第294話 金ヶ崎の退き口
元亀元年四月二十五日に天筒山城を、翌二十六日に金ヶ崎城を陥落させた幕府軍は疋田城を落とし、朝倉家の諸城を破竹の勢いで攻略していく。
いよいよ満々と若木の緑に満ちた木ノ芽峠を越え、国中地域へ攻め込まんとする信長は上機嫌で家康や三好左京大夫義継、松永弾正久秀、池田筑後守勝正といった諸将を呼び寄せ、従軍の労をねぎらっていた。
「中でも三州殿は幕府軍では最も京より離れた三河衆を率いて参陣していただいておること、公方様も大層お喜びであった」
「それは有り難きこと。公方様の命とあらば、いずれへも参りましょう」
「方々、今の一言をお聞きになられたか!今の言葉こそ、幕府の臣下としてあるべき姿!我らもこれを見習わねばならぬ!」
信長は家康を褒めそやし、それを見守る三好、松永、池田の三将へ家康自慢をしてのけていた。そうしたところへ、一手の大将を務める木下藤吉郎秀吉が駆け込んできたのである。
「殿!」
「藤吉郎、いかがした。のろまな朝倉左衛門督めが軍勢を率いて一乗谷を発したことは先刻知らせを受けておる」
「はっ、そうではございませぬ!北近江の浅井が裏切り、こちらへ攻め寄せて参るとのこと!」
「ほう、備前守が寝返ったと申すか。あ奴には我が妹の於市を嫁がせてもおるのだ。寝返るなどあり得ぬ。どうせ朝倉の間者が流布した流言であろう」
そう言って木下藤吉郎からの報告を虚説であると却下した信長であったが、その後もひっきりなしに浅井備前守長政離反の報せが届けられ、それは事実だと信じざるを得なかった。
そこへ幕府奉公衆の明智十兵衛光秀が木下藤吉郎に案内され、信長のもとへ馳せ参じたのである。
「弾正忠殿」
「浅井の裏切りならば耳にしておる」
「そのことに関して、金ヶ崎城に朝倉中務大輔殿が残していった帳簿を調べましたところ、一つ重大なことが判明いたしましたゆえ、急ぎ報告せねばと思い、罷り越した次第に」
浅井備前守の裏切りに関係するものが金ヶ崎城の帳簿に残されていた事柄とどう関係するのか。信長だけでなく、家康を始めとする同道する諸将は理解に苦しみながらも明智十兵衛の言葉を待った。
「この帳簿を調べましたところ、金ヶ崎を介して朝倉と浅井は商いをしておったようなのです。金ヶ崎は敦賀湾に面していることから商業が発達しております。そして、この金ヶ崎を介して朝倉は浅井へ兵糧や武器弾薬をはじめとする物資を融通しておったことが帳簿から判明したのでございます」
「ほう、つまりは朝倉ではなく、我らに金ヶ崎を押さえられたことに危機感を抱き、挙兵するに至ったと申すか」
「いかにも。弾正忠殿と浅井は婚姻同盟を結んだ間柄にございますが、それよりも遥か昔より朝倉と浅井は同盟関係にありましたゆえ、それはこの敦賀の地が両者の結びつきを象徴する物だったからではないかと愚考いたしまする」
「すなわち、我が狙いが若狭と思っていたゆえ、何も申さなかったが、矛先が越前へ向いたことで離反を決断したと申すのだな」
信長からの確認を込めた言葉に明智十兵衛は大きく頷く。ともすれば、朝倉家との既得権益を守るため、挙兵したと考えれば挙兵がどうして今であるのか、すべて辻褄が合う。
「弾正忠殿、ここは金ヶ崎にて朝倉と浅井の両軍を迎撃するのはいかがか。こちらは三万、対する朝倉と浅井は号しても一万数千。兵数の上では圧倒的にこちらが有利にございましょう」
そう発言したのは河内国若江城主・三好左京大夫義継であった。まだ若く血の気の多い三好左京大夫義継らしい、強気な迎撃策。
これには信長も大いに同意するところであった。幕府軍であることから士気の高い今ならば、たとえ挟撃されようとも朝倉や浅井など敵ではない、という点では三好左京大夫義継と方針が合致していた。
「よし、ならばひと息に朝倉と浅井を蹴散らし、一乗谷を火の海とした次は浅井の居城である小谷城を灰燼に帰してくれよう!撤退して朝倉や浅井などに追い討ちをかけられるなど、武門の名折れ、末代までの恥辱であろう!ここは決戦あるのみ!」
