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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第296話 江州出陣の支度と曳馬城の拡張工事

 無事に三河へ帰国することができた家康は岡崎城へそのままの足で入城すると、道中で練っていた誰を浅井や朝倉との戦に向けて参集するのかが良いか、それをそのまま命じていく。


「伯耆守」


「はっ!」


「西三河衆からは東条松平、幡豆小笠原、大給松平、桜井松平、五井松平、深溝松平、竹谷松平を招集せよ」


「承知いたしました!出陣はいつ頃に?」


「来月下旬には岡崎を出陣としたいゆえ、そのつもりで支度を頼む」


「はっ!委細承知いたしました!」


 西三河衆といっても、他の松平家をまとめるのが主な役割となるため、石川伯耆守数正は気苦労が絶えなかった。家老である自分の意見に他の松平一族が従ってくれるか、それこそ戦の勝敗に大きく影響するからである。


 そうして石川伯耆守と入れ替わるように、家康は同じく家老・酒井左衛門尉忠次へ視線を移す。


「東三河衆からは西郷、作手奥平、設楽、伊奈本多あたりに招集をかけよ。そこへ、今回は特別に長沢松平も傘下に加えようぞ」


「なるほど、当主の源七郎殿にとって某が継父にあたりますからな」


「うむ。伯耆守の指揮下につくよりは肩肘張らずに戦えるであろうと思っての人選じゃ。源七郎が戦に慣れてきたならば、元の通り西三河衆として編成するつもりでおる」


「承知いたしました」


 石川伯耆守と違い、東三河衆の旗頭を続投していることもあり、酒井左衛門尉は慣れた様子で家康からの命を受け、頭の中で段取りを組み上げていく。


 そして家康は西三河衆の旗頭である石川伯耆守と東三河衆の旗頭である酒井左衛門尉への指示を出し終えると、次は筆を取り、懸川城へ在城している家老・石川日向守家成へ宛てて参陣を命じる書状を発する。


 本心でいえば武田軍に備え、遠江からは一兵も動かしたくはないのだが、これは将軍・足利義昭からの上意を受けて出陣するのであり、武田信玄にも私意の出兵でないことは信長からも説明がなされているだろうから、気兼ねなく遠江からも兵を出すこととしたのである。


 二俣城に在城している鵜殿や高天神小笠原といった者たちにも出陣を命じたうえで、石川日向守とともに懸川城に在番している大給松平家当主・源次郎真乗へ出陣を伝える書状を伝え、参陣するよう命じていく。


 そうして名目上は将軍・足利義昭の、実際には織田弾正忠信長の軍事指揮下に入って行われる浅井、朝倉との戦支度を進めているうちに時は過ぎ、瞬く間に五月末となっていた。


 そんな家康は西三河衆を主軸として軍勢を編成し、そこへ東三河衆と遠江衆を加えたが、兵数としてはそこまで多くなく五千ほどであった。


 所領の広さから考えれば、留守居を一切考えなければ一万三千は集められるだけの広大な領土を有していながら、あえて五千しか兵を集めなかったのには理由があった。


「雅楽助と作左衛門はおるか」


 家康は登城してきていると分かったうえで、西尾城主・酒井雅楽助政家と重臣・本多作左衛門重次を書院へ秘かに呼び寄せた。


 家康からの呼び出しに、酒井雅楽助と本多作左衛門は速やかに応じ、家康のいる書院へと平服でやって来たのであった。


 家康が誕生した折にへその緒を切る胞刀の役を務めた頃は齢二十二であった酒井雅楽助も今年で齢五十となり、幼少の頃は黒かった髪もすっかり白くなってしまい、年老いたことを感じさせる。


 その隣に座し、事あるごとに家康に諫言して憚らないご意見番・本多作左衛門も齢四十二となり、顔つきや雰囲気から一層貫禄が増したことが窺える。


「殿、いかがなされましたか」


「うむ、居城移転の話がどうなったかと思うてな」


 そう、信長の意見を聞き、岡崎城から見附の城之崎城へと居城を移す計画を白紙に戻した後、候補地選びからやり直すこととなった居城移転計画の進捗を聞くべく、両名を呼び出したのであった。


「候補地としましては、殿が仰せであった通り、飯尾豊前守が居城であった曳馬城が良かろうかと」


 すでに次の城をどこに築くべきかは家康の中でも定め、重臣たちに伝達されていた。一から城を築いたのでは途轍もない時間と労力がかかる。そのことを加味し、すでに堅城として名高い飯尾豊前守連龍の居城・曳馬城に白羽の矢が立ったのである。


