第298話 任重くして道遠し
元亀元年六月下旬、家康は予定通り、岡崎城を発した。向かう先は北近江であり、それに付き従うのは三河・遠江の精鋭五千。
岡崎城の留守を齢十二の竹千代に託していくことに不安がないわけではなかったが、これも立派な経験であると割り切り、徳川家中の精鋭を選りすぐって出陣したものであった。
溽暑の中での進軍ということもあり、進むだけで兵馬は汗をだらだら流し、疲弊していく。しかし、行軍そのものは至って順調であり、雨も乏しいことから河川の氾濫などで足止めされることもなく、尾張・美濃を通過。六月二十七日、ついに近江へ着陣したのである。
「殿、先に近江へ入っておりました甲賀衆よりの報せにございます」
「うむ、見せよ」
同行している家老・石川伯耆守数正から受け取った甲賀衆からの便りへ家康は視線を落とす。そこに記されていたことは概ね以下の通りであった。
一、六月より六角承禎・義治父子が江南、伊賀・甲賀衆とともに挙兵するも、野洲川にて柴田権六勝家・佐久間右衛門尉信盛の両名との合戦に敗退。
一、浅井備前守長政は坂田郡内に二ヵ所の砦を普請し、越前の朝倉へ援軍を要請。
一、織田弾正忠信長は浅井配下の堀秀村・樋口直房を調略して寝返らせ、信長出陣の報を受けた坂田郡内に新たに築かれた砦の浅井勢は退散。
一、去る二十一日、織田勢が小谷城に攻めかけ、各所へ放火すると、翌二十二日に兵を退いた。
一、退却する織田勢を浅井勢は追いすがるも、八相山にて撃退された。
「ふむ、見事に弾正忠殿は六角や浅井の攻撃を退けておられる」
「加えて、すでに居城である小谷城へ攻めかけていようとは、織田勢の立て直しも早うございますな」
家老・石川伯耆守の申す通りであった。金ヶ崎の退き口のおよそ二ヵ月後には浅井家の居城・小谷城へ攻め寄せているのだから、織田軍の統率の取れた動きと疾風迅雷の行軍には家康も驚かされるばかりであった。
ともあれ、家康は五千の軍勢を引き連れて姉川の南に陣を退いた信長のもとへ合流したのである。
横山城の包囲へ五千もの兵数を割き、姉川の南、竜ヶ鼻に布陣する織田軍はおよそ一万。
姉川を挟んで北岸には浅井備前守長政が三つ盛亀甲に唐花菱の旗を悠然と靡かせ、五千の兵で東の野村に布陣。そして、西の三田村には浅井の援軍に駆け付けた朝倉孫三郎景健を大将とする朝倉勢が三つ盛木瓜の旗を押し並べて八千の軍勢で布陣していたのである。
織田軍一万に対し、浅井・朝倉連合軍が一万三千という状況に織田軍の将兵は心のどこかで心細い想いをしていた。そこへ丸に三つ葉葵の旗を押し立てて進んできた徳川勢五千が合流したことにより、士気が蘇りつつあった。
周囲へ幔幕を張り巡らせている織田本陣であったが、野陣であるために容赦なく頭上から照り付ける日光を遮る遮蔽物はなく、何なら張り巡らされた幔幕によって風が遮られることで余計に暑さを増していた。
あまりの暑さに具足も陣羽織も脱ぎ捨て、装束も肩を身だらに露出して真っ白な肌を日焼けさせていた。
そんな主君・信長のもとへ、重臣・丹羽五郎左衛門尉長秀と信長の乳兄弟・池田勝三郎恒興がきちんと具足を着用したまま信長の元へと駆けつける。
「殿。徳川三河守家康殿、五千の兵を引き連れてご到着」
「おお、三州殿が参られたか。よし、出迎えるゆえ、付いて参れ」
信長は筆頭家老・佐久間右衛門尉、重臣・柴田権六を取り残し、丹羽五郎左衛門尉や池田勝三郎を伴ってつかつかと幔幕を払って本陣の外へ出ていった。
「おうい、三州殿!」
酔っ払いが友人でも呼ぶかのように大声で家康を呼び、大きく手を振る信長。半裸と言っても差し支えない恰好で行われる所作に、家康をはじめ、徳川の重臣から一兵卒に至るまで目を奪われた。
家康はこの暑さで信長を待たせてはいけないと行軍速度を速め、本陣の前へ到着すると、速やかに下馬して信長の前へと歩み寄る。
「弾正忠殿。徳川三河守家康、只今参陣仕った」
「ははは、堅苦しい挨拶は抜きじゃ。さっ、道中はさぞかし暑かったであろう。汗を拭ってからでも構わぬゆえ、中へ入られよ」