これを受けて木下藤吉郎が口を開こうとするも、こうと決めた信長に何を言っても無駄なのではと思い、口をつぐんでしまう。明智十兵衛も幕府奉公衆として、無茶な決戦はするべきでないと進言したかったが、木下藤吉郎と同じく信長を説得できる気がせず、黙り込んでしまう。
そんな決戦の気運が高まりつつある陣中にて軍扇を掲げて遮ったのは他ならぬ徳川三河守家康であった。
「三州殿は決戦に反対か」
「はい。弾正忠殿らしからぬご短慮とお見受けいたしまする」
ずばり信長の短慮であると家康が言い切ったことで、その場の空気は冷え込み、張り詰めた空気が漂う。その場に居合わせる諸将は信長と家康の顔を交互に見やり、一体どうなることやらと肝を冷やしながら成り行きを見守った。
「聞こう。一体、おれの決戦すべきとの方針のどこが短慮であるというのか」
怒気を帯びた言葉が家康へと容赦なくぶつけられる。自分の意見を聞けば居城の移転先すらも変更してしまう家康が、ここで正面切って反対意見を述べるとは信長も予想外であったのだ。
それだけに裏切られたという感覚が信長を襲い、詰め寄るような言葉を投げかけさせたのである。そのことは諸将の前では畏まって『某』と発言する信長が諸将の前であることを忘れて『おれ』と発言したところにも頭へ血が上っていることがよく表れていた。
「されば、言上仕らん」
――徳川三河守にそれだけの気迫が出せたのか。
そう周囲の者が驚くばかりの迫力でもって言い切った家康は一瞬たりとも信長から視線を外すことなく、睨み返すように意見を述べていく。
「たしかに弾正忠殿や左京大夫殿が申されるように兵数は我らが遥かに勝っておりまする。されど、この地形が危ういことをご理解しておられましょうか。平野部での野戦ならば敵ではありますまいが、このような隘路ではいかなる大軍も用をなしませぬ。ましてや地の利は敵の方が明るい。もしも我らの知らぬ抜け道より奇襲してくるようなことでもあれば、弾正忠殿は十年前の今川義元公と同じ末路を辿られましょう」
家康の言うことは道理であった。信長は唇を嚙みしめ、そのことを痛感させられているようであった。何より、十年前の桶狭間合戦を引き合いに出されたのが応えているらしかった。
「そして、この陣中には飛鳥井様や日野様といった公家衆もおられます。公家の方々に危害が及ぶことあらば、弾正忠殿は末代まで謗りを受け、幕府の威信を失墜させることとなりましょう。そのことをご理解なされたうえで決戦をと申されますか」
「そ、それは……」
冷静さを取り戻してきたのか、信長は自分の作戦に無理があると自覚しつつあった。それもあってか、家康からの詰問に対して言い淀んでしまう。
「何より、弾正忠殿の敵は朝倉や浅井だけではありますまい」
「と、申すと?」
「もしここで長陣ともなれば、公方様は誰がお守りするのですか。何より、南近江も落ち着いておらぬことは弾正忠殿が相撲興行をわざわざ佐々木氏の氏神の前で行ったことからも明らか」
「むっ、つまり我らがここに長陣となれば、南近江の六角が蜂起し、三好三人衆どもが公方様のお命を狙って京へ攻め入ると、かように申したいのだな」
ようやくいつもの信長らしい口調に戻ってきたことに安堵し、家康は信長からの確認を込めた言葉に頷き返す。
「加えて、もう一つ」
「三州殿、忌憚なく申されよ。この信長、謹んで承ろう」
「弾正忠殿は先ほど朝倉や浅井に追い討ちされるは武門の恥辱と仰せにございましたが、某はそうは思いませぬ」
「ほう、何故か」
「撤退するのではなく、出直すだけにございますれば。出直して敵を屠るのですから、何を恥と思う必要がありましょう。出直して朝倉や浅井を討滅すれば、後世の者からは英断であったと讃えられましょう」
「はははは!これは三州殿に一本取られたわ!うむ、この信長ともあろう者が一時の恥を恐れて肝心なことを見落としておった!よし、此度は出直すとしよう!そういたそうぞ!」
先ほどまで怒気を発していたとは思えない闊達な笑いを見せる信長に、家康はもう一つ、撤退についての進言を行った。
「弾正忠殿、身の程を弁えず無礼なことを申しました。その罰として、殿軍をお命じくださいませ」
