第271話 第二次駿河侵攻
永禄十二年四月に駿河から甲府へと撤退した武田信玄。
彼が去った後、甲三同盟を結んで共に今川領を攻めていた徳川家康が武田方へ何の通達もなく懸川城の今川氏真を和睦し、北条家へとその身柄を引き渡したことに憤る日々が続いていた。
そうして五月、閏五月と二度も月が替わり、ついに月が替わるのも三度目となった六月。北条家が上杉弾正少弼輝虎との間に越相同盟を締結させ、宿敵同士であった両家は武田家を仮想敵国とする同盟を結んだ中、ついに信玄は再び北条家との激戦へと身を投じようとしていた。
「三郎兵衛尉。駿豆の北条方に何ぞ動きはあったか」
「はっ、北条軍は我らの来襲に備え、専ら富士郡と駿東郡、駿豆国境の防備を強化しておる由」
「やはりそうか」
「はい。北条軍は蒲原城や吉原城、善得寺、興国寺城、平山城、長久保城、葛山城などへ軍勢を配備しており、先月には駿東郡へ新たに深沢城を築き、北条軍の本陣のある伊豆国三島へは山中城を築城したとの斥候の報せ」
信玄は絵図を広げ、山県三郎兵衛尉昌景が告げた城の位置へ黒の碁石を配置し、敵の配置を地図上へ落とし込んでいく。そうして甲府の位置には幾つもの白の碁石が置かれている。
「新たに築いた山中城には当主殿自らが入っておるとして、深沢城へは誰が入っておる」
「北条家の主力である五色備の一つ、黄備え隊が駐屯しておるとのこと」
「となれば、大将は北条左衛門大夫綱成、籠もる兵は玉縄衆か」
「いかにも。なんとも厄介この上ない敵の備えであるかと。加えて、築かれた位置は甲斐、駿河、相模の三国を結ぶ街道が交わる要衝にござれば」
信玄は山県三郎兵衛尉からの報告に舌打ちする。信玄が駿河へ進むには、前回の駿河侵攻で用いた富士信忠の大宮城に近接する中道往還か、新たに北条軍が深沢城を築いた街道を用いるほかないのだ。
北条軍にとっては信玄の駿河侵攻に用いる道は二つに一つであることから備えやすい。それだけに、信玄としても面倒極まりなかった。
「ここはまず、先の駿河侵攻と同様、富士信忠が籠もる大宮城を攻めるがよろしいかと。大宮城を落としし後は南進。東西の街道と交わる地点で軍勢を二つに割り、本隊を西の蒲原城へ、別動隊は東の吉原城を牽制させておくがよろしいかと。さすれば、蒲原城を落とせた暁には左衛門大夫殿のおられる興津城、修理亮殿のおられる久能城までの道が開け、救援することも叶いまする!」
まずは富士信忠を降伏させ、その後に吉原城を牽制しつつ蒲原城を攻略すれば興津城の穴山左衛門大夫信君、久能城の板垣修理亮信安を救援することも叶う。それが齢四十一となった山県三郎兵衛尉の見解であった。
しかし、名案にも思える山県三郎兵衛尉の献策を信玄は笑った。なんとも真っ直ぐすぎる策であったのが可笑しかったのである。
「ははは、まだまだ三郎兵衛尉は青い。儂はそのような真っ直ぐなそなたのことは嫌いではないが、儂ならばその策は取らぬ。その程度のこと、相模守はとうに見通しておる。そなたの策では吉原城を牽制する別動隊が東から押し寄せる北条軍に破られれば、一度目の駿河侵攻と同じく退路を塞がれてしまうであろう」
「た、たしかにそうやもしれませぬ。されど、このままでは興津城と久能城を見捨てることとなりまする」
「案ずるでない。撤退の折に切り拓いた新道を使い、兵糧や武器弾薬などの物資は両城へ届けさせておる。守りに徹すれば、今しばらくは持ちこたえられよう」
「それは存じておるまするが……」
味方を遠く駿河に残したままであることを懸念する山県三郎兵衛尉の心は晴れなかった。主君・信玄のことだから、見捨てるつもりではないことは重々承知している。しかし、自分の取ったように軍を動かさなければ味方を救出することはできないと考えてやまない様子であった。
「儂は駿河を得るには、相模守の裏を三度はかかねばならぬと思うておる。儂が今から申すことは、その一度目じゃ」
信玄は自らが考える策を山県三郎兵衛尉へ耳打ちする。その想像だにしなかった主君・信玄の驚天動地の打ち手に唖然としてしまう山県三郎兵衛尉であったが、その策が成功した暁には北条軍を思いのままに動かすことも叶う。
