第273話 武田信玄の小田原侵攻
永禄十二年八月、家康が織田信長からの飛脚で正親町天皇が父・後奈良天皇の十三回忌の法会の費用拠出を求めていることを知り、それに莫大な費用を進上した頃。
第二次駿河侵攻によって大宮城を陥落させて富士郡を制圧して甲府に帰還して後も戦支度に抜かりない武田信玄は、次なる矢を番え、それを放とうとしていた。
「御屋形様、三度裏をかくと仰せでしたが、次で二度目となるのでしょうや」
「その通りじゃ」
八月も下旬になると、夏の酷暑も落ち着き始め、心地よい秋風が甲府盆地を流れるようになっていた。夏を終えて秋。そんな季節の変わり目に、信玄は動き出そうとしていた。
戦支度を進める譜代家老衆の山県三郎兵衛尉昌景の言うように、第一の矢は第二次駿河侵攻であり、今から放とうとしているのは第二の矢。北条方に対する二度目の裏をかく軍事行動である。
「先月下旬には長尾との和睦が成せた今、すべての支度が整っておる」
「上杉が絡むとあらば、御屋形様の次なる狙いは上野国にございましたか」
「そうじゃ。長尾と同盟を結んだことで、今までは上野へ進んだところで長尾と北条、双方と衝突するためにすでに領有している地を守ることに専念しておったが、長尾との和睦が成せた今、敵は北条のみ。上野の北条方を攻め立てるとしようぞ」
信玄は七月下旬に上杉弾正少弼輝虎との和睦、甲越和与を成し遂げた。無論、そこには将軍・足利義昭と織田弾正忠信長の仲介あってこそなのだが、それが半年以上の時を要してようやく成就したのである。
上杉家との和睦が成せた今、北信濃と上野への上杉軍の侵攻を警戒する必要がなくなった今、もはや信玄の敵は東の北条家のみ。あとは北条家と死闘を繰り広げ、駿河を領有化すればすべて丸く収まるのである。
「されど、上野にも北条の軍勢は駐留しておりましょう。それを相手取るのは至難の業であるかと」
「三郎兵衛尉、そう思ったがゆえの六月の駿河侵攻であったのよ」
そこまで信玄に言われ、山県三郎兵衛尉は主君が言わんとすることが何であるのか、気づいた様子であった。
「なるほど、たしかに北条軍は当家の侵攻を受け、駿河と伊豆を防衛するため、関東の諸勢を投入しておると耳にします」
「そうじゃ。草の者に探らせたところ、敵地との境目の城からは兵は動いておらぬが、それ以外の城からは城を守る最低限必要な兵しか残っておらぬ」
「じゃが、上野国へ進出はするが、どこも城攻めはせぬ。上野に駐屯する当家の軍勢も結集させ、別なところを衝くのよ」
山県三郎兵衛尉はまさか、と思った。その後の信玄の言葉を聞き、やはり我が主君はとんでもないことを思いつかれる方だと心の底から思い知らされることとなった。
かくして武田軍は八月二十四日に甲府を出陣。その折にはぎりぎり七千にも満たない数であったが、信濃に入るなり四男・諏訪四郎勝頼をはじめとする一万を超える信濃衆が合流し、二万に迫る大軍勢で悠々と上信国境の碓氷峠を越え、武田領の西上野へ入ったのである。
「父上!」
「四郎、よくぞこれだけの信濃先方衆を集めてくれた」
「はっ!されど、これは父上が上杉との和睦を成したからにございましょう。それゆえに、これまで上杉の侵攻に備えさせていた北信濃衆も動員でき、これほどの数に膨れ上がったのでございます」
会うたびに勇ましくなっていく齢二十四の諏訪四郎勝頼は武将として羨ましい恵まれた体格で巧みに馬を操り、輿に乗って進軍する父・信玄のもとへ近寄っていく。
「四郎、太郎の死後、儂はそなたを嫡男にすると定めたが、これに納得しておらぬ者も多い」
「はい。そのことはよく存じております。父上の継室である三条夫人をはじめ、一門の者らは我が異母弟の五郎を嫡男にしようとしておると」
「うむ、その通りじゃ」
義信事件によって嫡男・太郎義信を廃嫡させたのち、後継者として四男・諏訪四郎勝頼を定めた。
これは次男が出家し、三男が夭折していたため、必然ともいえる処置であったが、信玄継室で武田太郎義信の生母である信玄継室・三条夫人は諏訪氏出の母を持つ勝頼でなく、武田家の親類にあたる油川氏出の油川殿との間に生まれた齢十三の五郎を嫡男とする考えを持ち、これに反対していた。
