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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第287話 人生初の上洛

 ようやく雨が落ち着いたという頃合いを見計らい、岐阜城を出立した家康は大垣から佐和山へ入り、そのまま琵琶湖南岸に沿いの街道を足元が悪い中、西進して京へと入った。


 南近江の街道を進む中でも信長の話題で商人や町人の話題で持ちきりであった。京へ入るまでの道中、二月二十七日と二十八日には佐々木氏の氏神の前にて興行された相撲は力自慢の力士が多く集まり、それはもう大変な賑わいであったとか。


「殿、織田殿が尾張、美濃、南近江へ相撲興行を触れ回り、それに応じて集まった力自慢の者たちによって行われた相撲興行で民衆は賑わい、ここだけ乱世を忘れてしまったかのようじゃ」


「うむ。民が皆、生き生きとしておる。戦がなければこうも人は弾けた笑顔を見せるというのか」


「いつか、三河や遠江でもかような光景が見られる日が参りましょうか」


「参る。必ずや成して見せようぞ。厭離穢土欣求浄土の旗を掲げる者がそれくらいできずして何とする」


 南近江の街道を進む間、家康は雨で足元がぬかるんでいてすぐに袴や草履が泥まみれになることを除けば、まるで極楽浄土を闊歩しているような気分であった。


 はてさて、家康が岡崎を出発した折は二月下旬であったのが、入京した頃には月も変わり、三月五日となっていた。


「おお、これが京か……!」


 梅の花が咲き誇る頃に入った京の都。往時の駿府と比肩できるほどの華麗さはなく、乱世によって荒廃したことが窺える。それでも、都市の規模としては駿府など足元にも及ばないことを痛感させられる。


 ――これが日ノ本の中枢!


 入京した家康一行皆が街中の風景や行き交う大勢の人に目を奪われる中、信長から指定されていた宿所へと到着。長旅の疲れを癒やすかのように一行の多くはへたり込んでしまう。そんな中でもまだまだ元気溌剌としている本多平八郎忠勝が家康のもとへ駆け寄る。


「殿!織田家から使者が参り、八日後の三月十三日に公方様へ謁見していただきたいとのこと!」


「左様か。ならば、本日は早めに休んで旅の疲れを取り、明日からは京見物と参ろうぞ」


 家康の言葉に老境に差し掛かった酒井左衛門尉忠次は頷き、他の者も賛同したことで到着して荷物を運びこんで早めの夕餉を済ませると、家康と重臣一同は早々に眠りについた。


 その一方で、旗本衆は旅の疲れが睡魔となって襲い掛かるも、眠い目を擦りながら夜間も交代で見張りを続け、そうして再び陽が昇る。


「ふう……」


 家康は起床後すぐに井戸で汲み上げた水で顔を洗い、朝から日課の素振りと読書に耽っていた。するとそこへ、来客を告げるべく本多平八郎と榊原小平太康政が駆けてくる。


「殿!」


「平八郎に小平太か。いかがした」


「はっ!門前に織田弾正忠殿が参られております」


「そうか。弾正忠殿が参られたか。むっ、それはいかん!お待たせするわけには参らぬ!すぐにもお通しせよ!」


 緩急を付けずに本多平八郎が言ったため、軽く聞き流してしまいそうになったが、聞き流してはいけない人名であった。家康は慌てて信長を通しておくように榊原小平太と本多平八郎へ申し付け、さらには門まで走って戻らせる。


 それからは阿部善九郎正勝や鳥居彦右衛門尉元忠といった者たちに着替えを手伝わせ、酒井左衛門尉、石川伯耆守数正の両家老を従えて急ぎ信長のもとへ参上した。


「これは弾正忠殿!お待たせしてしまい、まこと申し訳ござらぬ」


「ははは、構わぬ。長旅の疲れもあろうゆえ、致し方なきこと」


 意外にも信長は待たされたことに怒っていない様子であった。むしろ、上機嫌ですらあった。いつも通りの高く通る声に整った顔立ち。そこからは怒気はおろか、喜びすら感じられる。


