第293話 幕府軍、若狭・越前へ侵攻す
永禄十三年四月二十日に京を発した幕府軍はその数三万。これが織田軍三万であったならば、指弾されるようなこともあったかもしれない。
しかし、ここに集ったのは将軍・足利義昭の命を受けた織田弾正忠信長を総大将とし、明智十兵衛光秀をはじめとする室町幕府奉公衆や三好左京大夫義継率いる河内衆、松永弾正久秀率いる大和衆、池田筑後守勝正率いる摂津衆、一色式部大輔義道率いる丹後衆、徳川三河守家康率いる三河衆五百の混成軍。
織田木瓜の旗の他にも足利義昭に従う大名たちの旗が春風を受けて靡き、悠々と近江国坂本を経由して若狭路へ進軍していく。
さらには、齢二十四の飛鳥井雅敦、齢十六の日野輝資といった若手の公家もこの幕府軍に同道したことも、幕府軍の権威を象徴するものであった。
「三州殿」
「弾正忠殿、出陣は首尾よく参りました」
「で、ある。何故おれが上洛の前に尾張や美濃、南近江で力自慢の者たちを集めて相撲大会など開いたか、すでに三州殿もお分かりであろう」
「はい。相撲大会を名目とすれば、力自慢の者が京近くに集まろうとも不思議はありませぬ。すべてはこの若狭進軍のためだったのですな」
「その通りよ。呑気に三万もの軍勢を集めておっては敵に備えられるだけゆえな。今頃三万もの幕府軍が坂本を過ぎたと聞き、若狭の武藤共は驚愕しておろう」
家康は改めて、馬を並走させている織田弾正忠信長という大将の深慮遠謀を見せつけられていた。
あくまでも将軍である足利義昭の願う若狭武田家の再興を成すべく編成された幕府軍。その障害となる親朝倉派で武田四老の一人・武藤上野介友益を討伐することを大義としている。
その武藤上野介の所領は若狭国でも西端に位置する大飯郡。丹後国とも密接した地域であるため、今回の幕府軍には丹後一色氏の軍勢も加えられているのである。
「よくあの一色式部大輔殿が従軍することを受諾されましたな」
「うむ。公方様と協議した末、こう伝えてやったのよ。『明後日より始まる若狭への出兵に従軍し、武功を挙げたならば、そなたの望み通り丹後一国を正式に安堵いたす』とな」
「なるほど、丹後一国を安堵していただくために上洛したのですから、当然受け入れるでしょうな」
「で、ある」
信長と義昭は上手く連携している。確かに細かなところで意見の違いはあれど、一体となって事にあたっていることは家康にも分かる。
そんな幕府軍が出陣中の四月二十三日。元号が永禄から元亀へと改元され、永禄十三年は元亀元年へと改められた。
幕府軍が近江・若狭の国境へ差し掛かると、若狭武田家の家老たちがこれを出迎え、そこから府中地域へ進軍する間も続々と若狭の国衆たちが馳せ参じ、瞬く間に若狭の大半が恭順の意を示した。
そうして若狭にて兵馬を休める間、家康は信長の陣を伺い、今後の動きについて相談しようとしていた。そこへ、齢四十九となる織田家の重臣・柴田権六勝家が一通の書状を手にして駆けこんできたのである。
「殿!一大事にございます!」
「おう、権六か。見ての通り、今は三州殿と今後の進軍について協議しておるところ。対したようでないならば、後にせよ」
「では、一大事にございますゆえ、ご報告させていただきます!」
柴田権六は一通の書状をうやうやしく信長へ差し出し、これを受け取り、一読した信長は驚きに眼を見開くかに思われたが、にやりと笑みを浮かべるのみであった。
「今差し出しましたのは武藤上野介から朝倉左衛門督義景へ宛てた密書にございます!我らを東西より挟撃するため、後詰めを要請したいと書かれておりまする!」
「ははは、権六。おれがこれしきのことも想定せず、のこのこ若狭へ入ったと思うか」
「で、では!すぐに武藤を攻めず、ここへ留まっておられたのは……!」
「武藤が朝倉へ後詰めなり援軍なりを要請するのを待っておったのよ。これで正々堂々と越前へ討ち入れるというもの。権六!この密書を書き写し、各陣営に札を立てて雑兵どもにも知らせてやるがよい」
信長という男は実に豪胆であった。三万もの幕府軍であれば、その日のうちに片づけられる武藤をあえて討伐せずにおいたのは、越前の朝倉へ後詰めを要請させるためだったのだ。
