第275話 見附城之崎城のこと
時は遡り、武田信玄が西上野から武蔵へ侵攻を開始した九月上旬頃。信玄が北条家と死闘を繰り広げている中、その北条家と同盟を結んでいる家康の方にも変化があった。
「左様か。左衛門次郎が……」
「はっ、先月の二十五日に息を引き取りましてございます」
秋風が優しく室内へ吹き込む岡崎城の書院にて、家康は父・松平広忠の岡崎城帰還や自身が竹千代であった頃に行われた織田三郎五郎信広との人質交換の際に老臣・大久保新八郎忠俊とともに信広の護送と竹千代の身柄の受け取りに付き添ってくれた家臣・大久保左衛門次郎忠次が死去したとの知らせを受けていた。
知らせに走ったのは大久保党を束ね、大久保左衛門次郎の甥にあたる大久保七郎右衛門忠世。彼に付き添う形として、大久保左衛門次郎の齢三十九となる長男・八郎右衛門忠重、大久保七郎右衛門と同じく齢三十八の次男・阿部四郎兵衛忠政の兄弟も同伴していた。
「まこと当家が苦難の折に支えてくれた忠臣が一人この世を去ったことは悔やまれる」
「殿に左様におっしゃっていただけましたこと、父もあの世で喜んでおりましょう」
「そうであれば良いが。して、家督は長男である八郎右衛門が継承したか」
「はい。父からの遺言の通りにございまする。ここにおります弟も阿倍定次殿のもとへ婿養子に出ておりますれば、某が継ぐほかございませぬ」
そういってちらりと傍らの弟・阿部四郎兵衛を見やる大久保八郎右衛門は、父の死と同時に家督を継いだことを改めて家康へ報告。今後とも大久保党の一員として家康を支えていく旨を宣誓したのであった。
「八郎右衛門、そなたも一向一揆の折には上和田砦に籠もってよく戦ってくれた。その後の槍働きについても天晴の一言に尽きる。今後とも忠勤に励んでくれよ」
「はっ!お任せくださいませ!」
武闘派の多い大久保党は徳川家にとっても主力といえるほどの数ではないまでも、精鋭部隊であることは間違いなかった。
そんな家康は幼少の頃からその活躍を知っているため、期待感は常に高いままであり、大久保党の者たちもそれをよく理解しているため、その期待に応えようとこれまでも多くの武功を立てて来ていた。
「七郎右衛門も大久保党をまとめることとなり大変であろうが、よく務めてくれておる。この調子で引き続き頼む」
「ははっ!」
「先の堀川一揆の鎮圧ではそなたの嫡男、新十郎の活躍は目覚ましいものであった。さすがは大久保七郎右衛門の嫡子であると左衛門尉が絶賛しておったぞ」
「ははは、相変わらず左衛門尉殿は過大評価が過ぎまする。武士であれば、敵将の首を挙げて当たり前の事。それしきのことができずして、武士とは申せませぬ」
「七郎右衛門は厳しいの。時には息子も褒めてやってはどうじゃ」
家康は苦笑し、大久保七郎右衛門の嫡男・新十郎へ厳しくあたる教育法はどうなのかと問いかける。
「褒めそやすのは大久保党の者らがいたしておりますゆえ、某くらいは厳しく当たらねば。それに、甘やかして七郎右衛門は我が子には甘いなどと言われては、統率が取れなくもなりましょう。我が子には他の者より数倍厳しくするくらいで丁度良いと心得まする」
「ほう、左様か。わしも竹千代には少しは厳しくした方が良いであろうか」
「と、殿。某が新十郎を育てるのと、殿が竹千代様を育てるのとでは格が違いまする」
「そうであろうか」
「そうでありまする!」
嫡男には厳しい大久保七郎右衛門も、主君である家康へは優しかった。敬愛する主君であるからこそ、厳しいことは言わないのである。むしろ、諫言するのは本多作左衛門重次など別の者が行っているから、という事情もあったのだが。
「おお、そうじゃ。近ごろは忙しかったゆえ、こうしてゆっくりと話も聞けなんだが、四郎兵衛に一つ尋ねたいことがある」
「はっ!某にございますか?」
「うむ、隠居してよりそなたの養父である定次の話をあまり聞かぬゆえな」
阿部四郎兵衛忠政の養父・阿部定次は家康が駿府にいる頃、岡崎にて領内のことを切り盛りしてくれていた重臣・阿部大蔵定吉の弟なのである。
