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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第300話 忍の一事は衆妙の門

 姉川の戦い序盤は織田軍が浅井勢に押され、徳川勢もまた朝倉勢に押されるという織田・徳川連合軍不利と言わざるを得ない戦況から始まった。


 三田村方面の姉川の中にて繰り広げられる真柄十郎左衛門直隆と本多平八郎忠勝の一騎打ちは周囲の足軽たちも手に汗握る文字通りの死闘であったが、真柄十郎左衛門が手傷を負わされたあたりから徳川兵の士気は回復し始めた。


 そして、本陣の家康から発せられた号令に対し、第一陣である酒井左衛門尉忠次率いる東三河衆と第二陣の小笠原与八郎氏助の高天神小笠原勢が負けじと朝倉勢へぶつかっていったのである。


 本多平八郎が死闘を演じて真柄十郎左衛門を縫い付けている情勢を見て、本陣の家康は榊原小平太康政を呼び寄せる。


「小平太!」


「はっ!これに!」


「旗本三百を率いて織田の援軍と称して川を渡れ」


「なんと、織田の加勢へ向かえと……?」


 自軍が劣勢であることに変わりない中、同じく劣勢の織田へ加勢に向かえと言われ、困惑気味の榊原小平太であったが、その言葉を家康は打ち消す。


「否、織田への加勢と見せかけて敵側面へ回り込み、南北に伸びた朝倉勢の横っ腹へ鉄砲を撃ちこみ、突撃せよ」


「承知いたしました!」


「服部半蔵正成と長坂小十郎信宅(のぶいえ)、本多三弥左衛門正重に乙部八兵衛、高木九助広正、渡辺半蔵守綱と渡辺半十郎政綱の兄弟と青木忠助一重も付ける!存分に敵兵を討ち取って参れ!」


「ははっ!吉報をお待ちくださいませ!」


 家康の命を受けて榊原小平太は旗本衆の中でも特に血の気の多い三百を預かり、任務を遂行するべく動き出す。


 そうして徳川勢が朝倉勢の陣形を崩すべく動き出した頃、酒井左衛門尉率いる東三河衆は朝倉勢を徐々に押し始めていた。


「はあっ!」


 東三河衆の旗頭である酒井左衛門尉自らも敵兵を斬り伏せ、鎧を朱染めしている真っただ中であった。その傍では彼の妹婿・西郷孫九郎清員も敵兵を斬り、手柄を挙げていた。


「義兄上《あにうえ》!朝倉兵が退き始めております!今が好機かと!」


「うむ、今こそ三河武士の団結力を越前の木っ端武者どもに思い知らせてやるときぞ!一兵たりとて越前へ帰すな!皆殺しにしてしまえっ!」


 酒井左衛門尉の咆哮に東三河衆は鬨の声でもって応じ、その気迫に朝倉勢はじりじりと後退し始める。


「左衛門尉殿!孫九郎殿!先に行かせていただく!」


「あっ、越中守殿!設楽勢に後れを取るな!西郷勢も進めっ!」


 西郷孫九郎とともに東三河で今川勢相手に孤軍奮闘していた設楽越中守貞通は馬上でにやりと笑った後、酒井・西郷の両隊を追い越していく。


 その光景に設楽勢ばかりに良いところを持っていかれてはかなわないと西郷勢も後を追いかけていく。


「酒井殿、我らも参りましょうぞ」


「おお、美作守殿か。貴公も随分と朱染めが進んでおるようじゃの」


「ははは、武功を稼ぐは今と思いましたゆえ」


 当初、乗り気ではなかった作手奥平勢であったが、味方が優勢になるなりやる気満々、朝倉勢へ猛攻を仕掛けていた。当主・奥平美作守定能もまた、刀から血の雫を滴らせながら奮戦している。


「おお、これは左衛門尉殿に美作守殿!そのようなところで立ち止まっておいでとは手柄が欲しくないとお見受けいたす!お先に失礼!」


 そう言って齢二十四と今回従軍している東三河衆では最年少の伊奈城主・本多隼人佑忠次は立ち止まる酒井勢と作手奥平勢を迂回して朝倉勢へ突撃していく。


 手柄が欲しくないなどと嘲笑されては黙ってもいられず、奥平美作守はすぐにも前進を再開し、本多隼人佑と先を争って突っ込んでいく。


「継父上《ちちうえ》!」


 乱戦の中、酒井左衛門尉を父と慕って名を呼ぶのは一人しかいなかった。そう、齢二十五と若い長沢松平家当主・松平源七郎康忠であった。彼は家康の異母妹・矢田姫を正室とし、昨年には嫡男が誕生している。


