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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
301/316

第301話 続・姉川の激闘

 真柄直澄の討死が越前朝倉勢に与えた影響は甚大であった。榊原小平太康政率いる旗本衆の側面攻撃を受け、あわや真柄十郎左衛門直隆率いる第一陣が後続の第二陣と分断される危機に陥ろうとしていた。


「ええいっ!退くな!前へ進めっ!進まぬかっ!」


 兵三千を率いて第二陣を務める朝倉家臣・前波新八郎は味方の劣勢を受けて馬を乗り回し、敵を討ちながら味方を鼓舞していたが、敗色は濃厚となるばかり。


 そこへ、徳川の旗指物を付けた武士が良い獲物を見つけたとばかりに槍を付ける。


「高木九助広正、見参!」


「うぬっ!我こそは前波新八郎!」


「いざっ!」


「おうっ!」


 乱戦の中、前波新八郎へ一騎打ちを挑んだのは高木九助。松平家が今川家に従属している頃から織田家との戦いで武名を馳せ、三河一向一揆では酒井将監忠尚の上野城に籠城するも、帰参を許された武士であった。


 今こそ手柄を立てて離反した罪を赦免としてくれた主君・家康の厚恩に報いてみせると鋭い突きを繰り出し、前波新八郎を強襲する。


「ぐっ!」


 前波新八郎の槍をかわし、回り込んだところから繰り出した高木九助の長槍が前波新八郎の鎧の隙間を刺し貫き、苦悶の声を上げながら前波新八郎は落馬する。


「もはやこれまでか……!」


「前波新八郎殿、覚悟っ!」


 胸板を貫かれ、トドメを刺された前波新八郎は絶命し、その首級は高木九助の手に渡る。


「前波新八郎が首、高木九助広正が討ち取ったり!」


 高木九助の周りを固めていた彼の郎党たちも咆哮し、周囲の朝倉兵は一歩、また一歩と後退を始め、もはや第二陣までもが総崩れとなりつつあった。


 だが、前波新八郎戦死の報せを受けても同じく第二陣の黒坂勘解由左衛門景久は動じることなく、五百の兵を率いて徳川勢の攻勢を押し留めていた。


「勘解由左衛門様!前波新八郎殿が討ち死にと……!」


「存じておる。されど、ここで陣形を崩してはならぬ。宗滴様ならば、これしきのことで動じたりはせぬ!」


 黒坂勘解由左衛門は家臣たちの動揺を鎮めつつ、ただただ冷静に目の前の状況に対処するべく、思考を巡らせていた。


 十五年前、朝倉家の全盛期を築くのに一役買った名将・朝倉宗滴とともに加賀一向一揆と戦った黒坂勘解由左衛門は、朝倉宗滴が存命であったならばいかに対処したであろうかと考え、劣勢を覆す策を求めるが、戦況はそのように腰を据えて思考する時を与えはしなかった。


 刹那、馬上で槍を振るう黒坂勘解由左衛門へ一発の鉛玉が撃ち込まれ、命中した腹部から鮮血が止まることなく溢れ出す。


「くそっ、かようなところで某は死ぬのか。宗滴様、そちらへ参りますぞ――」


 馬上から転げ落ちた黒坂勘解由左衛門は己の死に無念という想いを抱きながら川面へ沈み、目を見開き空を睨みつけながら絶命した。


 前波新八郎とともに朝倉勢の第二陣を支えていた黒坂勘解由左衛門が死したこの瞬間をもって、朝倉勢の第二陣は総崩れは決定的となった。


 この第二陣総崩れの様子は第一陣で死に物狂いで戦う一騎の騎馬武者の姿があった。真柄十郎左衛門直隆の子・真柄隆基、父や叔父に劣ると言えども近国に鳴り響く豪勇の者である。


「なにっ!叔父上や前波殿に続き、黒坂殿までもが討ち死にしたと!」


「はいっ!それゆえに第二陣は総崩れと!このままでは退路が塞がれ、第一陣が孤立してしまいまする!ここは撤退を!」


「たわけたことを!父上はまだ最前線で戦っておられるというに、拙者だけおめおめと下がれようものか!」


 撤退を進言する郎党を叱りつけると、馬を疾駆させ、苛立ちをぶつけるように手近な徳川兵を斬り伏せる真柄隆基であったが、その武者ぶりに目を付けた一人の若武者が名乗りかけた。