「三郎兵衛尉、出陣じゃ。陣触れせよ」
「はっ!心得ましてございます!」
山県三郎兵衛尉は信玄からの命を受け、出陣を触れて回る。これまで、これ見よがしに戦支度を進めていた信玄はついに動いた。
狙いは一度目の駿河侵攻時にも城攻めを行った富士信忠の籠もる大宮城……ではなく、常勝軍と名高い北条左衛門大夫率いる玉縄衆が籠城する新城・深沢城であった。
六月十六日、武田菱の旗を掲げた武田信玄率いる武田軍が怒涛の勢いで攻め寄せた駿河御厨の深沢城は慌てふためくかに見えたが、守将が歴戦の覇者で戦慣れした強者ばかりであったため、粛々と籠城の支度を進めていく。
「殿!武田軍は城の北西一里に布陣!軍勢を展開させ、城を包囲戦としておる様子」
「左様か。されど、慌てることはない敵が弓鉄砲の射程距離に入るまでじっと狙いを付けて大人しくしておれ」
「ははっ!」
齢五十五となる北条相模守氏康の義弟である北条左衛門大夫綱成の対応たるや冷静沈着であり、配下の将兵たちも大将がどっしりと構えていることもあり、落ち着いて武田軍の襲来に備えられていた。
そんな城方の様子を本陣より遠望する武田信玄すらも、ただただ感心するばかりであった。
「旗指物の動きが実に落ち着いておる。あれは将兵らが慌てふためいておらぬ何よりの証。これは手強いぞ」
己よりも六ツ年上の大将が『さあ、来い』と言わんばかりに待ち構えている城を見て、信玄は笑うほかなかった。あのような城、誰が攻められようものか、と。
「御屋形様、然らば予定通り、攻撃を仕掛けまするが、まことに弓鉄砲を撃ちかけて辺り一帯に放火するだけでよいので?」
「構わぬ。儂はこの城を落としに来たのではない。北条家への報復の狼煙とせんがためじゃ」
「ははっ、承知いたしました!者ども、支度にかかれ!」
北条左衛門大夫と同い年の武田家譜代家老衆・馬場美濃守信春の号令で城攻めが開始される。しかし、城へは弓鉄砲を放つのみに留め、互いに飛び道具の応酬が続くばかりで、城攻めとしては一向に進展しなかった。
そうして夕刻まで弓鉄砲を撃ちあうと、武田軍は深沢城の周囲へ放火し、黄瀬川沿いの街道を通って南へと方向を転じたのである。
沼津付近まで進出した武田軍は西へ進んで翌十七日からは興国寺城攻めを行うかに思われたが、これまた北条軍の思惑を裏切る進軍をしたのである。その動きはすぐにも三島の山中城を本陣とする北条家当主・左京大夫氏政へただちに報じられた。
「申し上げます!た、武田軍がこちらへ向かって参ります!」
「なにっ!?」
伝令からの報告に総大将である氏政も動揺を隠せなかった。側に在する氏政の異母弟・藤田新太郎氏邦、北条幻庵の次男で武蔵国小机城主を務める北条新三郎氏信といった若武者らもどよめき立つ。
それもそのはずである。武田信玄の狙いは駿河。駿河という折に入った甲斐の虎を駿豆国境で駐屯している北条軍で完膚なきまでに叩きのめすというのが北条軍の狙いであったのに、それを裏切るように、北条領国である伊豆へと侵攻してきたのである。
「兄者!迎え撃つか!それならば、某にぜひ先鋒を!」
「新太郎殿が参られるなら、私も参りたく存じます」
勇み立つ藤田新太郎に、北条新三郎が同道すると言い出すのを、当主・氏政は制した。齢二十二と若く、血気盛んな藤田新太郎では信玄の相手にもなるまい、という現実的な判断からであり、無駄に兵を失わせてはならぬという氏政の考えであった。
「ここは信玄の出方を見る。ひとまず、このまま山中城へ籠もり、敵の動きを見ようぞ」
「くっ!」
藤田新太郎は不服そうであったが、兄からの命令である以上、服さないわけにはいかなかった。そんな北条軍を嘲笑うが如く、信玄は三島一帯へ放火すると再び矛先を転じた。
どうせ追撃などする度胸はあるまいと踏んだのか、悠々と背を向けて信玄率いる武田軍は同国韮山城へ進軍し始めたのである。
