第295話 情けに歯向かう刃なし
虎口を脱し、越前国金ヶ崎から京へと戻ったのが四月三十日。その同日、殿軍を務めた明智十兵衛光秀は若狭国にて織田家臣・丹羽五郎左衛門尉長秀とともに親朝倉派の若狭武田家の重臣・武藤上野介友益から人質を取り、城館を破壊したうえで京へ帰還しようとしていた。
すなわち、池田筑後守勝正と木下藤吉郎秀吉、明智十兵衛光秀の三者が協力して行った殿軍は成功に終わり、幕府軍は被害を最小限に留めたうえで京へ帰還するという難事を超克してみせたのである。
そして、幕府軍の総大将を務めた織田弾正忠信長の盟友である家康は、将軍・足利義昭からの上意であることを大義名分に浅井備前守長政との戦いに向けて軍勢を編成するべく本国三河へ帰還するつもりであった。
しかし、そうはいかない事態が発生し、五月に入っても京にて足止めを余儀なくされていた。
「殿、やはり南近江の情勢は穏やかならず、安全に通行するにはまだ時がかかりそうであるとのこと」
「伯耆守、大儀であった。やはり旧六角領の南近江は荒れておるか」
「はい。近江の街道を確保するべく、織田殿の命を受けた稲葉右京亮殿が守山へ入ったとのこと。加えて、六角家に先導された一揆勢が守山の町へ攻め寄せるも、これを撃退したとの報せも入っております」
家老・石川伯耆守数正からの報告を聞き、家康は胸をなでおろす。西美濃三人衆の一人として名を馳せる稲葉右京亮良通は只者ではないと報告を受けた家康も実感するところであった。
そうしたところへ、思いがけない人物が家康の宿所を訪問してきたのである。
「と、殿!」
「いかがした、左衛門尉。そのように汗も拭わず……」
「公卿山科言継様、ご来駕にございます」
「そうか、山科様か。いや待て、山科様が参られたと!?」
「はっ!お通ししてもよろしいでしょうか?」
「左衛門尉のたわけ!山科様をお待たせするなどあってはならぬ!今すぐお通しせよ!」
家康は酒井左衛門尉忠次を叱りつけ、すぐに山科言継の応対を任せて門まで走らせると、その間に家康は近侍たちに手伝わせながら正装に着替えて客間にて自ら出迎えた。
「山科様、お出迎えもせず、まこと申し訳ございませぬ」
「構いませぬぞ。このような六十を過ぎた老いぼれに気など使われますな」
家康の謝罪に対して袖を振って笑う山科言継。一見すると好々爺であるが、諸大名からの献金を獲得し、各地の大名とも交流のある公家としては珍しい行動派の人物であった。
これまでにも信長の父・備後守信秀を訪ねて彼とその家臣たちに和歌や蹴鞠の伝授を行うなどして人脈を広げ、家康もよく知る今川義元とその母・寿桂尼を駿河国まで訪ねて献金の確約を得るなどしている人物なのである。
「昨年十一月には我が家臣、鳥居伊賀守忠吉へ書状を賜りましたこと、まこと恐縮しております」
「良いのです。鳥居殿が忠義の御方であることは宮中でも話題ですから、ああして書状を差し上げたのでございます。あのような家臣を持たれた左京大夫殿は果報者ですぞ」
「はっ、仰る通りにございます」
そう、昨年の十一月十日付で山科言継から家康の老臣・鳥居伊賀守へ宛てて書状が送られてきており、後奈良天皇の十三回忌に際して家康が朝廷に献金を行ったことを大層喜んでいたことを伝える文面であった。
その際、文中で家康のことを『徳川三河守家康』ではなく、『徳川左京大夫家康』と記しており、朝廷内部では家康のことをそう呼称するのが浸透しているようであった。
「それにしても、今川家のことは残念にございました」
「はっ、そのことにつきましては……」
「ええ、左京大夫殿の言い分は承知しているつもりです。私も今川家に肩入れしたい気持ちはありますが、それは父の正室である御黒木殿は寿桂尼様の姪であり、今川義元公の従姉妹であるためです。されど、その御黒木殿も昨年七月十八日に死去しております」
「そのことは風の便りで耳にいたしました。御身内のご不幸、ご冥福をお祈り申し上げます」
