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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
303/316

第303話 姉川の戦い、終幕す

 ――徳川勢が朝倉勢を撃破。


 この報せを受けた織田家の諸将は奮起した。


 徳川は五千の兵で八千の朝倉を散々に打ち破ったというのに、織田は一万もいながら五千の浅井に敗れたなどと言われては立つ瀬がないためである。


 そして、徳川勢が今にも浅井勢の側面を西より衝こうとした刹那、東より鬨の声が上がる。


「殿!横山城を包囲しておりました氏家、安藤の両勢が到着!本隊の東を駆け抜け、浅井勢の側面を東より衝いたとのこと!徳川勢も槍先揃えて西より浅井勢を攻め立てておりまする!」


「今ぞ!馬曳けっ!」


 続々と本陣へ届けられる報せを瞠目し、じっと聞いていた信長であったが、床几を蹴るように立ち上がった。小姓が馬を曳いてくると、すぐにも騎乗。この信長の動きを合図に、織田軍の猛反撃が開始される。


 東西南の三方向より攻め立てられ、最も退路を危ぶんだのは第一陣を担う佐和山城主・磯野丹波守員昌であった。


「磯野様!足軽どもが逃げ始めておりまする!」


「ちっ!されど、このままでは佐和山へ戻ることもできぬか……」


「退路は北にございますが、我らは織田軍中枢に斬り込んでおりますれば、今さら撤退などと……」


「否、このまま敵中を突破する!我に続けっ!」


 磯野丹波守の居城・佐和山城はこの姉川から南へおよそ五里進んだ地にある。そのため、北へ逃れたとしても、それは居城・佐和山城を捨てることに等しい。ともすれば、敵中突破してそのまま佐和山城へ駆け込んだ方がよいと判断するのは実に自然なことであった。


 第一陣の磯野隊が撤退ではなく、さらに前進する構えを見せたのを見た浅井備前守の従叔父・浅井玄蕃允政澄は磯野隊が織田信長の本陣を衝くつもりだと解釈し、その後に続こうとする。


 しかし、そうはさせまいと氏家卜全の隊が勇猛果敢に攻めかかり、それに安藤伊賀守守就も勢いを添えたこともあり、第二陣は勢いを欠いてしまう。


 そこへ、低下していた士気を盛り返した織田本隊の反撃を受ける羽目になり、たちまち壊走してしまう。


「くそっ!かくなるうえは小谷へ――」


「待たれよ!」


 馬を返す浅井玄蕃允であったが、その退路を塞ぐように馬を乗りいれた一人の騎馬武者の姿があった。


「何奴!」


「拙者は氏家卜全!浅井一門、浅井玄蕃允政澄殿とお見受けいたす!その首、頂戴に参った!」


「ほざけっ!斎藤を見捨て、織田の犬となった西美濃三人衆ずれにくれてやるほど儂の首は安くないわ!」


 怒りに任せて槍を突き出す浅井玄蕃允。たしかに目の前の氏家卜全は齢六十近い老将であるが、それ以前に美濃守護・土岐家、次いで斎藤家三代に仕え、織田家に仕えている歴戦の強者。


 そんな氏家卜全が易々と討たれるはずはなく、完全に浅井玄蕃允の動きを予測して槍の突きをかわすと、たちまち背後に回り込んで背部から槍で刺し貫いた。


「うぐっ!かようなところで……!」


「すでにそなたの弟三名は当隊と安藤隊で討ち取った!兄弟四人、仲良く黄泉へ行くがよい!」


 かくして浅井家の第二陣を率いる浅井玄蕃允は討ち死にとなり、その弟である浅井政成、浅井政重、浅井政連までもが討たれたことは瞬く間に他の隊へ伝播し、山本山城主・阿閉淡路守貞征の第三陣も戦線を維持できず、崩壊してしまう。


 第四陣の新庄新三郎直頼も敵わじと見るや、居城である坂田郡朝妻城へと我先に退却を開始するなど、浅井勢の壊滅は時間の問題であった。


 そうした支離滅裂な様相は最後尾に控える当主・浅井備前守長政へひっきりなしに注進されていた。


「殿!」


「喜右衛門か。そなたも随分と手傷を負っておるではないか」


「なんのこれしき!されど、磯野丹波守は佐和山へ、新庄新三郎は朝妻城へそれぞれ撤退いたし、玄蕃允殿もご舎弟ともども討ち取られたとの由。戦はもはやこれまでにございましょう」


