第307話 信玄、駿豆方面へ出陣す
元亀元年八月。徳川家では嫡男・竹千代が元服して松平次郎三郎信康と名を改め、織田家では摂津にて挙兵した三好三人衆を攻めるべく戦支度が進められている頃である。
夏も終わりに近づきつつあるが、風通しは悪く熱気がこもりがちな甲府盆地では、盛んに戦支度がなされていた。
「御屋形様!」
「美濃守、氏真が駿河を退去したとは真のことであったか」
「はっ!先月のうちに駿東郡大平城を退去し、相州小田原へ移ったと多数の報せがございました!おそらく、駿河を取り戻すことは難しいと見切りをつけたものにございましょう」
「ふっ、ようやく諦めおったか。されど、深沢城と興国寺城は意気軒昂であると耳にしておるが……」
この元亀元年で齢五十を迎えた武田信玄は躑躅ヶ崎館の書院にて譜代の重臣・馬場美濃守信春からの報告を受けていた。
内容は今川上総介氏真がすでに駿河を退去し、相模に移ったとの風説が真であるか、それを確認するためのものであった。
結果としては今川氏真の駿河退去は真実であり、四月に正室・春姫が氏真の妹・貞春尼、氏真の伯母にあたる中御門宣綱後室とその娘などの今川家の縁者を引き連れて移住した相模国小田原に近い早川郷へ、氏真自らも移り住むこととなったのである。
この時点で、氏真は心の内で北条では武田に勝てないと見切りをつけ、相模へ退去したのだということは誰の目から見ても明らかであった。
「御屋形様、次こそは駿東郡を……!」
「うむ。されど、それにはまだ早かろう」
「やはり上杉にございますか」
――上杉。
馬場美濃守の口から飛び出したその言葉に信玄は苦々しく笑う。信玄は越後の上杉弾正少弼輝虎が甲斐守護よりも格上の関東管領として君臨していることを認めておらず、長尾姓のままで呼んでいるが、宿敵としてその実力を認めてはいたのだ。
そんな輝虎は北条相模守氏康の六男・三郎を養子として迎え入れ、己の初名である『景虎』の名を与え、上杉景虎と名乗らせるほどに気に入っているということは信玄の耳にも入っていた。
それが影響したのか、輝虎は将軍・足利義昭と共通の同盟者である織田弾正忠信長が仲介して成立した甲越和与を破棄し、信玄への敵対姿勢を再び鮮明にしたのである。
これにより駿河・伊豆と上野の二戦線で北条とだけ戦っていれば済んだものを、上杉が加わったことで上野では北条・上杉と争うこととなり、さらには北信濃へ上杉が進出してくることも警戒せねばならなくなった。
これは北条との戦で優位に立ち、駿東郡から北条軍を放逐すれば駿河全土の領有が叶うところへ漕ぎつけた信玄にとって由々しき事態。それだけに、決して喜べない事態であった。
「されど、御屋形様。一つ、気になることが」
「ほう、気になることとは何ぞ」
「はっ!実は北条の隠居が中風であるらしいと、小田原に潜らせておる複数の間者が申しておりました」
「なにっ、相模守が中風と……?」
馬場美濃守がもたらした北条家のご隠居・氏康が中風との報せに、信玄の瞳に光が宿る。北条家の当主はすでに北条左京大夫氏政に譲られているが、上杉家との越相同盟を推進したのは他でもない隠居の氏康なのだ。
その氏康は信玄よりも六歳年上の五十六歳。信玄よりも先に衰えが見え始めるのは当然といえば当然であった。
「ならば、ただちに駿豆国境の黄瀬川へ向かおうぞ」
「はっ!敵の動きを見て、噂が真であるのかを確かめられるのですな!」
さすがは馬場美濃守であった。信玄の短い言葉から何をしたいのか、的確に見抜き、戦支度を急がせるべく信玄のもとを離れていく。
信玄は良い家臣を持ったと独り言ちると、すぐにも戦支度にかかる。
今回の出陣はあくまでも北条と上杉の出方を窺う戦であるため、無理に大軍を編成することはせず、南信濃・甲斐・駿河から招集したわずか八千ほどの軍勢で駿豆国境の黄瀬川へ布陣したのであった。
「父上!先鋒の小山田左兵衛尉信茂殿の隊が渡河を終え、韮山城へ進発!これに山県三郎兵衛尉昌景殿の隊が続いております!」
「四郎、大儀。この戦、そなたが武田姓に復帰して初めての合戦ともなる。気張ってくるのじゃぞ」
「はいっ!」
