第286話 年が薬
永禄十三年二月下旬。三河国岡崎を出立して美濃国岐阜城へ入り、織田信長と対面した家康。
武田家への対応は帰国後に講じるとしても、この上洛の真の狙いを信長から知らされた情報をもとに判断した家康は内心穏やかではなかった。
密談後も何食わぬ顔で家康を歓待していた信長は家康の表情が暗いままであるのを気にしたのか、小姓を走らせてある人物らを呼びにやらせた。
そうしてしばらくすると、岐阜城大広間へ見目麗しい一人の女性とその女性に手を引かれて一人の少年がやってきたのである。
「三州殿。これなるは我が正室、濃姫じゃ」
「三河守様、お初にお目にかかります。織田弾正忠信長が正室、お濃にございまする」
「これはこれはご丁寧な挨拶、痛み入りまする。某は徳川三河守家康にございます」
「ええ、夫から存じております。妾が尾張へ嫁ぐ前からの友であると」
「友などと恐れ多き事。されど、以後も同盟者として織田家とともにある所存。以後も良しなにお引き立てのほどを」
家康の前へやって来て正座したのは信長の正室・濃姫であった。齢三十六となるも、未だにその美貌は衰えることなく、その心の内からも美しさが所作を介して溢れ出ているかのようであった。
何より、家康が驚いたのは濃姫が発した『妾が尾張へ嫁ぐ前からの友である』の部分であった。この部分こそが信長との付き合いの長さを物語るものであり、年月の経過を強制的に感じさせるものであった。
「三州殿、濃姫の隣におるのが我が嫡男、奇妙丸じゃ」
「奇妙丸にございます。三州殿、よろしくお頼みいたす」
「おお、奇妙丸様。よろしくと申さねばならぬのは某の方にござる」
眼の前に座する齢十四の少年こそ、織田信長の嫡男・奇妙丸であった。生母は生駒氏であり、北畠家へ養嗣子として出された茶筅、竹千代の正室として岡崎で暮らしている五徳から見て母を同じくする兄、すなわち同母兄にあたる少年である。
竹千代よりも二ツ上の奇妙丸であるが、身に纏う風格からして竹千代よりも年長者であることが贔屓目に見ても理解できてしまう。武芸だけならば竹千代が上かもしれないが、教養や次期当主としての立ち居振る舞いとしては奇妙丸には遠く及ばないと痛感させられる。
心の内で家康が色々と考える中、濃姫と奇妙丸は信長の傍らに収まり、王者の一族であるかのような風格が大広間を支配する。この夫にしてこの妻あり、この父にしてこの子あり、といったことが目の前に現実として君臨する以上、家康は本当に敵わないと思わされる。
「三州殿、五徳は達者か。奇妙丸もそのことをいたく案じておる」
「はっ、竹千代とも仲睦まじくしておりますれば。当家の家臣とも親しく交わり、次期当主の正室としての立ち居振る舞いを自ずから身に着けておると家中でも評判にございまする」
「そうか。岡崎まで赴くことあらば、おれも奇妙丸も五徳に会いたいと思っておる。このこと、岡崎へ帰り着いたのちで構わぬゆえ、五徳へ伝えてはもらえまいか」
「もちろんにございます。そのことを聞けば、五徳様も大層喜ばれましょう。また、岡崎城へお越しの際は五徳様の婿である竹千代にもお会いになられてくださいませ」
信長も奇妙丸も松平竹千代へ嫁いでいった五徳のことを案じていたのか、家康の返答を聞き、評定の変化に疎い者は気づかない僅かな表情の変化を家康は感じ取り、胸をなでおろす。
信長だけでなく、その嫡男・奇妙丸も竹千代へ興味関心を抱いていることはそのまま徳川家の安泰を意味しているからだ。されど、あとは竹千代が徳川家の当主に相応しいと認められるか否か、この一点に尽きる。
裏返せば、それさえ叶えば徳川家と織田家の同盟は時代も安泰なのである。それが感じ取れただけでも、家康としては大きな収穫であった。
「ともあれ、三州殿も長旅で疲れておられよう。おれは明日にも京に向けて出立するが、三州殿は明日明後日は当城でごゆるりとなされ、出発は明々後日でようござる」
「ははっ!お気遣いいただきありがとうございます。然らば、お言葉に甘えまして、某は明々後日の出立といたしまする」
