第291話 二条御所での出会い
家康が上洛してから一ヵ月半が経とうかという永禄十三年四月十四日。織田弾正忠信長が進言した二条御所の竣工を記念しての舞の興業が行われる当日を迎えた。
春の訪れを告げる桜が大路を飾り、その下を招きを受けて二条御所へと向かう公家衆・武家衆は皆一様に平和に春を迎えることができたことに安堵している面持ちであった。
家康が信長の案内で舞が始まる前に御所内を案内してもらっていると、渡り廊下にて薄く日焼けした公家と武家らしさが同居したような壮年と鉢合わせたのである。
「これは弾正忠殿。此度はお招き、かたじけのうございます」
「うむ、公家衆でも珍しい上洛された方にございますれば、京中の注目を集めておられ、さすがであると感服しておりましたぞ」
信長とは顔見知りらしく、その壮年はにこにこと笑みを浮かべて信長へと話しかけていく。家康も会話の内容から誰なのかを必死に探るが、上洛した公家衆と聞いても名前が浮かぶ気配はなかった。
「して、弾正忠殿。こちらにおられるのは……?」
「おお、紹介が遅れてしまったか。こちらは某の盟友にて、三河と遠江を領する徳川三河守家康殿にござる」
信長の紹介で目の前にいるのが徳川三河守家康だと分かると、壮年は興味深そうにまじまじと家康の顔や体格を眺めていく。
「ほほう、貴殿が三河守殿にございますか。お噂は遠く飛騨の山の中まで聞こえておりますぞ」
「飛騨と申されますと、飛騨国司の姉小路中納言頼綱殿にございますか……!」
「いかにも。まあ、中納言は自称しておるだけで、正式に叙位任官されておるのは従五位下、侍従にございますが」
家康に対しても信長と同じく笑顔を崩さない姉小路頼綱。彼の家は元々飛騨国守護京極氏の一族で家臣だった三木氏を称していた。
そんな三木氏は飛騨において勢力を拡大する中で飛騨全土の支配者としての正統な名分を得るべく、飛騨国司の家柄である姉小路家と同化し、今に至るのである。
「中納言殿の母君は近衛家の出身であらせられる」
「ははは、母の家柄が高いだけで、私が高貴であるとはなりませぬ」
信長より六ツ年下で、家康より二ツ年上にあたる齢三十一の姉小路頼綱は照れくさそうに笑ってみせる。
「それに、私は未だ嫡男の身。武家の当主であられる弾正忠殿や三河守殿より敬われるほどの身分ではございませぬ」
「何を申されますか、嫡男とは申せども立派に従五位下の位階を得ておるのですから、敬って当然でしょう」
「三河守殿にそうおっしゃっていただけると救われたような心地がいたします」
少し褒められるとすぐに照れくさそうに笑う。そんな姉小路頼綱の姿に親しみやすさを感じていると、信長から新たな話題が出される。
「三河守殿は某と中納言殿に共通していることがあるのだ。それが何か分かるか」
「ほう、共通していることにございますか」
家格の面でも齢の面、支配している国の数など色々なことが家康の頭の中で思い浮かぶも、いずれも違っていると結論づける。すると、もはや何が共通しているか、浮かんでくることなど一つもなかった。
「申し訳ございませぬ。某には分かりませなんだ」
「実はな、某も中納言殿も正室が斎藤道三公の娘なのじゃ。すなわち、某と中納言殿は相婿の間柄となる」
そうなのである。信長の正室・濃姫は斎藤道三の娘であることは言うまでもないが、姉小路頼綱の正室もまた、斎藤道三の娘なのである。したがって、両者は相婿となり、れっきとした親族。それもあり、二人は親しげにやり取りしていたのであった。
「なるほど、左様にございましたか。それゆえ、お父上に代わって、嫡男である中納言殿が上洛なされたのですな」
「はい。父からも以後の織田家との関わりを考慮しても、そなたが参る方がよいと申され、某が参った次第に」
姉小路家の嫡男である姉小路頼綱がどうして当主でもないのに上洛したのか。その理由が家康にもようやく理解することができたのである。
「そして、三河守殿は知らぬやもしれぬが、中納言殿の姉小路家は永禄七年の頃より武田と争い続けておられる」
「な、なんと!」