「某、青木忠助一重と申す者!さぞかし名のある大将とお見受けいたした!」


「おう!拙者は真柄十郎左衛門直隆が子、真柄十郎三郎隆基なり!」


「なんと!あの豪勇で知られる真柄十郎左衛門殿のご子息か!これは相手として申し分なし!ぜひとも一騎打ちを所望いたす!」


「望むところよ!」


 槍先を馬上の騎馬武者の首元へぶれることなく、ピタリとつける青木忠助から強者であることを感じ取った真柄隆基は強敵と出会えたことに喜びを感じつつ、一騎打ちに臨んだ。


 明け方から始まった合戦はすでに昼近く、いつしか頭上へ昇りつつある太陽の熱に汗を滴らせながら真柄隆基・青木忠助の両雄の一騎打ちが幕を開けた。


「たあっ!」


 美濃の斎藤家、次いで今川家に仕官し、数多の戦場を駆け巡る中で洗練された青木忠助の鋭い突きを太刀で払いのけると、返す刀で青木忠助の首筋へ太刀を振り下ろす真柄隆基であったが、青木忠助は槍の柄で受け止めるとそれを押し戻し、再び鋭い突きをお見舞いする。


 馬を巧みに操り、見つけては刀を滑り込ませる真柄隆基の妙技に青木忠助も全身の血が昂るのを感じながら、これまた器用に回避と防御を重ねていく。


 双方ともに二十歳前後の若武者とは思えぬ武技をぶつけ合い、丁々発止の死闘を演じる。


 まるで相手と舞でも舞っているかのように、ある種息の合った攻防戦に、彼らの郎党だけでなく、周囲の足軽たちも徳川兵や朝倉兵など関係なく足を止め、固唾を飲んで勝敗を見守っていた。


 しかし、その鮮烈な一騎打ちは永遠のものではなかった。繰り出される槍が馬上の若武者の首元を刺し貫いたことで、幕引きとなったのである。


 落馬して薄れゆく意識の中でわずかに動いた真柄隆基の口元。


 首元を突かれたために、その声が青木忠助に届くことはなかったが、その唇の動きを読み取った青木忠助は無音の賛辞を受け取るとともに、震える手で戦場で出会った猛者の短き生涯に終止符を打った。


「越前の勇士、真柄隆基!徳川家臣、青木忠助一重が討ち取ったり!」


 涙で視界を滲ませながら、かすれる声で叫んだ青木忠助の声はたちまち周囲の剣戟の音にかき消されていく。


 しかし、その壮絶な一騎打ちを見届けた周囲の者たちの心に深く印象付ける死闘であったことは間違いなかった。


 そうして真柄直澄、前波新八郎、黒坂勘解由左衛門景久、真柄隆基と名だたる朝倉家の武将が戦死したことは、真柄隆基に随行していた郎党によって、本多平八郎忠勝と死闘を繰り広げる彼の父・真柄十郎左衛門直隆へと知らされたのである。


「なにっ!弟も我が子もすでに討たれたと申すか!」


「はっ、はいっ……!」


「立派な最期であったのだろうな」


「それはもう……!」


「それが聞けたのならば、満足よ」


 本多平八郎と一騎打ちする中で幾つもの手傷を負わされた真柄十郎左衛門は息子の壮絶な最期を耳にし、合掌した。父が息子へ捧げる弔いを前に、槍をつけるような無粋な真似は本多平八郎にはできず、じっとその様子を見守っていた。


 そして、静かに馬を返す真柄十郎左衛門に、本多平八郎はようやく声をかける。


「逃げるのか」


「ふっ、笑いたくば笑え。されど逃げるのではない!此度の勝負、次に持ち越そうではないか」


「なにっ、持ち越すと……!?」


 逃げるのではなく、あくまでも勝負は持ち越しとする。言葉遊びとも取れる真柄十郎左衛門からの提案であったが、消耗激しい本多平八郎はすでに真柄十郎左衛門を足止めする己の役割は果たしたと悟り、これを承諾した。


「よかろう!ならば、次こそは決着をつけようぞ!」


「望むところ!ではまた会おうぞ、三河の若武者!」


 己と互角以上の戦いをしてみせたことへの敬意を表し、本多平八郎を小僧呼ばわりせず、背を向けて退却していく真柄十郎左衛門の背が見えなくなるまで見送ると、本多平八郎は他の味方に合流して朝倉勢への攻勢に加わっていく。


 そして、本多平八郎との一騎打ちを次回へ持ち越したうえで北へと後退した真柄十郎左衛門は想像以上に悲惨な味方の状況に絶句することとなった。


 息子・隆基や弟・直澄の戦死に留まらず、前波新八郎、黒坂勘解由左衛門景久を欠いたことで第一陣と第二陣に属していた朝倉兵の多くは武器や鎧兜を脱ぎ捨てて一目散に故郷・越前の方角へと逃げ出す者が後を絶たず、敗色濃厚という言葉では言い表せないほどの惨状であった。


