第278話 徳川左京大夫家康
永禄十二年十月。武田信玄が小田原へ侵攻し、三増合戦にて北条軍を撃破して甲府へ帰還した頃である。
家康は祝言を終えた家臣・本多平八郎忠勝と於久の方のいる能見松平家の屋敷を訪ねた。思いがけない当主の来訪に能見松平家の人々は驚き、慌ただしい出迎えを受けていく。
まだまだ屋敷内には祝言の気配が残り、祝言には顔を出せなかった家康も歩くだけでめでたい気分になってくる心地よい雰囲気に満ちていた。
近侍である榊原小平太康政、阿部善九郎正勝、天野三郎兵衛康景、鳥居彦右衛門尉元忠、渡辺半蔵守綱、大久保新八郎康忠、服部半蔵正成を引き連れて屋敷へ入った家康は能見松平家臣の案内にて奥の広間へ通される。
そこには齢二十二の新郎・本多平八郎と新婦・於久の方が仲睦まじく座っている。そしてその傍には平八郎の妹である栄子姫と育ての親でもある叔父の本多肥後守忠真が本多家の親族として座し、能見松平家からは新婦の叔父にあたる松平二郎右衛門重吉、新婦の従兄弟にあたる松平二郎右衛門の四男・松平重勝といった面々が揃っていた。
「こ、これは殿!?」
「平八郎、無事に祝言が終わったそうではないか。領内を視察がてら、立ち寄らせてもらった」
領内の巡察を名目にして能見へと足を運んだ家康。思いがけない人物の登場により、その場にいた者たち皆がざわつく。
「平八郎、祝言はつつがなく執り行えたそうじゃな」
「はい。今日はここにおりませぬが、舅の阿知和玄鉄殿からも於久をよろしく頼むと申されましたゆえ」
「そうであったか。それは良かったではないか」
照れくさそうに笑う本多平八郎を見て、家康まで幸せな気分になってくる。これまで戦のことばかりで、事あるごとに強者との一騎打ちを望む性分であった本多平八郎が妻帯者となったのだ。
何より、これまで見たことのない表情がここへきてさほど時が経っておらぬのに幾つも見られたことも家康は嬉しかったのである。そんな家康は本多平八郎の側で美しく正座している於久の方へと視線を向ける。
「於久殿も久しぶりじゃの。桶狭間合戦の前に会った時ぶりではないか」
「はい。あの折は大変お世話になりました」
「ははは、世話などと大層なことはしておらぬ。じゃが、約束通り、良い婿を見つけてきたであろうが」
「はい。縁組のこと、殿から父や叔父へ申し入れてくださったと耳にしております」
「うむ。家臣同士の結びつきを強めるためにも、縁組というものは大切になって参るゆえな。それゆえに本多平八郎と並んで見劣りせぬ女性がおらぬかと思案したところ、顔が思い浮かんだのがそなたであったのだ」
「それは光栄なこと。誠にありがとうございます」
どこまでも礼儀正しく、夫の主君に対面する妻としての立ち居振る舞いに心底家康は感心した。それと同時に、この縁組は間違いでなかったことも確信し、内心安堵してもいたのである。
「それにしても、あの平八郎が妻を娶ったのじゃ。肥後守も嬉しかろう」
「それはもう……!あの小生意気な平八郎が妻を持つ年になったかと思うと涙が止まりませぬ……」
「お、叔父上!」
本多肥後守はそれほどまでに嬉しかったのか、感極まって泣き出してしまう。二十年前に兄・本多忠高が戦死して以来、ここまで育て上げてきた。それはもう、本多肥後守にとって本多平八郎は甥というよりも息子といっても差し支えない。
「ははは、肥後守はまこと涙もろくなったものじゃ」
「殿とて、いつか涙もろくなられる日が参りましょう。竹千代様のご成長や亀姫様のお輿入れなど、某には殿が涙を流している光景が目に浮かぶようですぞ――」
そう言って笑う本多肥後守であったが、目の前の光景を見て言葉が途切れる。家康の頬にきらりと光る雫があったからである。
「と、殿!?」
「すまぬ、祝いの席であるというのに」
「も、もしや殿。竹千代様や亀姫様のことをお考えに……?」
「うむ、肥後守に言われてその姿を思い浮かべてみたのじゃが、なぜだか涙があふれてしもうた」
「ははは、殿も人の子、人の親にございますな」
「まことじゃ。ははは……!」
