第282話 花沢城の戦い
永禄十三年正月十三日より開始された武田軍による花沢城攻め。極寒の中、生死を賭けた死闘が繰り広げられていた。
高草山から南東に派生した丘陵上に位置し、山頂部に本曲輪と二ノ曲輪を配置し、周囲の稜線にも腰曲輪や堀切を複数設けた堅城。ここを守るのは吉田城代、宇津山城代として徳川勢の猛攻を幾度も弾き返してきた大原肥前守資良であった。
「殿!」
「おう!来たか!」
城攻めの初日。諏訪四郎勝頼を筆頭とする武田軍が兵数を活かして一気に花沢城を攻略してしまおうと目論み、猛攻を仕掛けてきたのである。その鬨の声の大きさから敵の距離を測ると、大原肥前守は開眼する。
「者共!甲信の山猿どもは寒がっておるぞ!寛大なる我らから温かいものを施してやろうぞ!それっ!」
敵との距離を見切った大原肥前守が扇子を振り上げると、それを合図に攻め上ってくる武田軍へ熱湯、熱砂を浴びせて火傷を負わせていく。容赦なく浴びせられる熱湯と熱砂に武田軍が怯んだところへ、続けざまに鉄砲や弓が放たれ、次々と武田兵を撃ち倒していく。
「ええい、怯むなっ!今川の残党如きに恐れをなしてはならぬ!敵の攻撃はすべて上からじゃ!しっかりと木楯で防いで進めっ!」
先頭を行く武川衆の折井市左衛門次昌は齢三十八となり、十数年の長きにわたって信玄に従って各地を転戦してきた経験を活かし、味方へ攻略法を伝達し、態勢を立て直すべく奮戦していく。
しかし、木楯で上からの熱湯や熱砂、弓矢を防ぐことができても鉄砲が易々と貫通していく様を見てほくそ笑む大原肥前守は上ばかりに気を取られる武田兵を笑った。
「次はあれじゃ!あれを落とせ!」
「承知!」
武田兵が少しばかり後退したところで、大原肥前守は次なる指令を出した。その指示を受けた城兵らは熱湯や熱砂などよりも遥かに重量のある物を落としたのである。
「なっ、あれは!」
武川衆の折井市左衛門や横手信国らが驚くのは無理もなかった。熱湯や熱砂などは直接上からぶっかけられる物であったが、次に落下してきたのは大木や大石であった。力自慢の男数人で持ち上げた物を次から次へと落下させていく。
これが平地であったならば轟音を立てて地面に叩きつけられてしまいなのだが、この花沢城は丘陵上に築かれた城。すなわち、大木や大石を落とせばどうなるか。そう、斜面を転がり落ちてくるのである。
こんな重量のあるものなど、もはや木楯で防ぎえるものではなく、下敷きになって踏みつぶされる者、弾き飛ばされた拍子に骨を砕かれて身動きが取れなくなる者が続出した。
「ひっ、退けっ!退けぇっ!」
総崩れと言っても過言ではない武田軍の惨状を櫓から眺める大原肥前守は腹を抱えて笑っていた。この日の戦いで武田方は武川衆の横手信国が戦死するなど、敗色濃厚な結果となった。
「くそっ!大原肥前守め!」
「落ち着かれよ、四郎殿」
「義兄殿はこれが落ち着いておれるのか!今川の残党風情が生意気な!」
武田本陣では憤る諏訪四郎勝頼を彼の姉婿にあたる穴山左衛門大夫信君が懸命に宥め、落ち着かせようとしていた。
「ともあれ、武川衆の被害は甚大。ここは一度、武川衆を下がらせ、代わりに駿河先方衆に攻めさせてはいかがか」
「なにっ、駿河先方衆に花沢城を攻めさせると!?」
「いかにも。降伏したばかりの駿河の者共の忠誠心を図るには良い機会かと。それにしくじったところで死ぬのは駿河の者共。駿河の者共同士で潰し合ってくれるのならば当家としても好都合ではありませぬか」
穴山左衛門大夫の策士じみた発言に諏訪四郎勝頼は嫌悪感を示したが、甲斐や信濃の者たちが雁首並べて討ち死にするよりも、駿河の者たちが戦死するならば良いかと思い直し、布陣を変更した。
かくして先鋒を命じられた駿河先方衆は翌日、先頭きって花沢城へと攻めかかり、その後ろを穴山左衛門大夫が督戦する形で二度目の攻城戦が開始されたのである。
「ほう、敵は甲斐の武川衆を下げ、駿河先方衆を押し出して参ったか」
「はっ!朝比奈や岡部、孕石といった今川譜代の者らの旗指物を確認しておりまする!」
「ふん、裏切り者どもめ」
