第283話 武田水軍、爆誕!
永禄十三年正月下旬。京と畿内の政情安定を願い、殿中御掟に五箇条を追加し、将軍・足利義昭からの承認を得た織田弾正忠信長。彼も早三十七歳となり、桶狭間合戦にて今川義元を討った頃から十も齢を重ねていた。
さらには正月二十三日には二十一ヶ国におよぶ大名・国司・国衆・諸侍衆に対して触状を発し、上洛して義昭に御礼を申し上げることを求めてもいた。
その信長からの要請は畿内近国の大名のみならず、東は武田信玄や徳川三河守家康、北は越中の神保氏、西は備前の浦上氏や出雲の尼子氏にまで通達されていた。
乱世となる以前の室町幕府の将軍は「二十一屋形」と称される在国大名によって支えられていた。今回、信長が二十一ヶ国もの大名らに上洛を求めたのは、この旧来の二十一屋形再興を目的としていたためであった。
それから数日が経ち、政務が落ち着いた頃。信長が書院にて筆を置き、彼にしては珍しくのんびりと外の景色を眺めていると、猿のように軽快な足音とともに一人の小男が登場したのである。
「殿」
「藤吉郎か」
「はっ!駿河に在陣中の猛虎から書状が届きましてございます」
「で、あるか。それにしても、猿なのか禿げ鼠なのかはっきりせぬ者が虎からの書状を持って参るとは痛快なものよ。どれ、見せてみよ」
信長は三歳年下の木下藤吉郎秀吉から武田信玄の書状を受け取り、中身を確認する。自身より十三も齢が上の武田信玄からの書状は毎度開く度に緊張が伴うものであったが、身構える信長の予想を遥かに超える文面がそこには記されていた。
態芳翰祝着候、就中津田昨翁帰国之砌、徳川家康大悪之擬、今川氏実、北条氏政数通之証文披入披見キ、貴辺者被当将軍補佐之赴候条、定憲法之沙汰可有之存候処、剰引馬歴々御加勢無是非候、恐々謹言
正月廿日 法性院
信玄(花押影)
謹上織田弾正忠殿
御宿所
「殿、書状にはなんと?」
「随分と信玄殿はお怒りのようだ。そなたも読んでみよ」
信長は書状に記された内容から信玄の怒りを察しつつ、側で待機している木下藤吉郎へと書状を渡して読ませた。
何せ、書状では信玄がどうしようもないと吐き捨てるように述べた後、そのまま打ち切るように書状を終えるという当時の書状でも極めて異例な形式であった。そこから、信長は信玄の怒りを感じ取っていたのである。
そんな信玄の怒りがにじみ出る書状を一見した木下藤吉郎はへらへらと笑った後、大真面目に所感を述べていく。
「ほう、三河守様が今川や北条と交わした証文を武田が入手し、殿へ甲三同盟の盟約違反を訴えてきたのですな」
「それもおれが三河守の要請を受けて今川や北条との和睦を仲介したことが露顕したのであろう。まったく面倒なことになった」
「殿、前々から思っておったことなのですが、徳川は織田の傘下大名であると武田は認識しておるようですな」
木下藤吉郎の発言は的を射ていた。そのことは何度も信玄と書状をやり取りしている信長も察知しているところであり、盟友・徳川三河守家康を「己の傘下なのだからなんとかしろ」と信玄から圧力をかけられているのにはほとほとうんざりしていたのである。
「良いところに気がついた。対処できないのだが、対処しなければ信玄殿の不興を買うこととなる。これほど厄介な問題にはおれも出会ったことがない」
普段の主君・信長からは飛び出すことのない言葉に、木下藤吉郎も目を丸くする。だが、木下藤吉郎も信長の立場であればどうしたであろうかと思考を巡らせるものの、堂々巡りであった。
今の状況で徳川家は織田の傘下ではないと弁明したところで、信玄からは説得することを放棄したと思われ、織田家も徳川家も不誠実な対応を取ったとして信玄が激怒することは必至。
そんな信玄が次にどう動くかなど、木下藤吉郎でも予想がつくのだ。当の信長が理解していないはずがなかった。
「こればかりはどうしようもないが、もし先日の上洛要請に三州が応じたならば、京にて直に会って武田への対処を協議することとしよう」
「なるほど、それがよろしいかと。されど、書状では三河守様を引馬の小路名で称されておりましたが、新たな居城は引馬に定まったので?」