「おれと三州殿は無二の盟友。これしきのことで怒ると思われたか」


「はい」


「はい、じゃと!わはははは!やはり三州殿は愉快な人じゃ!ははは!」


 その日の信長はとにかく機嫌がよく、岐阜城で対面した時とは比べ物にならないほどによく笑った。


「そうです、道中の南近江で耳にいたしましたが、常楽寺にて相撲を興行なされたとか」


「うむ。あらかじめ当家の領国へ触れ回っておいたことゆえな。いやはや、力量互角の勝負も多く、見ていて飽きなんだ」


「そうでしたか。それは某も見たかったものです」


「ははは、雨のせいで進みが遅れたのであろう。天候のことは如何ともしがたい。気に病まれるな」


「はっ、お気遣い痛み入りまする。相撲興行も佐々木氏の氏神の前で行われたとか」


「で、ある。南近江は元は佐々木氏を祖とする六角氏の所領であったからな。氏神へ六角の没落と当家の興隆を披露する意味合いも込めておる」


 信長は大好きな相撲を見ながら上洛できたことも、この上機嫌の理由かもしれない。しかも、相撲興行一つとっても政治的な意味合いがしっかり含まれており、手抜かりがない。さすがは弾正忠殿だと家康が思っていると、再び信長の口が開いた。


「実はな、四日前の朔日に禁裏へ参じたのじゃが、そこで正親町天皇より副将軍に任命したいとのご意向を伝えられたのじゃ」


「な、なんと!帝から副将軍についてもらいたいと打診があったので!?」


「うむ。有り難いことではあるが、おれにその意思はない。されど、その場で断るのも無礼ゆえ、一度持ち帰らせてほしいと伝えて保留しておる」


「なるほど。されど断られるとは勿体ないことを……」


「ははは、副将軍になど興味がない。そんなことをしても諸大名がおれにひれ伏すわけではない。諸大名を従えるには武力が必要なのであって、位階などではない」


 信長の考えはやはり独特であった。しかし、家康にもすべてが理解できないわけではなかった。そうして家康が考え込むのを察してか、信長は新たな話題をぶち込んでいく。


「おれは明日、公方様に会うが、その折に二条御所の竣工を記念して舞の興行をしてはどうかと進言するつもりでおる」


「なんと、舞の興行をと……?」


「で、ある。三州殿は天下泰平に必要なのはなんだと思われるか」


「某には分かりかねまする」


「民心の安定。そのためにも畿内を平定し、幕府の威厳を整えることこそが先決」


「なるほど、そのために舞の興行をなされるのですな」


 二条御所にて将軍・義昭への御礼を述べに上洛した諸大名を集め、舞の興行を執り行う。これもまた、信長の天下布武の一環なのだと家康は驚かされた。


「二条御所も焼け跡から復興させた始めたのが去年の二月。そのため、懸川を攻囲しておる三州殿の援軍には向かえなんだ」


「そういえばそうでしたか。懸川の攻囲を始めた折はまだ焼け跡であった二条御所が今こうして竣工を迎えておるとは感慨無量にございます」


「そうであろう。あの折の畿内はまだまだ落ち着いておらなんだが、今は違う。公方様が二条御所に入られ、再び幕府は威厳を取り戻すであろう。その幕府の威光を利用し、おれは畿内周辺の味方以外の諸大名を一つ一つ屈服させていくつもりじゃ」


 信長の天下布武はまだまだ足場固めが済んだばかり。すべてはここからであった。


 次に信長が目を付けている侵攻先も知ったうえで家康は知らぬふりで通す。何せ、同席している徳川家臣は誰も信長が朝倉を攻めようとしているなど知らないのだから。


 そうして信長との対面が済み、一日が怒涛の勢いで過ぎていく。竹千代と亀姫、五徳への土産は何が良いかと思案し、都を散策したり、名所を観光して回るなどをしていればあっという間であった。


 そんな中、偶然雨の一日があった折、家康は思い出したように筆を取り、一通の書状をしたためていた。


「殿、その書状は?」


「これか。これは甲府の信玄殿へ宛てた書状じゃ」


「なんと!」


 そう言って驚く齢二十三の榊原小平太康政。だが、驚くのも無理はなかった。いつ武田と手切れとしようか、常々考えている主君が武田家当主へ書状をしたためているというのだから、一体どういう心境の変化かと問いたくなる事態である。


 貴国駿府陥落之捷、賀状已奉達候、然自爾以後、久違不通音問、誠以恐懼至極候、幸而於京畿、内外静謐、群臣各帰職、士庶無事、公方御政道益隆、天下稍々安堵之様候、仍而謹告此趣、伏惟貴候、益々御武運長久、国家弥固、可賀之至候、恐々謹言

 永禄十三年三月吉日 家康(花押)