どこまでも落ち着き払った信玄は『動かざること山の如し』を体現するかの如く、巌のようにじっと動かない。そんな父へ、嫡男・武田四郎勝頼が語りかける。
信玄の半分ほどしか生きていない武田四郎勝頼という若武者は血気盛んで、勢いに任せて進軍する癖があった。
その気性を知る信玄は素直に激励の言葉を贈る。もちろん、勢いに任せての戦も良いところはあるが、父として跡取り息子に危ない真似はしてほしくないというのも本性であった。
「父上はいかがなさいますか」
「儂はそなたが渡河したならば、本隊を率いて渡河いたす。後ろには美濃守も続くゆえ、いかなる敵が攻め寄せようと恐れることはない」
自信ありげに言い切る父を頼もしく思い、勝頼は獰猛な笑みを浮かべると山県三郎兵衛尉の赤備えに続いて黄瀬川を渡河していく。
武田菱の旗が下田街道を用いて進軍していくと、かつて氏真が在城していた大平城が狩野川の向こうに見え、街道から見て南方に韮山城を捉えられる地点へ着陣したのである。
この武田軍の動きに対し、韮山城では武田軍に如何にして対処するべきか、城将を任されている氏康の四男で氏政の同母弟にあたる北条助五郎氏規を筆頭に、氏康の養子となっている北条左衛門佐氏忠、大藤式部丞秀信や清水太郎左衛門尉康英といった重臣らが招集され、大至急軍議が開かれていた。
「よくぞお集まりくだされた。さて、本題にございますが、城すぐ北には武田信玄自らが指揮する武田軍八千が布陣。この城を攻めるつもりの様子にて、はてさていかがしたものでしょうか」
韮山城からも視認できるほどの距離に一部に赤は混ざっているものの、黒い塊が整列しており、明日明後日にでも城を攻め取りに来そうな戦意を漂わせていた。
この武田軍をいかに防ぐか、それがこの軍議の主題であった。そんな北条助五郎の発言に対し、間髪入れずに応答したのは伊豆水軍を指揮する清水太郎左衛門尉であった。
「すぐにも打って出て蹴散らすべきじゃと申したいところではあるが、それは我が子を蒲原城に討たれた私怨から生ずるもの。私心を排除いたせば、この丘陵に沿って縦に曲輪を連ねた造りを活かしての籠城よりございますまい」
さすがは北条家のご隠居・氏康から『康』の一字を拝領しただけの武士であった。齢三十九と年長であるため、最も老練な案を提案してくる。
そんな清水太郎左衛門尉は昨年十二月の蒲原城の戦いで嫡男・新七郎が武田軍と戦って討ち死にしており、気概だけで申したならば打って出て武田軍に戦を挑みたいところであったが、武田信玄が野戦名人であることは誰もが理解している。
それだけに怒りに任せて打って出るのが下策ですらないことを理解したうえで、籠城策を採択すべきと主張したのである。
「ふむ、さすがは太郎左衛門尉殿。して、式部丞殿はいかが思われますか」
「某も太郎左衛門尉と同じく、城の守りを固めるべきであるかと。ここにおる伊豆衆だけでは二千にも満たぬ兵数ゆえ、野戦などしてはまず壊滅でしょう」
「式部丞殿も籠城をと。やはり某と皆意見は同じでありましたか」
戦慣れした清水太郎左衛門尉と大藤式部丞の両重臣とも野戦ではなく、籠城すべきとの結論は割符を合わせたかの如く一致した。
そして、韮山城の守りを任されている北条助五郎も齢二十六と戦経験は清水・大藤の両者よりも浅いながらも、同じ結論に達していた。そんな籠城策でまとまっていく様を見ていた十五歳と最年少の北条左衛門佐だけは不服そうにしている。
「助五郎様、何故打って出られないのですか!いかに信玄と言えども、布陣してすぐの今ならば隙もございましょうに」
北条左衛門佐の威勢の良さは信玄と一戦交えたことのないことに起因していた。彼の目から見れば、自分よりも戦経験のある者たちが揃いも揃って籠城などという消極的な姿勢であることがさぞかし不満なのであろう。
「左衛門佐、そなたには分かるまい。寡兵で大軍を相手にすることの難しさが」
「かつてご隠居様は一万にも満たない手勢で河越夜戦にて八万もの古河公方と両上杉家の連合軍を奇襲にて打ち破られたと聞き及んでおりまする!それに倣って、今宵夜討ちを仕掛けるのはいかがに!」