「それは分からぬ。見附に居城を移すのは危ういと忠告したところ、三州は別の場所に移すと返答を寄こしたきりじゃ。おそらく信玄殿は三州が居城を移す候補として引馬を視野に入れておることを察知したからそう記したのやもしれぬ」
木下藤吉郎は信長の説明に相槌を打つと、その後一言二言交わすと、元の職務へ戻るべく書院を去っていく。そうして再び一人となった信長は虚空を見つめると、空気に消え入りそうな声でこう呟いた。
――三州、上洛を心待ちにしておるぞ。
場面は京から変わって駿河国。月も怒涛の睦月が過ぎ去り、早くも如月へと突入していた。一月二十七日に花沢城を開城させ、その勢いで徳一色城も城主逃亡によって入手した信玄は駿河国山西地域の制圧も完了させ、大いに満足していた。
そんな信玄は駿府から久能城を経て、興津城へ向かう途上にある清水湊へ入り、清水湊から街道を挟んですぐ西に清水城の築城を開始していた。
さらには興津城から南へ続く街道と蒲原城から西へ徳一色城のある山西地域へ続く街道が十字に交わる要衝で巴川河口に位置する地へ江尻城の築城を開始するなど、着々と駿河支配を盤石なものとするための支度を開始していたのである。
清水城と江尻城の普請に加え、城主・長谷川藤九郎正長の逃亡した徳一色城も大改修し、巨大な城郭へと変貌させ、名も新たに田中城として再生させたという話は西駿河から懸川城のある東遠江近辺では持ちきりとなっていた。
「御屋形様」
念願の駿河制圧まで残るは北条軍が守る駿東郡を奪取するのみとなり、上機嫌である信玄のもとへやってきたのは朱塗りの鎧を着用したままの猛将・山県三郎兵衛尉昌景、信玄の異母弟で今回の駿河侵攻でも後衛として備えていた一条右衛門大夫信龍、同じく信玄異母弟である武田上野介信友、山県三郎兵衛尉を寄親とする侍大将・三枝源八郎虎吉、駿河先方衆の朝比奈駿河守信置、岡部五郎兵衛元信といった者たちであった。
「御屋形様、此度の駿府制圧と山西地域制圧が無事に成せたこと、心よりお祝い申し上げまする」
「ははは、そのような堅苦しい挨拶は良い。して、城普請は順調か」
「はっ!清水城は美濃守殿の縄張りにより、これまた要害堅固な城となりましょう。田中城の改修も同じく美濃守殿が改修にあたっておりますれば、こちらも徳川が戦意喪失するほどの城となりましょうぞ」
「うむ。やはり美濃守は築城に才がある。美濃守が携わった城はいずれも要害堅固となるゆえ任せてみたが、正解であった」
この場にはいないが譜代家老として信玄を支える重臣・馬場美濃守信春が清水城の縄張りと田中城の改修を進めていた。その成果も武田重臣の誰もが認めるところであり、何より信玄も大いに満足のいくものであった。
「右衛門大夫、前へ」
「はっ!」
信玄より十八も年下で齢三十二となる異母弟・一条右衛門大夫は威勢よく前へ進むと、信玄の前で片膝ついた。
「そなたに田中城代を任せたい」
「はっ!御屋形様からの命とあらば謹んで拝命いたしまする!されど、某で徳川を防ぎ得ましょうか」
「うむ、戦の経験に乏しいことは承知しておる。されど、我が弟が田中城に城代として入ったことこそ大きな意味を持つのだ。案ずるな、他にも戦慣れした者は配備するゆえな」
「然らば安心いたしました」
信玄は一条右衛門大夫の背後に控える三枝源八郎へと視線を移した。
「源八郎、これへ」
「はっ、老いぼれに何の御用でございましょうや」
信玄に呼び出され、御前に進み出たのは齢六十となり鬢髪も真っ白になった三枝源八郎であった。
「そなたは儂に従い、実に多くの戦に参陣してきた。それゆえに、田中城の改修が済み次第、我が弟とともに田中城へ入ってもらうこととする」
「はっ、承知いたしてございます。決して徳川に駿河の地を侵させはいたしませぬ」
「頼むぞ」
信玄は田中城の城代は異母弟である一条右衛門大夫としたうえで、実際に守備につかせるのは山県三郎兵衛尉の寄子として多くの戦に参陣してきた老練な三枝源八郎を据えたのであった。