 無論、すでに飯尾豊前守の居城をそのまま居城にしたのでは、徳川氏の大名としての威厳もへったくれもない。それゆえに、家康は元からある曳馬城を基礎としたうえで、それを取り込むように拡張工事を施すこととしたのである。


「かの遠州忩劇において今川軍を撃退し続けた堅城。三方原台地の東端に位置し、高さは四丈ともなり、そう易々と登り切れるものではない。それゆえ、これを東の守りの要としたい」


 本多作左衛門が持参した曳馬城周辺の地形や城の曲輪配置を記した絵図が家康と酒井雅楽助の間に割り込むように広がる中、家康は扇子で曳馬城の東部を指し示す。そのことに異議などあろうはずもなく、酒井雅楽助も本多作左衛門も静かに頷く。


「然らば、本曲輪を築かれるのは今ある曳馬城よりも高地となる台地の東縁部になされるご所存で?」


「うむ、その通りじゃ。さすがは作左衛門、よう分かっておるではないか」


 すでにある飯尾氏時代の曳馬城を利用し、さらに高所かつ曳馬城とも曲輪を連結させられる位置を選んでいく。


「曳馬城の西に二の丸を築き、その二の丸の西に本丸を築くようにすれば、最も高い位置に本丸を持ってこられよう」


「なるほど、直接本丸を連結させるのではなく、間に二の丸を挟ませるのですな。それはこの作左衛門にも思いつきませなんだ」


「ははは、謙遜せずとも良い。そなたならば、わしに言われずともこのことには気づいておったであろう」


 本多作左衛門を高く評価する家康はそう言って笑うと、いつもは厳めしい顔つきで諫言ばかりしてくる本多作左衛門も恥ずかしいのか、俯きがちになる。


 そうして本多作左衛門が閉口するのと入れ替わるように酒井雅楽助が絵図を指し示し、家康に方針の確認をしていく。


「然らば、殿。拡張自体は西に向けて行っていかれるということでよろしいですかな」


「うむ。そのつもりでおる。台地上に築くことを考えれば、今ある地が東の端なのだから西へ拡張するほかない。何より、すぐ東には東海道沿いの引間宿があるゆえ、どのみち東へ拡張することは難しい」


「なるほど、それは仰る通りにございますな」


 酒井雅楽助は納得したのか、家康の言に頷き、まだ完成もしていない城が完成した時のことを思い浮かべ、悦に入っているようであった。


「加えて、すでにある曳馬城の北には玄黙口をもうけ、同じく曳馬城の南東に霜垂口をもうけたい。曳馬城と隣接する二の丸の東には明光寺口を、そして城の西南には名残口をもうけるのも良かろう」


 家康は手にする扇子を朱筆に変え、四つの口に朱色で丸をつけていく。それを眺める本多作左衛門と酒井雅楽助は感嘆するばかりであった。だが、常の様子に戻った本多作左衛門から新たな質問が飛ばされる。


「して、城の守りはいかがなさいまするか?すでに曳馬城は土塁と空堀で守りを固めておりますが……」


「うむ。あくまでも城を拡張するのだ。城の防禦は土塁や空堀を主体とする点は変更せずとも良かろう」


「なるほど、それもそうですな」


 すでに堅城として名高い曳馬城。その良さを崩さないように上手く拡張し、三河・遠江の二ヶ国を領する大名の居城らしい規模とする。


 元からある物を有効活用して、さらに要害堅固な城を作る。それ自体は聞こえの良いものであったが、その良さを壊すことなく活用していくことも念頭において城普請をするとなれば、現場で指揮を執る者たちへは一層の負担をかけることとなる。


「ひとまず、明日にも曳馬城へわしも向かうこととする」


「な、なんと!殿自らご覧になられると!」


「当然であろう。新たな居城ともなるのじゃ。この目で今申したことが実現できそうか、確かめる必要もある」


 家康の言うことは最もであった。実地で自分の理想とする城の拡張が成せるのか、その目で確かめるのは大切なこと。しかも、六月下旬には近江へ出陣する必要もあるため、着工前に確認できるのは今しかないのである。