「これはご丁寧にかたじけない。されど、血の繋がりこそありませぬが、私の母とも言うべき方を北条家へ無事に引き渡してくださるよう、尽力してくださったことは耳にしております。それゆえ、畳の上で御黒木殿は我が父のもとへ旅立つことができたのでございます。この場を借りて改めてお礼申し上げます」
「め、滅相もない!顔を上げてくだされ!」
たとえ格下の従五位下・三河守の家康であっても、山科言継という人物は面子にこだわらず、しっかりと礼を申せる人物であった。
とはいえ、公卿に頭を下げさせるわけにはいかず、家康は頭を上げてくれるよう頼み、ようやく挙げてもらえたのである。
「左京大夫殿、此度は突然の訪問となりましたが、本日のところはこれにて失礼いたします。また献金のお願いなどがありましたら、使者を派遣しますので、今後とも良きお付き合いのほどを」
「某も以後も入魂でありたいと願っておりますれば、また何かございましたら、気軽に書状にてお問い合わせくださいませ」
思いがけない来訪者・山科言継への応対を終えた家康は一気に肩の力が抜けるような錯覚に陥ってしまう。
自分の生まれた頃から日ノ本各地を飛び回り、朝廷献金を獲得するべく奔走してきた山科言継との対面は実に緊張の絶えないものであり、将軍・足利義昭への謁見以上に気を遣う時間であった。
「殿、山科様もなかなかまめな方にございますな」
「うむ。わしが京におる間に直に会っておきたいと思われ、こうして来てくださったのであろう。そうしたところが、人の信頼を得て献金を獲得することに繋がっているのであろう」
「いかにもですな」
山科言継の退出後、部屋に充満する初夏を予感させる新緑の香りを満喫する家康は信長から九日に京を発つから同行しないかとの誘いを受け、これを了承するのであった。
それから六日が経った五月九日。信長と合流した家康は三河へ帰国するべく、京を出立した。初めて上洛し、京の土を踏んだ日が実に二ヵ月前のことだとは家康とて信じがたいことであった。
「三州殿、越前での遠征では大変な苦労をかけた」
「そのようなこと、お気になさらずとも。戦とは生物にございますれば、その時々に応じて調理法も変わるというもの」
「ははは、三州殿はこれまた上手いことを申される」
馬を並走させ、東へと進む一行は山城国から近江国へと入った。そこで信長は浅井備前守長政が京を狙うことを警戒し、山頂から琵琶湖を一望でき、坂本にほど近い宇佐山に築いた砦へ森三左衛門可成を配備し、南近江へと進んだ。
「やはり森殿を宇佐山へ置かれたのは浅井や朝倉が琵琶湖の西岸を経由して京を目指して来ると思われたからでしょうか」
「で、ある。三州殿も申される通りよ。宇佐山城は琵琶湖を北から西へ回って京を目指すには避けては通れぬ地。あそこに三左衛門がおれば抜かることはない」
信長が森三左衛門へ寄せる信頼がいかほどのものか、会話の中で感じ取りながら家康は信長と馬を並べて南近江を東へ進んでいく。
かつて義昭が六角氏に庇護されていた折に御所を置いた野洲にほど近い永原城へ織田家筆頭家老・佐久間右衛門尉信盛、八幡の長光寺へ重臣・柴田権六勝家、安土山に築かせた城には中川重政を守備に就かせ、南近江の街道確保という重要な役割を任せた。
しかし、愛知川にほど近い鯰江城に浅井備前守長政が軍勢を派遣し、それに煽動されたのか、市原野郷の村人は一揆を起こし、岐阜への通路を遮断してしまったのである。
愛知川の東岸でそのような事態となり愛知川を渡れずにいる信長が苛立っていると、近江八幡の南東、甲賀の北東に位置する蒲生郡日野城から火急の使者が到着。信長へ思いがけない朗報をもたらしたのである。
「申し上げます!川東のことを耳にいたしました我が主、蒲生左兵衛大夫賢秀は同郷の布施公保、甲津畑の菅六左衛門が馳走いたし、千草越の道を確保いたしましてございます」
「で、あるか!これならば伊勢を経由して帰ることも叶おうぞ!」
蒲生家臣が日野から駆けて知らせてきた内容はまさしく一行にとって朗報であった。直接岐阜へ向かうには多少遠回り且つ難所続きとなる千草越であるが、伊勢から帰るという選択肢を示し、それがすでに確保されていることは紛れもない朗報である。