我が子の成長を前にして涙もろくなると忠告を受けるなり、その光景を思い浮かべて涙を流す家康に本多肥後守は膝を叩いて笑った。
それにつられるように本多平八郎の妹である栄子姫が笑い、他の者も笑いを抑えきれなくなり、広間に笑い声が満ちていく。
「そうじゃ、平八郎の妹と会うのは初めてやもしれぬ」
「はい、ご挨拶が遅くなり申し訳ございませぬ。本多平八郎忠勝が妹、栄子と申します」
「うむ。わしが徳川三河守家康じゃ。して、そなたは妙齢と見えるが、誰ぞに嫁ぐ話などはあるのか」
「いえ、ございませぬ」
「ふむ。ならば、来年にも居城を新たに移すゆえ、そこで働いてみるつもりはないか。女手も足らぬゆえ、来てくれると助かるのじゃが。何より、そなたの兄もわしに同行するゆえ、兄とともに移れば良い」
「よろしいのですか?」
栄子姫は不安げに兄・本多平八郎を見やる。本多平八郎が優しく微笑みかけ、首を縦に振ったことで栄子姫の心も定まった様子であった。
「では、そのお話、受けさせていただきたく存じます」
「うむ、決まりじゃな」
かくして栄子姫という女手を確保した家康は沈黙している齢七十二の能見松平家当主・松平二郎右衛門へと向き直る。
「二郎右衛門へ一つ相談なのじゃが」
「ほう、このような老いぼれに相談とは何事にございましょう」
「うむ。そこにおるそなたの四男、松平重勝は幾つになったのであったか」
「それは重忠、直答申し上げよ」
齢七十を過ぎて肉体の老いが目立ちつつある松平二郎右衛門であったが、その眼光は未だ鋭く、四男・重勝へ家康からの問いに直に問いかけるよう命じる。そんな父の言葉に応じて、松平重勝は畏まった様子で応じる。
「はっ!齢二十一となりましてございます!」
「おお、そうであったか。未だ室はおらぬのか」
「はい。今のところは娶る相手は定まっておりませぬ」
実直な青年・松平重勝の言葉を聞き、家康は少し考える素振りを見せると、次は近侍の鳥居彦右衛門尉に視線を移す。
「彦右衛門尉、そなたには確か妹がおったな」
「はい。おりまする」
「うむ、その妹を松平重勝へ嫁がせてはどうか」
「それは良きお考え!父にも相談してみまするが、父も否とは申すまいかと」
鳥居彦右衛門尉はまだ嫁ぎ先の決まっておらぬ妹の結婚相手に能見松平重勝はどうかという家康からの打診を二つ返事で承諾。しかし、自分が決めれることではないため、父・伊賀守忠吉へ持ち帰って相談することとした。
「……とのことじゃが、重勝。そなたは嫌か」
「いえ!滅相もございませぬ!譜代の重臣であらせられる鳥居伊賀守殿のご息女をいただけるなど、願ってもないこと!ぜひお受けさせていただきたく存じまする!」
「となれば、あとは伊賀守の返答次第か。彦右衛門尉、返事は急ぎで頼むぞ」
鳥居彦右衛門尉が力強く頷くと、家康も満足げに松平重勝を見やった。見るからに気骨のありそうな若武者であり、彼が跡を継げば能見松平家もまず安泰であろうと思えた。
そうして何気なく本多平八郎忠勝と於久の方のいる場で提案された松平重勝と鳥居伊賀守忠吉の娘の縁組はとんとん拍子に進み、その年のうちに婚姻し、翌年には嫡男・伝三郎が誕生することとなる。
それはさておき、十月も怒涛の勢いで過ぎ去り、迎えた十一月も中旬に差し掛かった頃。岡崎城で知行宛行や寺領安堵などの書状の発給に追われる家康のもとへ、二通の書状を持った老臣・鳥居伊賀守忠吉が嫡男である鳥居彦右衛門尉に付き添われて登城してきたのである。
「殿」
「おお、伊賀守ではないか。久しく見かけなんだが、体調の方は大丈夫か」
「はっ、おかげさまで。されど、齢七十八ともなると足腰も弱り、思うように屋敷内を移動することも叶いませぬ。それゆえ、本日は彦右衛門尉に付き添いを頼み、こうして殿のもとへ参上したのでございます」
そうまでして岡崎城へ登城してきた鳥居伊賀守。その時点で、その手に握られている書状が重要なものであることは火を見るよりも明らかであった。
「某のもとへ、山科言継卿より書状がございました」
「なにっ、権大納言であらせられる山科言継卿より書状が届いたと……!?」
