第272話 鉄心石腸
七月上旬には甲府へと帰陣していった武田信玄率いる武田軍。対する北条軍はむざむざと伊豆国への侵攻を許したばかりか、北条軍の駿河国内での貴重な拠点であった富士郡の大宮城を攻め落とされる結果に終わった。
このことは七月四日に吉原城にて富士郡の情勢を探ってきた大石源三氏照と北条助五郎氏規は伊豆国三島の山中城を本陣とする当主・左京大夫氏政へと報告されていた。
「兄上、富士信忠殿は大宮城を開城したが、武田へ降ることなくまだまだ抵抗を続けるつもりのようじゃ」
「加えて、富士郡を落とした武田軍が甲斐へ撤退していったのは真のようにございまする」
大石源三、北条助五郎から告げられる富士郡の情勢を瞠目して聞き届けた氏政は重苦しく口を開けた。
「興国寺城の守りを強化するようそなたらが七月二日に指示してくれたことは聞き及んでおる。大儀であった。とは申せ、信玄に駿豆を己が領国が如く往来されたのは甚だ不愉快じゃ」
「それは当家の者皆が同意するところではなかろうかと」
「源三、そなたが武田軍の先陣へ挑んだことはせめてもの救いであった。敗北こそしたが、北条は武田と一戦交えたという事実は残った。誰も戦を仕掛けなければ我らを腰抜け呼ばわりして離反する者も出たであろうが、そうはならなかったのはそなたらが武田と干戈を交えたからだと思っておる」
「はっ、そう言っていただけたことには安堵しております。されど、兄上と違って父上には激怒されましょう」
「うむ。それゆえに、両名を叱る役は父上に譲ろうと思っておるから、わしは怒らぬこととしたのじゃ。まあ、父上にはそう怒らずとも良いのではないかと仲裁する旨の書状を送っておくゆえ、案ずるでない」
大石源三と北条助五郎は同母兄・氏政から告げられた父からの説教を想像して顔面蒼白になりながらも、評定を続けていく。
「兄上」
「いかがした、助五郎」
「はっ、此度武田軍は氏真殿の大平城を攻めませんでしたが、次こそは攻められるやもしれませぬ。ここは早急に身柄を別なところへ移すべきではないかと心得まする」
「うむ、そのことは聞き及んでおる。されど、他に何処へ移せばよいか、わしの中で答えが出ておらぬのだ」
大平城の曲輪絵図を見た氏政をはじめ、北条一門や重臣らはこれでは到底武田軍の攻撃に耐えられないと判断していた。
それだけに、氏政としても身柄を大平城から移した方が良いことは分かっていたが、義弟・今川氏真の身柄を一時的にでもどこへ移すべきか、悩ましいところであった。それを見越して、北条助五郎は具体的な場所を提案することとしたのである。
「兄上、某の在城している韮山城はいかがにございましょう。ここならば大平城よりも遥かに守りやすく、安全であると心得まする」
「ほう、韮山城か」
たしかに先月の武田軍の侵攻では韮山城を攻められているが、城攻めまでは行われなかった。立地としても韮山城は大平城から狩野川の対岸に位置し、最も近い要害と言えた。武田軍との戦が落ち着けば、また大平城へ戻せばよいのだから、そこまで案じることではない。
「よし、ならば義弟殿へは韮山城へ在城するよう、わしから使者を送っておくとする」
ひとまず、北条助五郎の進言を受け入れ、氏政は今川氏真夫妻の身柄を韮山城へ移すことに決め、その旨を伝える使者を派遣していた。
「兄者、そういえば上杉との同盟にござるが、兄者の子を上杉弾正少弼輝虎が養子とすることを求められておるが、いかがなされたのじゃ」
何気なく越相同盟締結にあたって上杉弾正少弼輝虎から求められていたことについて問いかける異母弟・藤田新太郎氏邦。そんな彼からの問いかけに対し、氏政は眉をひそめる
「断った。誰が上杉なんぞに国増丸を養子に出すものか。すでに嫡男と定めた国王丸には今川家の名跡を継がせ、今川国王丸としておる。そして、上杉から求められた国増丸は二年前の三船山合戦で討ち死にさせてしまった岩槻太田家の太田氏資の婿養子とすることとして話を進めておるゆえな」
氏政には正室・梅姫との間に生まれた長男がいたが、十一年前に数え三歳で夭折されている。その次に梅姫との間に生まれた八歳の次男・国王丸を嫡男としていたが、今川氏真の駿河奪還に協力するために今川家の名跡を継承させていた。