「源七郎殿、これは勝ち戦ともなるゆえ、存分に武功を挙げられよ」


「言われるまでもございませぬ!されど、継父上《ちちうえ》は前進なさらないのですか?」


「うむ。わしは皆の最後尾に続く。前線で敵兵を斬るのは東三河衆を束ねる者の役目ではないゆえな」


「なるほど。然らば、某が継父上《ちちうえ》の分も手柄を立てて参りまする!では、ご免!」


 花丁子の旗を勇猛果敢に靡かせながら松平源七郎率いる長沢松平勢は前進を再開。たちまち敵中に姿を消したのであった。それに続くように、東三河衆でも後方に控えていた竹谷松平勢が丸に一つ引両の旗を揺らして酒井左衛門尉の横へやってくる。


「左衛門尉殿、東三河衆は当家の隊が最後にございますゆえ、我らの後にお続きくださいませ」


「玄蕃允殿、かたじけない!然らば、そうさせていただきますぞ!」


 齢三十三の竹谷松平家当主・松平玄蕃允清宗の助言に従い、竹谷松平勢のすぐ後ろに酒井勢が続く形で第一陣は押し始める。


 そして、勝ち戦と見て取った第二陣の高天神小笠原勢も手柄欲しさに第一陣を追い立てるように前進していた。


「殿、見事な勝ち戦にございますな」


「うむ、一時はどうなることやらとひやりとしたがの。ここで武功を挙げ、知行を加増いただけるよう励まねばならぬぞ!さもなくば、泉下の父上もお喜びになられぬ!」


 馬上から徒歩の家臣とやり取りする高天神小笠原家当主・小笠原与八郎氏助。


 彼の父・美作守氏興は今川氏真側近・三浦右衛門大夫真明の首を手土産に徳川家へ降ったが、懸川開城からおよそ一ヵ月後の永禄十二年六月十一日に四十一歳という若さで死去していた。


 これにより家督を継承した小笠原与八郎が当主として初めて戦う戦となるのが、この姉川の戦いとなっていた。


「申し上げます!後続の鵜殿様よりの伝令!」


「申せ」


「はっ!早う前へ進まれよ、進む気がないのならば道を開けていただきたいとのこと!」


「ちっ、鵜殿めがほざいたな。まもなく前進するゆえ、後に続かれるがよいと返答いたせ!」


 せっかく気分よく勝ち戦に乗じようというのに、後方から急かされたのでは台無しであった。だが、それほどまでに手柄に皆飢えているのだ。


 そうして新参の遠州勢がじれったく思っている頃、朝倉勢の第一陣の東側では真柄十郎左衛門直隆の実弟・真柄直澄が五尺三寸の大太刀を振るって徳川軍へ兄に負けじと馬首巡らせて暴れ回っていた。


「ははは!三河武士もこの程度か!この分ならば容易く大将首を挙げられようぞ!」


 身に纏う鎧は返り血を浴びて朱色に染まり、引っ提げている大太刀からも斬り捨てた徳川兵の鮮血が姉川へ滴り落ちていた。


 己を止められる豪勇の者が不在の中、我が物顔で戦場を往来する真柄直澄であったが、突如として側面より百近い銃声が轟き、胸部が熱を帯びるのを感じた。


「は?」


 胸部に当てた己の右手が鮮血に染まる。だが、これは鎧に付着した返り血などでは断じてなかった。


 そう、側面から強襲した榊原小平太たち旗本衆が発砲した鉛玉が真柄直澄の胸部を穿ったのである。一体何が起こったのか、理解する間もなく真柄直澄は落馬し、姉川の川面に沈んだ。


 真柄十郎左衛門直隆と同じく豪勇で知られる真柄直澄が敵の銃撃で倒されたことは周囲の朝倉兵を大いに動揺させた。無論、放たれた弾丸は周囲の朝倉兵を数十人打ち倒しており、それも大きく影響していた。


「よしっ!敵が狼狽している今こそ好機!行きましょうぞ!」


 時節到来と見て取った榊原小平太が槍を手に取り、前進を号令。それが耳に飛び込んでくるなり、「一番槍は某がいただいた!」と言って渡辺半蔵が駆けだし、負けじと服部半蔵もそれに続く。


 かくして家康が仕組んだ側面攻撃は予定通り開始され、見事に朝倉勢の横っ腹を突いた。


「くたばれ、越前の山猿どもっ!」


「はっ!」


 旗本衆の中で一番槍は槍半蔵こと渡辺半蔵守綱と鬼半蔵こと服部半蔵正成の同着であった。同時に朝倉兵を槍で串刺しにすると、次なる獲物を求めて朝倉兵へ襲い掛かる。


 榊原小平太も負けじと敵兵を槍で一突きし、全体の指揮も執りながら朝倉勢の只中へ駆けていく。


「兄弟!一番槍、お見事!」


 そう言って服部半蔵へ駆け寄ったのは長坂小十郎信宅であった。彼は血鑓九郎の異名を取った長坂九郎信政の嫡男であり、その血鑓九郎の娘を妻としていたのが服部半蔵なのである。すなわち、二人は義兄弟の間柄であった。