「左様か。やはり私は義兄上には及ばなかったか……」


 朝倉家と築いてきた敦賀の利権、そして信長が幕府の権威を利用して己の分国を拡大しようとしていることに気づいたことで織田家離反を決断した浅井備前守であったが、先の金ヶ崎では信長一行を取り逃がし、此度の姉川での合戦でも織田に勝利することはできなかった。


 この浅井備前守の悲嘆を知る者はもはや、ここにいる遠藤喜右衛門直経ただ一人であった。


「殿、ここは某に殿《しんがり》をお任せくださいませ。必ずや、殿が小谷へお戻りになられるまでの時を稼いでご覧に入れまする」


「……すまぬ。任せたぞ、喜右衛門!決して、決して死ぬでないぞ!」


 遠藤喜右衛門は名残惜しそうに何度も振り返りながら北へと馬を走らせて行く主君の姿が見えなくなるまで見送ると、血の滴る刀を引っ提げ、最後の奉公をするべく敵中へ取って返した。


 味方の首を取り、「首実検を頼む!」と織田兵になりすまして信長の面前までやって来た遠藤喜右衛門であったが、竹中半兵衛の弟・竹中久作重矩に正体を見破られ、信長の面前で討ち取られることとなってしまう。


「殿!ご無事で!」


「久作、でかした!されど、遠藤喜右衛門直経、敵ながら天晴であった!」


 遠藤喜右衛門を討ち取って駆け寄った竹中久作に安否を問われた信長は敵でありながら、最後まで浅井家への忠義を貫いた遠藤喜右衛門への賛辞を惜しまなかった。


 浅井家中随一の猛将と名高い遠藤喜右衛門直経が討ち死にしたと知った今村掃部助氏直、弓削六郎左衛門家澄は自分たちが代わりに主君を逃がす時間を稼がなければと馬を返し、巧みに織田軍へ応戦するも、多勢に無勢。


 家康率いる徳川勢が横槍を入れたこともあり、瞬く間に今村掃部助氏直、弓削六郎左衛門家澄の隊は壊滅となり、両将とも枕を並べて討ち死にすることとなった。


 数刻にわたって行われた姉川の戦いも、序盤は浅井・朝倉連合軍が織田・徳川連合軍相手に優位に立ったが、結果としては織田・徳川連合軍大勝利の結果に終わったのである。


 この合戦での浅井・朝倉両家の被害は甚大であり、多くの一門・重臣を失う散々な結果となった。


 無論、織田・徳川の両軍も多くの家臣や兵士を失うことにはなったが、れっきとした勝利であることは間違いなかった。戦後、織田軍は横山城を奪取し、磯野丹波守が撤退した佐和山城と浅井家居城・小谷城の間に楔を打ち込むことに成功する大戦果を挙げたのである。