そんな阿部定次は婿養子とした阿部四郎兵衛へ阿部家のことを任せて隠居して以来、何をしているのか。家康のもとにもあまり聞こえてこなかった。
幼少の折は阿部大蔵とともに行動していたため、顔を合わせることも多かった人物なだけに、その後の動向が頭の片隅で気にかかっていたのである。
「なるほど、父のことにございましたか。父は先々代の清康公が亡くなられて以後の歴史を書き記すのじゃとか申して、日々編纂に励む日々を送っておりまする。もとより、戦などの荒事は好まれぬ方ですから、毎日四苦八苦しながらも楽しそうにしておりまする」
「そうであったか。当家の歴史を書き残す、か。わしは公家でもないゆえ、日記などは記してこなんだ。わしの生まれる以前のことからよく存じておる定次ならば良き書物を書き上げてくれよう。仕上がったら、わしにも読ませてはくれまいかと聞いてみてはくれぬか。政務の合間に己が家の歴史をまとめた書物を読むと思うと、すでにうずうずしてやまぬのじゃ」
「殿は昔から書物を読まれるのがお好きにございましたからな。承知しましたぞ、父にも聞いてみまする。いつ仕上がるのか、どこまで進んでおるのか、某はまったく存じませぬゆえ、何も返答はできませぬが、明日にもご報告いたしましょうぞ」
「うむ、頼む」
家康から頼まれた阿部四郎兵衛は部屋のあちこちに山のように重ねられた書物を見て、本当に主君は読書が好きなのだと思い知らされる。己が弓を手放せぬのと同じように、殿は書物が手放せぬのだと思うと、何やら親近感のようなものまで感じてしまう。
「おお、そうじゃ。七郎右衛門にも聞いておきたいことがあった」
「はっ、何でございましょうや」
「うむ、そなたは当家を出奔した本多弥八郎正信の妻子を保護しておるそうじゃな」
突如、会話の矛先が自分が保護している友・本多弥八郎の妻子に向こうとは思っていたなかった大久保七郎右衛門の肩が小さく跳ねる。
――ひょっとすると、何か咎められるのではないか。
そんなことが大久保七郎右衛門の脳裏をよぎる。何せ、保護している本多弥八郎は酒井将監忠尚の謀反に加担し、鎮圧後に家康が帰参を許したにもかかわらず、それに応じることなく三河を出奔してしまった。
そのような者の妻子を匿うなどもっての外であるから、ただちに身柄を差し出せと言われたらどうするか。悪いことばかりが頭の中を堂々巡りしてしまうが、その悪い予感が的中することはなかった。
「案ずるな、身柄を差し出せなどとは申さぬ」
「な、なんと……!」
「身ごもった妻をそなたに預けていったと聞くが、その子はどうしておるか、ふと気になったのじゃ」
「はっ、生まれた子は男子にござれば、弥八郎の嫡男ともなりまする。ひとまず、幼名は千穂として育てておりまする」
「そうか。して、そなたの屋敷で過ごしておるとのことじゃが、その様子は?」
「極めて利発にございまする。そのあたりは父親に似たのであろうかと。されど、新十郎と入れ替わるように当家の屋敷へやってきたこともあり、新十郎とは打ち解ける気配がございませぬ。双方ともに不機嫌そうに黙り込むばかりにございますれば……」
「ほう、そうであったか。じゃが、新十郎はまだ齢十七。千穂にいたっては五ツであろう。まだまだ若いのじゃ、打ち解ける機会などこれからいくらでもあろうぞ」
大久保屋敷での本多千穂の様子を聞けて満足したのか、家康は今日一番の笑顔を見せる。そして、本多千穂を話題に出した流れで、家康は大久保七郎右衛門へ新たな問いかけをしていく。
「それで、弥八郎から何ぞ便りはあるのか」
「一年に一度、律儀に年賀の挨拶を寄こしまする。今は加賀国におるらしく」
「ふむ、浄土真宗門徒であることを踏まえれば、さほど驚くことではないか。ならば、折があればそなたからわしの言伝を伝えてはくれまいか」
「もちろんにございます!して、言伝とは?」
「うむ、あくまでも一向一揆に加担した門徒武士は三河国より追放としたことを忘れておるまい。そのことよくよく吟味して以後の進退を考えよ、とな」
家康からの言伝を言葉通りに走り書きした大久保七郎右衛門は、書き終わったその文章を読み直して、胸にこみ上げるものがあった。