この武田軍が進軍してくることを知った氏政の同母弟である齢二十八の大石源三氏照、齢二十五の北条助五郎氏規は武田軍迎撃に向けての協議に入った。
「兄上、武田軍は三島へ放火し、こちらへ向かっておるとのこと。いかがいたしましょうか?」
「迎え撃つに決まっておろう!兄上は昔から手緩いのだ!どうせ我らは撃って出てこぬと敵は油断しておる!その油断を衝くのだ!」
「なるほど、然らば某もお供仕ります!」
在城していた大石源三の判断で北条軍は韮山城を打って出て、武田軍へ戦を仕掛けることに一決した。大石源三・北条助五郎の兄弟は軍勢を率いて韮山城を出陣すると、武田軍の先陣を見つけるなり真正面から猛攻を仕掛けていく。
「まずは武田の先陣から血祭りに上げてやれっ!」
「さあ、かかりなさい!」
当主・氏政よりも軍才があることを自他共に認める大石源三に続くように、北条助五郎も手勢を率いて武田軍の先陣へ斬り込んでいくが、なかなか武田軍の先陣を崩せず、勢いが失われていく。
そうしている間にも続々と武田軍の後続が加勢に入り、瞬く間に北条軍は劣勢となり、敗走するに至った。その知らせを受けた信玄はすべて目論見通りに進んだことにほくそ笑んだ。
「さすがは御屋形様!城から打って出られることを想定した陣構えとするよう先陣へお命じになられた時は皆まことに打って出てくるのか半信半疑にございましたが、まことに敵が打って出て参るとは」
「三郎兵衛尉、これこそ兵法の妙よ。相模守の倅どもも今ごろ、城にて大人しくしておろう。我らも三島と同じく、韮山へも放火せし後、駿河へ向かう」
武田軍先陣との合戦に敗れ、大石源三と北条助五郎が意気消沈している隙に、信玄率いる武田軍は韮山へも放火。それから疾風迅雷、進路を転じて御殿場口から駿河へ侵攻したのである。
「御屋形様、狩野川を挟んだ対岸に位置する大平城には今川氏真が籠城しておるとのこと!これを攻め落とせば、氏真の首を得られましょうぞ!」
爛々とした眼で狩野川対岸に位置する大平城を睨みつける山県三郎兵衛尉を信玄は制し、予定通りの進軍をするよう各将へ伝達したのである。
「亡国の主を討ち取ろうと討ち取るまいと駿河制圧に障りはない。無視してよいぞ」
今川家当主を譲り、隠居の身となった今川氏真に信玄はまるで興味を示さなかった。わざわざ相手にする価値もないと言わんばかりに悠々と城の前を通り過ぎ、それからも街道から見える興邦寺城、吉原城を攻撃することもなく通り過ぎ、蒲原城が視界に入った頃、突如として北へ進路を変更したのである。
「者共、中道往還を北上せよ!目指すは富士信忠が籠もる大宮城!」
信玄が高らかに軍配を振り上げると、予定通りだと信玄麾下の猛将たちが隊を指揮して進路を変更していく。
そうして同月二十五日までに大宮城の包囲を終えた武田軍は容赦なく富士信忠の籠もる大宮城攻めを開始したのである。
駿河侵攻の初手に攻撃して落城させられず、今年の二月にも穴山左衛門大夫と葛山氏元が攻め立てるも落城させられなかった堅城である。
言葉通り、三度目の正直となる大宮城攻めはこれまでで最も苛烈で、最も攻める側の武田軍の数が多い攻撃となったことから富士信忠は苦戦を強いられることとなった。
北条氏政から富士信忠へ三通の文書が送られ、援軍を送ることができないことから退城を勧められるほどの状況であった。それでも七月に入っても抵抗をつづけたが、ついに力尽きて七月三日に開城することとなったのである。
かくして富士郡の要衝であった大宮城を攻略したことにより、富士郡は武田家の支配下となった。
「御屋形様、ようやく富士郡を抑えることができましたな」
「うむ。あとは駿東郡を支配下とすれば北条軍は駿河へ介入できなくなろう。されど、此度はあくまでも大宮城攻略と富士郡の制圧。それが達成できた以上、大宮城には九一色衆を在城させることとし、甲斐へ撤退とする」
速やかに二度目となる駿河侵攻を切り上げた信玄は欲張ることなく、甲府へ撤退。三度目の駿河侵攻の布石を打つ事こそが今回の駿河侵攻の狙いであり、これからも信玄の思い描く通りに対北条戦は展開していくこととなる――