 信玄殿


 文面を確認した榊原小平太は駿府陥落以来音沙汰なしであったことを詫びながら、京内外が静謐であることを伝えるものであったことに安堵しつつ、どうして今になってそのような書状をしたためるのか、理解に苦しんだ。


「岐阜城で弾正忠殿と密談したことがあったであろう」


「はい。まさか、その折に何かあったので」


「うむ。今は武田をこれ以上怒らせないでほしいと。有事の際に援軍を送れなくなるやもしれぬからと弾正忠殿は仰せであった」


「なるほど。つまるところ、それまで武田を怒らせぬようにするための書状であると」


 やはり榊原小平太は聡い。家康の心の内を少しの言葉を聞いただけで汲み取り、納得することができるのだから。


「その通りじゃ。何より、こうして友好的な書状を送っておけば、武田も当家の領国をむやみに侵すことはせぬ。ましてや、公方様へ御礼申し上げるために上洛しておるのだからな」


「なるほど、さすがは殿」


「そして、そなたにも来月に入ったら書状を甲府へ送れるよう書状を予めしたためておいてもらいたい」


「なんと、某も書状をと!?して、誰に宛てて書けばよろしいのでしょうか」


「うむ、信玄殿の側近である土屋右衛門尉昌続殿がよかろう。そなたは達筆ゆえ、さぞかし喜ばれるであろう」


「承知いたしました。然らば、文面は如何にしましょうか」


「友好な間柄を以後も維持したい旨を伝えてくれればそれでよい。仕上がったらわしに報告してくれ。この書状とともに使者に託して甲府へ送るゆえな」


 榊原小平太は家康からの命を拝受すると退出していった。家康が近侍する者の中でも彼を指名したのは、群を抜いて達筆であったからである。これならば武田からも不興を買うことはないだろうと踏んでの人選であった。


 そうして迎えた三月十三日。足利義昭との謁見の日である。その場には信長も同席してくれるとのことであったが、見知らぬ大名や幕府奉公衆も集まるとあって、家康は緊張で前の夜は眠れぬほどであった。


 それでも家康は将軍・足利義昭へ拝謁するにあたり、三河から持参した進物の数々を荷駄へ積み込み、重臣と旗本衆を従えて将軍の宿所へと向かっていく。


 すると、その宿所はひと際多くの人で賑わっていた。幕府御供衆や御部屋衆、申次が列をなし、公家衆などが籠を横付けして混雑を加速させている様子である。


「殿、これではまだまだ中へは入れそうもございませぬ」


「そうであろう。おお、伯耆守、あれを見てみよ。あの荷駄には但馬山名氏の五七桐七葉根笹の紋、あれには備前浦上氏の檜扇の紋が刻まれておる」


「まことですな。殿、あちらには飛騨の姉小路氏の丸に剣花菱の紋に、河内畠山氏の二つ引の紋。さらには三好氏の三階菱に五つ釘抜の紋が刻まれた荷駄がございます。真に日ノ本中から京へ人や進物が集まっておるのですな」


「うむ。やはり公方様のご威光たるや凄まじいものがある。ここまで人を多く集めてしまわれるとは……」


 家康が家老・石川伯耆守と話しながら行列が進むのを待っていると、所作が三河者を匂わせる足利家の家人が列の整理と称して家康一行の元へやってきた。


「そなたらは何処から参られたものであるか。名と進物の目録をお見せいただきたい――」


 その足利家の家人の顔を見た家康と石川伯耆守は仰天して目を丸くし、次の瞬間には冷静沈着な石川伯耆守がその名を叫んだ。


「お、お主は岸三之丞ではないか!」


「こ、これは殿!それに石川殿まで!」


 眼の前に立つ足利家の家人は元徳川家臣・岸三之丞教明。三河一向一揆に加担し、家康からの赦免を断って六年前に妻子とともに出奔した男である。それがよもや京で足利家に奉公していようとは。


「どの面下げて殿の御前に現れたか!この裏切り者めっ!」


「伯耆守、やめよ!」


 刀の柄に手をかけようとする石川伯耆守を制すると、家康は目録を岸三之丞へ手渡した。


「三之丞、これが目録じゃ。そして、我が名は藤原朝臣徳川三河守家康じゃ。妻子は達者にしておるか」


「はっ、達者にしておりまする!あっ、目録の方、預からせていただきまする」


 そう言って思わず家康へ足利家の家人としてではなく、元徳川家臣として接してしまう純粋さが岸三之丞の良いところであった。


 そんな思いがけない再会がありながら、家康は将軍・足利義昭との対面の時を待ち焦がれた。

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