第285話 盟友との再会 in 岐阜城
家族との一時を過ごした家康は盟友・織田弾正忠信長からの要請に応じ、将軍・足利義昭へ御礼申し上げるべく上洛の支度を進めていた。
「殿、出発はいつ頃になされるおつもりで?」
「二十三日明朝の出立としたい。支度はどうなっておるか」
「はっ、仰せの通り、五百人ばかりかき集めてございます」
「それでよい。上洛とは申せ、武田のことは警戒せねばならぬ。戦をしに参るわけではないゆえ、兵馬はその程度でよかろう」
「はっ!」
岡崎に詰めている家老で家康から『家』の一字を偏諱された植村出羽守家政とともに上洛の支度を進めていた。その支度は滞りなく進み、残るは人選であった。
「此度は誰をお連れになられるのでしょうや」
「第一に左衛門尉と伯耆守の両家老」
「なるほど。某が七九郎殿とともに岡崎城へ留まり、遠州懸川城には同じく家老の日向守殿を残して備えられるのですな」
察しの良い植村出羽守に家康は大きく頷いた。五人いる家老のうち、遠江懸川を守らせている石川日向守家成は動かせない。
そして、家老の中でも名の通っている石川伯耆守数正と酒井左衛門尉忠次を連れていく代わりとして、植村出羽守と芝田七九郎康忠の両名を残し、有事に備えさせる。何より、他の松平家や三河国衆、遠江の国衆たちを誰一人同伴させないのは、それぞれの所領の防衛に集中させるためであった。
「他には誰をお連れになられまするか」
「そうじゃな。善九郎は外せぬ。三郎兵衛、与左衛門、作左衛門も連れて行きたいが、奉行として三河へ残しておく方がよかろうか。七之助も伯耆守不在の分も竹千代を後見せねばならぬゆえ連れてはいけぬか。七郎右衛門を同伴させては大久保党が機能せぬゆえ、残さざるを得まい。されど、七郎右衛門の嫡子である新十郎と、すでに隠居した五郎右衛門とその子である新八郎を連れていくとしよう。他には酒井重忠は外せぬし、懸川の日向守に代わって嫡男の石川康通を同行させるか。あとは小姓の又市、彦次郎、旗本の平八郎と小平太、彦右衛門尉、服部半蔵と渡辺半蔵、三左衛門、五郎左衛門尉、一度上洛に同行しておる成瀬藤蔵あたりかの。そうじゃ、水野一族からも叔父上と太郎作を連れて参るとしようぞ」
家康が列挙する名前を書き記した植村出羽守。
在国する者の名前は天野三郎兵衛康景、高力与左衛門清長、本多作左衛門重次、平岩七之助親吉、大久保七郎右衛門忠世。
反対に上洛に伴っていく者の名前は酒井左衛門尉忠次、石川伯耆守数正、阿部善九郎正勝、大久保新十郎忠泰、大久保五郎右衛門忠勝、大久保新八郎康忠、酒井重忠、石川康通、小栗又市忠政、本多彦次郎康重、本多平八郎忠勝、榊原小平太康政、鳥居彦右衛門尉元忠、服部半蔵正成、渡辺半蔵守綱、内藤三左衛門信成、大須賀五郎左衛門尉康高、成瀬藤蔵正義、水野惣兵衛忠重、水野太郎作正重といった錚々たる面子であった。
年長者は三河一向一揆の折に眼を射られて引退している大久保五郎右衛門が齢四十七、酒井左衛門尉と大須賀五郎左衛門尉が齢四十四となっていたが、後の者は基本的に家康の周囲にいる若者ばかりであった。
「かように若者ばかりで上洛は成せましょうや」
「案ずるな。公方様や織田殿へ挨拶するための上洛ゆえ、道中の賊を撃退できればそれでよい」
「なるほど。それゆえに、見聞を広めさせるために若手を多く加えておるのですな」
「そうじゃ。見聞を広めておくことも大事なことゆえな。当家も三河と遠江、二ヵ国を領する大名なのじゃ。それに相応しい教養を主従揃って身に着けておかねば恥をかくことともなろう」
家康の申すことはもっともであった。それゆえに、植村出羽守は何も言うことなく、淡々と上洛に向けての最終調整を進めていく。
そうして上洛が完成した頃、家康は重臣や旗本衆、そこへ兵卒五百を加えたわずかな手勢で上洛の途についたのである。
家康一行は岡崎城から直接京を目指すかに思われたが、違っていた。二月二十三日に岡崎城を発った一行は東海道を使って尾張へ入り、そこから信長の居城である岐阜城へと赴いたのであった。