信長から明かされる衝撃の事実に、家康は目を見開いた。だが、よくよく考えてみれば、家康も納得できる。
信玄が飛騨へ侵攻していることはたびたび耳にすることはあったが、その飛騨を領有しているのが姉小路家なのだから、たった今信長から言われたことは本来言われずとも分かることであった。
「我が弟である三木次郎右衛門尉と江馬輝盛に敵対している江馬時盛が武田方に与したことを受け、武田軍の侵攻を招いてしまった。これが永禄七年六月のこと。そして、その際に弟と江馬輝盛は武田に降伏してしまったのです」
「な、なんと……!して、弟君は今も武田に従っておられるので?」
「いえ、昨年に弟は武田を離反したのですが、東美濃の苗木遠山勢が信玄殿の命を受けて飛騨国益田郡に侵攻し、大威徳寺にて合戦となり、寺が焼失する事態ともなりました。されど、武田との戦は今は落ち着きを取り戻しております」
甲斐から遠く離れた飛騨という地だからこそ、姉小路家は武田軍の侵攻を受けても滅亡には至っていないのだと家康は理解した。それに比べて、家康はといえば、北と東の二方面で国境を接しているのだから、武田と開戦すれば姉小路家のようにはいかないことも理解させられた。
「いやはや、貴重なお話をありがとうございます」
「なんの役に立つとも知れぬ話にございますが、三河守殿は武田との関係が悪化の一途を辿っておることは弾正忠殿より伺っておりますれば、とにもかくにも武田は警戒せねばならぬ相手。くれぐれもお気をつけください」
そう言い残すと、一礼して立ち去っていく姉小路頼綱。彼の話を聞き、表情が強張る家康の肩を優しく信長は叩いて現実へと意識を引き戻す。
「あまり考えすぎるでない。ひとまず、今は武田と和すよう心掛けてもらえればよい」
「はっ、そういたしまする」
信長からのいたわるような言葉に家康が平常心を取り戻しかけたところへ、目立つ水色の羽織をした青年が信長へと話しかけてきたのである。
「弾正忠殿、お久しゅうございます!」
「おお、左衛門督殿であられたか」
左衛門督と聞き、家康が真っ先に浮かんだのは越前の朝倉左衛門督義景であったが、彼はそもそも今回の上洛には応じていないし、今年で齢三十八ともなるのだ。今目の前にいる青年のように若々しくはないはずである。
「三河守殿、こちらは河内半国と紀伊の守護であられる畠山左衛門督秋高殿じゃ」
「畠山左衛門督秋高と申します。以後、お見知りおきを」
「これはご丁寧な挨拶、かたじけのうございます。某は徳川三河守家康にございますれば、お見知りおきくだされ」
眼の前にいる青年こそ河内半国と紀伊の守護に幕府から正式に補任されている畠山左衛門督秋高。まだ齢二十六と若いが、由緒正しい名門の貴公子として畿内で二ヵ国の守護を任されている有力者である。
「弾正忠殿。本日の舞の興行には憎き三好も参っておるとのこと。某とは席を放していただけますよう、平にお頼みいたしまする」
「うむ。畠山家と三好家の対立はこの信長も存じておりますゆえ、その点につきましては抜かりなくしております」
「さすがは弾正忠殿、お気遣い感謝いたします」
畠山左衛門督の兄・高政が当主であった頃、三好長慶との争いに敗れて居城の河内国高屋城を奪われ、一時は奪還するも再び奪われた因縁があった。
そんな中、永禄の変で将軍・足利義輝が殺害されたのと時を同じくして家督を譲られた畠山左衛門督は反三好の立場から足利義昭を支持することを表明。
この早い段階で足利義昭支持を表明した畠山左衛門督を評価した足利義昭は当時の諱である義秋から『秋』の一字を与え、『秋高』と名乗らせたのである。そして、足利義昭と織田信長の上洛にも協力したことで、紀伊国だけでなく、支配が不安定だった河内南半国の守護に補任された。
だが、どうして守護補任が河内半国だけかと言われれば、畠山左衛門督と対立する三好家当主・三好左京大夫義継もまた足利義昭を支持して上洛に協力しており、彼が領有しているのが河内北半国であったからである。
何代にもわたって戦い続けてきた三好氏と能の席で同席することも嫌であったが、畠山左衛門督は上洛して今日の舞の興行に参加することを決断。それを信長は深く感謝しているのである。