何より、山県三郎兵衛尉の娘が三枝源八郎の嫡男で先の花沢城攻めでも一番槍の武功を立てた三枝勘解由左衛門尉昌貞へ嫁いでおり、両家が親密な間柄であることから、多くいる山県三郎兵衛尉の寄子の中でも三枝氏を指名したのであった。
かくして武田氏の山西地帯の要衝となり、対徳川戦の最前線として重視されることとなる田中城の守備につく者が定まった。
続けて信玄が目を付けたのは街道が多く交わる要衝で、現在も築城が進んでいる庵原郡の江尻城であった。
「三郎兵衛尉」
「はっ!」
「赤備えを率いるそなたに江尻城代の任を命じる。そなたが駿河の要衝である江尻城へ入ったと聞けば、徳川も北条も大いに警戒しようぞ。そなたの戦いぶりは近国に轟いておるゆえな」
「恐れ多いことに。されど、徳川と北条が共同で駿河へ攻め込もうとも、不思議と恐ろしいとは思えませぬ」
「それよ。その豪気を買ったゆえに江尻城代を任せるのじゃ。すぐ北の興津城には穴山衆も詰めておるし、久能城とも連携することが可能じゃ。清水湊とそれに隣接する清水城ともども軍事においてはそなたの指揮下とする」
「それほど重要な役割を与えてくださったこと、武功でもって恩返しさせていただきたく存じまする」
信玄は忠義に厚い山県三郎兵衛尉に駿河の要衝・江尻城を任せることとしたのである。その意味は大きく、軍事的に駿河を管轄する武将として山県三郎兵衛尉が選ばれたことを意味していた。
「江尻城と清水城は駿河湾の水運を掌握するために築きし城。これを守ることこそ駿河防衛の要であると心得よ」
「承知しておりますれば、身命を賭して両城を守り抜いてご覧にいれまする!」
「よし。ならば、江尻城が完成次第、今守りについている蒲原城から江尻城へ移るがよい」
齢四十二となり、千軍万馬の将としての風格を帯びてきた山県三郎兵衛尉を心から頼りにしている信玄はこれで江尻城も清水城も万全だと安堵し、駿府のことへと話題を移した。
「上野介、そなたには再び制圧した駿府の支配を任せたい」
「はっ!お任せくださいませ!井川や安倍での一揆も鎮まった今、駿府を何者にも侵させはしませぬ」
「うむ。されど、朝比奈駿河守らとともに行った無断での一揆衆の和睦じゃが、あのような真似は二度といたすでないぞ」
「そのことはしかと胸に刻んでおりまする。その汚名を返上できますよう、務めて参る所存!」
「それでよい」
信玄は満足げに頷いた。田中城と駿府にはそれぞれ異母弟を守りにつかせ、その先の城には歴戦の強者を配備して盤石なものとする。信玄の駿河支配は実に見事なものであった。
「残るは水軍か。駿河守と五郎兵衛、そなたらは水軍についていかにするべきと思うか、忌憚なく述べよ」
これまで水軍などに無縁であった信玄は水軍のことなどまるで分からなかった。それゆえに、今川家に仕えていた朝比奈駿河守、岡部五郎兵衛ならば何か分かるのではないかと招いたのである。
「水軍のことは某も五郎兵衛殿も存じておりまするが、水軍の指揮は適任がおりまする」
「ほう、それが誰じゃ」
「今川家に仕える海賊衆、土屋忠兵衛尉貞綱と伊丹権大夫雅勝にございまする。両名とも船の扱いに手慣れておりますれば、彼らに水軍を統率させるのがよろしいかと」
「ふむ、そうであったか。ならば、後ほど彼らを呼び寄せ、彼らの意見を聞いたうえで当家の水軍をいかにするがよいか、思案することとしようぞ」
今年で齢五十となり、各地で様々な戦を経験してきた武田信玄であったが、水軍のことは人生で初めてのことであり、どう運用するのが良いかもまったく分からない状況であった。
それゆえに、朝比奈駿河守から推挙された土屋忠兵衛尉、伊丹権大夫の両名を始めとする旧今川水軍を再編成するという形で、武田水軍を創設。運用していくこととなる。
そして、その土屋忠兵衛尉の推薦もあり、翌年には志摩海賊衆の小浜民部左衛門景隆、伊勢国から向井助兵衛尉正重が招聘されるなど、武田水軍は徐々に拡大し、北条水軍とも互角に戦えるまでに発展していくこととなるのである――