「三州殿、つまりそういうことじゃ」
「なるほど、承知いたしました。されど、武藤上野介を野放しにしておくは危険かと存じますが」
「降伏した若狭衆を東から、西からは従軍しておる一色式部大輔を丹後へ返し、丹後衆に牽制の役を担わせる。残る全軍で越前へ進軍するのよ」
「然らば、当家の隊もすぐに進軍できるよう支度いたしまする」
その夜の幕府軍の陣は慌ただしかったが、決して無秩序に慌ただしいわけではなかった。幕府軍の馬蹄の音は若狭から越前へと進んでいくのである。
明けて四月二十五日。越前へと進んだ幕府軍は同国敦賀の妙顕寺に布陣。金ヶ崎城と稜線伝いに接続していの支城であり、寺田采女正が千三百の兵とともに籠もる天筒山城攻めで朝倉家との合戦の火蓋を切った。
――三州殿は我らの戦を後方より見物なされるがよい。
そう信長に言われた家康は後方に下げられた自陣から織田軍の戦ぶりを見物していたのである。そこへ、随従する家老・酒井左衛門尉忠次が主君・家康の暇つぶしになればとばかりに話しかける。
「殿、我らが血を流さずに済んだのは僥倖にございました。元より戦支度などしてきておりませぬゆえ」
「うむ。我らが先鋒にでもされればひとたまりもない。このことは弾正忠殿もよくよく理解しておられよう」
「まことですな」
第一陣は織田家重臣・柴田権六勝家。その与力として旧六角家臣・蒲生左兵衛大夫賢秀率いる南近江衆が加わり、激しく城を攻め立てていた。
「たしか蒲生左兵衛大夫殿の嫡男、忠三郎賦秀殿も従軍しておるそうじゃな」
「はい。聞くところによれば元服の折には織田殿自らが烏帽子親となり、弾正忠から『忠』の一字を与えられて忠三郎と名乗っておるとか」
「それだけではない。蒲生氏から人質として出された忠三郎殿を見た弾正忠殿は目つきが只者ではないと仰せられ、長女の相姫を娶らせて婿にしたのだそうな」
「あの織田殿に只者ではないと言わせたとは、さぞかし器量のある御仁なのでしょうな」
「そうであろう。何より、我が嫡男竹千代とは相婿ともなるゆえ、機会があれば会うてみたいものじゃ」
家康と酒井左衛門尉が語らう中で名の挙がった蒲生忠三郎賦秀こそ、後の蒲生氏郷であり、二十一年後には天下人・豊臣秀吉から陸奥国会津九十二万石を任される大大名へ躍進していくこととなる。
それはさておき、織田軍による猛攻を受けた天筒山城はその日のうちに落城。寺田采女正以下城兵千三百余りが討ち死にし、ほぼ全滅に近い形で制圧されたのである。
その勢いのまま翌二十六日には敦賀郡の郡司で一門衆筆頭でもある朝倉中務大輔景恒が三千ほどで守備する金ヶ崎城へ攻め寄せたのである。
「景恒様!敵勢およそ三万、勢い衰えることなく城の包囲を終えておりまする!まもなく攻撃が始まろうかと!」
「くっ、天筒山城が一日で陥落させられ、城兵の士気は奮わぬ。一乗谷へ援軍要請をしたが、それも間に合うかどうか……」
「戻った使者が申すには、一門衆の朝倉孫八郎景鏡様や朝倉孫三郎景健様は金ヶ崎城を放棄し、戦線が狭く防御に向いた地形である木ノ芽峠一帯で決戦に持ち込むべきだと主張し、ご当主も迷われておるとか」
「孫八郎も孫三郎も常に一門衆の序列が儂より下位であることが不服な奴ら!ここで儂が討ち死にするか、城を守り切れずに逃亡ともなれば失脚させられるゆえ、故意に援軍を送らせようという魂胆であろう!このような危急存亡の秋にあっても、己の保身しか考えられぬとは嘆かわしき限りじゃ!」
金ヶ崎城を守る朝倉中務大輔景恒は家臣からの報告に憤慨した。このような危機にあっても、他の一門衆は序列争いのことしか頭にない。敦賀郡が幕府軍の手に落ち、木ノ芽峠を越えられれば越前の国中地域への侵入を許すことになる。
この金ヶ崎城を死守することが越前防衛の要であるというのに、誰もそのことを理解していないのが、朝倉中務大輔にとって腹立たしいことこの上なかった。
そんな怒りを鎮火するが如く、城外から鉄砲による一斉射撃が開始される。いよいよ幕府軍による城攻めが開始されたのである。