「いやいや、渡辺半蔵と同着では一番とは申せぬ!ここはあ奴より一人でも多く敵兵を討ち、一番とならねばならぬ!」


「おお、それならば某も同道いたす!」


 どれだけ多く敵を倒せるかを競う中で共闘する服部半蔵と長坂小十郎の義兄弟。それに対して、渡辺半蔵守綱の方はと言えば、実の弟である渡辺半十郎政綱と共同戦線を張り、血の繋がった兄弟ならではの連携で敵兵を次々に屠っていた。


「兄上!今です!」


「おう!」


 弟・渡辺半十郎が隙を作り、兄・渡辺半蔵の槍が朝倉兵の胸部を一突き。見事な連携で敵兵を確実に倒していっていた。


 その傍らでは酒井左衛門尉をして「八兵衛は常に笑みをたたえていたが、悪賢かった」と評される乙部八兵衛が服部半蔵や渡辺半蔵を越える敵兵二十八人斬りを達成するなど、徳川方圧倒的優位の戦局であった。


「くっ、怯むなっ!押し戻せっ!」


 懸命に指揮を執ろうとする朝倉家の侍大将であったが、一発の銃声が轟いた直後には物言わぬ死体となり、地を転がっていた。


「ふん、一騎打ちする価値もない」


 そう言って首を獲るのは三河一向一揆では一揆方に与し、大久保七郎右衛門忠世と鉄砲で一騎打ちをしたほどの鉄砲の名手・本多三弥左衛門正重であった。


 しかし、呑気に銃口より玉薬と弾丸を入れ、さく杖で突いて玉込めなどしてはいられない。今は乱戦の真っただ中なのだから。ゆえに本多三弥左衛門は手にした火縄銃を背負うと、武器を槍に持ち替えての白兵戦へ切り替える。


 もはや朝倉勢の敗北は覆しようのない事態となっていた。そんな中で徳川勢は次々に陣を前へと押し出し、旗本衆を除く大半が渡河をし始めていたのである。


「新七郎殿!」


「おお、登助殿!武功は稼げておりますか」


「うむ。当隊は申し分ない。鵜殿隊も程よく手柄を立てておられる様子で安心いたした」


 高天神小笠原勢の後ろに続くのは、鵜殿新七郎氏長の二俣衆と近藤登助秀用率いる井伊谷衆であった。


 鵜殿新七郎と言えば、今より八年前に上之郷城の戦いで家康と戦って甲賀衆の伴与七郎資定に討たれた鵜殿藤太郎長照の長子である。


 あの折は家康の嫡男・竹千代との人質交換に利用された齢十四の少年であったが、今では二十二歳となり、立派な若大将となり、父を殺めた徳川の傘下として姉川の戦いに臨んでいた。


 そんな鵜殿新七郎と馬を並べる近藤登助は井伊谷三人衆の一人である近藤石見守康用の嫡男であり、井伊谷三人衆を代表して今回の合戦に参陣している者で、鵜殿新七郎よりも二ツ年上の二十四歳であった。


「そういえば、貴殿の弟君は出奔したそうではないか」


「ああ、藤三郎のことか。うむ、一昨年に殿が遠江へ侵攻なさった折、某が降伏すると口にした途端激怒してな」


「ほう、激怒と?」


「うむ。『父の仇におめおめと降伏するなどできぬ!正気の沙汰ではない!』と申し、行方をくらませておる。それからの消息は某も知らぬのです」


「そういえば、お父上は上之郷城にて討ち死にしておいででしたか」


 今川家に最期まで忠誠を尽くした鵜殿藤太郎長照。その子であることを誇りに思う鵜殿藤三郎氏次は兄とともに徳川へ臣従することはなく、出奔してしまったのである。


「まあ、今となっては些末なこと。弟の分も御家を盛り立てていかねばならぬゆえ、今は少しでも武功を稼ぐ所存」


「うむ、然らば共に参りましょうぞ」


 鵜殿新七郎の言葉にそう言って頷くと、近藤登助は共同戦線を張り、前進していくのであった。


 順調に朝倉の陣形を崩し、榊原小平太に命じた側面攻撃も成功したことを報せる伝令は間髪入れず家康本陣へ駆け込んだ。


「申し上げます!榊原小平太様率いる兵三百が側面よりの攻撃に成功!真柄直澄を討ち取る大戦果を挙げましてございます!」


「おお、真柄十郎左衛門直隆の実弟を討ち取ったか!でかしたぞ!」


 真柄十郎左衛門直隆は未だ仕留められていないが、それに匹敵する猛者である真柄直澄を葬ったことは追い風となる。


 そのことは先ほどまで爪を噛んで戦局を睨んでいた家康の眉間から皺を消し去るには十分なものであった。


「よしっ、朝倉勢を崩したる段、弾正忠殿のご本陣とすぐ東の稲葉右京亮殿へ使者を出して報せよっ!」


 勝利を実感しつつある家康の声に弾かれるように本陣から二騎の使者が飛び出していく。合戦の潮目が変わろうとしていた――

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