 かくして家康は翌日にも岡崎城を発し、降りしきる雨の中、東海道筋で移動し、六月頭には遠州曳馬へ到着していた。


「ふむ、わしが見回った限りでは問題なさそうか」


 雨の中であったにもかかわらず、実地検証を行った家康はそのまま曳馬城へ入り、旅の疲れを癒やすこととした。


「然らば殿、今月より城普請を開始いたしまする」


「うむ、作左衛門ならば資材の調達なども抜かりないであろう。人夫《にんぷ》については此度の江州出陣への参陣を求めていない家臣や国衆、土豪らから供出させるがよい」


「なるほど、それゆえに軍の編成は五千と少なかったのですな」


「その通りじゃ。城普請へ人手も必要になるであろうし、万が一にも武田が動くことを想定すれば、そう多くは連れてはいけぬ」


 家康の判断はとにかく慎重であった。将軍の命令で出兵するという大義名分がある以上、同じく将軍・足利義昭の命を奉じる武田信玄が徳川領国へ出兵してくることは十中八九あり得なかった。


 何より、今は北条軍と駿河をめぐって争っている真っ最中でもあるのだから、九分九厘ないといっても良かったが、その一厘が自分の不在時に起こることもあるのが戦だということを家康は熟知している。


 だからこそ、念には念を入れての江州出陣と曳馬城の拡張工事なのであった。


「そうじゃ、作左衛門」


「はっ、何でございましょうか」


「いつまでも城の名が曳馬城ではいかんとは思わぬか」


「それは仰る通りにございますな」


 家康の言うことには本多作左衛門も同意するところであった。すでに滅んだ飯尾氏の居城を拡張するとはいえ、城の名前がそのままというのも、この梅雨の折のまとわりつく湿気のように、すっきりしない気持ち悪さが残る。


「何より、馬を曳くとは縁起の悪い」


「そうですな、敗北につながる縁起の悪い名であるとは思いますが、新たな城の名をいかにいたしましょうか」


「うむ。それについては一つ、良き名がある」


 馬を曳くことは戦で敗北することと直結して縁起が悪いとの見解は家康と本多作左衛門との間で合致した。そして、変更後の名前について家康は自信ありげににやりと笑う。


「かつてこの地にあった荘園の名を使うのはいかがであろうか」


「ほう、荘園の名をと。たしか、浜松荘《はままつのしょう》にございましたな」


「その通りじゃ。ゆえに城の名も地名も、それに因んで浜松としようではないか」


「浜松城にございますか!これは何やらしっくりきますな……!」


「そうであろう!これをもって曳馬城は浜松城と改める!このこと、領内に触れて回らねばならぬな!」


 曳馬城の名を浜松城と改め、地名も曳馬から浜松へと改めることとなった。すなわち、家康が新たに移転する居城は浜松城となったのである。


「して、作左衛門は先ほどから何故算盤を弾いておるのじゃ」


「はい。縄張りは雅楽助殿が進めてくださっておりますゆえ、その間に某は絵図通りに作るにあたって、必要な木材や大石といった資材を計算しておるのでございます」


「さすがは作左衛門。して、その目途は立ったのであろう」


「はい。この分ならば領内から調達する分に済みましょう」


 相変わらず本多作左衛門という男の奉行としての仕事は素晴らしいものであった。これで本人も槍働きができ、軍勢の指揮を執ることもできるのだから、家臣としては有能すぎるほどである。


「江州出陣に参陣しない家臣や国衆、土豪たちから人夫をこれほど集めたと仮定し、資材が届く日数を加味すれば、城の完成は――」


「完成は……?」


「九月上旬となりましょうか」


「おお、思っていたよりも早いではないか」


「やはり新たに城を築くことを思えば、必要な資材も少なくて済みますからな。普請も拡張が主となりますゆえ、城之崎城よりは工数は削減できておりまする」


 まさしく本多作左衛門の言う通りである。


 先般の城之崎城はどんな城になるかの想像も付きづらい面が確かにあった。それが新たに城を築くということなのだが、今回はすでにある曳馬城を拡張していく工事であるため、完成形が誰の目から見ても想像しやすい。


「然らば殿は浜松城の普請は我らにお任せあって、本日のところはお休みくださいませ」


「うむ、そうするとしようかの」


 連日連夜、江州出陣の手配や浜松城の城普請のことで手一杯だった家康はようやく一休みできるところまで漕ぎつけたのである。


 そうして本多作左衛門に促されて寝所へ入った家康は泥のように眠るのであった――

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