は和睦に応じた。
比叡山延暦寺は信長を信用できないと和睦に応じない素振りを見せたが、十二月に入って天皇が綸旨を発給したことから和議に同意することを表明。
十二月十三日には朝倉方と織田方とで起請文と人質の交換がなされ、第一次包囲網と呼ばれる反信長の動きはひとまず収束することとなる。
「三州殿。此度は思いがけず長陣となったこと、まこと済まぬ」
「弾正忠殿、お気になさらないでくだされ。当家の軍勢は在陣していただけで、一兵たりとも失ってはおりませぬ。ひとたび出陣して一兵たりとも欠けることなく帰還が叶うこと、喜ばしいことこの上ありませぬ」
「かたじけない。この借りは必ず返すゆえ、何かあればすぐに報せてくれよ」
かくして家康は十二月十三日の織田・朝倉の起請文と人質の交換を見届けると、軍勢を率いて本国三河への帰路についた。
そんな家康が懐かしいかつての居城・岡崎城へ入ると、一足先に越後から帰国していた使僧・叶坊光播だけでなく、二年前に別れた身内とも再会を果たすこととなる――