そして、氏政が側室との間にもうけた六歳の三男・国増丸を二年前の三船山合戦で戦死した岩槻太田氏資の婿養子とする計画を進めているところへ、折悪く上杉弾正少弼から養子として国増丸を送ってほしいと言われ、困惑しているのである。
「然らば、兄上にはもう一人、数えで五ツとなる菊王丸がおりますれば、これを上杉へ養子として送れば良いのでは?」
「新太郎!たわけたことを申すな!何故、我が子を上杉なんぞの養子に出さねばならぬのじゃ!可愛い我が子を傘下の岩槻太田氏へ養子に出すことすら苦渋の決断であったのじゃぞ!それを何故、越後へ五歳の我が子を送らねばならぬのじゃ……」
藤田新太郎はしまった、と思った。完全に氏政の踏み込んではいけない一線を越えてしまったと思ったのである。だが、それを見ていた大石源三が助け舟を出す。
「そこまで申すならば、新太郎。そなたが上杉の養子となってはどうじゃ。兄上が我が子を出せぬとあらば、我ら兄弟の誰かが向かうほかなかろう」
「よ、よしてくれ!これまで殺し合ってきた上杉の養子など、虫唾が走る!そもそも某は藤田氏の婿養子となっておる!源三兄者とて大石氏の婿養子となっておるではないか!兄弟の誰かがと申すならば、どこへも養子に出ておらぬ助五郎兄者が参れば良いではござらぬか!」
突如として会話の矛先を受けられた北条助五郎は仰天し、大石源三へ視線で助けを求めつつ、藤田新太郎に向き直る。
「そ、某は関口家の婿養子となってもおりましたゆえ……」
「なっておったが、今は解消されておるではないか!」
「さ、されど、某には韮山城将としての務めがござる。某が抜ければ、代わりに誰が務められましょうや」
「ぐぬぬ、では誰も行けぬではないか」
藤田新太郎は論点を見事に北条助五郎にすり替えられているのだが、それに気づかず沈黙させられてしまう。
「新太郎、もうよい」
「はっ、ははっ……!」
「まあ、ここにはおらぬが、弟の三郎がおるが、父上が末っ子として可愛がっておる三郎を養子に出すのをお許しになるとは思えぬ。他にも父上の養子となっておる我らの従兄弟、左衛門佐氏忠と右衛門佐氏光の兄弟がおるが、当主であるわしの養兄弟では上杉も納得すまい。まあ、上杉家へ出す養子のことはのらりくらりと返答しておくとする」
ひとまず越相同盟を締結させるにあたり、上杉家から求められている養子のことは先送りにすることとした氏政。
今川氏真へ韮山城へ移るよう指示する一方で、隠居の身である実父・相模守氏康と協議したうえで、信玄の再度の駿河侵攻に備えて関東の軍勢を続々と駿河へ投入することとした。
もちろん、敵地との境目となる城からは一兵たりとも動かさず、それを除く城に限って兵を動かしたのである。
そうした動きとともに、大平城に籠城して武田軍の襲来に備えていた氏真のもとへ、氏政から韮山城へ在城するようにとの命令が伝えられた。
「あなた様、兄からはなんと?」
北条家の姫であり、今川家の隠居の正室らしからぬ動きやすさを重視した服装で現れた春姫は落ち着き払った声音で氏真へ問いかける。
「うむ、大平城では武田軍に対抗できないであろうから、ここはひとまず韮山城へ移ってもらいたいと」
「そうでしたか……」
「案ずることなどない。義兄殿からは武田の脅威が去れば再び大平城へ戻っていただきたいとのこと」
「では、あくまでも一時のことであると」
「そうであろう。富士郡が武田に奪われ、北条家中も張り詰めておる様子。義兄殿も実の妹が敵の攻撃に晒されるやもしれぬ城に留まっておることを案じておられるのであろう」
敵の攻撃に耐えられないと算段される城へ実の妹が籠城しているとあっては氏政も不安であろう。そんな氏真の見立ては当たっていた。
ましてや、信玄が富士郡を制圧しただけで駿河を諦めるようなことなどない以上、必ずもう一度駿河へ侵攻してくる。そうなれば、今度こそ大平城へ武田軍が攻め寄せるかもしれない。
ともあれ、氏真は氏政からの命令を受諾し、大人しく狩野川対岸の韮山城へ夫妻で移ったのであった。