 そのため、戦を終えた信長は家康と対面した折も、それはもうご満悦であった。


 信長は勝鬨のあがる織田本陣へ勝利を祝うべく家康が参上すると、自ら手を取り幔幕の内へ招き入れ、下にも置かない歓待ぶりであったのだ。


「三州殿!此度の戦、よう働いてくださった!織田弾正忠信長、心より御礼申し上げる!」


「いやはや、かたじけのうございます。何より此度の戦勝、心よりお祝い申し上げます」


「ははは、何を申される!三州殿が朝倉を打ち破り、浅井勢の側面を攻めたからこその勝利!三州殿はこの信長の命の恩人じゃ!」


「命の恩人などと……!某はこれまで幾度となく弾正忠殿に窮地を救っていただいておりますれば、此度はそのご恩返しの一つに過ぎませぬ」


 信長に褒めそやされ、謙遜する家康。この構図は半刻もの間続き、信長がいくらおだてても家康は戦功を鼻にかけることはしなかった。


「して、弾正忠殿」


「いかがなされた、三州殿」


「これより先、いかがなされるおつもりにございましょうか」


 家康が気にしているのはこの後の織田軍の動向……というよりも、幕府軍の一員として徳川の次なる動きについて、探りを入れている風であった。


 そのことを頼もしく思い、信長はにこりと笑うと、家康へ今後の方針を耳打ちしていく。


「まずは岐阜と京を結ぶにあたり、重要拠点ともなる姉川の近辺を固めることとなる」


「なるほど、依然として浅井の影響が強い地にございますからな」


「で、ある。そのため、奪ったばかりの横山城へはこやつを城代として置くこととした。入って参れ」


 信長に呼ばれ、幔幕の内へ入ってきたのは汚らしい衣服のうえに大将らしからぬ使い古された鎧兜を身に着けた猿のような小男であった。


「我が家臣、木下藤吉郎秀吉じゃ。三州殿へまだ紹介しておらなんだと思うてな」


「おお、その名は窺っておりまする。金ヶ崎では殿《しんがり》を務めてくだされた、あの――」


 木下藤吉郎の身なりは癖があり、多くの人と出会っていながらも、家康の脳がしかと記憶しているほどであった。


 そんな木下藤吉郎は照れくさそうに笑うと、家康へ一礼して挨拶を述べていく。


「ご紹介に預かりました、木下藤吉郎秀吉にございます!天下に名高き徳川様が某のことを覚えてくだされたとは、この上ない喜びにございまする!」


 大抵は挨拶の折には体の動作というものは限定的であるが、木下藤吉郎という男はまったく違っていた。身振り手振りを多用し、猿のような顔をくしゃくしゃにして笑うのである。そして、その話し方はなぜだか人を惹きつけてやまない魅力があった。


「藤吉郎、横山城をそなたに託すからには、浅井を南に進ませてはならぬ」


「はっ!お任せくだされ!この横山城より南へ浅井勢を進ませる様な不覚は取りませぬ!」


「それでよい。おれとしては小谷城をすぐにでも攻め落とし、一乗谷も火の海にしてやりたいところであるが、そうもいかぬ」


「佐和山城が健在にございますれば、京と岐阜を往来する街道を確保するためにも必ずや押さえておかねばならぬ地にございますれば」


 木下藤吉郎が佐和山城を指摘したことに、家康は目を見開いた。まるで信長の考えをすべて理解しているかのような、そんな言葉遣いであった。何より、信長が木下藤吉郎という男を重用しているのはなぜか、家康にも分かるような気がした。


「まずは孤立無援の佐和山城。小谷城はそれからよ」


 信長の近江での動きは一切隙のないものであった。この動きを聞いて家康は安堵するとともに、徳川を動員するほどの戦は当面なさそうであることを確信した。


 兵数は五千と織田軍の半分にも満たない数であるが、ここまでの行軍でかかる出費は財政を大きく圧迫するものであり、武田との戦を見据える家康としては、畿内での長陣は最も避けたいところであった。


「三州殿はこの後、おれとともに京へ入ってもらうとする」


「ほう、京へと?それは公方様へ戦勝を報告するためにございますか」


「で、ある。我らが浅井と朝倉を打ち破りしこと、直に公方様へご報告せねばならぬゆえ」


「承知いたしました。然らば、この徳川三河守家康、弾正忠殿に同道いたしまする」


 しばらくは姉川付近へ留まり、それから一度京へ上って将軍・足利義昭へ姉川の戦いにて浅井・朝倉連合軍を相手に勝利したことを報告。


 ともすれば、家康が京を発つのは七月に入ってからとなることは疑いなかった。だが、続けて小谷城攻めや越前侵攻に動員されるのではないか、と家康が感じていた不安は見事に払しょくされたのである。


「弾正忠殿。公方様への戦勝報告が済みし後はいかにすれば?」


「うむ、そのまま岡崎へ凱旋されるがよろしかろう。浜松城の普請もあるゆえ、一刻も早く本国へ戻られるがよい」


「ご配慮、痛み入ります。然らば、公方様へ戦勝報告が済みし後は、我が軍は三河へ撤兵いたしまする」


「うむ。そうじゃ、岡崎へ戻られたならば、婿殿の元服のこともよろしく頼む」


「おお、竹千代がことにございますか。元服後の諱は先日ご相談させていただいた通りにしてもよろしゅうございますか」


「で、ある。織田家の通字である『信』の一字を与えようぞ」


「ありがとう存じまする。然らば、某の『康』の一字と合わせて、信康。松平次郎三郎信康といたしまする」


 そう、家康が三河へ帰国したいのには浜松城の普請ばかりが要因ではなかった。家康自身が浜松城へ移るにあたり、岡崎城を竹千代へ譲ることは既定路線であったが、岡崎城主を幼名のままとするわけにはいかず、浜松城が完成するまでに嫡男・竹千代を元服させたかったのである。


 そのため、家康は竹千代の舅である信長へ相談し、信長から『信』の一字を与えてもらう約束を交わし、下に己の『康』の一字を宛がうことで織田・徳川の同盟を目に見える形にする狙いがあった。


「弾正忠殿から一字を拝領するに相応しい武士となるよう、岡崎に戻りましたら竹千代へ申し付けておきまする」


「で、あるか。畿内のことが落ち着いたならば、婿殿にも会いたいと考えてもおる」


「それは有り難きこと!では、一日でも早くその日が訪れることを楽しみにしておりまする」


 そうして家康は笑顔を見せると、盟友・信長は声を上げて笑う。それは織田・徳川の同盟が末永く続くことを予感させるものであった。

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