勝頼と違って武田の血が父母から流れている五郎こそ後継者に相応しいという三条夫人の意見に一門も賛同する者がおり、信玄は三条夫人と幾度となく後継者問題で話し合ったが、この一点において仲睦まじい夫妻の意見は合うことなく、衝突を続けていた。
「儂は五郎よりも戦経験豊富なそなたを嫡男に据える。何としても妻を説得するゆえ、そなたは――」
「此度の戦で三条の継母上や一門が納得させる武功を立てて見せよと仰せになりたいのですな」
「その通りよ。これならば武田家の嫡男とするに相応しいと思わせる手柄があれば、皆もそなたを嫡男と認めよう」
「承知いたしました」
諏訪四郎勝頼としても今の状況は面白くないのだ。それをにおわせる表情の機微に信玄は思い悩みながらも、西上野へ布陣し、西上野衆の参集を待った。
「父上!箕輪城代の浅利信種殿が西上野衆を率いて参陣なされ、当家の軍勢は総勢二万となりましてございます!」
「うむ、予定通りか」
西上野衆の参陣を報せる諏訪四郎に信玄は獰猛な笑みを浮かべると、すっくと立ちあがり、高らかに進軍再開を告げ、二万にまで膨れ上がった武田の大軍勢は上野の北条方を攻める――かに思われた。
「上野には城防衛の手勢は残っていても、当家の城を攻め落とせるだけの兵は残っておらぬ!それゆえ、こちらも西上野衆も加わった全軍で北条領の武蔵へ攻め入ることといたす!者ども、突き進めっ!」
信玄率いる武田軍は東へ進んで上野制圧ではなく、一気に南下して上武国境の神流川を渡河。翌九月には北条領国の武蔵国へと侵入したのである。
信玄がまず狙いを定めたのは平沢豊前守政実が城主を務める武蔵御嶽城であった。
御嶽山山頂に築かれた御嶽城は山頂の主郭を中心として東西南北四方に広がる尾根に曲輪を展開している山城である。さすがにこの山城を力攻めしては、犠牲は測り知れない。
「御屋形様」
「案ずるな、今日一日攻撃を加えるだけでよい。北条領の北武蔵の城を攻撃したという事実が欲しいがための城攻めなのじゃ。無駄に兵を死なせるでないぞ」
「ははっ!」
あくまでも信玄が御嶽城を攻めたのは城を攻め落とすためでなく、北条領である北武蔵へ攻め込んだ確かな証が欲しかったからであった。そのため、距離を置いて弓鉄砲を撃ちあうのみに留め、夜が明けると夢幻であったかの如く武蔵御嶽城の周囲から武田軍は忽然と姿を消していた。
武蔵御嶽城を攻撃した信玄は続けて北条相模守氏康の五男・藤田新太郎氏邦が城主を務める鉢形城を攻めたのである。
「御屋形様!城代をはじめ、わずかな兵しか残っておらぬ様子!力攻めして落としてしまわれてはいかがでしょうか?」
「ならぬ。鉢形城は深沢川と荒川が合流する付近の断崖上に位置する天然の要害じゃ。唯一平地部に面する南西側に大手、外曲輪、三ノ曲輪を配し、両河川が合流する北東側に向かって順に二ノ曲輪、本曲輪、笹曲輪が連続して配置されておる縄張り。いかに城を守る将兵が少なかろうと、容易く落とせる造りではない御嶽城と同じく、軽く攻めるだけでよい。落とそうなどと考えるでないぞ」
信玄は血の気の多い将兵を上手く統率しながら、鉢形城へも威嚇射撃を加える程度に留め、本気で城攻めをすることなく南進。
鉢形城の次に攻められたのは北条相模守氏康の三男・大石源三氏照の居城である滝山城であった。
「御屋形様!小山田左兵衛尉信茂殿率いる一千の別動隊が小仏峠から武蔵へ入り、高尾山麓の廿里の地にて北条方二千と激突!」
「して、勝敗は」
「はっ!小山田隊が敵を退けたとのことにございます!」
甲斐国都留郡より武蔵へ侵入した小山田左兵衛尉率いる別動隊が勝利したことを聞き、安堵の色を浮かべる信玄は多摩川と秋川の合流点にある加住丘陵の複雑な地形を巧みに利用した天然の要害・滝山城を見やった。
そんな信玄は滝山城の北側の拝島に陣を敷いていたが、特に攻撃を加えることなく、包囲するのみに留めていた。
「父上!何故、城攻めをなさらぬのですか!」
「攻めたいか、あの要害堅固な滝山城を」
「はいっ!ここは一つでも多く武功を稼いでおきたく!」