「なんの。そなたの諫言でこの信長、目が覚ますことができた!決して無礼などではないゆえ、殿軍など申し付けることはせぬ」
敵の追い討ちを受けながら撤退する最も危険な役割を引き受けようとする家康を制した信長。そんな彼の前へ、摂津衆を率いる池田筑後守が進み出る。
「弾正忠殿、我が摂津衆がしんがりを引き受けましょうぞ」
「なに、筑後守殿が殿軍をと!?」
「はっ!我ら摂津衆はこれまで後方に控えるばかりで一兵たりとも損じておりませぬ。敵の新手を迎え撃つのにうってつけであると心得まする!兵数は我等だけでも三千おりますれば、ご案じなく」
摂津衆三千が残るとあれば、朝倉や浅井の大軍が攻め寄せても見事に防ぎきれよう。だが、さすがに摂津衆だけに負担を強いるわけにはいかず、信長は木下藤吉郎を見やった。
「当家からは木下藤吉郎の隊も加えよう。少しは兵数の足しになろう」
「かたじけござらぬ」
信長からの気遣いに、池田筑後守は慇懃に礼を申した。そして、信長に指名された木下藤吉郎は殿軍を嫌がるかと思えば、むしろ一番大事な役割を任されたことに喜んでいる様子であった。
そんな中で、幕府奉公衆を務める明智十兵衛も口を開いた。
「弾正忠殿、ここは某も殿軍として残りましょう」
「なにっ!?しかし、奉公衆の方々を残すわけには参らぬ」
「されど、これは幕府軍の撤退にございますれば、我ら奉公衆も先頭きって戦わねばならぬところにございます」
「よかろう。そこまで申されるならば、殿軍を託すといたす」
かくして、殿軍の主力は池田筑後守率いる摂津衆三千。これに木下藤吉郎の織田勢、明智十兵衛率いる幕府奉公衆を加えた軍勢で金ヶ崎城を起点に撤退戦を行うこととなった。
「他の者は急ぎ陣を払え!幟も幔幕もそのままにしてよい!とにかく軽装を心掛け、京までひた走れ!」
幕府軍は迅速に撤退の支度へ移った。池田、木下、明智の三名はいかにして朝倉と浅井を迎え撃つかの評議を始め、信長をはじめとして三好左京大夫、松永弾正といった者たちは自陣へ戻って撤退の支度にかかる。
「三州殿、そなたも我らに続いて撤退なされよ」
「はっ!」
信長の出立は早かった。武田信玄から送られた名馬、利刀黒にひらりと跨ると森三左衛門可成をはじめとする織田家臣を引き連れて出発していく。
これに後れを取ってはならぬと、家康は三河より引き連れてきた五百を率い、その後ろに続いた。
「三左衛門!」
「はっ!」
「帰路に朽木越をして参るゆえ、松永弾正とともに朽木弥五郎元綱へ我らの撤退に協力するよう命じて参れ!」
「はっ、承知!」
信長のすぐ後ろに続いていた森三左衛門は二、三騎を引き連れて松永弾正へ事情を説明すると、共に近江国朽木谷へと駆けていった。
朽木谷を領する土豪・朽木弥五郎元綱は今年で齢二十二となった若武者であったが、三好長慶に京を追われた足利義輝を匿うなど幕府への忠誠心に溢れる武士である。ましてや浅井備前守長政には幾度と所領を攻められた経緯もあり、否と申すはずがなかった。
「弾正忠殿、朽木を越えられましょうか」
「案ずるな。三左衛門では役不足であろうが、松永弾正ならばやり遂げよう。あの者が敬愛してやまない主君、三好左京大夫を逃がすためでもあるのだからな」
「なるほど。さすがは弾正忠殿」
「ははは、三河守殿。もう一つある」
「もう一つと仰いますと?」
「朽木弥五郎の生母は飛鳥井家の出身でな。此度従軍していただいておる飛鳥井雅敦様は朽木弥五郎から見て母方の従兄にあたる」
「そうなれば通さざるを得ますまい」
そんな信長の目論見通り、朽木弥五郎は撤退する幕府軍の通過をあっさり許可し、四月三十日には信長も家康も無事に京へ帰還することが叶ったのである。
そんな朽木越に協力した朽木弥五郎元綱こそ、これより三十年後の関ヶ原合戦においても大きな役割を果たすこととなるのだが、それはまた別の話。
「三州殿」
「仰せになられずとも分かっておりまする。京で一休みしたら、すぐにも本国三河へ帰り、軍勢を招集せよとのことにございましょう」
信長が何を言いたいのか、すべてを察した家康は次なる一手を打つべく、思案に耽るのであった――