そう家康へ言い残し、さっさと幔幕の内へ戻っていく信長に続く形で、家康は金陀美具足の兜を取り、小脇に抱えて幔幕の内へ。
予め信長の命で用意されていた床几へ家康が腰かけると、信長の側に控える小姓たちが大きな団扇で一同を扇ぎ始める。
「三州殿、遠路はるばる江州表への出陣、まことかたじけない」
「なんのなんの。弾正忠殿の窮地は我が窮地に同じ。何より、公方様の命とあっては駆けつけぬわけには参りませぬ」
「うむ。して、三州殿は敵の布陣を見て参られたか」
「はい。こちらへ参る際に見て参りました。東の野村には浅井勢、西の三田村には朝倉勢。姉川を挟んで対峙し、隙あらば押し渡ってくる構えと見て取りましたが」
家康の洞察に信長は口角を上げて笑う。しっかり敵の布陣を見て、敵の狙いまで見事に的中させている。信長としては、『さすがは家康』の一言に尽きる返答であった。
「然らば弾正忠殿」
「うむ、何か意見があるか。忌憚なく申されるがよい」
「然らば言上いたしまする。我らは陣を三田村方面へ移し、敵の進軍に備えたく存じます」
「なにっ、三田村と申されたか!」
家康の言葉に信長は床几を蹴って立ち上がった。さすがの信長も家康の剛毅溢れる一言に驚きを隠せなかったのである。
「三田村に布陣する朝倉勢の数を、三州殿は理解しておられるのか!」
「はい。八千、総大将は朝倉孫三郎景健であることは存じておりまする」
「で、ある。されど、三州殿麾下の軍勢は五千。越前朝倉勢の相手は荷が重かろう。ここは野村へ進み、北近江浅井勢と一戦交えられるがよい。これならば兵数はともに五千、良い戦になると思うが」
「弾正忠殿、ここまで来てお気遣いは御無用にございます。この戦はそもそも織田と浅井の戦。然らば、援軍に参った我らは同じく敵の援軍である朝倉にぶつかるべきでありましょう」
家康の言うことは筋が通っていた。しかし、相手は朝倉勢八千。兵数は倍とまではいかずとも、三千もの差がある。これでは、さすがに家康も厳しいであろうから、兵数の多い朝倉の相手は織田が引き受けるというのが信長の言い分であった。
だが、家康は頑なに首を縦に振ることはしなかった。朝倉の相手は徳川が務めるとの一点張りで、信長相手に一歩も譲らないのである。
「うむ、三州殿がそうまで仰るならば朝倉勢と戦うことを認めよう。されど、兵数の不利は覆せまい。我が手の者から誰ぞを連れていかれるがよい」
「いえ、それには及びませぬ」
信長からの気前の良い申し出であったが、家康はこれを謝絶。織田家の援軍がなくとも朝倉勢と戦う意思を鮮明にしたが、なおも信長が申し入れるため、ついに家康は折れた。
「然らば、稲葉右京亮良通殿を伴って参りたく存じます」
「ほう、西美濃衆を連れて参るとは、三州殿もお目が高い」
家康は織田軍の中でも戦経験豊富な稲葉右京亮を指名。稲葉右京亮が率いる軍勢はおよそ一千であり、徳川勢と合わせれば六千ともなる。これならば、朝倉勢八千といえども、先ほどのような危うさはいくらか薄められたような心地がした。
そうして家康は織田家の援軍である稲葉隊一千とともに竜ヶ鼻の織田本陣を発すると、三田村に陣取る朝倉勢八千と姉川を挟んで対峙する構えを取った。
家康はおびただしい数の旗指物が林立する姉川北岸の朝倉勢を見やると、これを迎え撃つべく十二段構えの布陣とした。
徳川勢と織田勢の稲葉隊が総勢六千で布陣したことを受け、朝倉軍の総大将・朝倉孫三郎は野村の浅井本陣を訪ね、作戦方針の最終確認を行おうとしていた。
朝倉孫三郎が幔幕を払って浅井備前守長政のもとを訪れると、第一陣を担う佐和山城主・磯野丹波守員昌、第二陣を受け持つ浅井備前守の従叔父・浅井玄蕃允政澄、一千の兵で第三陣を受け持つ山本山城主・阿閉淡路守貞征、第四陣の新庄新三郎直頼、その他にも浅井家中随一の猛将と名高い遠藤喜右衛門直経、今村掃部助氏直、弓削六郎左衛門家澄、安養寺三郎左衛門尉氏種といった浅井家の重臣らが浅井備前守の周囲に集まっていた。
「これは朝倉孫三郎殿。何故こちらへ参られたか」
「手筈通りに動けばよいのか、そのことを確認するべく参上仕った」
