第308話 越三同盟締結に向けて
元亀元年八月二十二日。春日山山頂に築かれ、天然の要塞を持つ難攻不落の城・越後国春日山城。夏の暑さで山上の雪もすっかり解け、山も秋を感じさせる色合いになっていた。
そんな春日山城へ、遠く三河国岡崎より一人の僧侶がやって来ていたのである。
「ほう、そなたが徳川三河守殿よりの使者であるか」
「はい。徳川様からの依頼で、上杉の御屋形への使者を務めることとなった、叶坊光播にございます」
大広間にて一人の僧が一礼するのを、上座にて睥睨するのは齢四十一となった六尺近い偉丈夫。そう、この春日山城の主にして、関東管領職を幕府から認められた上杉弾正少弼輝虎その人であった。
その輝虎から一段下がった位置に控える齢十七の美少年は半年前に輝虎の養子となった北条三郎改め、上杉景虎。そして、そのさらに下座に瞠目して控えているのは齢六十二となった上杉家の宿老・直江大和守景綱であった。
「して、此度の用向きを伺いおきたい」
主君・輝虎に代わり、使僧に対して質問したのは宿老・直江大和守であった。鬢髪もすっかり白くなってはいるが、その眼光は鋭く、長らく内政・外交に辣腕を振るってきた傑物であることを物語っている。
そんな上杉家宿老の眼光に怯えることなく、使僧・叶坊光播は家康より託された用向きを毅然とした態度で述べていく。
「仰る通りにございます。まずもって、徳川様は懸川を包囲していた頃から音信不通となりましたことを謝りたいと申しておりました。そして、此度使者を派遣するに至ったのは、武田信玄をこのままのさばらせておくわけにはいかぬと、徳川様が決意なされたからにございます」
「ほう、三河守殿もご決意なされたか」
「はい。遠江侵攻の折より、武田は信用できぬと事あるごとに申しておりました。そして、上杉の御屋形が小田原の北条氏と同盟を締結なされ、武田との戦を推し進めておりますのは遠く三河まで届いており、徳川様もその一角に加わりたいと、かように申しておりました」
よもや、三河・遠江の徳川三河守家康から信玄の悪口を聞くとは思わなかった輝虎は笑みをこぼした。北条と越相同盟を締結したのは武田信玄を打倒するためであり、徳川もその意思を同じくするならば、輝虎にとって家康はすでに志を同じくする盟友であった。
それまで宿老である直江大和守に叶坊光播の相手をさせていた輝虎であったが、ここへきてやり取りに口を挟んだのである。
「ふふふ、それは良いことを聞いた。我からも三河守殿へ問いたいことがあるゆえ、書状を出すとしよう」
「なんと!拙僧が窺っても良いことであらば、言伝を承りまするが」
「言っても構わぬが、正式な文書でもって三河守殿へ伝わるようにしたい」
「承知いたしました。徳川様は新たに完成する居城の遠州浜松と三州岡崎を行き来しておりますゆえ、ひとまず三州吉田城におります家老の酒井左衛門尉忠次もしくは懸川城に在番しております松平左近丞真乗へ宛てて書状を出していただきたいとのこと」
関東管領職を継承した上杉弾正少弼輝虎へお願いすることになるため、使僧・叶坊光播は恐る恐る言上したのだが、存外輝虎は気にしていない風であった。
「三河守殿からの申し出、しかと承った。ならば、我から酒井左衛門尉、松平左近丞の両名へ書状を出すとしよう。加えて、覚書を出したいが、徳川家との取次である河田豊前守長親は越中に在国のため、そこにおる直江大和守景綱より出すこととしたい。この場合も酒井左衛門尉か松平左近丞のいずれかへ出せばよいか」
「はっ、その場合は懸川城に在番しております、家老の石川日向守家成へ送っていただきたいと徳川様は申しておりました」
「よかろう。ならば、大和守からの覚書は懸川城の石川日向守へ出させよう」
「何卒よろしくお願いいたしまする」
家康からの使僧・叶坊光播は家康から頼まれていた内容のすべてを輝虎へ伝え終えると、失礼のないようそそくさと退出していく。
そうして叶坊光播が春日山城を去り、八月中に何とか岡崎城へ戻って数日が経過した九月初旬。
浜松城への移転を控えて慌ただしくしている家康のもとへ、吉田城と懸川城より計三通の書状の写しが届けられたのである。