「皆の者、持ち場へ着け!敵を一兵たりとて城に入れるでないぞ!」
朝倉中務大輔にもはや恨み言を言っていられる時間はなかった。しかし、城兵の十倍近い敵の猛攻を前にしては、敦賀湾に突き出した小高い丘の上に築かれた金ヶ崎城では持ちこたえられるはずもなく、奮戦虚しく次々に曲輪が占拠されていく。
残る曲輪内には朝倉兵が死屍累々の有様で、城の命運は尽きていた。その様子を満身創痍で見やる朝倉中務大輔も全員玉砕を覚悟し、次なる幕府軍の攻撃に備えていると、門の方から一人の家臣が駆け寄って来たのである。
「申し上げます!」
「何事じゃ!」
「幕府奉公衆の明智十兵衛光秀と名乗る者が門前までお越しです」
「なにっ、当家が世話しておった明智十兵衛が参ったと申すか!して、幾人の兵を付き従えておる!」
「お、おひとりで参っておられます!それも丸腰にございまする!」
護衛を誰一人付けず、丸腰で敵地へやってくる明智十兵衛の胆力たるや見上げたものであった。何より、彼とは一乗谷で何度も顔を合わせ、越前の行く末について語り合った仲でもある。
「よしっ、丁重にこれへ連れて参れ」
「ははっ!」
朝倉中務大輔は明智十兵衛を城内へ通すよう命じ、それまで堅く閉ざしていた城門を開き、幕府奉公衆・明智十兵衛を通したのであった。
「おお、十兵衛。久しいのぅ」
「中務大輔の奮戦ぶり、実に天晴にございました」
「ははは、何が天晴なものか。城内は死屍累々の有様、加えて援軍が来る気配もない。このまま一兵でも多く織田の者共を道連れにして後世に名を留めてやろうとおったところよ」
「はははっ!そのようなことをしても名を留めることはありますまい。犬死というものです」
「いっ、犬死じゃとっ!」
己の覚悟を犬死などと言われて黙っていられるほど、朝倉中務大輔は穏やかな人物ではない。だが、この明智十兵衛が無意味に人を挑発するような男ではないこと、朝倉中務大輔もよく知るところであった。
「言葉を選ばずに申せば、まさしく犬死にございましょう」
「何故敵兵を道連れに討ち死にすることが犬死となるのか、その存念を承りたい!」
「では、有体に申しましょう。先ほど中務大輔殿は一兵でも多く織田の者共を道連れにして後世に名を留めたいと仰りましたな」
「いかにも。何か間違いがあるか」
「大間違いにございます。中務大輔殿が道連れにしようとなさっておられるのは幕府軍なのですぞ」
明智十兵衛にそこまで言われて朝倉中務大輔は肝が冷えた。確かに攻め込んでくる軍勢が付ける旗指物は織田木瓜であったが、足利義昭からも承認された正式な幕府軍なのである。すなわち、朝倉家は幕府に楯突く賊軍ということになる。
「幕府軍を相手に討ち死にしたとあれば、確かに名を後世に留めることくらいはできましょう。幕府に逆らい、死に急いだ逆賊の名で語られましょうな。はたして、それが中務大輔殿の望まれる最期であるならば、この十兵衛もお引止めいたしませぬ。ご随意になされませ」
「くっ……!」
朝倉中務大輔は敗北を悟った。戦の形勢ではすでに敗北しているが、大義名分ですでに敗北しているのだということを痛感し、心底より敗北を認めざるを得なかった。
援軍が来ようが来まいが、すでに朝倉家は幕府軍に抗った逆賊。朝倉左衛門督義景の首は逆賊の首級として晒し首となるは必定であった。無論、朝倉家の重臣どもも悉く逆賊として成敗されるは火を見るよりも明らか。ともすれば、ここで抗うことは無意味であった。
「中務大輔殿へお尋ねいたす」
「うむ。なんじゃ」
「その『中務大輔』の官途を誰から与えられたか、今一度熟考なされるがよい」
「越前におられた頃の公方様より直々に授けていただいたものにござる」
「どうか、これ以上公方様を悲しませる様なことだけはなさらないでくだされ」
この明智十兵衛の一言は見事に朝倉中務大輔の抵抗する気力を焼失させた。金ヶ崎城はその日のうちに幕府軍に降伏。朝倉中務大輔は一乗谷へと撤退していったのである。
かくして織田弾正忠信長を総大将とする幕府軍は金ヶ崎城を陥落させ、破竹の勢いで侵攻を続けていくのである――




