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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第281話 手を翻せば雲となり手を覆せば雨となる

 永禄十二年十二月十三日。寒さが一層厳しくなる中で信玄は臨済寺の僧侶・鉄山宗鈍を派遣して岡部次郎右衛門尉正綱を降伏させて駿府を再び占領することに成功していた。


 そんな快進撃を続ける武田軍の動きは遠く三河国岡崎城にいる家康に耳にも数日が経過した頃に伝わった。


「殿、いかがなされましたか」


「伯耆守、今しがた届いた報せじゃ」


 家康は駿府に潜らせている甲賀衆からの報せを家老・石川伯耆守数正へ渡し、読むように促す。主君から預かった駿河で起こったことをまとめた報せは石川伯耆守の手を震えさせる何かがあった。


「殿、武田軍が駿府を再び占領したとは真のことに……?」


「うむ、そのようじゃ。同じような報せが幾つも届いておるゆえ、まず間違いなかろう。まこと厄介なこととなったわ」


「書状によれば北条軍の籠城する蒲原城を一日で攻め落とし、それを伝え聞いた兵士らも逃亡してしまっておるとか。これでは北条軍は駿河で戦っていけまい」


「そうでしょうな。よもや北条軍がこうも武田軍に弄ばれるとは思わなんだ。関東の覇者が聞いて呆れる」


 北条家と手を組めば、信玄を抑え込めるのではないか。そんな家康の淡い期待を粉々に打ち砕く知らせに、家康も落胆した様子であった。だが、それは成せるのだから。


 何せ、武田軍は駿河西部、山西地域と呼ばれる遠江国境付近の今川方と駿東郡に駐屯する北条軍をすべて叩き出せば駿河の領有化が成せるのだから。


 そうなれば、家康の遠江領と信玄の駿河領は隣接することとなり、ひとたび敵対することとなれば瞬く間に遠江領が焦土と化す。それだけは家康としても避けたかった。


「未だ当家は遠江へ居城も移せておらぬし、国衆や土豪もわしに従ったばかりの者も多く、武田軍の侵攻を見るなり降伏する者が続出するものも出て参ろうぞ」


「そうなりましょう。北条に追い詰められておったから信玄へ強気に交渉を持ちかけることもできましたが、もはや北条が武田にとって脅威足り得ない以上、当家への侵攻が早まる可能性すらございます」


 徳川家にとって武田信玄が駿府を再び占領したことは危機感を持って受け取られる情報であった。


「殿、ここは信玄へ駿府の占領を祝する書状を送ってみてはいかがでございましょう」


「ほう、信玄へ書状をと」


「当家も武田家も互いに味方と思っておりませぬが、表向き甲三同盟は継続しておりますれば、それゆえに同盟国の勝利を祝う文面で書状をしたためて送っても差し支えなかろうかと。何より、信玄の返答如何によっては武田軍の次なる標的も聞き出せるやもしれませぬ」


 石川伯耆守の言うことは相も変わらず的を射ていた。表向きは同盟国である以上、家康から信玄へ書状を送っても何ら怪しまれることはない。何せ、未だ甲斐国には家康の異父弟・松平源三郎康俊は甲三同盟の人質として留め置かれているのだから。


「よし、ならば一書したためるとしようぞ」


 家康は石川伯耆守の進言を受けてすぐにも書状を用意しようとしたが、今川氏真との和睦云々のごたごた以来音信不通となっている信玄に宛ててどのような書状を送ろうか、家康は悩みに悩んだ。


 その末にようやく出した家康の書状が駿府に在陣している信玄のもとへ届けられたのは駿府占領から十日以上が経過した十二月二十六日であった。


 駿府を占領した武田軍は大原肥前守資良が籠城する花沢城、徳一色城の長谷川藤九郎正長といった今川方が意気軒高な山西地域へすぐに山越えして攻め入ることはせず、まもなく年末ということもあり、駿府で越年する支度にかかっている最中であった。


「父上、北条軍は我らに恐れをなしたのか、出陣してこちらへ向かってくる気配はありませぬ」


「左様か。興国寺城と深沢城の守りを固めるのみか」


「はい。まこと北条も大した敵ではございませんでしたな。父上の手にかかれば、北条なんぞ一ひねりにございましたな」


「いや、北条を侮ってはならぬ。長尾との和睦が成せたゆえ、こうして駿河経略を進められておるが、北条と長尾の越相同盟が機能しておれば、守勢に回っておったのは我らの方よ。儂より早く宿敵と和することを選んだ北条の外交手腕は見事なものぞ」