「殿」
「おお、八右衛門か」
家康のもとを訪れたのは使い番としてよく働く阿部八右衛門正広であった。齢二十一と若い阿部八右衛門は、家康の側近である阿部善九郎正勝の実弟である。そんな阿部八右衛門が持参したのは三通の書状であった。
「これは?」
「それぞれ懸川城の日向守殿と左近丞殿、吉田城の左衛門尉殿の使者が持参したものにございます」
「ふむ」
家康がどのような書状を送って来たのかと開いてみれば、酒井左衛門尉と大給松平家の松平左近丞からの書状は同じもので、それよりも遥かに石川日向守が寄こした書状の方が長文であった。
しかし、書状を一読した家康の目を開かせたのは、酒井左衛門尉と松平左近丞の書状の差出人の名だったのである。そう、関東管領・上杉弾正少弼輝虎の花押が記されていたのである。
「よもや叶坊光播の申しておった通り、上杉弾正少弼殿からの書状が左衛門尉と左近丞へ発されていようとは……!」
「して、内容やいかに……?」
「うむ。『輝虎は以後、無二に三州殿と手を結ぶ心づもりでいるので、取り成しを何卒よろしくお願いしたい』と記されておる」
取り成すも何も、上杉家との同盟は家康が望んでいるものであることを知る両名は、すぐにも書状の写しを作成し、早々に岡崎城の家康のもとへ送ってきたものらしかった。
「して、日向守殿からの書状は長いように見受けられまするが……」
「うむ。これは上杉家の重臣、直江大和守景綱と申す方からじゃな。なになに……」
家康は上杉重臣・直江大和守から家老・石川日向守へ宛てた五カ条に及ぶ覚書へと視線を落とす。そこには、こう書かれていた。
一、懇ニ不申承候条、無御心元由之処、態御使僧喜悦之由之事
一、権現堂口上之赴、御頼処由之事
付、信長・義景御一和、家康談合申度内意之事
一、信玄表裏親子好忠信誓詞血判おも不知事
一、相越先以一和、千言万句信玄を可討所存之事
一、彼口上、同信長御臆意肝心被存候、畢竟御塩味御徳出之御擬之事
付、河田豊前守ハ越中ニ在国候間、愚拙申入候
以上
八月廿二日 直江大和守
景綱居判
石川日向守殿
御宿所
一カ条目では家康からの便りがなくなって心配していたが、今回使僧を派遣していただけたことに輝虎も喜んでいると記されており、二カ条目では権現堂こと叶坊光播の口上を聞き、輝虎は家康を頼もしく思っていることに加え、織田信長と朝倉義景の和睦について家康の考えを知りたく、輝虎は話し合いを望んでいるとの旨が記されていた。
そして、三カ条目に記されているのは武田信玄は表裏、すなわち信頼できない人物で親子の誼も忠信も誓詞血判も知らぬ人間であると、信玄をあらゆる面で信頼できないと口を極めて罵る文面。
続く四カ条目には北条と上杉の一和の目的はただ一つ、武田信玄を打倒するためだけにあると明記され、五カ条目には織田信長の考えも重要であると輝虎は考えているので、そのあたりの調整を、起請文を取り揃えることも含めて調整をお願いしたいと記されていたのである。
室町幕府から甲斐・信濃守護の立場を認められた信玄のように己を見下すような書状かと思いきや、守護よりも格上の関東管領という立場にありながら輝虎は徳川のことを盟友として扱ってくれていることに家康は心の底から嬉しく思うと同時に、頼れる同盟相手であると感じてもいた。
「されど、殿。二カ条目に付け加えられております、織田と朝倉の和睦とはいかなることにございましょうや」
「そのことについてはわしにも分からぬ。されど、幕府の敵である朝倉と和睦するのであれば、弾正忠殿のことじゃ、必ず我らにもそのことを伝えてくださるはず。それがないということは、さしづめ朝倉、あるいは加賀や越中の一向一揆どもが流した虚説であろう」
そう、家康のもとへは織田が朝倉と和睦するなどという話はまったく聞こえてこない。織田と朝倉は私怨から敵対しているのではなく、朝倉は幕府に楯突く賊軍なのだから、幕府方の徳川に何の連絡も寄越さずに和睦するとは考えにくい。
そうした状況から家康は織田・朝倉の和睦は上杉を混乱させるための虚説であると輝虎へ報じることに決めた。