岐阜城へ到着したのは二十六日の昼下がり。川の増水などで足止めされることも憂慮していた家康であったが、そのような事態に見舞われることなく、順調に進むことができ、少人数で会ったこともあり滞りなく岐阜城へ入城。
家康の到着を今か今かと待ちわびていた信長は、家康到着の報せが入るなり、城門まで馬を走らせて行き、自ら手を取って城へと招き入れたのである。
「三州殿、久方ぶりであるな!さあ、城へ入られるがよい!いやあ、実に愉快じゃ!」
「こ、これは弾正忠殿。畏れ多き限りに……」
「何を申すか。織田と徳川は親類。親類が会って話すのに何の遠慮がいろうか!」
和睦を交わしてから九年経ち、その間に書状を介してのやり取りは数えきれないほど交わしてきたが、こうして対面するのは駿府へ赴く直前以来となるから、実に二十一年前を経てようやく
再会できたのである。
それもあり、信長は二十一年前に生き別れた弟をもてなすように自ら出迎え、岐阜城の中を案内して回った。
それを見守る織田家の者たちも普段の信長からは想像もつかないほど愉快そうなのに驚かされ、主君の新たな一面を発見したような心地であった。
そうして岐阜城を一通り案内して回った信長はようやく大広間へと家康を案内し、大切な客人としてもてなした。
「改めて、三州殿。よくぞ上洛の途上に岐阜城へお立ち寄りくだされた」
「はっ、某も天下布武を掲げ、瞬く間に畿内を制圧なされた弾正忠殿とこうしてお会いできましたこと、今生で一番めでたき日であると心得まする」
「ははは、それは言いすぎであろう。じゃが、そう言われると嬉しいものよ」
実質的に室町幕府の管領として天下のことを差配している信長からの下にも置かぬ歓待ぶりは、まさしく家康が織田家の盟友としてあるのだということを知らしめるには良いものであった。
「して、此度の上洛にはどのような方々が応じられたのでしょうか」
「気になるか、三州殿。伊勢からは国司であり公卿でもある北畠具教殿、そこへ養嗣子として出した我が次男の茶筅、飛騨からは姉小路頼綱殿、丹後からは守護の一色式部大輔義通殿、河内からは畠山左衛門督秋高殿と三好左京大夫義継殿、大和からは松永弾正久秀が参ると返答してきておる」
「なんと、畿内に留まらず、飛騨からもと……!」
「で、ある。じゃが、飛騨以上に遠国であるのは三河じゃ。それゆえ、三州殿が最も遠路はるばる上洛して来られた大名となる」
「それは畏れ多き事にございます。されど、他にも多くの大名へ書状を出されたのでは?」
「うむ。出雲や備前、越中、甲斐の武田家へも上洛を促しておる。されど、いずこも応じなんだ」
信長はため息交じりにそう吐き捨てたが、但馬の山名氏や備前の浦上氏は上洛できないまでも、進物だけでも贈らせてほしいと珍しい品々を山のように献上してくる殊勝な行いをしていた。
そうした事情を誇らしげに披露する信長であったが、武田の名が出るなり、家康の表情が強張ったのを見逃すはずもなかった。
「人払いせよ。一刻ほど三州殿と二人きりで話したいことがある」
そう命じると、信長は自らの小姓からまず先に退けて誠意を見せたうえで、家康の家臣たちを一時的に退出させた。
「弾正忠殿、かように人払いまでなされて、一体何を……?」
「武田のことで三州殿と話したいことがあったゆえな。こうでもせねば、直に話すことも叶わぬ」
これまで書状でのやり取りだけで遠江経略から武田家の対応までを進めてきた信長と家康。だが、この上洛は大きな好機であった。
信長は信玄からの申し出がどれほど正しいのか、直に家康に尋ねることで確かめられるまたとない好機なのである。
「まずはこれを見てみよ」
信長が最初に懐から取り出したのは先月二十日付で信長に宛てて送られてきた武田信玄からの書状であった。信長に対して家康への怒りをぶちまけるかのような書状であり、それを受け取った家康はわなわなと手が震えてしまう。
「三州殿。読んでみていかが思われたか」
「某は遠州経略の折から信玄のことは信用ならぬと思っておりましたが、これを読んで確信いたしました。当家を織田の同盟国でなく傘下大名と思っておることがよう分かりました」