かくして信長や濃姫、奇妙丸との対面を終えた家康は信長らが大広間を退出した後、案内役として残された織田家臣の案内で宿所へ案内されることとなった。
「三河守様。主君より宿所への案内を仰せつかりました、久松弥九郎信俊にございます」
「なんと!今、名字を久松と申されましたか」
「はい。平素より父や異母弟らがお世話になっております。久松佐渡守俊勝が庶長子、久松弥九郎信俊にございます」
岐阜城で耳にするとは思わなかった久松の名に、家康のみならず家臣一同が驚きに目を見張った。
「そうか、継父上が岡崎へ参るにあたり、尾張国内の久松家の所領をすべて庶長子へ預けて参られたと申しておったが、それが貴殿であられたか」
「はい。継母上様には大変お世話になり、血が繋がっていないにもかかわらず、我が子のように可愛がっていただきました。その折に三河守様のことはよく聞かされていたのでございます。よもや、こうしてお会いできる日が来ようとは夢にも思いませんでした」
「それは某とて同じこと。さっ、続きは広間ではなく宿所の方で承りましょうぞ」
積もる話もあることから、ひとまず家康一行は信長が用意してくれている宿所の方へ案内役・久松弥九郎とともに向かったのである。宿所までの道中も大いに話が盛り上がり、宿所へ着いてなお、話が打ち切られる様子はなかった。
「そうか、弥九郎殿は父上に会いたいとは思われぬのか」
「はい。某には父から託された所領を守る役目がございますから、それを放棄するわけには参りませぬ」
「なるほど、律義者じゃ。じゃが、その律義さは父親譲りであろうな」
「そうでしょうか?」
「そうじゃ。わしが言うのだから間違いない」
律儀な若武者・久松弥九郎を見て、その性分は父・久松佐渡守に似ていると断じる家康はにやりと笑う。自分とさほど年は変わらぬと見えるが、それでもこのしっかり者は自分の家臣に迎えたいほどであった。
そうして話していると、障子をゆっくりと明けて入ってくる者があった。それも、久松弥九郎とも家康とも面識のある人物であった。最も馴染みがあったのは同席している水野惣兵衛忠重であったが。
「弥九郎、あまり長居するでない。早く戻れと殿が仰せ――」
「あ、兄上っ!?」
素っ頓狂な声を上げたのは家康の上洛に同伴している水野惣兵衛であった。そんな惣兵衛と、その隣にいる水野太郎作の姿を見つけて、久松弥九郎を呼びに来たその武士も驚いているようであった。
そう、久松弥九郎を呼びに来たのは同じく織田家に仕える水野藤二郎忠分。水野惣兵衛の兄であり、家康にとって叔父にあたる人物である。
「これは叔父上、お久しゅうございます」
「三河守殿。いつぞや水野領にてお会いしたぶりか。こうしてまたお会いできようとは思わなんだ」
水野藤二郎はにこっと人当たりの良い笑みを浮かべ、五ツ年下の甥・家康との再会を素直に喜んでいる風であった。
「叔父上、甥に対してそうまで畏まらずともようございますぞ」
「何を申されるか。たしかに叔父甥の間柄であるが、三河守殿は朝廷から従五位下三河守に叙位任官された御仁。朝廷では貴族として見なされておる三河守殿を某のような無位無官の者が気安く話しかけるわけには参らぬ」
「まあ、そうおっしゃらず」
「ならぬものはならぬのです。そもそも今の某は織田家臣の身。主君の同盟相手へ軽口を叩くなどあってはならぬこと。さっ、すでに夜も更けてござる。弥九郎、そなたも早く戻るのじゃ」
結局、家康に対して軽口など一度も叩くことなく、水野藤二郎はすっかり長居してしまっていた久松弥九郎を連れて帰っていってしまう。
そのことに苦笑しながら眠りについた家康は翌日は丸一日読書をして心穏やかに過ごすことができ、久方ぶりに英気を養うことができていた。
そうして次の日の朝に目を覚ますと、生憎の雨。これでは街道がぬかるんでしまったり、川が増水して渡河ができなかったりする可能性がある。
案の定、織田家の方からも大垣城へ向かう途上の揖斐川が増水しているやもしれず、雨量が落ち着くまでは渡河は控えられた方が良いと知らされたのだから、家康としてもその知らせを断ってまで渡河するわけにはいかなかった。