汚物でも見るかのような眼差しで吐き捨てる大原肥前守は昨日の城攻めの時よりも殺意に満ちた眼で迎撃準備を命じていく。
かくして始まった二度目の花沢城攻めは、初手から籠城側も容赦なかった。
「鉄砲隊、構えっ!放てっ!」
大木や大石を惜しげもなく落下させ、敵兵がそれを避けるのに必死になっているところへ鉄砲を放ち、確実に一兵一兵射殺していく。
それでも仕留めきれずに近づいてきた者には弓で狙い撃ちにし、城壁に取り付くことすら許さない徹底ぶりであった。
そんな大原肥前守の徹底防戦を前に駿河先方衆は果敢に立ち向かったが、信玄に武勇を高く評価されて降伏を呼びかけられた若武者・岡部次郎右衛門尉正綱であっても如何ともしがたい戦局となっていた。
「兄者!これでは兵を無駄死にさせるだけじゃ!一度退き、策を練り直すべきじゃ!」
「治部右衛門、そちの申したいことは分かる。じゃが、下手に撤退すれば寝返ったと思われても仕方ないのじゃ。撤退の命令が下るまでは攻めねばならぬ」
「くっ!」
弟・岡部治部右衛門の言うように撤退すべきであると岡部次郎右衛門尉も考えていた。しかし、背後で督戦する穴山左衛門大夫に睨まれては、裏切ったと見なされ、攻撃されてもおかしくないのだ。
そんな折、馬蹄の音が岡部次郎右衛門尉の背後から接近。岡部次郎右衛門尉は蹄の音が複数頭の者ではないと聞き分けると、振り返って馬上の武者を顧みる。
「岡部次郎右衛門尉殿にござるか!」
「いかにも!某が岡部次郎右衛門尉正綱じゃ!して、貴公は何者ぞ!」
「某は穴山左衛門大夫信君が家臣、万沢遠江守と申す!本陣より城攻めを中断し、後退せよとの命令が入り申した!ただちにお退きくださるように!」
「心得た!」
穴山家重臣・万沢遠江守自らの報せを受け、岡部隊は戦線を離脱。他の駿河先方衆も先を争って退却し、この日も見事に籠城側の勝利に終わった。
「兄者、あの万沢遠江守とか申す者、下馬もせずに偉そうな口を叩きおって斬り捨ててやろうかと思いましたぞ!」
「それはならぬ。確かに無礼ではあったが、武田一門の重臣じゃ。それを手討ちにしたとあっては我ら一族は皆処刑されることとなろう」
「くっ、堪えるほかないのですか!」
「ない。堪えよ」
素っ気なく言い返され、不服な様子の岡部治部右衛門であったが、兄の言葉に渋々従うほかなかった。
そうして二度目の猛攻も失敗に終わったことを受けて数日間作戦を練った武田軍は攻め方を変え、あの手この手で花沢城を攻め立てるが、十日経ってなお落城する気配はなかった。
「今一度力攻めを行うとしようぞ!二ノ曲輪を制圧できさえすれば、花沢城は落とせる!なんとしても門を突破し、二ノ曲輪へ侵入するのじゃ!」
そんな中、武田軍は何度目か分からない力攻めを決行し、花沢城を今度こそ落とすのだという気概で臨んだ。
「ここは我ら穴山衆が一番乗りし、御屋形様よりお褒めの言葉を頂戴するのだ!怯むなっ、かかれっ!」
穴山左衛門大夫に代わって指揮を執る重臣・万沢遠江守は濠際まで馬を進めて陣頭指揮を執り、その甲斐あって門突破寸前まで漕ぎつけるも、一発の銃声でそれまでの奮闘は無に帰すこととなった。
城内から放たれた銃弾を浴び、万沢遠江守が戦死。重臣が討ち死にした影響は大きく、穴山隊は無様に潰走することとなり、この城攻めも失敗することとなった。
そうして勝頼は花沢城がどうしても落とせぬと父・信玄のもとを訪ねて打開策を求めた。しかし、信玄は昨日から極めて不機嫌であり、勝頼を前にしてもその態度を崩さなかった。
「四郎か」
「父上、申し訳ございませぬ。花沢城攻めが不首尾に終わってばかりで、どうしても城を落とせぬのです」
「そのことは聞き及んでおる。武川衆に続き、穴山家の重臣までもが討ち死にする苦戦ぶりだそうではないか」
「は、はい。父上のお考えも窺いたく、参上いたした次第に」
歴戦の名将・大原肥前守を相手に自分では落とせぬと悟ると、父へと救いを求めた勝頼。武士として情けないとの想いに、これ以上味方に犠牲を出したくないという想いが勝った結果でもあった。