「左様にございましたか。然らば、敵は兵力で劣る我らが戦を仕掛けてくるとは微塵も考えておらぬはず。それゆえ、明日卯の刻より姉川を渡河して我らは織田へ、朝倉勢には徳川へ戦を仕掛けていただきたい」
端正な顔立ちの浅井備前守は淀みなく朝倉孫三郎からの質問に応答し、自信をみなぎらせる。それを感じ取った朝倉孫三郎はこくりと頷き、確認を続けていく。
「うむ、承知した。徳川を屠りし後は織田の側面を衝くでよろしいか」
「はい。当家と朝倉勢で挟撃されれば、いかに精強な織田軍と申せど、総崩れとなりましょう。あとは追い討ちしかけて、信長の首を獲ってやりましょうぞ」
「そういたそう。されど、我らは信長の首などどうでもよいゆえ、それは備前守殿へお譲りいたそう。然らば、我らはこれにて失礼いたす」
どこか浅井備前守を見下しているかのような態度をちらつかせながら、朝倉孫三郎は幔幕を払って去っていく。その姿に浅井家の猛将・遠藤喜右衛門は怒った。
「おのれ、朝倉め!我らのことを所詮北近江の国衆と侮っておるのだ!許せぬ!」
「落ち着くのだ、喜右衛門。我らが朝倉に従っておることは事実。なればこそ、浅井ここにありをこの戦で示し、朝倉の者共の鼻を明かしてやるような戦をしてみせようではないか」
「さすがは殿!仰る通りにござる!方々、織田の木っ端武者だけでなく、朝倉の不遜な武者どもにも目にもの見せてくれようぞ!」
浅井勢は心を一にして翌朝からの織田勢との死闘に想いを馳せながら、思い思いに休むこととした。
一方の朝倉勢ははるばる越前から峠を越えて近江まで出陣してきたこともあり、一部の隊以外はそこまで士気が高くないまま、開戦当日、元亀元年六月二十八日卯の刻を迎えた。
「孫三郎殿!」
朝霧が晴れぬ中、鎧兜に身を包み、対岸の徳川陣を馬上から睨みつける総大将・朝倉孫三郎のもとへ、第一陣を担う朝倉家中随一の猛将・真柄十郎左衛門直隆が黒鹿毛の馬に跨り、七尺三寸の大太刀を肩に担いで馬を寄せてくる。
身長七尺の大男が横に並んだこともあり、総大将・朝倉孫三郎が童のように見えてしまうほどであった。
「これは十郎左衛門殿、そのように馬を駆けさせて何事かござったか」
「いや、敵に動きはないようじゃで、その前に総大将殿へ仕掛けても良いかの確認をしたく」
「それならば。第一陣は今、どうなされておる」
「弟の直澄と嫡男の隆基に任せてござる。開戦の合図は東の浅井勢があげる鬨の声のござったか」
「いかにも。浅井勢が鬨の声をあげて織田勢へ攻めかかったならば、我らも対岸の徳川勢へ攻めかかってほしいとのことにござった」
昨日のうちに浅井備前守との最終確認を終えていた朝倉孫三郎は当初から伝えていた内容に変更がない旨を改めて伝達し、真柄十郎左衛門が自陣へ戻ろうとした刹那、東より幾重にも重なった鬨の声と銃声が轟いた。
「十郎左衛門殿!」
「おう!言われるまでもないわ!」
大太刀を引っ提げて第一陣へと戻っていく真柄十郎左衛門の背を見送ると、朝倉孫三郎は拳を固く握りしめた。
浅井勢の鬨の声を聞いた第二陣の黒坂勘解由左衛門景久、前波新八郎らの軍勢も緊張で身を引き締める中、朝倉孫三郎は深呼吸していた。
家督を相続したばかりの自分には荷が重いと断ろうとした今回の総大将の任。しかし、主君・朝倉左衛門督義景が側室である小少将を溺愛しながら命じてきた総大将の任を朝倉家臣として遂行せざるを得なかった。
――当主である朝倉左衛門督が小少将を溺愛して一乗谷に引きこもらなければ、このような大役を担うこともなかったのに。
そんな本音を心の奥底へぐっと押し込み、朝倉孫三郎は南に向かって吼えた。
「全軍、進めっ!敵は対岸の徳川勢ぞ!」
軍刀を振り抜き、高らかに開戦を宣言すると、朝倉本陣から前進を告げる法螺貝の音が鳴り響く。
それを合図に朝倉勢は槍衾を作って五千の徳川勢をひと息に揉み潰してくれると、陣形を崩すことなく、規則正しい足音を響かせながら姉川へ足を踏み入れ、渡河に移る。
その様子を対岸から捉えた家康も敵の動きから一瞬たりとも視線を外さず、じっと観望するのであった。
かくして今この時、姉川の戦いの幕が上がったのである――