「ちっ、武功を稼げと言うた儂が止めてはならぬか。よし、四郎!攻めることを許可するが、三ノ丸のみ攻めよ!それ以上の侵攻はまかりならぬ!」
「ははっ!お任せくださいませ!」
諏訪四郎勝頼は父・信玄から滝山城攻めの許可を得ると、信濃衆の一部を率いて滝山城攻めを開始したのである。
城攻めと言っても御嶽城や鉢形城と同じく、実績作りのための城攻めであり、本気ではなかった。だが、諏訪四郎勝頼の猛攻たるや凄まじく、瞬く間に滝山城の城下町へ突入し、宿三口にて北条軍と激戦を繰り広げていた。
「まもなくで敵の陣形は崩せる!あと一押しぞ!」
そう言い終えるなり北条兵を槍で一突きし、血祭りに上げていく諏訪四郎勝頼。その雄姿に将兵は奮い立ち、徐々に北条軍を押していく。
「おう、来れる奴は何者じゃ!」
「某は武田信玄が四男で信濃高遠城主を務めておる諏訪四郎勝頼!そなたこそ名を名乗れ!」
「わしか!わしは大石家家老、諸岡山城守と申す!槍合わせ願おう!」
「おう!受けて立ってやるわ!かかって参れ!」
諏訪四郎勝頼と諸岡山城守は馬を寄せ、槍を合わせる。双方ともに馬を巧みに操り、見事な槍捌きで死闘を繰り広げる。
年の功によって当初は諸岡山城守が槍合わせで優位に立つかに見えたが、天賦の才でもって若武者・諏訪四郎勝頼は鮮やかに諸岡山城守の攻撃を凌ぎ、かえって諸岡山城守に手傷を与えるほどであった。
「くっ!」
「いかがした!北条の武士はこの程度か!」
「何をっ!」
その後も諸岡山城守は槍を合わせ、人以上に彼らを乗せて戦う馬の方が汗を滴らせ、限界が近づきつつある中、大石源三氏照の家老・諸岡山城守はにわかに馬を返し、
後方へ下がっていく。
「逃げるか!卑怯者めっ!」
そう叫んで追ってしまうのではと思った武田の将兵であったが、諏訪四郎勝頼はあくまでも冷静であった。それからしばらく攻撃を仕掛けてもいたずらに死傷者が増えるだけと悟るなり、自身も撤退の号令を下し、父のいる武田軍本陣へと撤収していったのである。
その雄姿は共に戦った将兵たちから他の部隊に属する将兵にまで言い伝わり、諏訪四郎勝頼を見る目が少し変わる契機となった。
「四郎!大事ないか!」
「なんのこれしき!かすり傷にございますれば!」
「まったく敵将と槍合わせをするとは、無茶なことを……!」
「されど、某の騎射の術を前に敵将は退散いたしましたぞ!次に会うことあれば必ずや仕留めてご覧にいれまする!」
「そのようなことは良い。あまり無茶はしてくれるなよ。されど、ようやってくれた」
帰陣した諏訪四郎勝頼が手傷を負ったと聞いて飛んできた信玄は思いのほか重傷でなかったことに安堵したのか、強張っていた表情が和らいだ。
「父上、明日にもここを発たれまするか」
「うむ。進軍は順調じゃが、さりとて九月下旬じゃ。ここで時をかけるわけには参らぬ。今月中には小田原城付近まで向かいたいものじゃ」
「然らば、このまま武蔵を縦断せし後は相模も縦断なされるのですか」
「いかにも。小田原城におる相模守と左京大夫の父子へ挨拶していかねば気が済まぬゆえな」
勝頼はそう言って猛々しく笑う父・信玄の姿を頼もしく思い、それからの進軍にも同行したのである。
武田軍は予定通り、武蔵国・相模国の国境を越えると足柄上郡の犬越路を使い、永禄十二年十月一日、ついに北条家の居城である小田原城へと進出したのであった。
「これは北条家への挨拶代わりじゃ!城は包囲するだけでよい!各隊、持ち場に付き、勝手な城攻めは控えるようにいたせ!」
信玄は大声で各隊へ伝令を飛ばすと、小田原城を包囲。北条相模守・左京大夫父子にとってはまさしく寝耳に水ともいえる小田原侵攻に、慌てて評議が開かれ、対応策が協議されることとなる。
一方の信玄も、かつて上杉弾正少弼輝虎が長尾景虎であった頃に関東諸将とともに十万もの大軍で包囲しても落とせなかった小田原城の守りの固さは理解しているため、決して攻めてはならぬと各隊へ命じるほどであった。
かくして、武田と北条の死闘は小田原城へと戦いの場を移し、行われることとなったのである――