そうして北条家が武田家による二度目の駿河侵攻を前に、手も足も出ず、富士郡を奪取されたことは城之崎城の築城と平行して岡崎城にて寺社などへ発給する文書などをしたためている家康のもとへも駿河へ潜入している甲賀衆から七月中旬には報告がもたらされていた。
「ほう、武田軍が駿河から伊豆へ侵攻したことは先月末には知っておったが、ついに大宮城を開城させ、富士郡を押さえたか」
家康は久方ぶりに帰還した岡崎城の書院にて甲賀衆からの報告を受けると、一人考え込む素振りを見せる。
「殿、なんぞ便りでもございましたか」
「おお、伯耆守。戻っておったか」
「はっ、先ほど戻りましてございます」
遠江での戦後処理を委ねていた石川伯耆守数正もようやく岡崎へ戻ってくることができ、その報告をすべく書院にいる主君を訪ねてきたのである。
「戦後処理は成せたか」
「まだ残ってはおりますが、ひとまず叔父でも問題なく処理できると判断し、叔父とも談合のうえで三河へ戻って参りました」
「そうであったか」
懸川城主となった叔父・石川日向守家成で事足りると判断した石川伯耆守は残る戦後処理を託し、西三河衆の旗頭としての役割を引き継ぐべく、西三河へ戻ってきたものであった。
「して、殿。その文は誰からの」
「うむ、駿河に潜っておる甲賀衆からの頼りじゃ。去る三日に武田軍は富士信忠の籠城しておる大宮城を攻略し、ついに富士郡を押さえたとのことじゃ。さらには北条領国の伊豆にまで攻め入ったとのことで、北条方の士気は下がっておるとも記されておる」
「左様にございましたか。となれば、武田は続けて蒲原城攻めへ動きましょうか」
「そうなるであろう。富士郡を押さえたとなれば、蒲原城と薩埵峠の北条軍を撃破すれば興津城と久能城との間を塞ぐ障壁はなくなる。その後には再び駿府館を攻め、駿河の山西地域の今川方を一掃。ともすれば、駿東郡から北条軍を駆逐すれば駿河一国は武田のものとなる」
家康はいよいよもって緊張の帯びた表情となる。ここまで北条軍が武田信玄の掌の上で転がされるとは予想外であり、この分では永禄十二年中に駿河制圧が成せてしまうことも有り得る。
ともすれば、来年からは武田軍の遠江侵攻も想定されるのだ。それを考えれば、家康が戦々恐々とするのは無理もないことであった。
「そうです、殿」
「いかがした」
「三河へ戻る道中、見附にて築城が始まった城之崎城を見て参りましたが、着々と材木や大石が運び込まれる様は圧巻にございましたぞ」
「おお、そうであったか」
「あの調子であらば、九月中には完成するのではございますまいか」
「さすれば武田の侵攻にも対抗し得るか」
家康の言葉に力の限り、石川伯耆守は頷いてみせる。あくまで見立ての話をしているのだが、それでも家康には安心してもらいたいという石川伯耆守の思いやりから来る言葉であった。
「おお、そうじゃ。見附の城之崎城へ居城を移すことやそれにあたって竹千代へ岡崎城を任せること、織田殿へも使者を送ったところなのじゃ」
「たしかにそうですな。居城を移すことは知らせておかねば、以後の伝達にも支障をきたしましょうゆえ」
「うむ、その通りじゃ。来月上旬にもなれば城の立地や曲輪絵図なども織田殿に送ってみていただくつもりでおる。居城を移転させることに関して、わしは初めてのことゆえ、右も左も分からぬが、織田殿は那古野城から清洲城、小牧山城、岐阜城と当主になられてから幾度も居城を移転させておられるゆえ、何やら意見がいただけるであろうと思っておる」
「それは名案やもしれませぬ。何やら良い意見がいただけ、武田との戦いに活かせるやもしれませぬ」
「そうであろう!いや、今から城の完成と織田殿からご意見賜れるのが、今から楽しみでならぬ」
新たな居城に心躍らせる家康。武田家との戦いが間近に迫りつつあることを肌で感じつつも、岡崎城から初めて拠点を移すことへの不安と期待が入り混じりながらも、城普請を進めていくのであった。
そして、翌八月も下旬に差し掛かる頃、家康が警戒してやまない甲斐の虎が再び動き出すのだが、それはまた別の話――




