第297話 名のない星は宵から出る
家康は曳馬城の寝所にて疲労した肉体を休め、目を覚ます。
梅雨も過ぎ去り、夏の到来を感じさせる暑さがまだやって来ない日の出前から家康は『吾妻鏡』を読み進め、快適に読書を進めていた。
そうしたところへ、懸川城から家老・石川日向守家成が到着し、謁見を求めていることを本多平八郎忠勝や榊原小平太康政から取り次がれて、急ぎ広間へと向かう。
「殿、朝早くから申し訳ございませぬ」
「構わぬ。して、その後ろにいる四名は何者であるか」
家康の姿を見るなり、一礼して朝早くからの訪問となったことを詫びる石川日向守を制し、彼の背後に控える四名へと視線を移す。
一人は石川日向守とさほど齢も変わらぬ清潔感溢れる壮年。その右隣に正座する青年は薄っすらを口回りに髭を生やし、浪人していたことが窺える身なりであった。
そして、青年の右隣には日に焼け、顎鬚を蓄えた老将が緊張溢れる面持ちで座し、その隣には息子なのか、顔立ちのよく似た青年が胸を張り、口を一文字に結んで座している。
「この者らは懸川に落ち延びてきた旧今川家臣の者たちにございます」
「ほう、今川家に仕えておった者たちと!?」
「いかにも。武田が三度目となる駿河侵攻をおこなった結果、駿東郡を除く駿河の大半が武田の領国となり、それを良しとしない者たちが多く遠州へ落ち延びて来ておるのです。その中でも殿に仕官したいと申す者たちをこうしてお連れした次第に」
そのことは家康も耳にはしていた。しかし、石川日向守がわざわざ伴ってきたほどの者たちなのだから、一介の浪人などではないことだけは家康も察した。
そして、石川日向守は家康の反応が悪くないことを言語態度から感じ取ると、緊張した面持ちの老将を振り返り、家康に紹介をしていく。
「まず、こちらの老将は安部大蔵尉元真殿。その隣におるのが子息の安部彌一郎信勝殿にございまする」
石川日向守から紹介を受けると、安部大蔵尉と安部彌一郎は順に家康に一礼。安部父子は石川日向守から直に応答するよう目配せされ、父である安部大蔵尉が息子に代わって言葉を発した。
「三河守様、某が安倍大蔵尉元真にございます」
「うむ。安部大蔵尉の名はわしも駿府におった頃から存じておる。亡き今川義元公より『元』の一字を偏諱された御仁であるとな。面識はなかったが、こうして会えた事を嬉しく思うぞ」
「はっ、恐悦の極みに存じまする。某は最初に武田軍が駿府へ攻め入った折、岡部次郎右衛門尉正綱殿とともに駿府を守るべく抗戦するも敗れ、本貫地の安部へ退いておりましたが、こちらでも武田には敵わず、遠州に潜伏しておりました」
「そうであったか。されど、今川家当主の上総介殿は北条家に庇護されておる。何故そちらへ赴かなかったのか」
「はっ、某の所領からは北条領は離れておりますれば、ひとまず所領からも近い遠州にて再起を図ろうと思い、遠州へ落ち延びた次第。されど、それだけではございませぬ」
北条領よりも近い徳川領の遠州にて再起を図ろうと思い、今に至る。そう語った齢五十八の老将・安部大蔵尉の言葉に熱が込められる。
「すでに今川家当主は上総介様ではありませぬ。強引に北条左京大夫氏政殿の長子、国王丸が今川家の家督を継承したと耳にし、すでに今川家は北条家の傀儡も同然。そこへ今川家を慕って上総介様のもとへ向かったとて、最も利を得るは北条にございましょう」
「されど、その論理では当家に仕官した説明にならぬ。当家は上総介殿を庇護してもおらぬし、武田家とは甲三同盟を締結してもおる」
「それはご本心ではございますまい。こうして曳馬城を改修しておられるのも、すべては武田との戦を見据えてのことと推察いたしまする」
「ほう」
「すでに北条は駿河では武田相手に劣勢。先々月には武田は伊豆の韮山城を攻撃し、先月は吉原や沼津にて北条軍と戦い、伊豆を荒らしまわってもおります。このままいけば、年内には武田が北条を破り、駿東郡も制圧しましょう」
安部大蔵尉は遠州に潜伏して再起を志す中で得た情報を惜しげもなく家康に伝える。その内容は最新の情報も含まれており、家康の目は大きく見開かれる。