 この様子では第一陣と第二陣が総崩れとなった余波を受けて総大将である朝倉孫三郎景健の本隊も裏崩れを起こすのは容易く想像できる。


「かくなるうえは味方が一兵でも多く退却できるよう、死力を尽くすのみか!」


 本多平八郎と交わした約束を早速反故にせざるを得なくなったことを恨みながら、真柄十郎左衛門は馬首を北から南へと転じ、まだ戦う意思のある味方をかき集めた。


「ここに集まりし勇猛なる将兵よ!もはや大勢は決した!これより先、味方を一兵でも多く越前へ退却させるための戦をいたす!我こそはと思う者はこの真柄十郎左衛門直隆に一命を預け、付いて参れ!」


 百にも満たない数しか集まらなかったものの、死をも恐れぬ越前の勇者たちが黒鹿毛の馬に跨り、七尺三寸の太郎太刀を振り回しながら南へ突き進む真柄十郎左衛門へ付き従い、一つの黒い塊となって徳川勢へ決死の突撃を敢行したのである。


「どけどけっ!腕に覚えのあるやつだけかかってこいっ!」


 立ち塞がる徳川兵の返り血を浴びながら突き進んだ真柄十郎左衛門は酒井左衛門尉忠次率いる第一陣を突破し、小笠原与八郎氏助率いる第二陣の高天神小笠原勢も蹴散らして通った。


 第一陣と第二陣を突破する間にも付き従う朝倉の武士たちはみるみるうちに数を減らし、百程度だった数は第三陣へ駆け入る頃には三十をきっていた。


 しかし、あまりの気迫に徳川兵は気圧され、たかが数十の真柄十郎左衛門らに押しまくられ、鵜殿新七郎氏長率いる二俣衆と近藤登助秀用の井伊谷衆で構成される第三陣も突破を許してしまう。


 その後も真柄十郎左衛門の決死の突撃により松平源次郎真乗率いる大給松平勢の第四陣、家老・石川日向守家成の第五陣、第六陣となる小笠原左衛門佐広重と小笠原新九郎安次の幡豆小笠原勢、松平与一郎忠正率いる桜井松平勢の第七陣、松平甚太郎家忠率いる東条松平勢の第八陣まで突破を許してしまう。


 次にぶつかった第九陣の松平主殿助伊忠率いる深溝松平勢とぶつかる頃には真柄十郎左衛門ただ一人となっていたこともあり、ようやく突撃は防ぎ止められることとなった。


 その様子に第十陣となる松平弥九郎景忠率いる五井松平勢、家老・石川伯耆守数正の第十一陣も冷や汗ものであったが、何より一番肝を冷やしたのは十二段構えの最後尾に位置する本陣で戦況を見守る家康自身であった。


「さすがは越前にその人ありと近国中に名を轟かせる真柄十郎左衛門じゃ……」


 動揺していないように取り繕う家康は、肺の中にため込んだありったけの空気を吐き出すと、じっと馬上で大太刀を振るう大男の戦ぶりを見守った。


「我こそは大澤左衛門佐基胤が一族!中安定安なり!」


「ええいっ、邪魔立てするなっ!」


 猛勇を振るう真柄十郎左衛門の前に立ち塞がった堀江城主・大澤左衛門佐基胤の一族、中安定安であったが、獅子の如き真柄十郎左衛門の咆哮とともに振り下ろされた太郎太刀によって血飛沫を上げ、一撃で葬り去られてしまう。


 中安定安が討たれたことで怯む徳川勢の中をかき分け、真柄十郎左衛門へ向かっていくのは齢二十七の若武者・土屋甚七郎重信であった。


 土屋甚七郎の父は当初三河一向一揆に与しながらも家康の窮地を見過ごせず、家康を身を挺して庇って戦死した土屋惣兵衛重治であった。


 父の死後、長男として家督を継承して家康に付き従い、各地の戦を経験してきた土屋甚七郎は父の遺志を継いで家康へ奉公するべく、主君に仇なそうとする真柄十郎左衛門へ挑戦したのである。


「覚悟っ!」


 真柄十郎左衛門の死角より繰り出した土屋甚七郎であったが、それをいとも簡単に首をひねってかわされてしまう。


「その年の割には大した突きだが、その程度の一撃で、この真柄十郎左衛門に敵うと思うたかっ!」


 一閃。太郎太刀の横薙ぎを受けた土屋甚七郎であったが、槍もろとも叩き斬られ、あえなく絶命となる。


 中安定安に続き、土屋甚七郎が目の届く距離で討たれたことに家康は唇を噛む。


 こんなことになるならば、本多平八郎を一騎打ちが終わってすぐに呼び戻しておくべきであったと後悔する家康であったが、時すでに遅し。


 本多平八郎は徒歩では到底本陣まですぐ駆けつけられない距離におり、今いる人間で何とかする必要があった。


 そんな真柄十郎左衛門に苦戦を強いられる中、土屋甚七郎に続いて勝負を挑んでいく三名の武士の姿があった――

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