しかし、信玄は黙り込んだまま勝頼に返答を寄こさなかった。だが、何故そうまで機嫌が悪いのはなぜなのか、勝頼は知っていた。
つい昨日、信玄は去る五月に遠江懸川城開城の際に、家康が今川氏真、北条氏政と取り交わした複数の証文の写しを入手。
その内容を知って激怒した信玄は交渉のために訪れていた織田家の使者・津田一安と昨翁が帰国しようとする際、その証文の写しを見せたうえで徳川家康が信玄に対し不実を犯した動かぬ証拠であると示したのだ。
さらに同日二十日付で織田弾正忠信長宛で信玄は書状を送ったことも陣中で噂となっていたが、内容は十中八九家康が今川氏真、北条氏政と取り交わした証文の写しの数々について詰ったものであろうと皆が噂していたのである。
つい先日にはこれからも入魂であることを望む旨を家康に書状を送った信玄であったが、それだけに入手した証文の写しの内容に激怒したのだと勝頼は見ていた。
「父上」
「分かっておる。花沢城攻めのことであろう。城を守るのは大原肥前守じゃ。あの者はこれまでも吉田城や宇津山城で松平勢を幾度となく弾き返してきた強者。それを真正面から攻めたのでは落とせぬのは至極当然であろう」
「では、いかにすれば……?」
「敵の補給を断て。おそらく、小川湊から敵は補給を受けているであろうから、まずはそこを押さえよ。さすれば、おのずと敵は降って参るであろう」
「はっ!承知いたしました!」
勝頼は翌日には父・信玄からの言う通り、敵の補給を断つべく動き出した。小川湊の今川方を瞬く間に蹴散らし、兵糧や武器弾薬を奪取する。それを数日間繰り返した正月二十七日。ついに籠城する大原肥前守から降伏開城の申し出がなされたのである。
「父上!大原肥前守が降伏開城を申し出たとは真のことに!?」
「うむ。じゃが、あまりにも値を上げるのが早すぎるのが気にかかる」
「偽装投降であると?」
「我らを油断させて夜討ち朝駆けを仕掛ける策やもしれぬ」
――それは大いにあり得る。
勝頼は父の言うように大原肥前守の申し出は偽りである可能性が高いと踏んだが、父子はそこで一門重臣も交えて談合した末、申し出を受けることとした。
そうして花沢城は降伏開城となり、城代の大原肥前守は城を明け渡すために信玄のいる本陣へやってきたのだが、その様子を見た者のうち、旧今川家臣であった駿河先方衆の者たちが仰天することとなった。
「肥前守殿、体調が優れぬのか」
「はっ、数日前より気分が優れず、抗う気も起きなくなり申した……」
そう言う大原肥前守は籠城戦が始まった時からは考えられないほどにげっそりしており、まるで別人のようであった。
「某ももはや年にござる。ここらが退き際なのやもしれませぬ……」
生気を感じられないか細い声に、信玄は情けをかけることとした。すなわち、大原肥前守の降伏を認め、駿河先方衆として花沢城への在城を認めることとしたのである。
この異例ともいえる寛大な処置に大原肥前守は心底より感謝したが、体調は回復することなくその年のうちに死去することとなる。
ともあれ、花沢城を開城させた武田軍は勢いに乗って残る徳一色城攻めへと動きだしたのを知った齢三十五の城主・長谷川藤九郎正長の判断は実に迅速であった。
「花沢城が開城したとあってはもはやこの城で武田軍を防ぎ得まい。さりとて、文明の内訌において我が祖父長谷川正宣は小川の法永長者として氏真様の祖父であらせられる氏親公の当主擁立に尽力し、我が父長谷川伊賀守元長は桶狭間合戦にて義元公をお守りして討ち死にした。その子や孫であるわしが武田に降るなど断じてあり得ぬ。されど、この城では抗えぬ。ともすれば、選ぶ道はただ一つよ」
長谷川藤九郎はすぐに妻子と付き従う家臣一党を引き連れて徳一色城を捨て、遠江へと逃亡したのである。
戦わずして長谷川藤九郎が城を放棄したことにより、武田軍は肩透かしをくらったが、すでに花沢城攻めで消耗していたためにこれ以上城攻めをしなくて済んだことに兵たちは大いに歓喜した。
かくして信玄は山西地域の花沢城と徳一色城を占領。あとは駿東郡から北条軍を駆逐すれば駿河一国を手中に収められるところまでたどり着いたのである。