「殿、しばらく岐阜にて足止めにございますなぁ」
「左衛門尉か。致し方あるまい。天候のことは八百万の神々がなされること、我ら人の子にどうこうできるものではない」
「いかにも。では、本日も殿は読書をなされますか」
「うむ、それしかなかろう。雨では岐阜の城下を散策するのもはばかられる」
そう言って家康が宿所の一室に寝ころび、昨日読みかけた書物を開き、頁をめくる音と雨音だけが辺りに響く。その中で酒井左衛門尉忠次は傍を離れず、主君の読書風景を眺めていると、向こうから本多平八郎忠勝と榊原小平太康政が足早に渡り廊下を渡ってくるのが見えた。さながら、敵襲を知らせるかのように。
「平八郎!小平太!何事か!」
酒井左衛門尉の雷鳴のような声に驚き、読書に集中していた家康もはたと眼の前へ意識を戻し、本から本多平八郎と榊原小平太の両名へと視線を移した。
「はっ、尾張国緒川からやって来られた水野下野守殿が岐阜城へ入られたとのこと」
「なんじゃ、伯父上が岐阜にやってきただけではないか。何をそれほどまでに慌てておったのか」
「殿にお会いしたいとこちらの了承も得ずに向かって来られており、それはならぬと彦右衛門尉殿と善九郎殿が押し留められており、このことを殿か、左衛門尉殿にお伝えせねばと思い、走ってこれへ参ったのでございます」
家康はそこまでの報告を聞き、大いに笑った。まるで水野下野守信元という敵がやって来て、それを懸命に鳥居彦右衛門尉元忠と阿部善九郎正勝が防いでいるかのような物言いであったからだ。
そこまで聞けば、家康の返答は決まっていた。
「平八郎、小平太。そなたら、すぐに来た道を戻り、伯父上をこれへお連れせよ」
「よ、よろしいので?」
「たしかに織田家と和睦するまでは十数年もの間敵であったが、今では味方であろう。そう水野を敵視する必要もない。何より、一向一揆の折には援軍派遣に留まらず、徳政をめぐる寺社とわしに与した武士たちとの相論の裁定にも尽力くだされた。そのことを踏まえ、丁重にこれへお通しせよ」
まだまだ残る水野家への警戒心が感じ取れるやり取りであったが、それも致し方ないことではあった。だが、家康としてはもう水野家と争うこともないため、これからは手を取り合っていくべきだと考えており、それは三河一向一揆の折に水野下野守も同様のことを言っていた。
今や徳川家は織田家と婚姻同盟を締結した間柄であり、水野家は織田家に従属する国衆。ともに織田家と盟約を結ぶ間柄なのだから、何も敵対する理由がない。ましてや、徳川家と水野家は当主同士が甥と伯父なのだから、一族縁者として仲良くする方が自然であった。
ともあれ、本多平八郎と榊原小平太によって宿所へ通された水野下野守は相も変わらず不敵な笑みを浮かべていた。
「三河守殿、ご機嫌麗しく。水野下野守信元にござる」
「これは伯父上。よもや岐阜城でこうしてお会いできようとは思いませなんだ。伯父上も上洛なされるので?」
「うむ。その通りじゃ。公方様はわしのような一介の国衆が気軽に会えるものでもないゆえ、この機に挨拶しておかねばと思うてな」
「やはり伯父上はしたたかにございますな」
「何を申すか。そなたとてしたたかであろうが。武田をあの手この手で出し抜いて遠江までせしめよった」
「ははは、それは成り行きに身を任せたまでの事。運よく遠江を領有できたは僥倖にございました」
信玄を出し抜いたことを指摘する水野下野守であったが、決してそれを非難する口ぶりではなかった。
むしろ実直に戦をすることしか知らなかった桶狭間合戦前後の家康が相手を上手く出し抜いて遠江を得たことは素直に喜ばしいことであったのだ。
「三河守殿はまことに成長なされた。されど、まだまだ出し抜き方は上達する余地がありましょうな」
「ははは、伯父上に申されると励まねばと思えてきまするな。機会があれば、伯父上に上手い出し抜き方をご指南いただきとうございます」
「ははは、それならば今日でもよかろう」
「では一手、ご教授願いまする」
かくして、降りしきる雨の中、家康は伯父・水野下野守から乱世の世渡りの術を伝授してもらうこととなったのであった。