「殿、このような情けをかけていただけましたこと、弥八郎もさぞかし喜ぶことでしょう」
「はて、わしは何か申したかの」
そう言ってとぼける家康にその場に居合わせる大久保七郎右衛門、大久保八郎右衛門、阿部四郎兵衛は声を上げて笑った。
そうして家康が大久保党の者たちと笑いあっていると、最年少の家老・植村出羽守家政が一通の書状を持って家康のもとを訪ねてきたのである。
「おや、殿だけでなく、七郎右衛門殿らもおられたか」
「うむ。して、出羽守。その書状は」
「はっ、岐阜城の弾正忠殿より届けられた殿宛ての書状にございます。先ほど南伊勢から走ってきたと申す使者より預かりましてございます」
「そうであった。織田殿は南伊勢の北畠氏を攻めるべく、先月二十日に岐阜城を出陣なされたのであったな」
家康は植村出羽守より直に書状を受け取ると、家臣らが見守る中で早速にも書状を開封し、中身を確認する。
「おお、先月にも某が送った城之崎城についての意見がまとめられた書状ではないか」
「左様にございましたか。見附の城之崎城は完成間近ともなりますれば、今月末には家臣らの屋敷も仕上がり、移転できるとの話にございましたが、弾正忠殿はなんと?」
「工事は中止せよ」
「はっ?今なんと……?」
「城之崎城の普請は取りやめじゃ、出羽守はすぐにも見附へ使者を走らせ、普請を取りやめよとのわしの命を伝えよ!」
「はっ、ははっ!」
訳が分からないまま、書院を退出して指示通りに動く植村出羽守。無論、事態が飲み込めないのは書院に取り残された大久保七郎右衛門らも同じことであった。
「殿、何故見附の普請が取りやめなのか、我らにもご説明願いまする!」
どうしてここへきて完成間近の城之崎城の普請を取りやめる指示を出したのか、説明を求めるのは当然のことであった。
そんな家臣たちの疑問に、家康は答える責務があった。もちろん、家臣たちが納得のいく答えを、である。
「縄張りについては織田殿も称賛してくださった。『まことに要害堅固、徳川家の新たな居城に相応しい』と」
「さればこそ!何故、城普請を中止などと……」
今川家と手を切って織田家と結んだ折は織田家を同盟相手として疑問視する家臣も多かったが、尾張、美濃、南近江、北伊勢と四ヶ国に跨る広大な領土を有するまでに上り詰めた織田弾正忠信長を見て、徳川家中でもその評価は大転換していた。
そんな織田弾正忠家当主である信長すらも要害堅固と認める城之崎城の普請を取りやめるのは一体どうしてか。そのことについて、家康は言及していく。
「この書状には『ここはよくない』と書かれておるのじゃ」
「して、その理由は?」
「うむ。東から襲来する敵と一戦交える城としてはこれ以上のものはない。しかし、当家と連携して事に当たる場合、西を流れる天竜川が唯一懸念されることである。もし、天竜川が増水した折に敵に攻められれば、当家も含めた援軍が西より向かっても駆け付けることができない。そのため、天竜川以東に居城を構えるのは危ういのだそうな」
「むっ、それは盲点にございましたな」
「そうであろう。わしも今、そのことを指摘されて気づかされたのじゃ」
「然らば居城は遠江でも天竜川より西となりますか」
「うむ。たしかに天竜川が増水した折に武田に攻められては援軍も見込めず、窮地に陥ろう。それを現地を見てもおらぬのに考えつく織田殿はさすがじゃ」
「然らば、城普請は中断として、新たに居城を普請するのは何処とすべきかを見定めてからにございましょうか」
大久保七郎右衛門の言葉に家康は静かに頷いた。完成間近というところで見附の城之崎城へ居城を移転する計画は中止。
武田が駿河制圧を進め、遠江侵攻が懸念される中、居城移転計画はふりだしに戻ったのである。
「ふっ、『武田の駿河侵攻はまだ一年はかかろう。それから駿河を統治するのにも時はかかるであろうから早くても遠江に手出ししてくるのは二年後となろう。ゆえに、焦ってはならぬ』とは、織田殿は某の焦りを見透かしておられたか」
自嘲気味に笑う家康はそっと書状を閉じると、新たに居城を移す候補地選びへと、さっそく動き出す家康なのであった。