ましてや、日野城の蒲生左兵衛大夫の嫡男・忠三郎賦秀には信長の長女・相姫が嫁いでいる。一門の守る城を通過するのであれば、比較的安全と言えた。
そして、こうした情報に接した時の信長は例に漏れず、迅速な決断をしてのける。
「よし、そなたはすぐに日野城へ戻り、左兵衛大夫へ伝えよ!おれはこれより日野へ向かうゆえ、千草越が成せるよう手配を抜かるでないとな!」
「ははっ!ただちに立ち返り、主に伝えまする!」
電光石火、信長は蒲生家臣を日野へ走らせると、すぐにも進路を南に取り、千草越をするべく動き出す。これに後れまいと家康とその麾下五百もただひたすらに駆け、千草越が成せる街道へ到達したのである。
「三州殿は伊勢へ抜けた後、いかにして三河へ戻られるか」
「そうですな、尾張を経由させていただき、陸路から戻るつもりで算段しておりますが……」
「ふむ。それも悪くないが、揖斐川、長良川、木曾川が流れておることもあり、東西の往来には時がかかろう。伊勢の港を使う許可はおれが出すゆえ、そこから知多へ抜ける方が良かろう」
「然らば、お言葉に甘えさせていただき、海路を使わせていただきまする」
千草越を始める前、兵馬を休める間に路傍の大石へ腰かけて語り合う中で帰路について話し合う信長と家康。
家康の陸路を使う意向を聞き、海路を使うことを薦めた信長は合わせて湊の一時的な使用許可を出すことで海路という選択肢を与えたのである。
もうすぐ梅雨という時期でもあるこの五月。もし帰る途中で大雨に遭遇しようものなら、たちまち濃尾平野を流れる三つの河川は氾濫し、家康一行は足止めされてしまうことは信長には容易に想像できた。
それもあり、家康に海路を薦めたのであり、この気前の良さこそが信長の良いところであった。そのことに家康が感謝し、ひとしきり礼を述べたところで出発する刻限となり、一行は蒲生家の者を道案内とし、千草越を決行したのである。
まもなく雨が降ろうというのか、曇天模様の下で決行された山越えは実に緊張感を伴うものであった。
足元が悪く、平地のように馬を走らせることができないため、馬に乗っている者も速度を落として歩かせることしかできない。それを知ってか知らずか、草叢から冷たい銃口が一つ、信長へ照準を定めて待ち構えていた。
信長が家臣たちと険しい山越えの空気を憚ってか、いつも以上に声高らかにやり取りをしているところへ、突如として山中に一発の銃声が轟いたのである。
「殿!」
そう叫んで織田家臣らは信長のもとへ駆け寄り、その身の安全を確かめに奔る。すると、信長は馬から転げ落ちたものの、軽傷で済む具合の傷を負ったばかりであった。
「案ずるな。かすり傷よ」
そう言う信長の右腕からは血がにじんでおり、その袖をめくってみれば本当に銃弾が信長の右腕をかすめただけのようで、家臣たちは安堵する。
そうして再び進軍するべく、家臣たちが信長を守るように周囲を固めつつ千草越を再開するが、それからしばらくして執念深い鉛玉がもう一発、轟音とともに信長へと飛来したのであった。
「殿!」
「ふん、左の頬をかすめただけよ。狙っておる輩は随分とへたくそらしいぞ」
狙撃した相手の腕前を嘲った信長であったが、家臣たちは慌てた様子で先を急ぐよう進言し、信長もそれに従った。
そうして千草越を終えて海の見える地まで到着したところで、信長のもとへ家康が心配そうな眼差しとともに駆け寄って来たのである。
「弾正忠殿、山中にて銃撃されたそうにございますが、ご無事で!?」
家康にもとまで銃声は聞こえていたが、信長が撃たれたことは今さっき知ったところらしかった。
「うむ、三州殿にも心配をかけてしまったか。案ずるな、右腕と左頬をかすめただけで大事には至っておらぬ」
「それはようございました……!今弾正忠殿の御身にもしものことがあればと思い、肝を冷やしましたぞ」
「おそらく六角の手の者であろうが、このおれを前に銃弾が避けていったのだ。そう鉛玉なんぞ当たるものか」
豪胆に笑う信長が本当に軽傷であることを確かめると、家康は織田家の一行と別れ、湊から舟で知多半島へ渡り、無事に本国三河へ帰国することが叶った家康一行なのであった。