「すなわち、武田相手に勝利することが見込めない北条ではなく、当家を頼ったのは――」
「はい。武田に抗う力を持つ大名は北条に非ず、徳川であると某は考え、子息も連れてこうして参っておるのでございます」
安部大蔵尉は傍らに控える齢十九の子息・彌一郎を見やり、再び家康へと視線を戻す。その瞳は嘘偽りで塗り固めたものでは決してなく、信用するに値するものであった。
「よし、そなたら父子の仕官を認めよう。ひとまず、身柄は日向守へ預けることとし、知行については江州出陣が一段落したのち、必ずや給することを約束しようぞ」
「かたじけのうございます……!」
兵数で遥かに劣っていようとも岡部次郎右衛門尉とともに武田軍に激しく抵抗し、今川家が没落した今も武田へ一矢報いたい一心で仕官してきた安部大蔵尉のような人材は貴重であった。それゆえに、家康は武田との戦を見越して仕官を許したのであった。
徳川家への仕官が認められたことがよほど嬉しかったのか、感極まって泣き伏す安部大蔵尉の背中を子息・彌一郎がさする中、石川日向守は安部父子の左隣に控える青年へ目配せしたのである。
「殿、この者は懸川に蟄居しておりました、青木忠助一重と申す豪傑にございまする」
「ほう、豪傑とな」
たしかに身なりは見るからに浪人らしい汚らしい風体であったが、骨格や肉付きは素晴らしく、若いながらも鍛え上げられた武人であることを青年の体つきが物語っている。
「徳川様。某、青木忠助一重と申す者にて、一昨年から昨年にかけて懸川まで上総介様に付き従っておりました」
「ほう、そうであったか。しかし、開城した際に上総介殿から受け取った台帳には名が記載されておらなんだが……」
「それについては事情がございます。上総介様が興津の清見寺から駿府へ撤退される際に殿を務め、そこで負傷してしまい、懸川の籠城には同行できなかったのでございます。されど、昨年の春には傷も癒えて懸川へ加勢しようとしたのですが、多くの付城が築かれておる様を見て加勢できぬと思い、付近の村に息を潜め、開城後に懸川へ移り住んだのでございます」
「なるほど、そうであったか。そして、そのことを日向守が聞きつけて、今日曳馬へ伴われてきたのであろう」
「仰る通りにございます。ある日、日向守殿から使いが参り、徳川家へ仕官せぬかとお誘いを受け、武田に抗おうとなされている徳川家へ仕官できるならばとお受けした次第に」
家康は青木忠助を見やり、一つ唸り声を発した。すでに青木忠助をどうするかについては家康の中で心を決めていたが、安部父子をはじめとする浪人たちに徳川は武田との戦を見据えて支度しているとの認識が広まっていることが危ういと感じたのである。
岐阜城で信長から指摘されたことを実行するべく、武田家との友好関係を維持することに努めようと思っていた家康にとって、その巷間の風説が武田へ伝わることが恐ろしいことであった。
しかし、ここで悩んでも仕方ないと思い直し、家康は目の前のことへと意識を引き戻す。
「青木忠助、そなたの仕官も認めよう」
「ありがとうございまする!」
「うむ。早速じゃが、今月下旬の江州出陣にも参陣してもらいたい」
「な、なんと!」
「そなたのような腕の立つ者は一人でも多い方が良い」
仕官して早々、出番だとばかりに戦へ駆り出されることになった青木忠助。本多平八郎や榊原小平太よりもさらに三歳も若い武士を家康は気に入った様子であった。そのことに仕官を取り持った石川日向守は安堵しつつ、最後の一人を家康へと紹介していく。
「殿、最後の一人が徳一色城主であった長谷川藤九郎正長殿にございます」
石川日向守に指し示され、長谷川藤九郎が一礼すると、家康は驚きと感動の入り混じった声を発した。
「なんと!さては、伊賀守殿のご子息であらせられるか!」
「はっ!父は長谷川伊賀守元長にございますが、父のことをご存知で……?」
「うむ。永禄三年の桶狭間合戦の折、陣中で二言三言会話した覚えがある。あの後、今川義元公をお守りして討ち死になされたとは耳にしておったが、よもやこうして伊賀守のご子息と出会えようとは」