「で、あるか。おれとしても甲尾同盟を結んでおる手前、何もしないわけには参らぬ。じゃが、三州殿は婚姻同盟を結んだ間柄で、決しておれの傘下などではない。ゆえに必要以上に干渉することはできぬ」
「されど、何もしなければ弾正忠殿へも信玄の怒りの矛先が向いてしまうかと」
「ははは、おれの心配などせずとも良いわ。おれは甲斐なんぞよりも三河との同盟を優先する。書状でのやり取りでは信玄殿を怒らせるわけにも参らぬゆえ、武田家との同盟は優先順位が高いことだけは伝えるが、決して三州殿を見捨てることはせぬ。おれにとっては無二の盟友ゆえな」
家康は信長の言葉に感極まって泣いてしまった。大の男が情けないと嘲笑われようが、これほど有り難いことはないと心の底から思ったがゆえの涙であった。
「三州殿はこの二十一年で随分と涙もろくなられたようじゃ」
「も、申し訳ござらぬ。されど、弾正忠殿に『無二の盟友』とまで仰っていただけたことは、何よりの喜びにございますれば……」
「で、あるか。されど、おれとしても武田を敵に回すわけには参らぬ。有事の際は速やかに援軍を派遣することは約束するが、即時開戦とならぬよう立ち回って貰えぬか。決して信玄殿をこれ以上怒らせてはならぬ。下手をすれば、我らが共倒れすることにもなりかねぬ」
「承知いたしました。今川と北条との和睦では仲立ちいただいた恩義もございますれば、その恩ある弾正忠殿を苦しめぬよう、武田との同盟と友誼を一時でも維持できるように努めることといたしましょうぞ」
本心では今すぐにでも武田とは手を切り、北条家とともに武田を攻めたい家康であったが、信長からそこまで言われてはなるべく外交で武田家との友誼を維持しつつ、信長との連携が取れる頃合いまで待つほかなかった。
「されど、おれが武田との開戦を待つ理由が何か、三州殿は分かるか」
「いえ、分かりませぬ」
京に上洛して実質的な管領として天下のことを差配する信長が何を考えているかなど、さしもの家康にも推測できるものではなかった。
「ここだけの話と約束していただけるか」
「はっ、無論にございまする」
遠江経略をはじめとして、何か何まで世話になっている大恩人・信長の頼みを家康は断るはずもなかった。二つ返事で了承すると、それを受けて信長は今思案している事柄を共有していく。
「おれは公方様と違い、おれ以外の分国を支配する大名どもが幕府を支えることなどさほど望んではおらぬ」
「な、なんと!」
「公方様をお支えする意志のある大名は残しても良い。されど、どっちつかずな姿勢を取る大名は敵とみなしてすべて征伐し、当家の領土を拡大すること。それでこそ、天下静謐が成せるとおれは考えておる」
「然らばまずは畿内近国で弾正忠殿に従うと申していない者たちから――」
そこまで言いかけて家康は出かかかった言葉を飲み込んだ。今回発された触状はそれを見極めるための布石だったのかもしれないと察知したのである。
「さすがは三州殿。目の付け所が良い。信玄殿は上洛を拒んだが、北条との戦が楽観できぬ情勢であると理由を示しておるゆえ、これは良い。基本的に断るにせよ、応じるにせよ、相応の理由を示した者は見逃すこととした。されど、何の返答も示してこない者は即時討伐あるのみ」
「それは一体どなたにございましょうや」
「越前の朝倉じゃ」
越前の朝倉左衛門督義景と言えば、今の将軍・足利義昭が先々代将軍・足利義輝公が暗殺された折に脱出を手引きし、義昭が信長を頼るまで庇護していた守護大名である。
そんな越前朝倉氏の名を聞いた家康は目を見開き、信長を凝視した。その家康の驚きようを見た信長はにやりと笑う。
「まもなく春となる。さすればすぐにも動くゆえ、三州殿も備えに抜かりのないように」
そこまで言い残すと、信長は何事もなかったかのように明るく振る舞い、手を叩いて小姓を呼び寄せ、退出させた人々を再び部屋に呼び寄せる。
一方の家康は信長の発言の真意を察知し、これはただの上洛とは参らぬかもしれぬと危機感を募らせるのであった――