「それにしても、三カ条目は実に痛快じゃ。こうも罵られては、信玄など立つ瀬があるまい」
「まこと、その通りにございまする。されど、これほど口汚く武田を罵れる御仁も、この天下にそうはおりますまい」
「うむ。わしの見るところ、上杉弾正少弼殿と小田原の北条相模守氏康殿のご両所くらいであろう」
家康の見たところ、信玄に対抗することができ、信玄の行いを正面から糾弾して罵声を浴びせられるのは上杉・北条のみ。今やその両氏が武田信玄を打倒するために提携しているのだから、信玄を打倒するのにこれほど好都合な状況は徳川にとってないともいえる。
「ともあれ、上杉弾正少弼殿が弾正忠殿の考えも重要だと考えておることも踏まえれば、急ぎ使者を弾正忠殿へ派遣せねばなるまい。しかし、一体使者を誰にしたものか……」
家康が織田家への重要な使者を誰にするか、思い悩む。普段ならば交渉に長けた家老・石川伯耆守数正を派遣するところであるが、十日ほど後に浜松城へ居城を移転した暁には岡崎城で嫡男・松平次郎三郎信康を後見する役目があるため、上洛させるのは無理であった。
そんな折のことである。近侍の鳥居彦右衛門尉元忠が来客を告げるべく、家康と阿部八右衛門のいる書院へやって来たのは。
「殿、松平和泉守殿がお越しです」
「ほう、わざわざ大給より参られたか」
「はい。なんでも公家の山科様へ会いに京へ向かわれるとのことで、その前に殿へ挨拶がしたいと」
鳥居彦右衛門尉から松平和泉守親乗の名が出た瞬間、家康は扇子で一つ膝を打った。これまた実に都合の良いところで京へ行く者が現れたものだとばかりに。
「よし、和泉守に会おう。広間におるのか」
「はいっ!すでに通しておりまする!」
「よしっ、すぐにも向かう!八右衛門は元の仕事へ戻ってよいぞ」
家康は阿部八右衛門へ元の仕事へ戻るよう指示すると、鳥居彦右衛門尉を伴って秋風をきって書院から大広間へと移動したのである。
家康が平服のまま広間へ足を踏み入れると、それと同時に白髪頭が床へぶつからんばかりの勢いで下げられる。
その白髪頭の老人こそ、大給松平家先代当主にして現当主・松平左近丞真乗の実父にあたる松平和泉守親乗であった。また、松平和泉守といえば、家康が駿府に居住している折に政務を代行していた大伯母・随念院の実子であり、家康にとっては従伯父にあたる人物であった。
「和泉守、面を上げよ」
「はっ、殿におかれましてはご機嫌麗しく……」
「左様な堅い口上はいらぬ。此度は京へ赴かれると彦右衛門尉から承ったが」
ぴしゃり、と松平和泉守の口上を打ち切る家康。そんな若き当主の一言に素直に従い、松平和泉守は質問に答えていく。
「いかにも。交流のあります公家の山科言継様にお会いするべく、京へ向かうのでございます」
「それはちょうどよい。わしからの使いも頼まれてはくれまいか」
「使いと?」
よもや家康から使いを頼まれるとは思っていなかったのか、松平和泉守は頭に疑問符が浮かんでいるような、きょとんとした様子である。
「織田弾正忠信長殿への使者を頼みたい」
「なるほど。して、用向きはなんでございましょうか」
「そなたの倅、左近丞が取次を務めておる上杉家との同盟交渉について、弾正忠殿のご意見を伺ってきてもらいたい」
「なるほど、承知いたしました。用向きはそれだけでございましょうか」
「それだけじゃ。されど、当家の命運を左右することでもあるゆえ、信頼のおける和泉守へ頼みたいと思い、こうして呼び止めておる」
その言葉を聞き、松平和泉守は内心鼻で笑っていた。長らく宗家に従わず、独立独歩の姿勢を貫いてきた大給松平家が家康に従ったのは、六年前に過ぎない。それを信頼していると誇張表現することが、どうにも松平和泉守には裏があるとしか思えなかった。
これが五、六年前であったならば、家康のために働くつもりなど微塵もなかったが、息子が関わっているという上杉家との同盟交渉。これを破談にするような愚かな真似はできそうもない。
「然らばその大役、しかと果たして参りまする」
「うむ、頼むぞ。和泉守」
かくして松平和泉守は家康の密命を帯び、京へと旅立ったのである。