「はい。一通はそのことで、もう一通は正親町天皇から山科言継卿に宛てた女房奉書にございまする」
「なんと京の帝からの女房奉書もあると申すか……!?」
天皇や権大納言といった雲の上の人々の名前が次々と語られ、まるで自分までもが雲の上の人になったかのような心地ですらあった。
「して、その内容やいかに」
「はい。殿が送られました二万疋の進上は神妙であり、後奈良天皇の十三回忌の法会がつつがなく執り行われたことを帝も大層お喜びである、と」
「そうか、帝にお喜びいただけたのならば何よりじゃ。居城移転や戦のことで銭が足らぬ中、なんとか工面した甲斐があるというものぞ」
「いかにも。これで帝や公卿らの覚えがよくなれば、官位の話も持ちかけられるのではないかと」
「うむ、そうであれば良いのじゃが」
朝廷で良い印象を持たれれば、叙位任官の折も話が進みやすい。
何より、朝廷へしっかり献金をしている大名であることを世に知らしめることも政治活動で大切なことであり、領民たちにも自分たちの領主は天皇家にも献金している立派な領主であるという姿を見せる必要もあったのだ。
もちろん、武田家との関係が冷え込む中でそれだけの大金を朝廷に献じている場合ではなかったが、これもいつか実を結ぶと思い、家康は銭を工面して献金したのである。
「加えて、このことは岐阜城の織田殿へも申し伝えたのでそのことについて申し渡されるであろうとも記してございましたが、なんぞ織田殿から便りは?」
「いや、近ごろは織田殿も忙しいのか、あまり書状が届かぬのじゃ」
「織田殿も政務に忙殺されてそれどころではないのやもしれませぬな」
「うむ、そうやもしれぬ」
家康は三河・遠江を領有して二ヵ国の大名として忙しい。だが、信長は尾張、美濃、伊勢、南近江と四ヶ国に跨る所領と堺をはじめとする直轄地のこと、朝廷との付き合いや実質的な管領としての室町幕府の政務への対応など、忙しいという次元の話ではなかった。
「ともあれ、献金したことが帝に喜んでいただけたことは大きい」
「また、書状において殿のことを徳川左京大夫家康としておりますゆえ、すでに献金の効果はあったのではございますまいか」
「ほう、わしのことを左京大夫とな」
左京大夫への任官。十中八九朝廷が便宜を図ったものであり、目下同盟を結んでいる北条氏康・氏政父子も名乗っており、まさしく戦国大名としての格式に相応しい官途名であった。
「それはありがたきこと。じゃが、相模北条氏が先に称している左京大夫をわしが名乗るのは気が引ける。あくまでも左京大夫は朝廷に対してのみ名乗ることとしようぞ」
「それがよろしいかと。下手に左京大夫を名乗り、北条家との関係がこじれれば、それを最も喜ぶのは武田家にございましょう」
「やはり伊賀守もそう思うか。なれば、そうすべきなのであろう。ともあれ、朝廷に便宜を図っていただけるまでの関係性を築けたことは大きい」
家康は感極まっているという様子で瞠目し、喜びを噛みしめていた。それを傍らで見守る鳥居伊賀守は祝いがてら、左京大夫という官職について語り始める。
「何より、左京大夫は歴代管領の盟友的存在の有力守護大名に授けられた官職にございますれば、織田殿が管領に匹敵すると朝廷に目され、その織田家の盟友は当家であると認識されたからこその左京大夫任官なのでございましょう」
「そうか、そうであったな。細川氏嫡流の当主は管領の地位に就くとともに代々右京大夫に任じられたことから京兆家と称され、これに対して管領を支える盟友的存在の守護大名が左京大夫に任じられてきたのであった。第十一代将軍の足利義澄公と細川政元公の頃には赤松政則公が、第十代将軍の足利義稙公と細川高国公の頃には大内義興公が、第十二代将軍の足利義晴公と細川晴元公の頃には六角承禎殿が任じられた役職であったか」
そうして歴代の将軍と管領を列挙してみると、いかに左京大夫という官職がすごいものであるのか、何より管領と朝廷から目される盟友・織田弾正忠信長の偉大さというものがひしひしと感じられる。
何はともあれ、家康は以後、朝廷社会に限定して左京大夫の名乗りを用いていくこととなる――