「ははは、それは二十四年前の天文十五年のことよ。この助五郎とて二ツの幼子であった自分の話であろう。何より、父上が申されるには八万と称する敵を夜襲してみたところ、二万五千ほどしかおらなかったそうな。八倍の敵を破った戦として語り継がれておるが、その実、三倍にも満たない敵を討ち破ったにすぎぬ」
「さ、されど!」
「されど、何だと申すか。あの折は愚鈍な古河公方や両上杉家が相手であったが、我らが相手にしておるのはあの武田信玄じゃ。夜襲などとうに想定しておろう」
「くっ!」
「夜襲をしたければ、勝手にするがよい。手柄を立てようが、討ち死にしようが、某の預かりしたぬところ。そなたの手勢だけで行うというならば止めはせぬが、一兵たりとも援軍は出さぬし、救いもせぬ。討ち死にしそうになろうが、この城の櫓から見物して見殺しにするのみ」
手厳しい義理の兄の言葉に、北条左衛門佐は固く拳を握りしめ、黙り込むしかなかった。戦経験の浅い彼には、北条助五郎を説き伏せるだけの材料を即座に揃えられなかったのである。
「然らば、助五郎殿。我らは籠城するとのことでよろしいか」
「うむ。太郎左衛門尉殿と式部丞殿にも持ち場は指示いたすゆえ、その通りに堅守していただきたい」
「承知仕った!」
清水太郎左衛門尉は北条助五郎の頼もしい返答に力強く頷く。そんな彼は北条助五郎から綿密に城防衛の指示を受けると、大藤式部丞とともに退出。すぐにも籠城戦の支度にかかった。
「左衛門佐、我らの務めは城を守ること。そして、無駄に将兵を死なせぬことぞ。そなたの夜討ちも悪い手ではないが、此度は相手が悪すぎるのだ。決して、そなたを見下して、あのようなことを申したわけではないことだけは心に留めておいてくれよ」
「はっ、肝に銘じておきまする……!」
優しく肩を叩かれながらかけられた北条助五郎からの言葉を、重く受け止めた北条左衛門佐もまた、韮山城を守り抜くべく、正直に義理の兄からの指示通り動き、籠城の支度は進んでいく。
かくして一枚岩となった北条軍は翌日からの武田信玄による城攻めに激しく抵抗し、曲輪一つ落とすことなく、撃退することに成功したのである。
この想定外の抵抗に苛立つ信玄であったが、そこへ風雲急を告げる使者が到着する。
「申し上げます!」
「おお、そなたは箱根方面を見張っておった者であったな。小田原から援軍が参ったのだな」
「はっ!某が見たのは箱根峠を一万を越える北条の軍勢が峠を越えて参るところにございますれば、まもなく三島へ着陣するものかと思われまする!」
「当主の馬印はあったか」
「はいっ!北条左京大夫氏政が馬印、しかとこの目で確認してございます!」
信玄は必要十分な情報は得られたのか、すぐにも使者を下がらせる。今の報告を傍らでじっと耳を澄ましていた馬場美濃守信春が、一文字に結んでいた口を開いた。
「御屋形様、ここは撤退なされるべきでは」
「ほう、そなたのことゆえ、決戦すべしと申すかと思うたが……?」
「我らは何も伊豆を欲しているわけではございませぬ。ここは兵を返し、興国寺城を攻めるべきであるかと」
信玄の中では韮山城を攻め落とし、北条家の当主・氏政自らが指揮する北条軍を野戦にて粉砕するつもりであったが、反対意見を述べた馬場美濃守の意見も無視できるものではない。
「御屋形――」
「まあ、待て。両眼の如き者たちを物見に派遣しておるゆえ、それが戻りし後、判断することといたす」
意見を申したい馬場美濃守が信玄に制されて床几に座り直すと、物見が戻ったとの報告があり、入ってきた二名の物見を見て馬場美濃守は得心した。
「戻ったか。内匠助、喜兵衛」
奥近習衆から出世した曽根内匠助昌世、武藤喜兵衛の両名が戻った瞬間、馬場美濃守は両眼の如き者たちはこの両名であることを悟った。
「我らが物見いたしましたところ、敵は意気軒昂にて備えも怠っておりませぬゆえ、明日明後日で落とせるとは」
「よかろう。ここは兵を退くといたそう」
代表して意見を述べた曽根内匠助の意見を聞いた信玄の判断は迅速であった。翌日には陣を払い、戦場を駿河国興国寺城へ移していたのである――