 諏訪四郎勝頼は若さもあり、簡単に北条軍を駆逐できたことを素直に喜び、北条は大した敵ではないと口にした。それに対し、熟練の信玄は逆に北条家の立ち回りを称賛し、実力を認めている。


 親子であってもそれほどまでに北条家に対する味方が違うのは経験の差が如実に表れていた。そんなところへ、勝頼とも親しい従弟・武田左馬助信豊が一通の書状を持参したのである。


「御屋形様。そして、四郎様。左馬助にございまする」


「おお、よくぞ参った。して、その手にある書状は儂宛てか」


「はい。先ほど三河から使いの者が参り、この書状をと」


「なにっ、三河からじゃと……!?」


 信玄は驚きに目を見張り、武田左馬助が左手に持つ書状を凝視する。その傍らに立つ勝頼もまた信玄の驚きように驚く有様であったが、父と三河の因縁については嫌というほど耳にしたため、一体今さら三河から何の書状が届いたのか、甚だ疑問といった様子であった。


 信玄は甥の武田左馬助から書状を受け取ると、すぐにも慣れた様子で書状へ目を通していく。


 仍而近年、駿州之儀承候、去今度御出馬之由、風聞於耳候、駿府御再占領之報、承聞仕候、然者、当国遠江與駿州接壌之地、自然不可無心安之儀候、仍而御企之趣意、得御示申候者、於我等安心存候、仍又両国相隣候以上、永可結好望之至候、然者偏以厚誼可被示候、仍如件、恐々謹言。

 十二月二十一日 家康(花押)

 信玄殿


「ふん、蔵人佐め。我らが駿河へ侵攻し、駿府を再び占領したことを聞きつけて書状を送ってきたようじゃ」


 信玄は鼻で笑って書状を放った。勝頼はそれを慌てて拾い上げると、従弟の武田左馬助にも見えるように傾けながら、ともに書状へ目を通していく。


「父上、さしずめ我らが駿河を経略した後、矛先を遠江へ向けられるのを恐れておるのでしょう。かように弱腰ならば、一挙に遠江をも屠ってしまってはいかがでしょうや」


「ははは、四郎は若い。まずは花沢城と徳一色城を落とさねば始まらぬであろう。それが成せた後は論功行賞じゃ。どの城に誰を置くのか、そこも定めておかねばなるまい」


「さすがは父上。しかし、徳川へはいつ攻め込まれるので?我らとの約定を反故にし、恥をかかせた表裏者とも聞きまするが」


「ははは、表裏者か。たしかにその通りじゃ。当家が不利とみるや強気に交渉を持ちかけ、遠江をかっさらい、当家が有利に転じるや友好を求めてくる小者じゃ」


 信玄は上杉弾正少弼輝虎のことも徳川三河守家康のことも認めていないため、旧姓である長尾や松平でそれぞれ呼称しているほどであった。そんな信玄が家康のことを小者呼ばわりするのは当然と言えば当然ともいえる。


「されどな、四郎。戦には進めてよい時と進めてはならぬ時がある」


「では、徳川攻めは進めてはならぬと」


「うむ。山西地域を押さえた後は矛先を転じて、駿東郡へ向かう。北条軍を駿東郡より叩き出したならば、北条も今川氏真を擁して駿河を奪回することはもはや叶わぬことを悟るであろう。その時には儂は和睦を結ぶつもりでおる」


「北条と和睦と!?」


 思いがけない父の発言に勝頼は素っ頓狂な声を上げ、父の次なる言葉を待つ。父の言葉には必ず意味があり、続きがあると思ったためである。


「良いか、北条との戦を続けておっては果てしない戦いとなろう。そして、今は長尾とも和睦が敵った以上、北条とも和睦すれば当家は北と東から攻められることはなくなる」


「では、その後に徳川との決戦をと?」


「否、徳川と合戦ともなれば織田とも戦となろう」


「お、織田とも戦になるのですか……?」


 さしもの勝頼も織田の名を聞き、声が尻すぼみになってしまう。織田家は尾張、美濃、南近江、伊勢の四ヶ国に跨る広大な領土を有する大大名である。さしもの勇将・勝頼も織田家の名を出されてはすくんでしまうのは無理もないことであった。