よもやここで父・伊賀守元長の名が家康の口から出るとは思わなかったのか、長谷川藤九郎も大層驚き、感動した様子であった。
「実は某、花沢城の大原肥前守殿とともに山西地域を守るべく、武田と戦っておりましたが、花沢城の落城を知り、これで勝ち目はなくなったと判断し、所領を捨てて遠州へ落ち延びたのでございます」
「うむ。徳一色城のことはわしも耳にしておる。武田が改修して、今では田中城と呼ばれておるそうな」
「はい。でき得るならば、旧領の奪還を成し遂げたく。されど、武田に一矢報いれるならば、どこを知行として宛がわれようとも不平不満は申しませぬ。どうか何卒、仕官をお認めいただきたく……!」
安部大蔵尉と同じく、武田へ一矢報いたい一心で徳川領の遠江へ落ち延びてきた者の何と多いことか。
そして、北条ではなく、徳川を頼りにしてくれていることが何より家康にとっては喜ばしいことであった。安部父子と同様に武田との戦において絶対に寝返らない人材は貴重なため、長谷川藤九郎の仕官を認めるかなど、改めて考えるまでもなかった。
「うむ、長谷川藤九郎。そなたの仕官を認めようぞ。知行については大蔵尉と同じく、江州への出陣が一段落してからとなるが、それでも構わぬか」
「無論にございます!そもそも仕官をお認めいただけたのです、知行も大事にございますが、三河守様……いえ、殿が約定を違えるような御方ではないことは存じておりますれば、お待ちしておりまする」
家康への信用が安部大蔵尉と同じく正の方向へ振り切れている長谷川藤九郎に家康は笑いかけた。
なかなか新参者でここまで家康のことを慕っている人間も珍しかった。だが、武田に敗れた今川旧臣たちはかつて今川家の親類衆であった家康に大きな期待を寄せ、頼って来ていることは共通していた。
そうして家康は安部大蔵尉元真・彌一郎信勝父子、青木忠助一重、長谷川藤九郎正長といった旧今川家臣を召し抱えると、さっそく青木忠助を伴って岡崎城へと戻っていく。
それは無論、江州出陣に備えての動きであり、着々と出陣の時は迫っていた――
一方その頃、遠く甲斐国下山では徳川と武田の緊張関係に人一倍敏感になっている青年が一人。そう、武田家へ人質に出されていた家康の異父弟・松平源三郎康俊であった。
「兄上は今頃どうしておられようか」
一面の夏木立の中に佇む穴山左衛門大夫信君の屋敷にて人質生活を送る松平源三郎は、穴山家の侍女たちから漏れ聞く、武田と徳川が不仲であるとの噂に己の命運を悟っていた。
「兄上は武田との戦に備えておられると聞く。そうなれば、人質である某は処刑されるのみであろう」
永禄十一年の秋に人質に出された折、尊敬してやまない兄の役に立てることは喜ばしく、誇りに思って酒井左衛門尉忠次の娘・おふうとともに甲斐へとやって来た。
しかし、それから数カ月の間に徳川と武田は折り合いが悪くなり、関係が冷却する一途を辿り、昨年のうちに、おふうは三河へと送り返される事態となっていた。
人質に出された折、松平源三郎は十七歳であったが、おふうは十歳の少女であった。そんな彼女が良い話し相手となっていたために、三河へ送り返されてすぐの頃は敵地に一人残されて心細い想いもしたが、今ではそれで良かったと心の底から思っていた。
「おふうのような心優しい少女を道連れにせずとも良くなったのだ。このような辛い役目は某一人で充分じゃ……」
甲斐にて二度も年越しを迎え、十九歳となった松平源三郎は夏の風にとけてしまいそうな課細い声でそう独り言ちる。
「むっ、この握り飯は上手い。甲斐の米を一年半も食べ続けた三河者など、某くらいなものであろう」
松平源三郎の境遇を哀れんだ穴山屋敷の若い侍女が時おり差し入れてくれる握り飯を頬張りながら、松平源三郎は作り笑いを浮かべた。
「兄上、源三郎は甲斐より兄上のご活躍をお祈りしておりまする。どうか、どうかご武運を……!」
兄・三河守家康が将軍・足利義昭からの要請を受けて近江へ出兵することを耳にした松平源三郎はただ祈ることしかできない自分をもどかしく思いながら、遠く兄の無事と御家の繁栄をただひたすらに祈るのであった――