「実はな、先ほどの中納言殿と同じく、左衛門督殿もまた正室は斎藤道三公の娘で、某とは相婿となる」
「それゆえ、日頃から親しくさせていただいておるのです。聞けば、三河守殿もご嫡男と弾正忠殿のご息女が結婚なされ、親類であるとか」
「はい。そうした縁もあり、こうしてお引き立ていただいております」
「ははは、それは某とて同じこと。それでは、某は一足先に席へ向かいますので、これにて失礼いたします」
てっきり河内半国と紀伊の守護に補任された名門畠山家の出であることを鼻にかけるかと思いきや、どこぞの甲斐の虎とは違って家康のことを国衆あがりと見下すような素振りも見せない姿に家康は深く感じ入ってしまう。
「三河守殿、左衛門督殿はなかなかの好青年であったろう」
「はい。あれほどまでに腰が低いとは思いませなんだ」
「それは三好との戦いで二度も居城を奪われ、これまで多くの苦労をされてきたからであろう。誰に対しても高慢に接することのない男ゆえ、おれも気に入っておるのだ」
信長が畠山左衛門督のことを気に入っているであろうことは、話している時の声音からも家康は察知できていた。二十六歳であれほどな人物なのだから、これからも将軍・足利義昭を支える中で出世を遂げていくに違いない。
そうして姉小路頼綱や畠山左衛門督秋高といった上洛していなければ出会うこともできない人物たちとの出会いを経て、信長の案内で御所の見物を済ませた家康がともに戻ろうとする中、折烏帽子を被ったいかにも武士らしい身なりをした人物を見かけ、信長がよく通る声で呼びかけていく。
「そちらにおられるのは一色式部大輔義道殿ではござらぬか!」
「おお、これは弾正忠殿。厠へ行った帰りにございまして、これから席へ戻ろうかと」
「そうでござったか。もし迷っておられるならば、共に参ろうとお声がけするつもりでござったが、その必要もありませんでしたな」
一色式部大輔義道。その名を聞き、家康はすぐに室町幕府の四職に数えられる名家であり、丹後守護を務める一色家だとすぐに分かった。
「弾正忠殿、こちらの方は?」
「うむ。三河と遠江を領しておられる徳川三河守家康殿にござる」
「徳川三河守家康にございます。お見知りおきを」
「うむ。儂は一色式部大輔義道じゃ。何卒よしなに」
飛騨国司、河内半国と紀伊の守護に続き、丹後守護と朝廷や幕府に認められた名家出身の者たちとよく出会う日だと家康は心の底から思った。
あまり一色式部大輔は家康を顧みることはなく、実質的な管領として将軍を輔弼している信長の方ばかり見ていた。
「公方様は若狭武田家を再興なされる心積もりであると耳にいたしましたが、それは真のことにございますか」
「いかにも。その若狭に隣接していることもあり、式部大輔殿が若狭武田家と小競り合いを続けてこられた経緯は某も存じておりますが、これは公方様のご命令なのです。某の一存でどうにかできることではございませぬ」
一色式部大輔としては長く争ってきた若狭武田家に将軍が肩入れしていることに危機感を覚えていたのである。
将軍としては若狭武田家を再興させることが願いなのだろうが、再興させたとすれば若狭武田家は若狭守護として返り咲くこととなり、何より当主は将軍の甥となる。
そんな人物がもし、丹後守護を望んだとすれば将軍は丹後守護を自分から剥奪し、若狭武田家へ与えてしまうのではないか。そのことを懸念している様子であり、それを将軍に意見できる立場の信長に助けを求めているのであった。
「されど、式部大輔殿がそのように懸念されておることは、某からも公方様にはお伝えてしておきましょうぞ」
「かたじけない。何卒よろしくお願い申し上げます」
信長としては遠く丹後のことであるから興味関心が薄いのか、そこまで感情の籠っていない、実にそっけない態度であったが、その言葉を聞いた一色式部大輔は藁にも縋る想いで感謝の言葉を述べ、信長の機嫌を取ろうとしている。
それを一歩引いた立場から眺めつつ、家康はついに舞が興行される席へと到着したのであった。