「四郎、織田は怖いか」


「は、はい。ですが、何よりも某の正室は遠山直廉の娘ですが、そもそも織田弾正忠殿の姪にあたり、それを弾正忠殿の養女としたうえで某へ嫁いでおりますれば」


「うむ。その正室との間に嫡男が産まれておることも存じておる。じゃが、儂は弾正忠殿の松平への対応には不満が募っておる。己に従属する国衆も統率できぬようでは、同盟相手として見ることはできぬゆえな」


「戦となれば離縁となりましょう。父上はそれでも良いと?」


「この乱世では縁だのなんだのにこだわっておっては生き残れぬぞ。儂とて娘婿の北条左京大夫氏政と今なお干戈を交えておるのだからな」


「さ、左様にございました。では、父上は織田との戦に向けて某にも妻と離縁することを覚悟しておけということですな」


 勝頼も渋々といった様子であったが、信玄の考えに従うことを決めた。内心では織田・徳川との同盟関係に見切りをつけた信玄であったが、ひとまず年明けの永禄十三年正月十日付で家康へと返書を出したのである。


 そんな信玄が花沢城攻めの陣中にてしたためた家康宛の返書は数日後、岡崎城の家康のもとへ届けられた。


 去二十六日之廻札、於駿府披見、抑当国之凶徒悉退治、雖然号花沢之地、大原肥前守在城、隣国之儀候条、悉皆御入魂所希候、猶山県三郎兵衛可申候、恐々謹言

 正月十日 信玄 判

 徳河殿


「ふむ、書状は信玄殿のもとへ無事に届いておったようじゃな」


 家康は年明け早々から信玄からの書状の返事が届かぬのは何故かと気を揉んでいたのだが、ようやく届いた文面も想像していたよりも穏やかな文面で安堵していた。


「殿、武田にも当家と親しくするつもりはあるようですな」


「うむ。それはそうであろう。真に当家と敵対するのであれば、すでに甲斐へ送った源三郎の首が飛んでおるわ」


「されど、書状で申していることすべてが真実とは限りませぬ。くれぐれもご油断なされまするな」


「それは分かっておる。そもそも信玄相手に油断できるほど当家に余裕はなかろう」


 かたや信玄は甲斐、信濃、西上野、駿河の四ヶ国に跨る所領を有する大大名。かたや家康は三河と遠江の二ヵ国。動員できる兵力も倍以上の差があるのだから、油断できる要素など微塵もない。


「されど、救いなのは武田軍は花沢城をはじめとする山西地域の城を攻略した後、そのまま遠江へ侵攻するつもりがないことでしょうか。書状にある隣国、すなわち遠江を自国ではなく隣国と認めているのですから、遠江を我らが領することを認めているといってもよろしかろうかと」


「うむ、それはその通りじゃ。本心ではどうあれ、わしに宛てた書状では三河と遠江を領する大名であることを認めざるを得ないのじゃろう。それでもわしは信玄殿が書状で認めておることは大きな進歩じゃと思う」


「それはそうにございましょう。されど今は認めておるだけのこと、いつか必ず遠江侵攻を企む時期がやって参りましょう」


「それは間違いなかろう。駿河全土を経略した暁には考えも変わっておるであろうからな」


 まだ信玄が駿河を領有したわけではない。領有してしまうほどの凄まじい勢いであることは間違いないが、何分にも領有が成せたわけではないのだ。


 そのような情勢であるから徳川とは事を荒立てないようにしているだけである、というのが石川伯耆守の見るところであり、家康も完全に同意見であった。


「然らば殿がまず成されるべきは新たな居城をどちらに移されるか、それを一刻も早く定めることでしょうな。まずは城を築く地を見つけ、着工せねばなりますまい」


「うむ。ここでもたもたしてしまい、城が完成する前に武田軍に攻められては笑えぬ」


 そう、家康が信長の意見に従って見附の城之崎城へ居城を移転する計画を白紙に戻したまでは良かったのだが、天竜川以西で居城に相応しい地を見つけることに難儀していた。


「どこか良い地はないものか……」


「あるにはあるのですが、ただの築城とはわけが違いまするからな」


「そうなのじゃ。新たな居城として相応しいか否か。それを踏まえて城を探さねばならぬとあって、どうにも候補が定まらぬ」


 家康は悩んでいた。ただ、守りを固めるために城を築くのであれば、いくらでも候補は見つかるのだが、新たな居城とするに相応しいかの一点を加えるだけで、途端に難しさを増してしまっていたのだ。


 そんな家康が武田家との付き合い方を見つめ直しつつ、居城の移転を進める中、武田信玄の駿河侵攻は順調に続けられていくこととなる――

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